Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

友人たちの強い薦めがあって手に取った、中上健次の秋幸三部作、第一作目。

岬・化粧他―中上健次選集〈12〉 (小学館文庫)

岬・化粧他―中上健次選集〈12〉 (小学館文庫)

 

中上健次「岬」『中上健次選集12 岬/化粧』小学館文庫、2000年。


実は最初に読むよう薦められたのは『枯木灘』。しかし『枯木灘』を読み始めて50ページもしない内に登場人物の関係がわからなくなり、前作の「岬」を先に読もうと思った(その後、巻末に人物相関図があることを発見。これなら読めそうです)。

衝撃だった。こんなものを人に薦めるな、と言いたくなった。「相手がお前だから薦められるんだ」という友人の意味も分かった。でも、それならそれで買い被り過ぎだ。

「この家は、不思議な家だ、時々、彼はそう思った。母ひとり子ひとり、父ひとり子ひとりの四人で暮らしていた。文昭と彼は、義理の兄弟、母のない子と、父のない子の兄弟だった。いや、双方に、産みの親はいた。生きてはいた。ただ文昭はその産みの親から見棄てられ、親を母と思えず、彼もまたその男を父親などと思えなかった。姉たちや死んだ兄は、母の最初の夫の子供だった。母は、いまの夫、彼からは義父に当る男と再々婚するに当って、姉たちとは父親を異にする彼だけ、連れたのだった」(18~19ページ)

「物語」と呼ぶのが憚られる。「話」の方がニュートラルで良いだろう。この話にはただならぬ重力が働いている。重いなんていうものじゃない。明らかに重力が違う。まるで違う惑星の出来事のようだ。しかも同時に、生々しいのだ。こんな小説は読んだことがなかった。サナトリウム文学などという言葉が阿呆らしくなる。呪われてる。

「「火事と人殺しは、このあたりの名物やな」彼は言った。母が、彼をみつめていた。火事にも人殺しにも、それぞれ捜せば、理由なり原因なりがあるだろうが、そのほんとうの理由は、山と川と海に囲まれ、日に蒸されたこの土地の地理そのものによる。すぐ熱狂するのだ」(71ページ)

最初、読みにくさに驚いた。紀州の言葉に慣れていないこともあるが、文体も構成も読み辛い。大勢の何らかの血の繋がりを持った人々が登場し、「姉」や「彼」という言葉が誰を指しているのか、初めのうちはわからないのだ。次第に「姉」は次姉の美恵にしか使われず、「彼」は秋幸にしか使われていないことに気付く。そこまでいくと、もう手放せなくなってしまう。まるで詐欺だ。

「性器が心臓ならば一番よかった、いや、彼は、胸をかき裂き、五体をかけめぐるあの男の血を、眼を閉じ、身をゆすり声をあげる妹に、みせてやりたいと思った」(113ページ)

暗くなった。友人たちがどのような想いを胸にこの作家のことを語り合っていたのか理解して、愕然とした。簡単に「好きだ」と公言できる作家ではないのだ。その想いを共有する相手を見つけた友人たちは、熱に浮かされたようになっていた。そして薦められた。

好きだと公言するのも憚られる作家。中上健次がどれだけ比類なき存在か、この性格だけで十分説明されているだろう。他では絶対に読めないのだ。この重さ、この暗さ、この読みにくさは間違いなく、価値である。

岬・化粧他―中上健次選集〈12〉 (小学館文庫)

岬・化粧他―中上健次選集〈12〉 (小学館文庫)