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「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

本の愉しみ、書棚の悩み

先日友人と集まって文学談義をした際に、話題に上がった一冊。というか話題にしたのは自分なのだが、読んでから随分経っていた気がして再読した。

本の愉しみ、書棚の悩み

本の愉しみ、書棚の悩み

 

アン・ファディマン(相原真理子訳)『本の愉しみ、書棚の悩み』草思社、2004年。


ヴァージニア・ウルフは『一般読者』のなかで、「書斎と呼ぶほど立派ではないが、本があふれた部屋がある。ふつうの人々はそこで読書にいそしむ」と、書いている。ウルフによると、一般の読者は「批評家や学者とはちがう。高い教育を受けてはいないし、豊かな才能に恵まれてもいない。本を読むのは知識を伝え、人の意見を是正するためではなく、楽しむためだ。彼らは手に入るさまざまな断片から、本能的にある総体をつくりあげる」。本書は、重みでたわんだ本棚にぎっしりつまった、何千もの断片からわたしがつくりあげようと試みた、ある総体だ」(5ページ)

再読のきっかけは、文学談義のメンバーで恋人同士の二人が、ある作家の全集を二人で出資して買おうとしていると聞いたことである。二人ともただならぬ愛着を持っていて、二人を結びつけた作家だ。嬉々としてその作家の話をしている時の二人の様子は端から見ているだけで幸せな気持ちになる。「そんなことをしたら、別れられなくなりますよ」と冗談まじりに言っても、愛し合う二人の耳には届かない。私が思い出したのは、この本の「蔵書の結婚」だった。

「わたしたちはこのロフトで結婚式をあげた。ひきはなされたメルヴィルの二作の目の前で。富めるときも貧しいときも、病めるときも健やかなるときも愛しあうことを誓うのは、むずかしくなかった。「他のすべての人から離れる」と誓うことにも、何の問題もなかった。だがお互いの蔵書をまとめ、重複しているものについてはどちらかの本を処分すること、という指示が祈祷書になかったのはさいわいだった。もしあれば、それは先にあげたものよりはるかに重大な誓いだ。そのくだりで結婚式が先にすすまなくなるという、由々しき事態を招きかねなかった」(12~13ページ)

結婚してから五年を経て、とうとう二人の愛書狂は別々にしていた本棚を統合させる。重複しているものもあれば、それぞれの棚の作り方も違う。時代別に並べるかアルファベット順に並べるか、二人の議論が始まる。

この本はタイトルの通り、いわゆる「本の本」の中でも特に書棚に照準をしぼったものだ。勿論、本のエッセイとしての楽しみも豊富である。例えば「献辞」について書かれた章の一節。

「どこの古本屋の棚にもどっさりある、献辞の入った本はうらさびしい。そのどれもが、裏切られた友情の記念だ。裏切った人は、自分の不誠実さに気づくものはいないと思っているのだろうか? もしそうなら、残念ながらそれはまちがいだ。何百人もが裏切りのしるしを目にするだろうし、献辞を書いた本人の目にとまることさえある。ショーはあるとき、自分の著作が古本屋にあるのを見つけた。それには「〇〇へ。尊敬をこめて。ジョージ・バーナード・ショー」という献辞が記されていた。ショーはそれを買い、「新たなる尊敬をこめて。ジョージ・バーナード・ショー」という一行を書き加えて、〇〇のもとへそれを返した」(64~65ページ)

ある時は子守唄代わりに夫婦でホメロスを朗読して、子どもを寝かしつける。そして遅々として進まない朗読という読み方から、書物の新たな魅力を発見する。

「わたしたちの旅はもどかしくなるほどゆっくりだ。朗読するときは、とばしたりざっと読んだり、いきなり本題に入ったりするわけにはいかない。いまのペースでは、オデュッセウスが故郷のイタケーへもどるまでに、あと半年はかかるだろう。もっとも本当は十年かかったことを考えると、さほど遅くはないかもしれない。実際、このように時間をかけて読むことには利点もある。詩はゆっくり展開していき、その速度は追いたてられるように生活している現代のニューヨーク人よりも、紀元前八世紀のイオニア人に合っている。話がすすんでいくにつれ、こちらもゆったりした気持ちになってくる。最初はホメロスを読むには忙しすぎるように感じていた。いまでは、この忙しさではホメロスを読まずにはいられないと感じる」(148~149ページ)

書棚の整理方法を語る章では、英国の首相グラッドストンの方法が紹介されている。棚の寸法まで規定した緻密な整理方法はなかなか踏襲できないだろうが、その精神は納得できる。

「心から本を愛するものは、命あるかぎり本を家へおさめる作業を、人まかせにはしないだろう」(160ページ)

うん、それはできない。古書にまつわる箇所で登場する作家チャールズ・ラムは、ここでは一人の愛書狂として我々を代表してくれている。

「ラムはコールリッジにこのように書き送っている。「フェアファックスの『ゴドフロア・ド・ブイヨン』を半クラウンで手に入れた。いっしょに喜んでくれ」サウジーには、「それから、またクォールズの本を買った。たった九ペンスで!!! おお時世よ、おお読者よ!」(ラムのこの歓喜の叫びは『チャールズ・ラムの生涯と作品』の上巻にあった。日付けがなく、さし絵のついたこの「豪華版」の二巻本を、わたしは十五ドルで手に入れた。いっしょに喜んでほしい)」(169ページ)

自分のことが書いてあると思って慄然としたのは、私だけではないはずだ。

幸い著者の「蔵書の結婚」は大成功を収め、夫婦は幸せな読書生活を送っているらしい。全集を買ったら、愛書狂の二人にはこれ以上ない最高の絆となるに違いない。端から見ていて面白いだろうから、早く買って下さい。

本の愉しみ、書棚の悩み

本の愉しみ、書棚の悩み

 

 

<読みたくなった本>
ウルフ『一般読者』
ランチェスター『最後の晩餐の作り方』
フィールディング『トム・ジョーンズ
ヘミングウェイ『移動祝祭日』
→以上は言及のあった本。ヘミングウェイは既に読んでいるのだが、残念ながら引用された箇所が記憶にない。 

The Common Reader Vol 1 (Vintage Classics)

The Common Reader Vol 1 (Vintage Classics)

 
最後の晩餐の作り方 (新潮文庫)

最後の晩餐の作り方 (新潮文庫)

 
トム・ジョウンズ〈1〉 (岩波文庫)

トム・ジョウンズ〈1〉 (岩波文庫)

 
トム・ジョウンズ〈2〉 (岩波文庫)

トム・ジョウンズ〈2〉 (岩波文庫)

 
トム・ジョウンズ〈3〉 (岩波文庫)

トム・ジョウンズ〈3〉 (岩波文庫)

 
トム・ジョウンズ〈4〉 (岩波文庫)

トム・ジョウンズ〈4〉 (岩波文庫)

 
移動祝祭日 (新潮文庫)

移動祝祭日 (新潮文庫)

 

福原麟太郎『チャールズ・ラム伝』
→『チャールズ・ラムの生涯と作品』が未訳なため。姉の病気のイメージばかりが先行してしまうが、色々なところで書痴っぷりを曝している彼の伝記は面白いに違いない。