夜想曲集
今月発売されたばかりの、カズオ・イシグロ初の短篇集。
カズオ・イシグロ(土屋政雄訳)『夜想曲集』早川書房、2009年。
原書が出たのが先月で、今月早くも翻訳が出た。収められた五つの短篇の主人公は皆音楽家であり、タイトルからも判る通り一貫したテーマを持った短篇連作である。
以下、収録作品。
★☆☆「老歌手」
★★☆「降っても晴れても」
★★★「モールバンヒルズ」
★☆☆「夜想曲」
★★☆「チェリスト」
新潮社が発行している『考える人』の中で、作家の磯崎憲一郎がボルヘスの『伝奇集』とムージルの『三人の女』を評して次のように言っていたのを思い出した。
「この『伝奇集』と『三人の女』はひとつの短篇だけ抜き出すことなどできないし、順番もこれ以外にはありえない。最初の短篇を読んだら、設定も登場人物も全く違う話であるにも関わらず、次に進まずにはいられない、抗し難い力が働いている。iPodでシャッフルして聴いてはいけないアルバムがあるのと同様に、「通し」で読まねばならない短篇集があり、そういう短篇集とはじつは長篇なのだ」(「私の海外の長篇小説ベスト10」『考える人 2008年春号』新潮社、2008年、63ページ)
ランダム再生してはならないCDアルバム、という表現は、音楽をテーマにしたこの短篇集にぴったりのものだと思った。
「三つのバンドが同じ広場で同時に演奏したらめちゃめちゃにならないか? いや、その心配はない。サンマルコ広場は十分に大きくて、ここをぶらつく観光客の耳には、一つのバンドがフェードアウトしてから別のバンドがフェードインしてくる。ちょうどラジオのダイヤルを回すような感じだ」(「老歌手」より、10~11ページ)
「老歌手」はギタリストの男がひょんなことから憧れのスターの伴奏を務める話。「降っても晴れても」はこの中では一番音楽から離れた、ドタバタ喜劇タイプのユーモラスな短篇だった。個人的にはかなり好き。
「モールバンヒルズ」は、著者が作り上げたがった叙情的な雰囲気を最も美しく打ち出している気がする。綺麗なフェードアウト。カズオ・イシグロはたまに滑る。決めようとしてこちらを白けさせることもある。「降っても晴れても」は滑りまくりでそれが逆に面白く、「老歌手」は良いんだけどちょっと白ける。「モールバンヒルズ」にはそういった要素がなく、完成度が高い。
「ブラッドリーのたわごとに一つだけ真実があるとすれば、それはおれに才能があるってことだ。他人の二倍はある。だが、最近、才能の価値は下落気味だ。イメージや市場性、雑誌やテレビでの活躍、どのパーティに出て誰と昼飯を食ったか――そんなことが幅をきかせている。ああ、反吐が出る」(「夜想曲」より、147ページ)
「夜想曲」まで読むと「短篇連作」という言葉の意味が具体化する。この短篇の終わりは何だか狙い過ぎている気がして気持ち悪いが、必ずしも結末を書くことが大切ではないことを思い出させてくれる。「チェリスト」はかなり良い。他の短篇のような具体的な枠組みがなく、ひどく不安定な感じが素晴らしい。語り手と話の距離感の広さが上手い、チェロを弾けないチェロの大家の話だ。
「でも、あなたの演奏は愛の記憶のようでした。まだお若いのに、去られること、捨てられることを、もう知っている。だから第三楽章をああいうふうに弾いたのでしょう? ほとんどのチェリストはあれを喜びの楽章として弾きます。でも、あなたのは喜びではなかった。永遠に去った喜びの思い出でした」(「チェリスト」より、228ページ)
様々な音楽家の名前が登場して楽しい。エルガーなんて随分久しぶりに名前を聞いた気がする。最近話題のヤナーチェクも出てきて、読書の最中のBGM選びが楽しくなる。逆に、静かな夜に読めば頭の中で音楽が鳴り響く。
翻訳のテンポが軽妙で素晴らしい。肩肘張らずにすいすい読める、素敵な短篇集である。
追記(2014年10月7日):文庫化されています。
夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (ハヤカワepi文庫)
- 作者: カズオイシグロ,Kazuo Ishiguro,土屋政雄
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2011/02/04
- メディア: 文庫
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<読みたくなった本>
ジョン・スタインベック『エデンの東』
サマセット・モーム『月と六ペンス』
→土屋政雄の翻訳書。
- 作者: ウィリアム・サマセットモーム,William Somerset Maugham,土屋政雄
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2008/06/12
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ジェイン・オースティン『マンスフィールド・パーク』
→「降っても晴れても」の中で主人公が読んでいる本。ずっと読みたいと思っているのだが、筑摩から中野康司の訳が出る気がしてならないから、手を出せずにいる。
追記(2014年10月7日):もちろん出ました。