Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

怪奇小説が好きならこれを、と友人が強く薦めてくれたデュ・モーリアの短編集。とにかく「モンテ・ヴェリタ」を読んでくれ、と言われ手に取った、初めてのデュ・モーリアである。代表作とされる『レベッカ』を読まずに、短編集から入ってしまった。

鳥―デュ・モーリア傑作集 (創元推理文庫)

鳥―デュ・モーリア傑作集 (創元推理文庫)

 

ダフネ・デュ・モーリア(務台夏子訳)『鳥 デュ・モーリア傑作集』創元推理文庫、2000年。

 

短編集にしては分厚い一冊である。全部で八編が収録されているのだが、いわゆる短編として読もうとすると長めに感じるものばかりだ。ただ、一旦読み進めてしまえば長さは全く苦にならない。語り口は軽く、物語はテンポ良く進むのである。

以下、収録作品。
★☆☆「恋人」
★★★「鳥」
★★☆「写真家」
★★★「モンテ・ヴェリタ」
★☆☆「林檎の木」
★☆☆「番」
★★☆「裂けた時間」
★★★「動機」

「恋人」から読み始めて、自分が怪奇小説を薦められたことを忘れてしまった。この作品は結末まで読むとしっかりホラーの要素が練り込まれているのだが、中盤まではそんなことを微塵も感じさせない。読みやすい分何も考えずに進んでしまって、伏線に気付くのが遅すぎる結果になる。

「ぼくはプログラムを買い――別にほしかったわけじゃなく、仕切り幕の向こうに入っていく前にもう少しぐずぐずしていたかったから――その娘に話しかけた。「どんな映画なの?」
 娘はこっちを見ようともせず、ただ向かい側の壁に虚ろな目を向けていた。「ナイフの使いかたが素人臭いの」彼女は言った。「でも居眠りしてれば見なくてすむわよ」」(「恋人」より、13ページ)

最初の衝撃は「鳥」がもたらしてくれる。ある日突然鳥たちが団結して人びとを襲い始めるというパニック小説だ。何故そうなったのか、主人公は予想を立てるものの答えが見つかることはない。ヒッチコックが映画化したことで有名な作品である。

「鳥たちはなおも野原の上を旋回しつづけている。そのほとんどがセグロカモメだが、なかにはオオセグロカモメも混じっている。この二種は互いに距離を置くのがふつうだ。ところがいま、彼らは団結していた」(「鳥」より、79ページ)

極限状態の描き方が非常に上手い。非常事態の緊張しきった空間から抜け出せなくなって、読み進めずにはいられなくなってしまう。グロテスクな鳥たちの攻撃はサラマーゴの『白の闇』を思わせた。あれもまた、非常事態の文学だ。

「ナットはドアの外のステップを蹴りつけた。その上には鳥が重なりあっていた。鳥の死骸はいたるところにあった。窓の下にも、壁際にも。それは自殺した者たち、急降下した者たち、首の骨を折った者たちだった。どちらを向いても、死んだ鳥がいる」(「鳥」より、92ページ)

その次の短編「写真家」は打って変わって非常に女性的な作品。正直デュ・モーリアが女性であることは「鳥」によって完全に忘れさせられていたため、立て続けに読んで大いに驚いた。女性にしか書けないような描写が随所に見られる作品で、普段読むのが男性作家のものばかりなので新鮮だった。

「爪がしあがると、侯爵夫人は疲れ果てて長椅子に寄りかかり、両手を宙で振ってマニキュアを乾かした。妙なしぐさ。まるで巫女のよう。侯爵夫人はサンダルの先にのぞいている自分のつま先を見おろし、あとで――もうほんの少ししたら――足の爪も塗ろうと考えた。沈みこんでいるオリーヴ色の手とオリーヴ色の足を、はっと驚かせ、よみがえらせよう」(「写真家」より、114ページ)

たった今気が付いたことだが、この本は非常に気の利いた構成を持っている。牧歌的な幕開けとなる「恋人」と「写真家」が、ぶっ飛んだ「鳥」を挟み込んでいるのだ。となると次もぶっ飛んだ作品がやってくる。そう、「モンテ・ヴェリタ」である。

「宗教家たちは、善と悪を語るとき、それぞれ異なった見方を示す。ある者にとっての奇跡が、他の者にとっては黒魔術となる。よき預言者は石を投げられたが、その点は呪術師も同じだ。ある時代に冒涜的とされた言葉が、つぎの時代には聖なる言葉となり、今日の異説は明日の信条となる」(「モンテ・ヴェリタ」より、184~185ページ)

友人の言葉の通り、「読み終わった瞬間に一ページ目に戻らざるを得なくなる」作品だった。結末を明かすようなことはしないが、例え理由をここに書いたとしても、読んだ人は誰もが一ページ目を振り返ることだろう。これは疑いようのない傑作、友人が薦めたくなるのも理解できる素晴らしい作品だった。

「わたしはずんずん登りつづけた。南の斜面が視界に広がると、尾根が次第に細くなり、岩壁が切り立ってますます険しくなっていくのがわかった。やがて肩のうしろで、東の靄のなかから月がその大きな顔を少しだけのぞかせた。それを見ると、わたしは新たな孤独感をかきたてられた。まるで足もとにも頭上にも宇宙が広がり、自分だけがただひとり地球の縁を歩いているようだった。わたし以外この空っぽの円盤を歩いていく者はない。そしてこの円盤は、究極の闇に向かって虚空を回転していく」(「モンテ・ヴェリタ」より、266ページ)

