Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

明るい部屋

 先日『短歌の友人』を読んで以来、細部というものの重要性が自分のなかで急上昇している。というより、重要なのは細部だけなのだ、ということに、ようやく気がついたと言うべきだろう。文学作品の「あらすじ」がなんの魅力も持たないのは、そこから細部が削ぎ落とされてしまっているからだったのだ。そんなことを友人に話してみたら、「プンクトゥムだね」と言われた。説明を求めたら、この本を薦められた。そしてすぐさま手に取った。

明るい部屋―写真についての覚書

明るい部屋―写真についての覚書

 

ロラン・バルト(花輪光訳)『明るい部屋  写真についての覚書』みすず書房、1985年初版、1997年新装版。


 読み終えたのは、じつはもう一週間も前のことである。それでも、わたしは今でも猛烈に感動してしまっていて、この本の魅力を文章にすることにためらいを覚えつづけている。いやはや、持つべきものは鑑識眼を備えた友人である。ロラン・バルトを読むのはじつに久しぶりのことだったのだが、どうしてこの作家のことをまるきり無視していたのか、正直理解できない。彼はわたしにとって、大学のレポートを書くときに利用したことのある、記号学のひとでしかなかったのだ。なんてもったいない。なんてもったいない!

 副題にもあるとおり、話題の中心は写真にある。アナログカメラに凝っていた時期があるとはいえ、わたしは基本的に写真に関しては門外漢だ。正直ページを開くまでは、最後まで関心を失わずに読めるかどうかも不安だったのだが、そんなものは杞憂でしかなかった。たしかにこれは「写真論」と呼ぶことのできる本ではある。だが、バルトがここで追っているのは、写真という芸術の本質なのである。

「「写真」が数かぎりなく再現するのは、ただ一度しか起こらなかったことである。「写真」は、実際には二度とふたたび繰り返されないことを、機械的に繰り返す。「写真」に写っている出来事は、決してそれ以外のものに向かって自己を乗り越えはしない」(9ページ)

「写真は、「ほら、これです、このとおりです!」と言うだけで、ほかのことは何も言わない。写真は哲学的に変換する(言葉にする)ことができない。写真には偶発的なものが目いっぱい詰まっていて、写真はそれを包んでいる透明な薄い膜にすぎない。自分の写真を誰かに見せると、相手もすぐに自分の写真を取り出して、こう言うだろう。「ほら、これが私の兄弟で、そちらが子供の私です」、等々。「写真」とは、「ほら」、「ね」、「これですよ」を交互に繰り返す、一種の歌にほかならない。「写真」は何か目の前にあるものを指さすのであって、そうした純粋に指呼的な言語活動の域を脱することができない。それゆえ、ある一枚の写真について語るのは正当なことだが、「写真」一般について語ることは、逆にそれだけありえないことである、と私には思われた」(10ページ)

 写真を撮るということは、書くこと(言語活動)や描くこと(絵画)とはまったく異なる性質を持っている。それは現れてくるもの、そこから伝えられるものの確実性の問題だ。

「絵に描かれた肖像は、いかに≪真実≫に見えようとも、どれ一つとして、その指向対象が現実に存在したという事実を私に強制しえない」(95ページ)

「言語活動の不幸は、それ自身の確実性を証明できないところにある(しかしまた、おそらくそれが言語活動の逸楽でもあるのだ)。言語活動のノエマはおそらく、それができないということなのである。あるいはさらに積極的(ポジティヴ)に言えば、言語活動とは本来的に虚構である、ということなのである。言語活動を虚構でないものにしようとすると、とほうもなく大がかりな手段を講じなければならない。論理に頼るか、さもなければ、誓約に頼らなければならない」(106ページ)

 この絶対的な確実性が、写真一般について語ることを甚だ難しいものにしている。つまり、そこには異論の余地がないのだ。

「何を写して見せても、どのように写して見せても、写真そのものはつねに目に見えない。人が見るのは指向対象(被写体)であって、写真そのものではないのである」(12ページ)

「「写真」が深く掘り下げられないのは、その明白さの力による。映像の場合、対象は一挙に与えられ、それが見えていることは確実である――これとは逆に、テクストや、映像以外のものの知覚は、対象を曖昧な、異論の余地あるやり方で私に示すので、私は自分が見ていると思っているものを疑うようになる。映像の知覚のこの確実さは、私が写真を集中的に観察する余裕があるだけに、絶対的である。しかしまたその観察は、いくら長く続けても、私に何も教えはしない。「写真」の確実さは、まさにそうした解釈の停止のうちにある。私は、それがかつてあったということを確認するだけで精根を使い果たしてしまう。誰であろうと、写真を手にしている者にとっては、それこそが≪根源的確信≫であり、≪原ドクサ≫であって、その映像が写真ではないということが証明されないかぎり、この確信は何ものによっても突き崩されない。しかしまた、悲しいことに、その確実さに比例して、私はその写真について何も言うことができないのである」(131~132ページ)

