Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

Marius

パリの語学学校で出会ったスイス人の友人が教えてくれた、南仏マルセイユの作家マルセル・パニョルによる戯曲。南仏訛りが強調される部分以外は平易なフランス語で書かれているため、私でも十分理解することができた。

Marius

Marius

 

Marcel Pagnol, Marius, Éditions de Fallois, 2004.


タイトルのマリユス(Marius)は主人公の名前で、二十二歳の彼は父セザール(César)が経営するマルセイユの港のバーで働いているが、故郷を離れて旅に出たいという気持ちを抑えきれずにいる。幼なじみの貝殻売りの少女ファニー(Fanny)のことが気になっている様子だが、自分から行動を起こそうとはしない。

この三人の登場人物の名前はそれぞれ三部作のタイトルとなっており、『Marius』はその第一作目に当たる。十八歳の、町で一番の美少女ファニーの小悪魔振りが非常に気持ちいい。

Fanny: À quoi tu penses ?
 Marius: Peut-être à toi.
 Fanny: Menteur, va!
 Marius: Tu crois que je ne pense jamais à toi ?
 Fanny: Tu penses à moi quand tu me vois!」(p.18)
ファニー:何を考えているの?
 マリユス:たぶん、君のことを。
 ファニー:うそつき!
 マリユス:ぼくが君のことを考えたことがないとでも?
 ファニー:私に会っているあいだは考えているでしょうね!」

こんな愛らしいやりとりを繰り広げていたのも束の間、ある男がファニーに求婚することで、全てが変わってしまう。マリユスは彼女を止めようとするが、その男ではなく自分と結婚して欲しいと言うことはできない。ファニーのことを愛してはいても、それ以上に彼は故郷を離れたいのだ。

「C'est le meilleur moment pour choisir, parce que je ne serai jamais plus jolie que maintenant.」(p.63)
「決断するなら今しかないの。私は今より美しくなることはないんだから」

ファニーが自分の胸中を打ち明ける頃には、彼女は小悪魔ではなく一人の可憐な少女になっている。ちょうど『赤と黒』のマチルドのような、愛に溢れたあまりにも無垢な少女だ。無垢で、可憐で、健気で、そして何より美しい。彼女はマリユスの愛を求めるが、マリユスはそれに応じようとしない。彼はファニーを愛していて、それゆえに、自分が去ることで彼女を必要以上に苦しめるような真似はしたくなかったのだ。

「Mais j'ai envie d'ailleurs, voilà ce qu'il faut dire. C'est une chose bête, une idée qui ne s'explique pas. J'ai envie d'ailleurs.」(p.120)
「でも、ぼくはここを出て行きたいんだ。それが伝えなくちゃならないことだよ。馬鹿げているし、うまく説明もできないけれど、ぼくはここを出て行きたいんだ」

人を愛して、その人の夢を夢見てしまうと、もう自分からは何もできなくなってしまう。痛々しいほどの強がりがファニーを動かして、マリユスの夢を実現させようとする。

Fanny: L'amour n'est pas tout dans la vie. Il y a des choses plus fortes que lui...
 Marius: Oui, l'argent...
 Fanny: L'argent, la mer...」(p.181)
ファニー:愛だけが人生のすべてじゃないわ。それよりもっと強いものがたくさんあるもの……。
 マリユス:うん、お金とか……。
 ファニー:お金、それに海も……」

二人の恋を見守る大人たちの代表格が、マリユスの父親セザールだ。自分の息子を叱りつけながらも、実は彼のことを誇りに思っていて、ときに場違いな、ときに的確極まりない助言を彼に放つ。

「Marius, l'honneur, c'est comme les allumettes : ça ne sert qu'une fois.」(p.167)
「マリユス、評判っていうのはマッチみたいなものなんだ。一度きりしか役に立たない」

日本語と違って、フランス語で愛を囁くには抽象的な言葉が入り込む余地がない。「愛している」は「Je t'aime」であって、「Je t'aime bien」も「Je t'aime beaucoup」も「aimer」というあまりにも強力な動詞の前ではその意味を弱める効力しか持たない。「愛してる」という言葉の中には目的語が入っていないけれど、「Je t'aime」の中には「君を」という明確な目的語が「t」というたった一文字の子音の内に込められている。何だかロラン・バルトのようなことを言うようだけれど、パリが恋愛の街であってフランス文学系譜が恋愛心理小説を育てたのは、こういったフランス語そのものの構成に依るところが大きいのかもしれない。愛を伝えるには間違いなく、日本語よりもフランス語の方が正直な想いを込められる。

「Je t'aime, c'est la vérité. Quoi qu'il arrive, je t'aime」(p.122)
「愛してる。それが真実さ。どんなことが起こっても、愛してる」

ところで、男の夢というのはどうしてこんなにも馬鹿げていて、どうしてこんなにも魅力的に映るのだろうか。パニョルがこの物語を書いたのは1927年のことだが、マリユスと同じことを夢見ている男は今でもたくさんいて、みんな海の向こう側を見つめている。女の子たちの笑顔の裏に隠された強がりを、彼らは気付けているのだろうか。

「Des fois on dit des choses, et puis on pense tout le contraire.」(p.116)
「何度も口にしていることでも、心の内では正反対のことを考えているものよ」

故郷に残してきたもののことはなるべく考えないようにしていたのだが、ここまでストレートに書かれると、そうもいかない。少し寂しくなった。

Marius

Marius

 


<読みたくなった本>
Marcel Pagnol, Fanny
Marcel Pagnol, César
→三部作の二作目、三作目。マリユスがジュリヤン・ソレルのような最期を迎えないことを切に願う。

Fanny

Fanny

 
Cesar

Cesar

 

Marcel Pagnol, Les Marchands de gloire
マルセル・パニョルのデビュー作。

Les Marchands De Gloire

Les Marchands De Gloire