Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

背骨のフルート

 今日のニュースで知ったばかりなのだが、小笠原豊樹さんが亡くなられたそうだ。先日から著書の『マヤコフスキー事件』、訳業である「マヤコフスキー叢書」を、このブログでも立て続けに紹介していたところだったので、大きなショックを受けた。『マヤコフスキー事件』を読んだときにも、こんなに尊敬できるひとはいない、と感じたのだった。いつかどうにかして一度お目にかかって、どんなに尊敬しているかを伝えたいと思っていた。そんなの当人にとっては迷惑以外のなにものでもないだろうけれど、それがもうどうしたって叶わぬ夢となってしまったのが、とても悲しい。

 だが、書かれたものは残る。原稿は燃えないのだ。彼の書いたものはいまなお、どこまでも生き生きとしている。われわれに遺されたものの大きさは計り知れず、これを存分に楽しむためには、一生あっても足りないくらいだ。新作を期待できなくなったことは確かに残念ではあるが、悲しんでいる暇などない。わたしは彼の訳書をできるだけ多く読み、長く味わうことで、自分のうちにこの稀代の翻訳者の記念碑を建てることにした。

背骨のフルート (マヤコフスキー叢書)

背骨のフルート (マヤコフスキー叢書)

 

ヴラジーミル・マヤコフスキー小笠原豊樹訳)『背骨のフルート』土曜社、2014年。


 先日の『ズボンをはいた雲』『悲劇ヴラジーミル・マヤコフスキー』につづく、マヤコフスキー叢書の第三回配本である。つい先日、四巻目の『戦争と世界』が刊行された。五巻目以降の予定が今後どうなるのかは発表されていないが、発売日まで決定している第六巻の『ミステリヤ・ブッフ』までは、すでに原稿があるものと期待している。

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きみたちみんな、
昔か今か恋し恋され、
心のほらあなに保存される聖像(イコーナ)、
ワインの乾盃のように、きみらのために、
ぼくは詩を満たした頭蓋骨を挙げよう。

(17ページ)
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 もともと一冊が薄いマヤコフスキー叢書のなかでも、これはとくに薄く、あまりに多く引用していては著作権法に触れるほど短い詩集である(著作権法はたしか、本の半分以上を引用することを禁止しているのだ)。そのくせこの『背骨のフルート』は、例によってこれを書くために再読したのだが、初めて読んだときから『ズボンをはいた雲』や『悲劇ヴラジーミル・マヤコフスキー』よりもぐいぐいと迫ってくるものがあって、いっそ全篇引用してしまいたいほど見事な詩なのだ。

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ぼくは、
すべての祭の奇蹟をおこなう者だが、
このぼくには祭に出掛ける連れがいないのだ。
ひとつ仰向けにひっくりかえって、
ネフスキー通りの石畳に脳味噌をぶちまけるか!
ぼくは神のわるくちを言ったのだった。
神なんかいるものかとわめいたが、
神は炎熱地獄の深みから
山さえ胸ときめかすほどの美人を
連れてきて、
愛せよ! と命じた。

(20ページ)
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お前がほんとにいるのなら、
神よ、
ぼくの神よ、
お前が星の敷物を織ったのなら、
日ごと増大する
この痛みが
お前のくだした拷問なら、
裁判官の鎖を身につけてくれ。
ぼくの訪問を待つがいい。
ぼくは時間は正確、
一日たりとも遅れない。
分ったか、
至高至上の異端糺問官!

(23ページ)
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 この詩はマヤコフスキーに生涯つきまとった不実の恋人、リーリャ・ブリークに宛てられたものだ。『マヤコフスキー事件』を読んで、彼らの関係を知っていたからこそ、いろいろなことがイメージしやすかったのかもしれない。あの本で知ったリーリャ・ブリークの人柄には賞讃すべきことなどひとつもないが、ひとつだけ認めなければならないのは、彼女がいなければこの美しい詩が書かれることはなかった、ということだ。

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ぼくはその代りに夜の明けそめるまで、
きみを愛さねばならぬ運命のおそろしさに
輾転反側し、
叫びを詩の行にきざんだ。
もう半ば気のくるった宝石商。
トランプでもやるか!
酒で
溜息をつきすぎた心臓の喉をうがいするか。