 写真の確実性は、「それはかつてあった」ということを高らかに宣言、どころか、まったく異論の余地のないやり方で、断言するのだ。バルトはこの性質から、写真を技術(芸術)ではなく魔術であるとまで言い切っている。

「私が≪写真の指向対象≫と呼ぶものは、ある映像または記号によって指し示されるものであるが、それは現実のものであってもなくてもよいというわけではなく、必ず現実のものでなければならない。それはカメラの前に置かれていたものであって、これがなければ写真は存在しないであろう。絵画の場合は、実際に見たことがなくても、現実をよそおうことができる。言説は記号を組み合わせたものであり、それらの記号はなるほど指向対象をもっているが、しかしその指向対象は、たいていの場合、≪空想されたもの≫でありうるし、また事実そうである。絵画や言説における模倣とちがって、「写真」の場合は、事物がかつてそこにあったということを決して否定できない。そこには、現実のものでありかつ過去のものである、という切り離せない二重の措定がある」(93~94ページ)

「「写真」は一つの魔術であって、技術(芸術)ではない。写真が類同的(アナロジック)であるかコード化されているかを問うことは、分析の正しい道ではない。重要なのは、写真がある事実確認能力をもっているということであり、「写真」の事実確認性は対象そのものにかかわるのではなく、時間にかかわるということである。現象学的観点から見れば、「写真」においては、確実性を証明する能力が、表象=再現の能力を上まわっているのである」(109ページ)

 ところで、わたしは日本の大学に通っていたころ、歴史学を専攻していた。歴史学というのは、すでに失われてしまった、だが「かつてあった」ものを再現しようとする学問だ。そしてそのころの学友のひとりに、写真家がいるのだ(ちなみにアナログカメラの魅力を教えてくれたのも彼である)。読みながらずっと、この友人のことを考えていた。写真の確実性は、想像の範疇にあったはずのものだった歴史を、確実なものとして写し出すのだから。

「「歴史」とは、ヒステリーのようなものである。誰かに見られていなければ、成り立たない――そしてそれを見るためには、その外に出ていなければならない。生きている人間であるかぎり、私はまさに「歴史」とは正反対のものであり、ただ自分だけの生活史によって「歴史」を否定し、破壊する」(78ページ)

「われわれはおそらく、神話という形によるのでなければ、過去を、「歴史」を信ずることにいかんともなしがたい抵抗を感ずる。その抵抗感を写真が初めて払拭する。これ以後、過去は現実と同じくらい確実なものとなり、印画紙に写っているものが、手で触れられるものと同じくらい確実なものとなる。世界の歴史を画するのは、「写真」の出現である――これまで言われてきたように、映画の出現ではない」(107~108ページ)

 たとえば廃れてしまった流行のような、今では存在しなくなったあらゆるものが、たった一枚の写真によって実在を保証される。しかもそれら微細な要素は、それを記録した同時代の撮影者には思ってもみないかたちで、後世にあって歴史的な証言となるのだ。

「「写真」はある種の基礎知識に近づくことを可能にする。「写真」は一群の片々たる対象を提供し、私の心にひそんでいるある種のフェティシズムを満足させることができる。というのも、私のうちには、知識を好み、知識に対して恋情のごときものをいだく≪自我≫が存在しているからである。同様にして、私が好むのは、ある種の伝記的特徴である。ある作家の生涯に含まれているそうした特徴は、ある種の写真と同じように私を魅惑する。私はそうした特徴をかつて≪伝記素≫と呼んだことがある。「写真」が「歴史」に対してもつ関係は、伝記素が伝記に対してもつ関係に等しいのである」(43ページ)

「「写真」は暴力的である。それが暴力行為を写して見せるからではない。撮影の度に、強引に画面を満たすからであり、そのなかでは何ものも身を拒むことができず、姿を変えることができないからである」(113ページ)

 写真はあらゆるものを過去へと押しやる。すでに見たとおり、「それはかつてあった」というのは、つまりそれが現実のものであると同時に過去のものでもあるという証明なのだ。