友人はこうも言っていた。「これを読んだら、もう山には近づけない」。「モンテ・ヴェリタ」は山に対する恐怖と好奇心が元で生まれた短編である。山はどうしてこんなにも神秘的に映るのだろうか。先日読んだばかりのホフマンの「ファールンの鉱山」も山の神秘性を描いた作品だった。ただし「モンテ・ヴェリタ」は山の頂上、「ファールンの鉱山」はその地中深くを描いている点で対照的だが。

「幻想や夢はふつうの世界のものなの。そしてあなたはその世界に属している。もしも、わたしに対して抱いていた夢を壊してしまったのなら、ごめんなさい。あなたはかつて知っていてアンナを失い、その代わり新しいアンナを見つけたの。どちらのアンナをより長く記憶に留めるか、それはあなた次第だわ。さあ、男と女のいるあなたの世界へお帰りなさい。そしてあなた自身のモンテ・ヴェリタを作るのよ」(「モンテ・ヴェリタ」より、288ページ)

構成が奇妙で最初はわけがわからないのだが、一人の女性をめぐってある二人の男性が主人公の役回りを受け渡しながら物語を進めていく。二人の心理の描き方が非常に巧みで、何が起きているかわからない不気味さが読み手を離さない。100ページ以上もあるため中編とでも呼ぶべき長さなのだが、一旦ページをめくるとあっという間に捕まってしまい、最後まで引きずり回され、挙句の果てに最初のページに戻らされてしまう。不気味な100ページである。

衝撃作「モンテ・ヴェリタ」を過ぎても本は終わらない。「林檎の木」は鬱陶しがっていた妻が死んで喜んでいた夫が、庭先の木に妻の面影を見出すようになるという怪奇小説。「番」と「裂けた時間」は共に、最後にどんでん返しが待っている作品だ。「番」は寸劇のようなものなので無視しても良いのだが、これも結末から一ページ目に引き戻す力を持った掌編である。「裂けた時間」は読者にある程度展開の予想を立てさせ、それを上回る展開で次々に裏切っていく作品だ。その過程をデュ・モーリアが面白がっているようにさえ感じた。

最後は「動機」である。最後にもまた衝撃が待っていた。これは怪奇小説ではなく探偵小説である。私立探偵ブラックが謎の自殺を遂げた女性の身辺を調査し、事実を浮かび上がらせようとする過程を描いた作品だ。その調査の仕方、聞き出したい情報を得るための誘導尋問の仕方が非常に面白い。

「「そうら来た」ブラックは思った。「適当なロープをくれてやれ。そうすりゃこのばあさん、ひとりで勝手に首をくくるだろうよ」」(「動機」より、487ページ)

「ブラックは試練に向けて、覚悟を固めた。たった一本のタバコで、ここまで協力的になるのなら、ダブルのジンを二杯飲ませたら、この婦長はどうなるだろう? これはぜひ食事に誘わなくては。彼は病院をひと通り見学した。ひとりふたり妊婦に会い、すでに夢を打ち砕かれた何人かにも会った。つづいて、赤ん坊たち、分娩室、洗濯場と見てまわっている間に、ブラックは、一生子供は持つまいと心秘かに誓った」(「動機」より、519ページ)

次から次へと明らかになる新しい事実を追いかけ、それが次第に全体を浮かび上がらせてくる様子を眺めるのはこの上なく楽しい。エンターテイメイトとしての読書としても文句なしに薦められるが、終盤に差し掛かってブラックが異常なほどかっこよくなることにも注目したい。まるでフィリップ・マーロウである。結末にも大満足だった。

「なぜ人はみな、他のことを問われているときに、自らの嘘を暴露してしまうのだろう?」(「動機」より、531ページ)

デュ・モーリアチェーホフなどとは違ってストーリーで読者を引っ張っていくタイプの作家だった。特筆に値する一文、というようなものは少ないけれども、読書の楽しさが存分に味わえる、のめり込ませてくれる作品ばかりである。ただ、これは趣味にも依るのだろうが、一つ一つの作品を少しばかり長いと感じることもあった。わざと冗長に書いておいて最後に驚かすという戦法だとしたら見事に引っかかっているわけだが、それでもチェーホフならもっと短くまとめただろうな、と思う。ただ、これは本当に趣味の問題。非常に楽しい時間を過ごすことができた。

鳥―デュ・モーリア傑作集 (創元推理文庫)

鳥―デュ・モーリア傑作集 (創元推理文庫)

 


<読みたくなった本>
デュ・モーリアレベッカ
デュ・モーリア『レイチェル』
→前者は新潮文庫、後者は創元推理文庫から。『鳥』を薦めてくれた友人はご丁寧に「『レベッカ』を読むのなら旧訳を」とも教えてくれた。

レベッカ (上巻) (新潮文庫)

レベッカ (上巻) (新潮文庫)

 
レベッカ (下巻) (新潮文庫)

レベッカ (下巻) (新潮文庫)

 
レイチェル (創元推理文庫)

レイチェル (創元推理文庫)