(22ページ)
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なるほど、
だれでも女には金を払うのか。
よろしい、
今のところ
パリ・モードの服の代りに
きみにはタバコの煙を着せよう。

(37ページ)
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 マヤコフスキーは詩のなかで、この不実の恋人をどこまでも追いかけると宣言する。ロンドン、パリ、そしてペテルブルクやモスクワと、地名がいくつも飛び出しながら愛が語られる一連が、非常に美しいと思った。

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きみが海の彼方に嫁いで、
夜の洞窟に身を隠そうと、
ぼくはロンドンの霧を通しきみに、
火と燃える街灯のくちびるにくちづけよう。

(29ページ)
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散歩の足を橋に運んで、
きみは思う、
あの下はきれいだわ。
それはぼくがセーヌに化けて
橋の下を流れているのだ。
ぼくは呼ぶ、
腐った歯をむきだしにして。

(30~31ページ)
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きみがペテルブルクの矢場(ストレルカ)やモスクワの鷹狩場(ソコーリニキ)で
ほかの男と乗馬の火を焚きつける。
あそこに高くよじのぼり、
疲れて、裸で待つ月、あれはぼくだ。

(31ページ)
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 夫のある女性との恋愛が悲恋でしかないことを告げるのが以下の箇所。しかし、この詩集の刊行者がほかでもない、リーリャの夫であるオシップ・ブリークだったというのは信じがたい。彼らの屈折した三角関係を表すのに、これほどうってつけの事実もないのではないだろうか。

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ドアが
ぴしゃり。
かれが入って来た、
街の楽しさに濡れて。
ぼくは
号泣のなかでまっぷたつに割れた。
かれに叫んだ。
「よろしい!
ぼくは出て行く!
よろしい!
きみの女は残る。
ぼろ服をこしらえてやれ、
控え目な絹の翼も少しは金持らしく見えるだろう。
水に流さぬように気をつけろよ。
女房の首の重しに
真珠の頸飾りを掛けてやれ!」

(39~40ページ)
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 いま、わたしはそわそわしている。まだ半分も引用してないよな? と自問自答している。油断するとわたしのことなので、際限なく書き写してしまうのだ。マヤコフスキーの詩を写しているときに、そうしないほうがどうかしているとさえ思う。

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今日という日を祭の色に塗っておくれ。
生まれろ、
磔(はりつけ)にひとしい魔術。
ごらんの通り、
ことばの釘で
ぼくは原稿用紙に釘づけされている。

(43ページ)
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 この本の「訳者のメモ」には、伝記的人間であるマヤコフスキーらしいエピソードも紹介されていて、またしてもにやりと笑った。

「ある日、灯油を買いに行き、五ルーブリ札を出したら、店主はそれを二十ルーブリ札と間違えたのか、お釣りを十四ルーブリ五十カペイカよこした。すなわち十ルーブリまるまるの儲けだ。マヤコフスキー少年はその十ルーブリで葡萄パンを四個買って平らげ、残りの金はパトリアルシ池でボート遊びに遣ったという」(「訳者のメモ」より、48ページ)

 それからこの「訳者のメモ」では、この詩集の出版費用がどれくらいのものであったかを、小笠原豊樹が自身の処女詩集出版のときに支払った費用と比較していて、とてもおもしろい。およそ一週間前、この箇所を読んで大変興味を持ち、岩田宏名義で刊行されたエッセイや詩集を取り寄せたのだった。それらがいまわたしの住んでいる国に届くよりも早く、彼の訃報が届いた。

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太陽で鍍金(めっき)しろ、花を、草を!
春めくがいい、大自然のいのちよ!
ぼくが欲しいのは毒だけだ、
詩を飲むに飲むこと。

(42ページ)
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 書かれたものは残る。わたしは絶対に、小笠原豊樹という人が遺してくれた数々のものを忘れないし、それに感謝を捧げることもやめないだろう。ただ、静かに読みつづけるのだ。

背骨のフルート (マヤコフスキー叢書)

背骨のフルート (マヤコフスキー叢書)