ダダ・シュルレアリスムの時代
職場の先輩が激賞していた、塚原史によるシュルレアリスム論。読む前に先輩が教えてくれた通り、トリスタン・ツァラの世界を知るための絶好の入門書だった。
塚原史『ダダ・シュルレアリスムの時代』ちくま学芸文庫、2003年。
「シュルレアリスム」が何であるかを調べていると「ダダ」という言葉に行き当たることが多々ある。並列されることの多いこの二つの言葉がどのように使い分けられるべきものなのか、私はずっと疑問に思っていた。そんな時にこの本を薦められたのだ。敬愛するバタイユや最近読んだばかりのルーセルにも章が割かれていたものだから、それはもう嬉々として手に取った。
この本の前半部は「トリスタン・ツァラをめぐって」と題され、ダダがどのように発生した運動であるか、トリスタン・ツァラの人生・思想がどのようなものであったかが克明に語られている。後半部は「シュルレアリスムのほうへ」というタイトルで、ブルトンらの運動の分析やバタイユ、ルーセルの作品の紹介が行われている。
この本の素晴らしさはまず、50ページにわたる二つの序文に現れる。ダダやシュルレアリスムのみならず、フィリッポ=トンマーゾ・マリネッティらによる未来派や、イジドール・イズーらによるレトリスムをも含む二十世紀の「アヴァンギャルド」と呼ばれる芸術運動を射程におさめたこの本は、二十世紀という時代がどのような新しい現実をもたらしたのか、様々な文献を参照しながら伝えてくれるのである。そこで開かれるのはポール・ヴィリリオやベンヤミン、ボードリヤールであって、こういった名前だけ聞くと怖じ気づいてしまうような面々の言葉がいかに現代を説明するのに有効なものかを教えてくれ、学問的な興味を湧き起こしてくれるのだ。
「飛行機をつくった文明は同時に飛行機事故を生み出さずにはいられない」(12ページ)
特にポール・ヴィリリオの『速度と政治』は論文を書く際に参照した一冊でもあったことから、私に郷愁めいた感情を湧き起こさせると同時に、自分が学問の世界からいかにかけ離れた場所にいたかを気付かせてくれた。学術書と呼ばれるような本が、つまらない小説よりもずっと読みやすいことは多々ある。仕事の忙しさを理由にせず、もっと気楽に手に取る姿勢を持たなければ、と思った。
さて、ダダである。トリスタン・ツァラはブルトンやスーポーがシュルレアリスムの運動を始めるより前に、チューリッヒでダダ運動を創始し、やがてブルトンらの誘いに応じるかたちでパリへ移動し、シュルレアリストたちと合流した。
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ダダの詩をつくるために
新聞を用意しろ
ハサミを用意しろ
つくろうとする詩の長さの記事を選べ
記事を切りぬけ
記事に使われた語を注意深く切りとって袋に入れろ
袋をそっと揺り動かせ
切りぬきをひとつずつとりだせ
袋から出てきた順に一語ずつ丹念に写しとれ
きみにふさわしい詩ができあがる
今やきみはまったく独創的で魅力的な感性をもった作家というわけだ
まだ俗人には理解されていないが
(89~90ページ)
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シュルレアリスムに先立って展開されたダダの思想とはどのようなものであったのか、それは言語そのものの破壊だった。
「ダダの最大の攻撃目標は言語そのものだった。ツァラの率いるチューリッヒとパリのダダは、言語への反逆よりは反逆の言語を志向して、挫折したドイツ革命に深くかかわっていたベルリン・ダダとはちがって、あくまで言語の意味作用を破壊することをめざした。「ダダは何も意味しない」――これがツァラたちのスローガンとなった」(87ページ)
「自動記述」による理性の追放を目指したシュルレアリストたちと、上に挙げた「ダダの詩をつくるために」の作詩法の決定的な違いは運動の当初からあったのである。ダダはシュルレアリスムとは違って、統辞法の一切を無視した詩を生み出した。ダダイストの一人であってツァラの朋友バルが「ガジベリビンバ」というアフリカの歌を取り上げたことは象徴的である。
「ダダの、進歩への深刻な懐疑を裏づけるもうひとつの事実がある。「黒人芸術」への関心だ。ピカソの「アヴィニョンの娘たち」(1907年)が、当時パリの人類学博物館に収蔵されていたアフリカやオセアニアの先住民の彫像や仮面の影響を色濃く受けていることは、もちろん周知の事実だが、この作品が物語るように、西欧列強による植民地獲得競争というネガティヴな歴史の「副産物」として、植民地化された地域のさまざまな文化が当時のヨーロッパ社会に入りこむことになった。「文明」が「未開」を支配する帝国主義の力学が、「未開」が「文明」を超え文化の反転をもたらしたのだ」(28~29ページ)
しかしツァラの詩はバルのような無意味な音の連続ではなかった。ツァラの目指したものは紛れもない言葉を用い、それらが含む意味・脈絡を破壊したものであったため、後にレトリスムによって回収されることとなるバルの詩のような流れは彼の本意とするものではなかったと言える。
「社会と芸術との関係にはまったく関心をもたなかったピカビアの影響もあり、またちょうど文通をはじめていたフランスの若い詩人たちにならって、ツァラは文学・芸術と政治とのかかわりあいに、それもかなり長い間背をむけることになる。彼は文学遊戯にのめりこんでゆく」(フォーシュロからの引用、75~76ページ)
