Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

フラゴナールの婚約者

 年末にパリのブックオフで大人げないほどの大人買いをした日本語書籍のうちの一冊。ロジェ・グルニエのフランス語書籍は残念ながらほとんどが絶版になってしまっていて、日本語のほうが遙かに見つけやすくなってしまっている。そのブックオフにはどういうわけか、この作家の翻訳書が三冊も並べられていて、売却したのが同じ人物であったことが想像された。自分が買わずに誰が買うんだという強迫観念に促されるままに三冊とも購入したので、ほかの二冊も機をみて紹介していきたい。

フラゴナールの婚約者

フラゴナールの婚約者

 

ロジェ・グルニエ(山田稔訳)『フラゴナールの婚約者』みすず書房、1997年。


 ロジェ・グルニエという作家は、文学好きのフランス人たちのあいだでもほとんど知られておらず、日本語の訳書の多さから考えると少し違和感を覚えるほどだ。その名を知っている人たちのイメージにしてみても、彼は作家というよりはアルベール・カミュの友人、あるいは、チェーホフの研究者というのが関の山だろう。じっさいガリマール社から刊行されているチェーホフのフランス語訳書のほとんどに、このロジェ・グルニエはたずさわっている。その点に関しては彼がこのフランス最大の出版社の文芸顧問、原稿審査委員であったことも関係しているのかもしれない。いずれにせよ、この作家の小説は今のフランスで、急速に忘れられつつある。

 この『フラゴナールの婚約者』はロジェ・グルニエによる四冊の短篇集からのべ二十作を訳者が選び出した分厚い短篇集である。じっさい、ちょっと気軽に手に取ろうとするには厚すぎる気がする。二十篇四百ページの短篇集など、日本でおびただしい量の本に囲まれていたらまず手に取らないだろう。いつだったか角川文庫版の江戸川乱歩『芋虫』を取りあげたときに書いた気がするが、短篇集というものは気安く手に取ることができてこそ、その真価を発揮するもののように思える。その視点から見るとこの本はすでに見た目からして失敗しているのだが、だからといってそんなことが理由で作品そのものの評価が下がることはもちろんない。

以下、収録作品。

★★☆「第六の戒律」
★☆☆「プラリーヌ」
★★★「春から夏へ」
★★☆「乗換え」
★★★「視学局」
★★☆「運勢」
★★★「ベルト」
★★☆「フェート広場の家」
★★☆「あるロマンス」
★☆☆「美容整形」
★☆☆「風見鶏」
★★★★★「沈黙」
★★☆「反復」
★☆☆「隣室の男」
★★☆「ウィーン」
★★★「アルルカンの誘拐」
★☆☆「歓迎」
★★☆「ノルマンディー」
★★☆「三たびの夏」
★☆☆「フラゴナールの婚約者」

 チェーホフを研究対象としていた作家の短篇作品ということもあって、どうしても意識がこの両者の作品の類似点に向かってしまう。こういうのは読者の姿勢としては最悪である。余計なことばかりが目について、ニュートラルな状態で作品と向き合えない。

「その日、すなわち1893年10月28日の夜、リーザはピョートル・イリッチ・チャイコフスキーの第六交響曲「悲愴」の初演を聴きに行くことになっていた」(「第六の戒律」より、8ページ)

 最初の作品からいきなり、ロシアが舞台である。時代もご覧のとおり十九世紀末で、ロジェ・グルニエのロシアに対する親近感がすでに宣言されている。ここで余計なことを書くと、チャイコフスキーがその最後の交響曲を初演したときにはまだ「悲愴」という標題は付いていなかったはずで、時系列を「その日」とはじめているのだから、「「悲愴」の初演を」という書きかたはおかしいと思った。われながら最低に性格の悪い指摘である。

 じつは「訳者あとがき」まで読んではじめて気がついたことなのだが、この短篇集の順番は発表された年代ではなく、その舞台としている年代を過去からさかのぼるというユニークな発想で構成されている。ロジェ・グルニエというのは後述するように、チェーホフに強い敬意を抱きながらも、ヘミングウェイ的な要素も強い作家で、つまり自分の身のまわりで起こったことを小説化することに長けていた人物でもあった。その点を鑑みて、編年体で作品を並べることで、この作家の年代記のようなものを目指したのだという。面白い試みだと思う。

「ガールフレンドができるということ、それはまず仲間に吹聴することだった。男女の仲は秘めておく、隠しておくことが大切で、それでこそ喜びも大きいのだとわかるまでに、ぼくたちはなお長い道のりを歩まねばならなかったのだ」(「春から夏へ」より、44ページ)

