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「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

やんごとなき読者

英国女王、読書にはまる。昨今話題になっている白水社の新刊。

やんごとなき読者

やんごとなき読者

 

アラン・ベネット(市川恵里訳)『やんごとなき読者』白水社、2009年。


訳者あとがきを読むまでノンフィクションだと思っていた。犬が吠えたてることがきっかけで入った移動図書館で、義務感から女王は一冊の本を借りる。本の中に自らが勲位を与えた作家の名前を見つけたりしながら、彼女は次第に読書に傾倒していく。

「アカーリーの本の中にE・M・フォースターが出てきた。女王は名誉勲位を授与する際に彼に会い、気まずい三十分を過ごしたことがあるのを憶えていた」(27~28ページ)

そして公務は上の空、周りの人々は大慌てである。

「ほかにもわかってきたことがある。一冊の本は別の本へとつながり、次々に扉が開かれてゆくのに、読みたいだけ本を読むには時間が足りないことである」(28ページ)

「「暇つぶし?」女王は聞き返した。「本は暇つぶしなんかじゃないわ。別の人生、別の世界を知るためのものよ。サー・ケヴィン、暇つぶしがしたいどころか、もっと暇がほしいくらいよ」(39ページ)

フランスの大統領にジュネのことを尋ねたり、首相にプルーストを説明したりする箇所がユーモラスに描かれていて面白い。読書という行為が何をもたらすのか、読者は女王と一緒に考えることになる。

「読書の魅力とは、分け隔てをしない点にあるのではないかと女王は考えた。文学にはどこか高尚なところがある。本は読者がだれであるかも、人がそれを読むかどうかも気にしない。すべての読者は、彼女も含めて平等である。文学とはひとつの共和国なのだと女王は思った」(40ページ)

ある時、作家を招いたパーティーを開くことを思い付くが、招かれた作家たちは彼女を喜ばせはしなかった。

「作家とは小説のページの中で会うのが一番であり、作中人物と同じくらい読者の想像の産物なのだということを間もなく女王は悟った。彼らは女王が作品を読んだからといって厚意にあずかったなどとは思っていないようだった。むしろ作品を書くことで、彼らのほうが女王に恩恵をほどこしたのである」(68ページ)

イギリスの上流階級の人々は「知的ではない」ということを美徳としている。「clever」は必ずしも褒め言葉ではないのだ。ノンフィクションではなく、綿密に作られたフィクションであったと知った今、これはユーモア小説であったと言える。自虐的なイギリス的ユーモアに満ちた創作である。

「眠れるどころではなかった。かつては退屈に思えた小説が、いま読むと小気味いいほどきびきびしているように感じられた。そっけないのは相変わらずだが、そこには辛辣さがあり、デイム・アイヴィの生真面目な口調は女王自信に似ていて安心できた。読書にも一種の筋力が必要であり、その力がいつの間にかついていたのだろうと女王は思った」(128ページ)

読書の筋力、というものを私も感じたことがある。長編を読み通す体力や、文章の裏の裏まで読む気力は、日常的に本を手に取らなければ身に付かない。この本がやたらと売れているのは喜ばしいことである。何か特定の本が情熱的に語られているわけではないが、この本を読んだ人はきっと続けざまに何か小説を手に取るだろう。「筋力」が身に付くか否かはその人次第だ。私も人のことは言えない。

普段読まない人でも読書の世界に興味を持てて、日常的に読んでいる人も本を読むのが一層楽しくなる本。オススメ。

やんごとなき読者

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