「対象が現実のものであったということを保証することによって、写真はひそかに、対象が生きているものであると思い込ませるのだが、その原因はわれわれの錯覚にある。われわれはとかく「現実のもの」に、絶対的にすぐれた、いわば永遠の価値を与えてしまうのだ。しかしまた写真は、その現実のものを過去へ押しやる(≪それは=かつて=あった≫)ことによって、それがすでに死んでしまっているということを暗示する」(97ページ)

「1931年にケルテスが撮影した、幼い小学生エルネストは、現在まだ生きているかもしれない(しかし、どこで? どのように? それは、なんと小説的なことであろう!)。私は、あらゆる写真の位置を定める座標系となるのであって、写真はまさにこの点で私を驚かせ、私に根源的な問いかけをおこなわせる。いったいなぜ、私はいま、ここに生きているのか? と」(104ページ)

 写真は死に似ている。それは死を喚起するのだ。この本が母を失ったバルトの、喪の悲しみをも体現していることを思い出さずにはいられない。

「「死」の恐ろしさはつぎの点にあるのだ。すなわち、もっとも愛する人の死について、何も言えないということ、その人の写真について何も言えないということ、写真を見ても決してそれを掘り下げたり、変換したりすることができないということ」(115ページ)

 さて、ここまで引用しておきながら、じつはまだわたしが猛烈に感動した理由はほとんど書いていない。つまり、プンクトゥムのことだ。

「私はグラビア雑誌のページをめくっていた。一枚の写真が私の注意を引いた。とくに変わったところがあったわけではない。それはニカラグアの反乱を撮った(写真としては)平凡な場景である。廃墟と化した街路、ヘルメットをかぶった二人の兵士が、パトロールをしている。そのうしろを二人の修道女が通り過ぎてゆく。この写真が私の気に入ったとか、関心を引いたとか、好奇心をそそったとかいうのではない。ただ、この写真は(私にとっては)存在していた。その存在(その≪冒険=不意の到来≫)は、二つの要素、つまり兵士と修道女が共存していることから来る、ということを私はとっさに理解した」(34~35ページ)

 プンクトゥムについて語るには、もうひとつの要素、ストゥディウムも紹介しなければならない。ラテン語というのは便利なもので、フランス語では特定の意味しか持たなくなってしまった単語が、語源であるラテン語の段階ではもっと広範な意味を秘めているのだ。バルトは、「ラテン語を使えばさまざまなニュアンスが明らかになるのだから、これは必要なペダンティスムというものである」とも書いている(94ページ)。

「フランス語には、この種の人間的関心を簡潔に表現する語が見当らない。しかし、ラテン語にはそれがある、と私は思う。それは、ストゥディウム(studium)という語である。この語は、少なくともただちに≪勉学≫を意味するものではなく、あるものに心を傾けること、ある人に対する好み、ある種の一般的な思い入れを意味する。その思い入れには確かに熱意がこもっているが、しかし特別な激しさがあるわけではない。私が多くの写真に関心をいだき、それらを政治的証言として受けとめたり、見事な歴史的画面として味わったりするのは、そうしたストゥディウム(一般的関心)による。というのも、私が人物像に、表情に、身振りに、背景に、行為に共感するのは、教養文化を通してだからである(ストゥディウムのうちには、それが文化的なものであるという共示的意味(コノテーション)が含まれているのである)」(38ページ)

「遺憾なことに、多くの写真は、私の視線のもとでは、生気を失っている。しかし、私の目から見ていくらか生きているように見える写真も、たいていは私の心に、ある一般的関心、もしこう言ってよければ礼儀正しい関心しか呼び起こさない。それらの写真には、いかなるプンクトゥムもないのだ。そうした写真は、私の気に入ることもあり気に入らぬこともあるが、私を突き刺しはしない。そこに充当されているのは、ただストゥディウム(一般的関心)だけである」(40ページ)