「ぼくたちの地方には運を試しにアルゼンチンに出かけ、巨万の富とまではいかぬとも、せめて貴族ぶった様子だけは身につけてもどって来た家族がいくつかあって、カルロッタもそうした家の娘だった。カルロッタと妹のポーラはフランシス・ジャムの小説から抜け出して来たみたいだった」(「春から夏へ」より、46ページ)

 最初の傑作がこの「春から夏へ」。ひどく憂鬱な、哀愁に満ちた作品で、登場人物たちの幼さに由来する未来への期待が、次第次第に絶望に飲みこまれていくのを鮮やかに描いている。

「青年は早く着いたので、乗り込んだ車両のなかを点検してみる時間があった。あわよくばかわいい女の子に目を付けておき、後で偶然を装ってその車室に入る、という風にしたかった。しかしそんな女の子はいなかった。それで彼は空っぽの車室を選び、窓際に腰を下ろした。恋、然らずんば孤独、と彼は皮肉な気持で考えた。そして邪魔者が入って来てこの狭い領地を荒しませんようにと祈りつつ、念のため車室の入口の戸を閉めまでした」(「乗換え」より、55~56ページ)

 つづく「乗換え」と「視学局」は主人公を同じくした連作のような二作品で、上に挙げた文章などはすごくチェーホフ的だと思った。期待を込めて車内を見やる青年と、その一瞬後にやってくる「しかしそんな女の子はいなかった」という無情な一文が、チェーホフの残酷さを思い出させる。期待させるのも早ければ、裏切るのもまた凄まじく早い。神西清岩波文庫版のチェーホフ『カシタンカ・ねむい』の巻末に書いている「チェーホフの非情さ」についての文章を思い出した。

「毎晩、あたりが静まり、夜の香りが寝室の窓からしのび込むころになると、彼はこの平穏を不幸中の幸いと思う。稀なひととき。彼は身を隠すために明かりを消す。やれやれ、他人の目にさらされて過ごした長い一日もやっと終った。向かいの建物の窓の明かりは、夜の時間が平和に過ぎていることをものがたっている。しかし羨ましくはない。あの連中みたいにこの片田舎でのうのうと一生を過ごすつもりはないのだ。いつの日か自分はここを去る、そう、きっと去る。大きな都会に向かって」(「視学局」より、75ページ)

 ロジェ・グルニエが「いつの日か自分はここを去る」と書くときには、彼がついにその野望を果たすことはないであろうことが予告されている。それはやはりチェーホフなのだ。「四大喜劇」に描かれた悲劇性、そしてそれらを「喜劇」であると断言するときのチェーホフの残酷さと同じものが、ロジェ・グルニエの筆からもほとばしっているように思える。

「「私の身なりに呆れているんでしょう」
 「つまり、あまりモダンとは言えませんね」
 「逆ですよ。私に言わせれば、いつまでも皆と同じ服装をしている連中こそモダンじゃない。私みたいに自分の好きな服装をする、これこそモダン精神のあらわれですよ。私は王政復古時代が大好きなので、その当時の服装をしているのです」」(「運勢」より、86ページ)

 そして「ベルト」に至って、時代は第二次世界大戦の最中となる。世界から抹消されたユダヤ人の夫婦を描いた作品で、これがどこまでフィクションなのかを考えるとぞっとする。ヘミングウェイ的な要素を考えればほとんど実話なのだろうが、ここに描かれていることは真実であったという可能性を信じさせることを禁じる。

「ベルトは何を聞いても笑った。うちに来る郵便屋さんがホモであることがわかったとか、私が田舎に自転車で出かけて青いリンゴを取って来るのは、彼女がそれにかぶりつくのを見るのが楽しいからだとか、ユダヤ人の女の子が将軍の息子を恋のためやつれるような目に会わせているとか、闇市でハムを買って後で見たらウジがわいていたとか、そんな話。だが言うまでもないことだが、ちょっと風が吹くとか、影が横切るとかするだけで、その笑いはふっと掻き消え、突然、恐怖が顔をのぞかせるのだった。かわいそうなベルト、生きる喜びのために生まれて来たのに、いまはただ生きのびることしか考えられないなんて」(「ベルト」より、109~110ページ)

 ヨーロッパで生活しはじめて、自分がいかに戦争のことを単なる過去の事件として扱っていたかを痛感した。いま住んでいる街には至るところに第一次・第二次世界大戦戦没者たちを記念したモニュメントが残っており、革命直後の恐怖政治の時代に、この街のどの広場にギロチンが置かれていたのかさえも知るに至った。血が固まって黒くなる暇もなかったそうだ、なんていう話を聞くと、日本人があえてそういった残酷な歴史を語ろうとしないことに疑問を覚える。日本にだってそういう場所や記憶はあったはずなのに。ロマン・ポランスキー監督の『戦場のピアニスト』なんかを見ると、そういった感覚がいっそう強まる。愛国心を押しつけることなく戦争を語ろうとするのは、すごく難しいことだ。特に祖国を異にする相手には。日本人は第二次世界大戦中に自分たちの国がどの陣営に属していたかを忘れている気がするが、おそらくヨーロッパの人びとはそれを忘れてはいない。

