Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

二十億光年の孤独

現代の大詩人、谷川俊太郎のデビュー詩集。1952年にこの詩集が刊行された時、谷川はまだ21歳だった。

二十億光年の孤独 (集英社文庫 た 18-9)

二十億光年の孤独 (集英社文庫 た 18-9)

 

谷川俊太郎『二十億光年の孤独』集英社文庫、2008年。


2008年に出たばかりのこの文庫は、同詩集の英訳版を収めたバイリンガル・エディションである。普通に開けばオリジナル、反対から開けば英訳版と作りに気が利いていて、文庫のくせして装幀も良い。

谷川俊太郎の詩は、わかりやすい。難しい言葉を使わず、観念的なことも抽象的には書かない。年を経る毎に、その傾向は強まるばかりだ。ひょっとしたらデビュー作のこの詩集が、谷川にあっては最も難解なものかもしれない。

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世代


――詩をかいていて僕は感じた

漢字はだまっている
カタカナはだまっていない
カタカナは幼く明るく叫びをあげる
アカサタナハマヤラワ

漢字はだまっている
ひらがなはだまっていない
ひらがなはしとやかに囁きかける
いろはにほへとちりぬるを

――そこで僕は詩作をあきらめ
  大論文を書こうと思う
  「字於世代之問題」
  「ジニオケルセダイノモンダイ」
  「じにおけるせだいのもんだい」

(20~21ページ)
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言葉について考えたいのなら、詩を読めばいい。特にこの「世代」を読めば、広告のキャッチコピーなどに迷うこともなくなるだろう。

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二十億光年の孤独


人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする

火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或はネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ

万有引力とは
ひき合う孤独の力である

宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う

宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である

二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした

(72~73ページ)
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短篇集でも何でもそうだが、表題となっている作品を読むときには期待が高まる。「二十億光年の孤独」はそんな期待に余りにもあっさりと応えてくれる。こちらの期待などおかまいなし。そんなことはそもそも考えていないのだろう。デビュー詩集だから、というわけではなく、この人の姿勢はずっとこのままだ。それが格好良い。

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秘密とレントゲン


レントゲン氏は僕を唯物的に通訳しただけなのに
僕のすべての秘密を覗いたつもりで唸りたてる

赤ラムプが詩的でないような暗闇に
レントゲン氏の熱情は高圧電気の磁力となって
ある特殊組成の空気をつくっている

<ここの右ルンゲはインタクトで……>
いかにも声を感じさせる白い人達の会話

つまり僕を通過するひとつの体系
それによって表現される僕という世界

病院では肉体の秘密がない
そのため精神はますます多くを秘密にする

(84~85ページ)
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この文庫には詩集とその英訳の他にも、雑誌に寄せられた散文や自伝なども載っている。以下の「私にとって必要な逸脱」の断片から、僕は詩の存在価値を確信した。

「一輪の本当のバラは沈黙している。だが、その沈黙は、バラについての、リルケのいかなる美しい詩句にもまして、私を慰める。言葉とは本来そのような貧しさに住むものではないのか。バラについてのすべての言葉は、一輪の本当のバラの沈黙のためにあるのだ。言葉は、バラを指し示し、呼び、我々にバラを思い出させる。それはまた時に、我々により深くバラを知らしめ、より深く我々とバラとをむすぶ。だが言葉自身は決してバラそのものになることは出来ない。まして、それを超えることは出来ない。言葉はむしろ常に我々をあの本当のバラの沈黙に帰すためにあるのではないだろうか。そして詩人が、バラを歌う時、彼はバラと人々とをむすぶことによって、自らもその環の中に入って生き続けることが出来るのに相違ない」(「私にとって必要な逸脱」より、144ページ)

詩が琴線に触れるのは、自分の経験や感覚を言葉が蘇らせるからだ。そしてそういった複雑な感情が簡単な言葉で表される時ほど、我々が打ち震えることもないだろう。また何年か経って開く時、この本には新しい価値が宿っている。そんな確信を抱かせる詩集である。

二十億光年の孤独 (集英社文庫 た 18-9)

二十億光年の孤独 (集英社文庫 た 18-9)

 

 

<読みたくなった本>
谷川俊太郎『トロムソコラージュ』
→五月に出たばかりの最新作。