そしてチューリッヒを出てパリのシュルレアリストたちと密接に関わるようになると、彼らは共に新しい現代性を模索するようになるのだ。ダダとシュルレアリスムの出会いは二十一世紀の今では想像もつかないほど、文学史上の劇的な事件だったに違いない。
「文学中の《私》を破壊すること。図書館や美術館によってすっかり傷めつけられ、おそるべき論理と知恵に服従している人間など、もはやまったくなんの価値もない。だから、この《私》を文学のなかで廃絶し、物質にとってかわらせるのだ」(マリネッティからの引用、315~316ページ)
「このような共通感覚とともに、最初の世界戦争から次の世界戦争へとつづくヨーロッパという時空を生きた人びとの、けっして党派的ではない自由な集合を「ダダ・シュルレアリスム」と呼ぶことにしよう」(33ページ)
ところがブルトンらが政治に深く関与するようになると、ツァラの態度は硬化する。その後ツァラ自身も政治に参加していくことになるのだが、原初からあった彼らの方向性の違いは以後決定的なものとして残ることとなる。
「ダダの屍からシュルレアリスムが生まれたとか、シュルレアリスムはダダの二番煎じにすぎなかったとかいった、どちらか一方に優位性をあたえるような議論は、もはや不毛のものとなっている。むしろ、二十世紀の文化の方向を決定し、現在のわれわれをもその射程におさめている「精神状態」として、ダダとシュルレアリスムをとらえなおす時が来ているのである」(180ページ)
ツァラの活動がブルトンたちのそれほど知られていないのは「ダダがシュルレアリスムの先駆者としてあり、やがてブルトンたちの運動に回収された」という言説が強くあったためではないだろうか。しかしダダの独自性・特異性を論じたこの本は、この運動がまるで古ぼけたものではなく、むしろ今もってその新しさが有効であることを教えてくれている。
後半部の「シュルレアリスムのほうへ」ではブルトンらの「自動記述」の紹介から、彼らがどのように政治に参加していったかが語られている。特に面白かったのは最後の二章、「ジョルジュ・バタイユの眼球」と「レーモン・ルーセルの世界」だ。塚原は「ひとことでいえば「すごく怖い人」というのが、バタイユについての個人的な印象である」(270ページ)と述べている。バタイユはブルトンを「鷲」に、自らを「老練なモグラ」に見立てて自分たちの向かう方向の違いを指し示したそうだ。『眼球譚』をもう一度読みたくなった。
「ルーセルは彼の「手法」と「物語」によって、世界と言語を彼だけのために造りなおしてしまった。ルーセルの言語は、一つの閉ざされた円環を構成している。だがこの言語は、メビウスの環になっていて、表側の意味をたどって円環を一周するうちに、ひとはいつのまにか裏側の意味の上を歩いているのである」(314ページ)
レーモン・ルーセルの異常さはここでも際立っている。彼の自殺にまつわる推測は凄まじい。1877年に生まれたルーセルは、この「77」という数字と同じ形の死を与えたがった可能性がある。「11」では早すぎるし、「22」でもまだ為すべきことが残っている、「44」ではその年まで生きられるかわからない。こうして彼は1933年に自殺したというのだ。至るところに謎(彼は「手法」と名付けた)を残したルーセルに対してしか考えられないような推測である。『アフリカの印象』を早く読みたい。
「システムの不在こそは最良のシステムである」(ツァラからの引用、361ページ)
テーマが多岐にわたっている分、支離滅裂な内容になってしまったが、この本のテーマが「新しい現代性」の模索であることだけは確かだ。ダダやシュルレアリスムに関心を抱く人は勿論のこと、アヴァンギャルドという言葉に好感を持つ人なら満足できるに違いない一冊である。
<読みたくなった本>
ヴィリリオ『速度と政治』
→もう一度読みたい。
速度と政治―地政学から時政学へ (平凡社ライブラリー (400))
- 作者: ポール・ヴィリリオ,市田良彦
- 出版社/メーカー: 平凡社
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ツァラ『詩篇二五』
→ダダに触れるために。
- 作者: トリスタンツァラ,ルネラコート,Tristan Tzara,浜田明
- 出版社/メーカー: 思潮社
- 発売日: 1995/02
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トロツキー『レーニン』
→ブルトンを政治に傾斜させたものはトロツキーの『レーニン』だったという。
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』
→塚原が序文で挙げた「新しい現実」を分析した三冊の一冊。ちなみに他の二冊はブーアスティンの『幻影の時代』と、ボードリヤールの『象徴交換と死』。
幻影(イメジ)の時代―マスコミが製造する事実 (現代社会科学叢書)
- 作者: D.J.ブーアスティン,星野郁美,後藤和彦
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1974/10
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- 作者: ジャンボードリヤール,Jean Baudrillard,今村仁司,塚原史
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1992/08
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