「シュザンヌがパリにもどって来た。アントワーヌは駅に迎えに行った。彼はシュザンヌを愛していたので、プラットフォームに現われた姿を見て失望した。相手のことを考えすぎていて、とっさにシュザンヌだとわからなかったのだ」(「フェート広場の家」より、136ページ)

 占領下のパリの様子は「フェート広場の家」でも描かれている。だがこの作品ではすでにそのむごたらしさは中心的主題ではなくなっていて、これは末尾に描かれた一行のために構成されたような作品だ。すなわち「われわれにはそれぞれ巡礼地のような場所、墓がある」(「フェート広場の家」より、140ページ)。ここで残酷なのは著者ではなく、果てしなく流れる時間である。それをまざまざと見せつけることは、もちろん残酷なことに違いないが。

「とにかくこんなものはみな置いて行かねばならぬ。ママがとても自慢していた、重すぎる椅子の置いてある食堂。パパとママがその上でつぎつぎに死んでいった胡桃の木目のあるベッド。ベッドの木の部分、つまり脚のところは弧の形の造りになっている。ルイ十五世様式だ。その弧のカーブに沿ってみぞが彫ってある。子供のころ、よくそこにビー玉を転がせて遊んだものだ。ビー玉はトボガンみたいにみぞを走る。寝室の敷物のうえをいちばん遠くまで転がって行ったのが勝ちだった。いまでも、そのみぞに指を走らせることがよくある。ビー玉がないのが残念だ。あればむかし考え出したゲームをまたやれるのに。だが情ないことに、体裁が邪魔をしてビー玉を買いに行けない」(「あるロマンス」より、147ページ)

「私の子供のころは、1870年の戦争をした男たちがまだ残っていた。毎週、新聞にライヒスホッフェンの戦いに参加した機甲部隊の最後の生き残りの死が報ぜられていた(ところがその後で、これこそ最後という兵隊があらたに現われたものだが)。ママは、運よく70年の戦争に加わるには若すぎ、かといって14年の戦争には年をとりすぎていた自分のおじのひとりをくそみそに言っていたものだ。結局、彼は何もしなかったのだ。今では14年組はみな少なくとも七十二か七十五になっている。それら往年の猛者の大群、何百万という場所ふさぎ、私の若いころはそういった連中の姿がやけに目についたものだが、彼らはその後数が減り、小さな老人、いわば珍種と化してしまった。これはごく自然なことだ。だがそれにしてもこうした変化は何と奇妙に見えることだろう」(「あるロマンス」より、152ページ)

 その次の「あるロマンス」は日記からの抜粋というかたちをした作品で、ラスト以外は文句なしに素晴らしい。特に上に挙げた「ビー玉」のくだりは、この本のなかでも最も美しい文章に数えることができると思う。ちなみに肝心の結末は、酔っぱらって書いたんじゃないかと思うほど、ひどい。語り手も読者も見事に裏切るという点では、著者の思惑は成功しているのかもしれないが、ほかにも方法はあったんじゃないかと思う。気になるかたは是非確認してほしい。

「群衆は男と女の別々のグループに分れていて、たがいに知らぬふりをして、混り合うことはない。みな、ちょうど日影になっている場所に貼り付いたようになっている。それでこの人間の塊りは太陽の動きにつれ時々刻々形を変えていく。広場の日影に釘づけになって動かない男たちは、南イタリヤの呪われた宿命ともいうべき失業の犠牲者なのだ」(「風見鶏」より、186ページ)

「「チェーホフ、私、知りませんわ」とエミリヤは言った。
 「これは大したものですよ。どう言ったらいいか。もう演劇なんてものじゃなくて、いわば人生そのものです。もちろん、ある観点から見たね。チェーホフというのは、人間を向上させる物の見方なんです」(「風見鶏」より、190~191ページ)

 南イタリアの小さな村を舞台にした「風見鶏」に至っては、確信犯的にチェーホフの名前が挙がっている。「チェーホフというのは、人間を向上させる物の見方なんです」というのはおそらくロジェ・グルニエの本心なのだろうが、やがてこのセリフを吐いた人物は、自身の発言をみずから裏切っていることを明かすことになる。ここに至るまでにこの作家の性格をある程度把握していて、彼が採るであろう態度を予想できるとはいえ、後味が悪いものは悪い。作家が無理矢理やりたいことを押し通した感覚が強く、これもまた結末の一文に重きが置かれている作品である。