 一般的関心たるストゥディウムを破壊し、見る者を突き刺す要素、それがプンクトゥムである。

「第二の要素は、ストゥディウムを破壊(または分断)しにやって来るものである。こんどは、私のほうからそれを求めて行くわけではない(私の至高の意識をストゥディウムの場に充当するわけではない)。写真の場面から矢のように発し、私を刺し貫きにやって来るのは、向こうのほうである。ラテン語には、そうした傷、刺し傷、鋭くとがった道具によってつけられた標識(しるし)を表わす語がある。しかもその語は、点を打つという観念にも関係があるだけに、私にとってはなおさら好都合である。実際、ここで問題になっている写真には、あたかもそうした感じやすい痛点のようなものがあり、ときにはそれが斑点状になってさえいるのだ。問題の標識や傷は、まさしく点の形をしているのである。それゆえ、ストゥディウムの場をかき乱しにやって来るこの第二の要素を、私はプンクトゥム(punctum)と呼ぶことにしたい。というのも、プンクトゥムとは、刺し傷、小さな穴、小さな斑点、小さな裂け目のことであり――しかもまた骰子の一振りのことでもあるからだ。ある写真のプンクトゥムとは、その写真のうちにあって、私を突き刺す(ばかりか、私にあざをつけ、私の胸をしめつける)偶然なのである」(38~39ページ)

「ごく普通には単一のものである写真の空間のなかで、ときおり(といっても、残念ながら、めったにないが)、ある≪細部≫が、私を引きつける。その細部が存在するだけで、私の読み取りは一変し、現に眺めている写真が、新しい写真となって、私の目にはより高い価値をおびて見えるような気がする。そうした≪細部≫が、プンクトゥム(私を突き刺すもの)なのである」(56ページ)

 この「突き刺す」という言葉が、とてつもない魅力を放っている。『エウパリノス』のなかで、ヴァレリーはソクラテスの口を借り、こんなことを言っていたではないか。「精神にとって蜜蜂であるような言葉があるものだ。そういう言葉は蠅のように執拗に精神につきまとう。あの言葉はわたしを刺したのだ」。「突き刺す」という蜜蜂であるような言葉は、二重の意味でわたしを突き刺す。

「ある種の細部は、私を≪突き刺す≫ことができるらしい。もしそれが私を突き刺さないとしたら、それはおそらく、写真家によって意図的にそこに置かれたからである。ウィリアム・クラインの写真「戦う画家シノヒエラ」(1961年)の場合、この人物の怪物的な顔は少しも私に語りかけない。それが撮影上のトリックであることは、よくわかっているからである」(61ページ)

「私が名指すことのできるものは、事実上、私を突き刺すことができないのだ。名指すことができないということは、乱れを示す良い徴候である」(65ページ)

 プンクトゥムとは、写真家の創意工夫によってもたらされるものではないのだ。トリックは鑑賞者を突き刺しはしない。プンクトゥムは偶然に依拠しているのである。

「私の関心を引く細部は、撮影された事物の場に、不可避でもあり無償でもある補足物として存在する。それは必ずしも写真家の技量を証明するものではない。ただ、写真家がその場にいたことを告げるだけである。あるいはまた、それよりもさらにわずかなこと、つまり、写真家がある対象全体を撮ると同時に、他の対象をも部分的に撮らざるをえなかったということを告げるだけである」(62ページ)

 ところで、写真家のトリックのなかには、被写体に気づかれずに撮るということも含まれている。

「私が想像するには(私は写真家ではないから、私にできるのは想像してみることだけである)、「撮影者」の本質的な行為は、ある事物または人間を(部屋の小さな鍵穴から)不意にとらえることにあり、したがってその行為は、被写体が知らぬまにおこなわれるとき、はじめて完璧なものとなる。≪衝撃(ショック)≫を与えることを原理とする写真(というよりも、むしろそれを口実にする、と言ったほうがよいであろう)は、すべて、この行為から公然と生まれてきたものである。というのも、写真の≪衝撃≫は(プンクトゥムとは大いに異なり)、精神的外傷を与えることよりも、むしろ、非常にうまく隠されているため、当事者さえも知らないかまたは意識していない事柄を、暴露することにあるからだ。したがって、≪不意打ち=驚き(シュルプリーズ)≫にはさまざまな種類がある(「観客」である私にとっては、さまざまな≪不意打ち=驚き≫だが、「写真家」にとっては、それがさまざまな≪成果≫ということになる)」(46ページ)

 カメラを向けられたときの被写体の反応を考えれば、写真家が採る姿勢はとてもわかりやすいものだ。そういえば肖像写真についても、バルトはおもしろいことを言っている。

「自分自身の姿を見ること(鏡で見るのとはまたちがったふうに見ること)。この行為は、「歴史」の尺度をもってすれば、ごく最近のことである。「写真」が普及する以前にも、絵画やデッサンや細密画による肖像があったが、これは一部の人々にかぎられた贅沢であり、それにまた、経済的、社会的地位を誇示するものでもあった。いずれにせよ、描かれた肖像は、どれほど本人に似ていようとも、写真とはまったく異なるものである(私がここで立証しようとしているのは、この点である)。この新しい行為〔写真〕がもたらした(文化的)混乱について、人々が考えようとしなかったのは不思議なことである。私としては「視線の歴史」といったものを提唱したい。というのも、「写真」は、自分自身が他者として出現すること、自己同一性の意識がよじれた形で分裂することを意味するからである」(21ページ)

