旅は驢馬をつれて
- 作者: R.L.スティヴンスン,Robert Louis Stevenson,小沼丹
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2004/12
- メディア: 単行本
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R・L・スティヴンスン(小沼丹訳)『旅は驢馬をつれて』みすず書房、2004年。
スティーヴンスンの第二作目の著作『旅は驢馬をつれて』は、第一作と同様に旅行記であった。彼は『新アラビア夜話』の構想を練っている最中に、フランスはセヴェンヌ地方を巡る旅を敢行していたのである。
『旅は驢馬をつれて』というタイトルを見ると、何やら牧歌的な、素敵な展望が開けると思う。ところが、タイトルから連想される驢馬と著者との関係は、本を開く前に想像したものとは大きく異なった。驢馬のモデスチンは一向に働こうとしない。そこでスティーヴンスンは、あらゆる武器を使って彼女(雌驢馬である)の歩みを速めようと苦心することになるのである。
「思うにモデスチンが満足な一歩を運ぶには、私はすくなくとも二度力をこめてなぐらねばならなかった。その附近一帯、私がたゆみなくなぐる音以外、何の物音もきかれなかった」(24ページ)
旅の先々で、多くの人から多くの驢馬使いの流儀を教わり、多くの武器を得る。最後には先端に針の付いた棒を作ってもらい、著者はこれをもって驢馬の尻を血だらけにする。ほとんど虐待である。小沼丹の若干古くさい訳文が奇妙にマッチしていて、面白味に拍車をかけている。
「私はどこか行くところがあって旅するのではない。ただ、行くために旅する。旅するために旅するのである。肝要な点は、動くということである」(57ページ)
「私は最初、一人と別れ、ついでまたもう一人と別れ、まことに悲しかった。とはいえ、次の宿場へ急ぐべく、前宿の塵を払い落とす旅人の歓びも覚えないわけではなかった」(93ページ)
旅の魅力が凝縮された描写の数々が素晴らしい。心底、旅に出たくなる。野宿がしたくなる。
「屋根の下にいれば、夜、は死んだような単調な時である。しかし、戸外に在っては、星や露や芳香を伴い夜は軽やかに走りすぎる」(99ページ)
「詩歌の大半は、星に関するものである。これは当然至極のことである。なぜなら、星はそれ自体が、詩人のうちにあって最も古典的な詩人だからである」(144ページ)
旅先で「野宿なんて危険だ」と言われると、スティーヴンスンはこう答える。
「私は、そんな事件はさまで気にしていないと答えた。それに、人生のやりくりに際し、突発事を気にかけたり、些細な危険にくよくよしたりするのは、いずれにせよ、賢明ではないと思う由を答えた。人生それ自体が概してとんでもなく危いお仕事なのだから、その附録ぐらいの些末な危険事はいちいち気にとめる値打もないものだ、とも私はいった」(152ページ)
プロテスタントであるスティーヴンスンが、カトリックの人々との違いを描く箇所が多い。宗教理念の対立は馴染みの深いものではなく、読むスピードがいささか落ちてしまう。次に多いのが、セヴェンヌ地方で起きたカミザールの反乱についての言及。これも、興味がないとしんどい。とはいえ、著者の旅行に対する姿勢と訳文の美しさだけで、十分に最後まで楽しめる。
ちなみに最後の最後まで、驢馬のモデスチンが哀れ。何だか上手くまとめられているが、哀れなことに変わりはない。
同時収録の短編「ギタア異聞」は、旅芸人が宿から締め出されて、芸術論を展開しながら夜を彷徨する話。
「天体のいい点の一つは、それが万人のものであると共に各個人にも特殊のつながりをもつということである」(227ページ)
男女の芸術観の相違が面白い。登場人物は「品のある気狂い」ばかり。読み終えても何も残らないけれど、滑稽でスピード感のある短編。
- 作者: R.L.スティヴンスン,Robert Louis Stevenson,小沼丹
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<読みたくなった本>
ボーマルシェ『セビリヤの理髪師』
→「ギタア異聞」の主人公レオンは、この作品の色男アルマヴィヴァのように振る舞う。
チェーホフ『チェーホフ 短篇と手紙』
→「大人の本棚」シリーズの一冊。