 駄文を連ねて、ようやく「沈黙」まで到達することができた。評価の星の数が飛び抜けていることからも予想されるとおり、これはほかのものとは一線を画している作品である。というより短篇小説ですらなく、無理に分類するのなら間違いなくエッセイに収められるものだ。

「『マルーシの巨像』、これこそ書物である。土地と人間との調和、叙事詩と化す取り止めもない話、他の作家たちが筋を、小説をこしらえようと苦労するのをばからしく思わせる自然の豊かさ。『巨像』は小説である必要はないのだ。ところがこの私が書きたいのは、むしろ新しい『感情教育』なのである」(「沈黙」より、197ページ)

「一篇の小説、それは物質的なもの、印刷され、あるいは少くともタイプで打たれて黒くなったページのことだ。『マルーシの巨像』は実在しているものである。それはずっしりと存在している。しかしそのようなものを書き上げるためには興味ぶかい、異国情緒ゆたかな国に何ヵ月か住んでみなければならない。どこの国に? ギリシャはもう済んだ。ではケニヤか。本がもたらす金で、べつの本を書くことを可能にしてくれるべつの国に出かけ、その本がまたべつの国へ行くための資金を得させてくれる。それとも、もう国が見つからないか(地球は狭いのだ)、あるいは本が金をもたらしてくれないかだ。いずれにせよ、私にはそもそも最初の国で暮らすのに必要な、初回の資金がないのである」(「沈黙」より、200~201ページ)

 じつはここまで語ってきたチェーホフヘミングウェイとの類似点は、この「沈黙」のなかですべて著者自身によって種明かしがされていて、私が訳知り顔で語ってきたことは、総じてこの文章を踏まえてのことにすぎない。小説家による文学観の記述というのは、私にとってはことさらに面白いもので、ロジェ・グルニエはここで自分が書きたいと思っているもの、理想とする文章を、ほとんど愚痴るような口調でつらつらと並べ立てているのである。

「『代書人バートルビー』の語り手は、自分については何も語らない。それなのに、われわれはなんとよく彼のことを知っているだろう。そんなふりをちらりとも見せずに、彼はなんとみごとに自分の胸中を明かしているだろう。世界文学のなかから、いちばん私の胸をうつ短篇を選べと言われたら、私は一瞬もためらわないだろう。私の心は答えるだろう、『代書人バートルビー』と。われわれ人間存在のすべて、その悲惨と尊厳がバートルビーのひかえ目な信念の告白、いかにも素朴なつぎの一句にこめられているように私には思えるのである。「やりたくないのですが」。バートルビー! きみの陰鬱な名前を私は胸のうちでくり返す。すると、それだけで元気が湧いてくる」(「沈黙」より、202ページ)

「しかし、選択を重ねながら、結局はあのいかがわしい決定論にたどり着き、私の主人公たちは私の望むところに導かれることになるだろう。じつは私がこの小説を書きたいのは、もっぱらクレールとジョルジュの最後の出会い、最終的な幻滅を描く最後の数章のためなのである」(「沈黙」より、205ページ)

 まだ書き上がっていない、いや、おそらく書きはじめてすらいない小説のプランを練りながら、懊悩する作家の姿を見られるというのは稀有なことにちがいない。「フィッツジェラルド風の解決法もまた捨てがたい」(「沈黙」より、199ページ)などという言葉が積み重なっていく文章は、メタフィクションなどという言葉がなにものも意味していないことをあっさりと証明している。この一篇の存在だけで、十分にこの本を購入する意義があると断言してしまいたい。バートルビー

「プランを変えよう。私の主人公は見失った女性を探しに出かけないことにする。彼は一生、彼女のことを想像しつづけるだけで満足する。それはチェーホフだ。すべてを捨ててモスクワへ、よりよい生活にむけて出発するのだ、と言う。が、けっして実行はしない。そういったチェーホフ的要素が、そもそもジョルジュのうちに確実にあるのだが」(「沈黙」より、206ページ)

 ロジェ・グルニエという男は、小説家である以前に読者なのだ。ヘミングウェイチェーホフを引きあいに出しながら、彼らだったら決して悩みはしなかったであろう問題と真摯に向き合っている。つまり、何を範として書くのかということで、人によっては、小説家がそんなことを書いていてはおしまいだろう、と思われるかもしれない。だがじっさいはそんなことは全然なく、ロジェ・グルニエはそれほどまでに先人たちが残したものが大きいということを十全に把握していたからこそ、このみずからの懊悩する姿を公にすることができたのだ。後述することになるが、この作家は妙にシューベルトの楽曲を小説内に持ちこむことが多い。そのシューベルトは、十一歳のときに「ベートーヴェンのあとで、なにができるだろう」と言ったそうだ。トマス・ド・クインシーの文章を引用しながらロジェ・グルニエが漏らす「これでは私の小説など必要はない」(「沈黙」より、205ページ)という言葉は、文言こそ違えど、同じ意味を持った二人の芸術家たちのため息のように思える。