「自分を一個の不確実な、非神話的な主体として感じている私は、自分が自分に似ていると思うことなどできはしない。私が何かに似ているとしたら、それはただほかの写真に写っている私に似ているというだけであり、以下これが無限に続く。元の写像(コピー)が実在する写像(コピー)であるにせよ、内心の写像(イメージ)であるにせよ、誰も決して写像(コピー)の写像(コピー)以外のものではないのだ(せいぜい私に言えることは、ただつぎのことだけである。すなわち、私がある写真に写っている自分を受け入れ、他の写真についてはそうしないとしたら、それは、私が人に示したいと思っている自分自身のイメージに、写真の自分が一致するかどうかによる、ということ)」(126~127ページ)

 さらにおもしろいのは、精神病患者たちの肖像写真の例である。

「まなざしというものは、それが執拗にそそがれるとき(ましてやそれが、写真によって「時間」を超え持続するとき)は必ずや潜在的に狂気を意味する。まなざしには、真実を告げる効果と同時に狂気を告げる効果もあるのだ。1881年、ゴルトンとモハメッドは、立派な科学的精神にのっとって、精神病患者たちの人相学的調査をおこない、患者の顔写真を発表した。その結論はもちろん、病気は人相から読み取れないということであった。しかしその患者たちが、百年近くたったいまもなお、いっせいに私を見つめているので、私のほうは逆にこう考える。相手の目をまともに見すえる者は誰でも狂人である、と」(138ページ)

 だが、そこにプンクトゥムはない。撮影者や被写体の意図が厳然と現れているものには、礼儀正しい一般的関心、ストゥディウムしかないのだ。

「結局のところ――あるいは、極限においては――写真をよく見るためには、写真から顔を上げてしまうか、または目を閉じてしまうほうがよいのだ。≪映像の前提条件となるのは、視覚である≫、とヤノーホがカフカに言うと、カフカは微笑してこう答えたという。≪いろいろなものを写真に撮るのは、それを精神から追い払うためだ。私の小説は目を閉じる一つのやり方なのである≫と。写真は無言でなければならない(騒々しい写真があるが、私は好きではない)。これは≪慎み≫の問題ではなく、音楽の問題である。絶対的な主観性は、ただ沈黙の状態、沈黙の努力によってしか到達されない(目を閉じることは、沈黙のなかで映像に語らせることである)。写真が心に触れるのは、その常套的な美辞麗句、≪技巧≫、≪現実≫、≪ルポルタージュ≫、≪芸術≫、等々から引き離されたときである。何も言わず、目を閉じて、ただ細部だけが感情的意識のうちに浮かび上がってくるようにすること」(67ページ)

 プンクトゥムの効用は、われわれが見ているものを拡大する点にある。短歌の例を思い出さずにはいられない。以下の村木道彦の歌を挙げながら、穂村弘が語っていたことだ。

  うめぼしのたねおかれたるみずいろのベンチがあれば しずかなる夏

 これが「うめぼしのたね」ではなく「図書館の本」や「コカコーラの缶」だったなら、それは映画のセットのような爽やかな光景(厳然たる創意工夫、ストゥディウム)ではあるものの、鑑賞者を刺すことはなかっただろう。つまり「うめぼしのたね」という、たしかに「みずいろのベンチ」に置かれ得るもの、だがそれを歌にすることなどだれも思いつかなかったであろうものが、短歌的リアリティを生みだし、この三十一文字を一気に物語性のあるものへと拡大しているのだ。

プンクトゥムは、どれほど電撃的なものであっても、多かれ少なかれ潜在的に、ある拡大の能力をもつ。この能力は、往々にして換喩的に働く。子供に手を引かれた盲目のジプシーのヴァイオリン弾きを撮った、ケルテスの写真(1921年)がある。ところで私が、写真に何かをつけ加えて見せる、あの≪考える眼≫によって見るのは、土が踏み固められた道である。この道の土の肌目は中部ヨーロッパにいるという実感を私に与える。私は指向対象(被写体)を知覚する(ここでは、写真は真にそれ自身を超えてしまっている。これこそ写真の術を証明する唯一の証拠ではなかろうか? つまり、媒体としての自己を空無化し、記号であることをやめ、ものそものとなること)。私は、かつてハンガリールーマニアに旅行したとき横切った村村を、いまふたたび全身で感じ取る」(59~60ページ)

