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「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

新ナポレオン奇譚

1904年に刊行された、チェスタトンの記念すべきデビュー長編。

G.K.チェスタトン著作集 10 (10) 新ナポレオン奇譚

G.K.チェスタトン著作集 10 (10) 新ナポレオン奇譚

 

ギルバート・キース・チェスタトン(高橋康也・成田久美子訳)『G・K・チェスタトン著作集10 新ナポレオン奇譚』春秋社、1978年。


これがデビュー作だなんて、ちょっと信じられない。ある批評家はこの本を読み「まったく始末が悪いくらい達者だ」と言ったらしい。本当に、まったく始末が悪い。これでデビューする新人なんて、始末が悪い以外に何と評せば良いのだろう。

「人類のいちばんのお気に入りの遊びのひとつは、「明日は明日」とよばれるゲームである。たしかシュロプシャーの百姓のあいだでは「予言者だまし」ともよばれている。この遊びはどうやるのかというと、まず、つぎの世代において何が起こるかについての賢者の予言を、全身を耳にしてうやうやしく拝聴する。つぎに、そういった賢者がたがすべて世を去るのを待って、彼らを手厚く埋葬する。さてそれからおもむろに予言とは別のことをしでかす。ただそれだけのことである。しかしながら、単純な趣味しかもっていないこの種族にとっては、これはどうしてなかなか面白いゲームなのだ」(4ページ)

1904年に書かれたこの小説の舞台は、80年後の1984年だ(勿論、オーウェル村上春樹は何の関係もない。念のため)。かといってこれはSFではない。80年後のロンドンは、1904年のロンドンと「ほとんどそっくりそのまま」であり、民主主義に飽きた人々はくじ引きで専制君主を決めるようになっている。そのようにして選ばれた王、諧謔家(ユーモリスト)のクウィンは、「自由市憲章」を発布し騎士道精神と中世的な外観の復活を唱える。

「今までは、人に通じない冗談はだめということになっていた。けれども今では、人に通じないってことこそ冗談の大成功のしるしにほかならない。ねえ君たち、ユーモアこそは人類に残っている唯一の聖域なんだよ。君たちがひどく恐れている唯一のものなのさ」(38ページ)

人々は王の途方もない思い付きに反発するも、くじ引きは絶対である。嫌々ながら王の狂言に付き合っていると、市民の中から憲章に大真面目な賛同を示すアダム・ウェインが出てくる。ノッティング・ヒル市長である彼は、政府の立てる大規模な道路敷設計画に真っ向から反し、事態は戦争に突入する。

「狂人というのは常に真剣なものさ。彼らにはユーモアが欠けているから狂う」(49ページ)

戦争といっても使われる武器は槍であり、剣である。国王はそれを見て大爆笑。しかし事態は思わぬ方向に展開する。

「これらの人びとは、日の沈む前に討ち滅ぼされることであろう。そして新たな人びとが現われ、滅ぼされ、新たな不正が行なわれることであろう。暴虐は、必ずや太陽のごとく、また昇りゆくにちがいない。不正は常に春の花のごとく、みずみずしく咲きほこるにちがいない。そして石塔は、変わることなくそれを見下してゆくことであろう。物質は、その残酷な美を保ちつつ常に人びとを見下すことだろう。死をも厭わぬ狂った人びとを、いや、生をも厭わぬさらに狂った人びとを」(203~204ページ)

80年後のロンドンを舞台にしているのに、浮かぶ風景は中世。宇宙船どころか自動車も出てこず、移動手段は馬車である。H・G・ウェルズの論敵であったチェスタトンが、そもそも真っ当なSFを書くわけがない。サイエンスの要素は欠片もない。ノッティング・ヒルに光をもたらすのは、太陽とガス灯だけである。後日談として語られるさらに20年後の世界、2004年の世界は、一層すごいことになっている。

「人に老いを感じさせるものは、帝国であれあくどい企業であれ、卑小である。人を若いと感じさせるものは、偉大なる戦いであれ恋物語であれ、偉大である」(240~241ページ)

一見『木曜の男』のような幻想もなければ、『ブラウン神父』シリーズに見られる意外なトリックもないように思える。だがこの構成は十分にトリッキーなものだし、ストーリーは幻想を飛び越えて妄想である。SFではないけれど、ここに込められた諷刺的な予見性は、現代の我々をも戦慄させる。しかもその直後に笑わせられる。彼のその後の著作を占うかのように、チェスタトンの面白さが凝縮されている。

「永久に変わることがない平凡な人間こそ、その対立を変えるでしょう。なぜなら、人間は、平凡な人間は、笑いと尊敬のあいだに真の意味での対立を見ることはないからです。そして彼ら人間、平凡な人間を、あなたや私のような単なる天才は、神のように崇拝するほかないのです」(248ページ)

「単なる天才」にしては出来すぎですよ、チェスタトンさん。本当に始末が悪い。入手困難な一冊なので、チェスタトンの好きな方は図書館から盗み出してでも読んで欲しい。ちなみに私は大阪の古本屋から取り寄せて購入しました。高いお金を払っても、後悔がないことは約束します。

G.K.チェスタトン著作集 10 (10) 新ナポレオン奇譚

G.K.チェスタトン著作集 10 (10) 新ナポレオン奇譚

 

 追記(2014年10月4日):めでたくちくま文庫になりました。

新ナポレオン奇譚 (ちくま文庫)

新ナポレオン奇譚 (ちくま文庫)