「青年は彼女のその日暮らしの生活を想像してみた。この女にとってはきっと一日一日が新たな奇蹟なのだ。だが一度の病気、不運、あるいは寒波、さらにはまた客がひろえない日々、ただそれだけでその暮らしは崩れ去るのだ.人間はみな自分を滅ぼそうとする世界のなかを走っている。この女は大多数の人間ほど抵抗する力を備えていないし、敗北が間近いのは目に見えている。まもなく死ぬだろう。彼は女がかわいそうになった。しかしおよそこの種の憐憫のなかには、自分は生き残るだろう、他人より長生きできるだろうとわかっているところから生じる満足感がひそんでいる、そのことを彼は知らぬわけではなかった」(「反復」より、216~217ページ)

「ある晩、ジャックとアントワネットは映画を見に行った。センチメンタルなフィルムだった。主人公の男女は愛し合っていたが、いまはもう愛していない。だが恋の思い出をいまも愛しつづけていて、その恋をもう一度生きることができずに苦しんでいる。そしてふたたび会うとまた愛しはじめていること、これまでも愛するのを止めたことはないこと、しかしまた一からやり直すのは不可能なこと、すべてはもう失われて取り返せないことをさとるのである。
 映画館を出ると、ジャックは妹が泣いているのに気がついた。彼は思った。なぜ人生はこうした感情を映画と同じ強烈さ、同じ純粋さで感じさせてくれないのだろう」(「反復」より、231~232ページ)

 さて「沈黙」の衝撃のあとでもまだ本は終わらない。なにせ二十篇もあるのだ。「反復」はイギリスで生活している主人公が、死期に瀕した父を見舞ってフランスで数日を過ごすという話。ところで「センチメンタルなフィルムだった」というのは日本語として許容されうるのだろうか。「映画」という単語をくりかえしたくなかったのは理解できるが、なおさら違和感を覚える。フランス映画には、描写にあるような悲しいラヴ・ストーリーが非常に多い。私が今住んでいる街、ナント出身のジャック・ドゥミ監督による『シェルブールの雨傘』、もっと古いものだとマルセル・カルネ監督、ジャック・プレヴェール脚本の『天井桟敷の人びと』など。文学のみならず、作品の至るところに映画や音楽が顔をのぞかせているのも、ロジェ・グルニエの顕著な特徴の一つとして挙げられるだろう。どの作品を問題にしているのかを想像してみる楽しさがある。

「机のうえには宣伝用の灰皿が一つ放置されていた。難船の後に引き上げられた漂流物を見る思いだった。われわれは、外の世界からもぎ取ってきた残骸を自分の部屋に溜め込んでいるロビンソン・クルーソーなんだ」(「反復」より、235~236ページ)

「たしかに過去の思い出は大切だ。しかし現在の方が優先する。無から出発して、いかにして自分のためにふたたび現在を作り上げるか。いわゆる、いかに人生をやり直すかだ」(「反復」より、236ページ)

 あの「沈黙」による種明かしを経た直後に収められている作品なので、どうしても構成に目がいってしまう。作家がここで何を目指していたのか、やはりそれはチェーホフなのだろう。だが、チェーホフがなにものも寄せつけない残酷さで短篇の幕を下ろすのに対して、ロジェ・グルニエはまだ読者に哀愁の感情を湧き起こさせるだけの人情味を持っている。チェーホフの作品の読後感にそれがないわけではないのだが、彼の場合は読者が勝手に切なくなっているところがある気がして(「四大喜劇」のうちの『かもめ』はその好例だろう)、その点ロジェ・グルニエは、まだそれを狙った文章の練りかたをしているように思える。

「もしおれ自身が自分を待ちうけていることを知りつくしていたら。どうせろくなことは起るまい。だが人は日々のたたかいのことで頭をいっぱいにしてその日その日を生きているので、最悪の事態を予見できるような全体的視点に立つ余裕などないのだ。それぞれ、自らの破壊にむかって飛んで行く盲目の弾丸のように自分の弾道をたどるだけだ」(「反復」より、238ページ)

「最後にもう一度、彼らはボードゥワン氏の体を洗い、身支度をととのえ、化粧をほどこすだろう。まるで墓、すなわちすべてが汚れ、腐り、形と色を失う王国には、一点の汚れもない清潔な亡骸しか引き渡してはならぬかのように」(「反復」より、241ページ)