「「写真」は動かない映像として定義されるが、それは単に、写真に写っている人物たちが動かないということを意味するだけではない。彼らが外に出てこないということも意味するのだ。彼らは蝶のように麻酔をかけられ、そこに固定されているのである。しかしながら、プンクトゥムがあれば、ある見えない場がつくり出される(推測される)。私から見ると、晴れ着を着た黒人女は、そのまるい首飾りのおかげで、肖像写真の外のある生活全体を手に入れたのである」(69ページ)

 バルトが語る「プンクトゥム」と、穂村弘が語る「短歌的リアリティ」は、じっさいとてもよく似ている。つまり、これは対象を写真や短歌に限ったものではないのだ。それぞれの表現形式による差はもちろんあるとはいえ、この「細部の輝き」は、あらゆる芸術に通じているとさえ言えるだろう。

「写真は、それがなぜ写されたのかわからなくなるとき、真に≪驚くべきもの=不意を打つもの≫となる。たとえば、戸口に立って逆光を浴びたヌード、草のなかに埋もれた古い自動車の前部、波止場の貨物船、牧場の二つのベンチ、田舎風の窓を背景にした女の尻、裸の腹の上に置かれた一個の卵(これらの写真は、あるアマチュア写真コンクールの入賞作品である)は、いったいいかなる動機、いかなる興味関心にもとづいて撮影されたのか? 最初のうち、「写真」は、不意を打ち=驚かすために、注目に値するものを写す。しかしやがて、よく知られた逆転現象によって、「写真」は、それが写したものこそ注目に値するものである、と宣言するようになる。そこで、≪何でもかまわないもの≫が、最高に凝った価値となるのである」(48~49ページ)

「ザンダーの場合、距離を置いた社会的視線は、必ずある繊細な美学を仲立ちとしており、その美学が距離を無効にしてしまっている。その社会的視線は、すでに批判能力のある人々のもとでしか批判的になりえないのだ。この袋小路は、ブレヒトの場合とやや似ている。ブレヒトは、「写真」の批判能力が弱い(と彼は言っていた)ことを理由に、「写真」に対して冷淡だった。しかし彼の演劇そのものも、繊細さと美的資質のゆえに、政治的には決して有効なものとなりえなかったのである」(51ページ)

「≪写真を現像(デヴロッペ)する≫と言うが、しかし化学作用によって現像されるものは、実は展開(デヴロッペ)しえないもの、ある本質(心の傷のそれ)である。それは変換しうるものではなく、ただ固執する(執拗な視線によって)という形で繰り返されるだけである。この点で、「写真」(ある種の写真)は「俳句」に近いものとなる。なぜなら、俳句の表記もまた、展開しえないものだからである。そこにはすべてが与えられていて、修辞学的な拡大の欲求や、さらにはその可能性さえ生ずることがない。「写真」と「俳句」のどちらについても、激しい不動の状態、と言うことができるであろうし、またそう言うべきであろう。ある細部(ある起爆装置)によって爆発が起こり、それがテクストの、写真の窓ガラスに小さな星形のひびを入れるのだ。「俳句」も「写真」も、≪夢想≫をさそうものではない」(63ページ)

 先日『若きウェルテルの悩み』を初めて読んだことで、「あらすじ」の無意味さをかつてないほど痛烈に感じた。あのときにも書いたことだが、それは、われわれが読む前にしてすでに見聞きしてしまったゲーテのこの作品の記憶から、細部が残らず削ぎ落とされてしまっているからだったのだ。あらすじには一般的関心(ストゥディウム)しか残っていない。そして、それは鑑賞者を刺さないのだ。

 すべてはプンクトゥムだったのだ。この『明るい部屋』を読んでいるかいないかで、あらゆる芸術に対する姿勢が変わってくるだろう。なにもかもが、プンクトゥムという言葉とリンクするようになる。おそるべき一冊である。何度も何度も読み返したい。

明るい部屋―写真についての覚書

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<読みたくなった本>
ロラン・バルト『喪の日記』

ロラン・バルト 喪の日記

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サルトル『想像力の問題』

サルトル全集 第12巻 想像力の問題

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メーテルランク『ペレアスとメリザンド』

対訳 ペレアスとメリザンド (岩波文庫)

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ブランショ『来るべき書物』

来るべき書物 (ちくま学芸文庫)

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