 その次の「隣室の男」に関しては、私は失敗作であると断言してしまいたい。一言も触れずに素通りした前半の「プラリーヌ」もそうだが、チェーホフ的なものを書こうとしている予感は随所に感じられるのだが、余分と思われる脱線がひどく多く、好みにも依るのだろうが冗長に感じられた。以前、私よりはるかに日本文学に通じている友人たちが、後藤明生という作家の「脱線の魅力」について教えてくれたが、そういう作家を愛している人たちにはひょっとすると面白く読めるのかもしれない。評論家でもないのに形式美ばかりに目がいってしまうのは、良くないことだと重々承知しているのだが。

「彼は自分には好奇心がないことに気がついた。死にたくなる理由などいくらでもある。隣室の男から教えられるまでもない。あの男は女と子供の写真をそばに置いて死んでいった。つまり妻子を完全に失ってしまったわけではないのだ。まだ姿をながめる必要を感じていたのだから。だがもうその必要はないとわかる時がやって来る」(「隣室の男」より、255ページ)

 つづく「ウィーン」は音楽、文学、映画の名前がひっきりなしに挙がってくる作品で、ジョン・ヒューストン監督の『フロイド、隠された欲望』という映画が効果的な役割を果たしている。観たことのない映画だったので、大変興味を掻きたてられた。その登場より少し前、主人公はゲーテの『親和力』を片手に飛行機に乗り込み、以下の文章が現れる。

「はげしい嵐になった。稲妻が大空を引き裂き山頂めがけて落下した。飛行機は乱気流にはげしく揺れた。怖かった。だが眺めはすばらしかった。自分のオーストリア入りを歓迎する豪華な演出、いわば荘麗なオペラだ。でもこんなワグナー風のグランド・オペラなんて……と彼は皮肉っぽく思った。自分の好みはむしろ「冬の旅」の甘く陰鬱な調べ、でなければせめて作品番号100のピアノ三重奏曲の、ゆっくりとした楽章の断続的なリズム、悲痛なマーチ風の調べなのに」(「ウィーン」より、269ページ)

 名前が挙がっているのはワグナーだが、作品が挙げられているのはシューベルトだ。「冬の旅」は言わずとしれた本当に陰鬱な歌曲集で、シューベルトの「ピアノ三重奏曲第二番」には「op.100」が振られている。脱線するが私はメンデルスゾーンが大好きで、とくにこの作曲家の二つのピアノ三重奏曲がきっかけで、シューベルトのそれも聴くようになった経緯があるので、卑劣にもその芸術性を否定したワグナーを嫌悪し、ろくに聴いたこともないまま忌避している。だから以上の文章を読んだときには溜飲が下がる想いだった(ところが先日聴きにいった室内楽のコンサートの演目にワグナーの「Siegfried-Idyll」が含まれていて、少しばかり印象が変わった。コンサート会場で聴くだけで、偏見というものはかくも簡単に塗り替えられてしまうものだ)。

「ねえ、フロイト先生、なぜ私はあの遠方の女、他人の妻しか好きになれなかったのでしょう。あなたの街のまんなかに身を隠していたあの女性しか。われわれを隔てていたのは距離だけでなく、時間でもあったのです。もしまだ生きていると仮定して、現在あのひとがどうしているか考えたくありません。それなのに、ここ、あのひとの香りを忘れてしまったこの街に身を置いただけで、私はのどがからからに渇くのです」(「ウィーン」より、275ページ)

 そのあとにやってくる「アルルカンの誘拐」は素晴らしい作品で、この本のなかで最も気に入った作品を選べと言われたらこれになる(「沈黙」は小説ではないという理由で除く)。これを読んで、ロジェ・グルニエが「沈黙」のなかでメルヴィル『バートルビー』を絶賛していた理由を思い出した。再掲となるが、すなわち「『代書人バートルビー』の語り手は、自分については何も語らない。それなのに、われわれはなんとよく彼のことを知っているだろう。そんなふりをちらりとも見せずに、彼はなんとみごとに自分の胸中を明かしているだろう」(「沈黙」より、202ページ)。この作品のなかでは「私」と名乗る語り手が、「ムッシウ・アルルカン」という変人について語りながら、実にさりげなく自分のことを語っているのだ。

「ムッシウ・アルルカンは、何故か私に一目置いているように見えた。<原っぱ>をぐるぐる歩き回るさい、私と歩調を合わせようとする。しょっちょう何か情報や意見を求めてくる。沈黙の掟を破って、こんなたいそうな言葉で話しかけてくるのだ。「先生、あなたは何でもご存じでいらっしゃるから……」第一、私は先生なんかじゃない」(「アルルカンの誘拐」より、289~290ページ)

 内容は一貫してユーモアに比重が置かれていて、はっとさせられる一文などどこにもないのだが、その軽妙な語り口に身を任せたまま、いつまでも小説世界のなかに浸っていたくなる作品だ。作家も肩肘を張らずに書いている感じがあって、読者もまるで構える必要がない。この本に収められたほかの作品群とはずいぶん趣向が異なるのだが、こんな一見ウッドハウスやジェローム・K・ジェロームかのような語りを読むと、作家が急に身近に思えて、好感が持てる。こんなものも書くのか、と正直驚いた。

そのあとの「ノルマンディー」は『ボヴァリー夫人』の舞台となった「リ」という村に移住した女の話で、これが音楽だったら「ギュスターヴ・フロベールの主題による変奏曲」とでも名付けられたことだったろう。『ボヴァリー夫人』をすでに読んでいることを念頭に置いて書かれた作品で、というのも作中で女主人公のテレーズが口にするとおり、フランスでは「誰だって『ボヴァリー夫人』くらい読んでる」(「ノルマンディー」より、324ページ)ものなのだ。今通っている大学の教授に聞いた話だと、この本は現在でも中学校だか高校だかで必ず一読させられる作品だそうで、それが理由でフロベールという作家を毛嫌いしている若者も多いほどだという。日本でいうところの、夏目漱石の『こころ』のようなものなのだろう。

「私はノルマンディー地方を旅行の途中、そのリという村にたまたま立ち寄ったことがある。昔と変らぬ家並みにそって歩きながら、いや、村に足を踏み入れる前からすでに、私は感動をおぼえていた。それはべつに驚くほどのことではない。と同時にまた、いや、やはり驚くべきことだと内心私は思った。その少し前に私はベツレヘムと聖墓を見物していたが、何の感動もおぼえなかったのだ。われわれの文明によって神に選ばれた人物の生誕と死の場所も、わが愛するフロベールがその小説の舞台に選んだ場所ほどには私には重要に思えなかったのである」(「ノルマンディー」より、320ページ)

「彼は公園のなかを曲りくねって流れる人工の川にそって歩きながら、友人といっしょに遠ざかって行った。そしてやがて歩道橋を渡って見えなくなった。
 何週間かの後、テレーズは彼の愛人になっていた」(「ノルマンディー」より、330ページ)

 さらに「三たびの夏」では、チェーホフ的非情さがふたたび顔をのぞかせている。すっきりと無駄がなく、ゆえに残酷さも帯びた文体。以下に挙げた二つのような文章を、さらりと書けるのはすごいことだと思う。いや「沈黙」にあったとおり、本人は身を粉にしていたに違いないのだが、それでも一見さらりと書いているように見せていることはすごいことだ。

「湯治場とは空無と安逸の学校である。ホテルは快適だった。美人の湯治客が何人かいた。ふと気がつくと、彼は身なりに気をつかいはじめていた」(「三たびの夏」より、343ページ)

「セルジュは、ゲーム台のまわりにはジュール・ベリー風の異様な人物とか、ギャンブルの魔に取り憑かれた痩せさらばえた老女とか、いまにもふらふらと賭博場を出て行き頭に一発射ち込みそうに見える蒼白な顔の青年とか、そんな人物を見られるものと思っていた。ところがそんなのは一人もいない。ごく普通の人間ばかりだった」(「三たびの夏」より、350ページ)

 最後にようやくやってきた表題作、「フラゴナールの婚約者」は、正直それほど胸に響かなかった。冒頭に挙げられたスタンダールの文章は素晴らしく、かなりの期待を持って読んだのだが、それがいけなかったのかもしれない。とはいえチェーホフだのヘミングウェイだのといったうがった見方は抜きにしても、ロジェ・グルニエという作家の性格を知る上ではうってつけの作品だろう。だが、この本に収められたほかの作品にそれが見いだせないわけでは決してないので、無闇に薦めようとも思わない。

「昨日、『バジャゼ』観劇中、桟敷席の領事のそばに、骸骨そっくりの女性を見かけた。よく洗われた髑髏のように白く、まったく背筋が寒くなった。こんな不気味な女を見るのは生まれてはじめてで、はっきり憶えておこうとじっくりながめた。いい服を着ていた。それはまさに死そのもののおそろしい姿で、それ以外の何ものでもなかった」(「フラゴナールの婚約者」冒頭、スタンダールの『日記』の引用より、358ページ)

 ところでこのフラゴナールが、あの図書カードにも採り上げられている「読書する女」で日本の愛書家たちにもよく知られている画家その人を指しているわけではないということは、指摘しておいてもいいだろう。

「人生の何でもないことが突然ある人間を感動させ、別の人間を感動させないのは何故だろう」(「三たびの夏」より、344ページ)

 まったく長い本だった。この本について思いついたことはすべて書いたような気がする。冒頭でも述べたとおり、短篇集というものには気安さが伴っていてほしいというのが私の意見なので、改版でもする機会があれば二分冊にでもしてもらいたいものだ。もちろんそれぞれに独立したタイトルを付けて。秀作揃いで万人に勧められる、というものでもないが、少なくともチェーホフの短篇を愛読している人には面白がってもらえると思う。とりわけ「沈黙」の衝撃は、印象深いものだった。

フラゴナールの婚約者

フラゴナールの婚約者

 


<読みたくなった本>
エドモン・アブー『耳のちぎれた男』
→「一瞬、ぼくは思った。これは耳のちぎれた男が長い冬眠からもどって来たのではあるまいかと」(「運勢」より、86ページ)。訳注によると「ドイツ人の学者によってミイラ化されたナポレオン軍の若い大佐が半世紀後に生き返るという話」(「運勢」訳注より、99ページ)だそう。

L'Homme A L'Oreille Cassee (8e Ed.)

L'Homme A L'Oreille Cassee (8e Ed.)

 

サルトル『部屋』
→「部屋中を占拠するこの彫像は、ちょうど読んだばかりのサルトルの『部屋』を連想させた」(「ベルト」より、114ページ)

水いらず (新潮文庫)

水いらず (新潮文庫)

 

ヘンリー・ミラー『マルーシの巨像』
→上述。

マルーシの巨像 (ヘンリー・ミラー・コレクション)

マルーシの巨像 (ヘンリー・ミラー・コレクション)

 

フィッツジェラルド『崩壊』
→「人間が壊れていく様態に魅せられないような真の小説家などいないのである。「人生はすべて崩壊のプロセスである」とスコット・フィッツジェラルドは書いている。『崩壊』の冒頭の一行である」(「沈黙」より、198ページ)

フィッツジェラルド『夜はやさし』
→「フィッツジェラルドはその最後の章を用いて、ますます漠然と、ますます短くなっていくディックの消息をわれわれにあたえる。彼の足跡はつかめない。とにかくニューヨーク州のどこか、地図のうえのどこかにいる。ニコルが知っているのはそれだけだ。そしてそれでもう十分と考えるほどにまで彼女はディックとその愛を忘れているのである」(「沈黙」より、199ページ)

夜はやさし

夜はやさし

 

ヘミングウェイ日はまた昇る
→「『日はまた昇る』におけるヘミングウェイの巧妙な手口にお気づきだろうか。彼はまず、アマチュア・ボクサーのロバート・コーンの身の上を語りはじめる。そして三十ページほどの間、コーンの身の上を語る人物が小説の真の主人公であることに誰も気づくことができない。その後で、もちろん、ヘミングウェイはいささか雑なやり方ではあるが「私」と称する人物の重要性を減じていく」(「沈黙」より、201ページ)

日はまた昇る (新潮文庫)

日はまた昇る (新潮文庫)

 

トマス・ド・クインシー『阿片常用者の告白』
→「これでは私の小説など必要はない。すでに数行で書かれているからだ。地中海さながらに広いオックスフォード・ストリートの周辺を、あわれなアンを探し求めて歩き回るトーマス・ド・クインシーの悲嘆以上に深い悲嘆を一体誰が考え出せるだろう」(「沈黙」より、205ページ)

阿片常用者の告白 (岩波文庫)

阿片常用者の告白 (岩波文庫)

 

ゲーテ『親和力』
→「空港の待合室は居心地がわるかった。彼は手もとに本を一冊しか持っていなかった。ゲーテの『親和力』で、仕事の必要上、ドイツ語を勉強し直すために仏独二ヵ国語のものを持って来ていたのだった。オッティーリエとエードゥアルドは自分たちの愛を生きぬくことができず、そのために死ぬ。だがこの自分は死ななかったし、エリアーヌもそうだった。だがゲーテの物語と自分たちの物語との間に似たところを見つけようとするのが無理なのだ」(「ウィーン」より、268ページ)

親和力 (講談社文芸文庫)

親和力 (講談社文芸文庫)

 

クノー『わが友ピエロ』
→「『わが友ピエロ』を読み返してごらん。この礼拝堂のことが出てくるから」(「フラゴナールの婚約者」より、371ページ)。最近妙にこの作品のことを目にする機会が多い気がする。

わが友ピエロ (レーモン・クノー・コレクション)

わが友ピエロ (レーモン・クノー・コレクション)