Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

オデュッセイア

世界最古の文学は、ホメロス叙事詩『イリアス』と『オデュッセイア』である。『イリアス』はトロイア戦争を語ったもの、そして『オデュッセイア』はその続編たる、英雄オデュッセウスの漂流の物語である。

ホメロス オデュッセイア〈上〉 (岩波文庫)

ホメロス オデュッセイア〈上〉 (岩波文庫)

 

ホメロス(松平千秋訳)『オデュッセイア』上下巻、岩波文庫、1994年。


1994年に刊行された、新訳である。およそ三千年前の文学が翻訳で読めるということが既に奇跡めいているのに、これは読みやすく、しかも面白い。ホメロスの凄さは、今読んでも面白いということだ。ギリシャ神話の知識があれば尚良いが、無くても面白く読める。奇跡である。

ギリシャ神話の知識があれば良いと書いたのは、登場人物の多くが神とその子どもたちだからだ。ホメロスに登場する人間は神の子孫であることが多く、アテネ、ヘルメイアス、そしてゼウスと、登場し発言もする神が非常に多い。ギリシャ神話を学んだ上で読み返せば、更に面白いだろう。とはいえ、充実した注がその労を補ってくれてもいる。

ホメロスに代表されるギリシャ文学が後世に与えた影響は計り知れない。まず神話があり、神々に続く人間たちの物語があり、そこから題材を得たギリシャ悲劇も生まれている。アイスキュロスソフォクレスエウリピデスらが書いた悲劇は直接的にはラシーヌなどに受け継がれ、現代においても色褪せない。ミラン・クンデラの『無知』は『オデュッセイア』を念頭に置いた「郷愁の叙事詩」であるし、カミュの『シーシュポスの神話』、クリスタ・ヴォルフの『カッサンドラ』など、例を挙げればきりがない。ギリシャ文学とは、あらゆる文学の出発点なのだ。

レーモン・クノー『あなたまかせのお話』のなかで、全ての小説を「イリアス型」と「オデュッセイア型」に分けた。「イリアス型」とは時代や世界、国を中心とした文学であり、また「オデュッセイア型」とはその中に生きる個人に焦点を当てたものである。ホメロスはたった一人で、文学の形態として考えられるものを書き尽くしてしまったのだ。

ギリシャ文学特有の言い回しとして、神や人の名に枕詞がかかったり(「雲を集めるゼウス」など)、朝の到来が女神の比喩で描かれたりするのが(「朝のまだきに生まれ指ばら色の女神が姿を現す」など)、慣れてくると妙に楽しくなってくる。想像を越えるほど残虐な光景も多く、巨人キュクロプスオデュッセウスが部下を食べられる箇所(まず頭を岩に打ち付け、脳漿を飛び散らしてから手足をもいで食べる)や、敵方に協力した山羊飼いを戒める箇所(鼻と耳とを切り落とし、陰部をむしり取って生のまま犬に食わせ、さらに手足を切断する)に驚かされる。戦いの情景は『イリアス』ほど多くはないが、それでも歴史小説好きの人を多いに喜ばせられる量だ。要所に組み込まれた様々な神や人のエピソードを、断片として読んでも面白い。要するに、どんな読み方もできるのであり、どんな読者をも喜ばせる力を持っているのだ。

以下、上下巻それぞれの内容を列挙する。内容を知るのを控えたい方はご注意。

<上巻>
第一歌:神々の会議。女神アテネテレマコスを激励する
(テレマコスアテネ)
神々の会議によって、カリュプソの島で足留めされているオデュッセウスを帰国させることが決議される。カリュプソの許へはヘルメイアス、イタケのオデュッセウスの屋敷にはアテネが遣わされ、この決議が知らせられる。女神アテネの忠告によって、オデュッセウスの息子テレマコスは、夫の不在を理由に母ペネロペイアに言い寄る求婚者たちと対決すべく奮起する。

第二歌:イタケ人の集会、テレマコスの旅立ち
(テレマコスアテネ)
自身の決意を伝えるべく、テレマコスはイタケの島の人々を集め、求婚者たちの悪行を訴える。だが求婚者たちの圧力は強大で、アテネオデュッセウスの親友メントルに扮してテレマコスを助け、オデュッセウスの消息を訪ねるための船を準備する。

第三歌:ピュロスにて
(テレマコスアテネ、ネストル、ペイシストラトス)
オデュッセウスの消息を訪ねる旅に出たテレマコスが、ピュロスに到着する。ピュロスの王ネストルはテレマコスを歓迎するも、オデュッセウスの消息については知らず、スパルテの王メネラオスを訪ねるよう薦める。テレマコスの旅立ちに際してネストルは馬車を用意し、息子のペイシストラトスを同行させる。

第四歌:ラケダイモンにて
(テレマコスペイシストラトス、メネラオスヘレネ、プロテウス、ペネロペイア)
スパルテはラケダイモンに住むメネラオスの屋敷に着いたテレマコスペイシストラトスは、メネラオスとその妻ヘレネに歓迎される。メネラオスはトロイエ戦争の帰途、漂流先で出会った海神プロテウスより聞いたアカイア(ギリシャ)勢の戦士たちの消息を語るが、オデュッセウスに関してはカリュプソの島で生きているということしか判らない。またその頃イタケでは、求婚者たちがテレマコス殺害を計画し、母ペネロペイアはそれを耳にしてしまう。アテネは動揺するペネロペイアを眠らせ、ゼウスの許へと急ぐ。

第五歌:カリュプソの洞窟。オデュッセウスの筏作り。
(ヘルメイアス、カリュプソ、オデュッセウス、ポセイダオン、レウコテエ)
アテネからテレマコスに対する策謀を耳にしたゼウスは、ヘルメイアスをカリュプソの許へ遣わし、オデュッセウスの帰国を急がせる。ヘルメイアスは仙女カリュプソを説き伏せ、オデュッセウスの帰国の準備をさせる。完成した筏でオデュッセウスは海に出るが、ポセイダオンの引き起こす波によって阻まれ、筏は粉砕される。海神レウコテエは波に呑まれる彼を助け、オデュッセウスはパイエケス人の国に漂着する。

第六歌:オデュッセウス、パイエケス人の国に着く
(オデュッセウスアテネナウシカア)
漂着したオデュッセウスを最初に見つけるのが王女ナウシカアになるよう、アテネが取り計らう。ナウシカアと出会ったオデュッセウスは身に降りかかった災難を語り、王女は母を通じて自身の父、王アルキノオスに協力を求めるよう助言する。

第七歌:オデュッセウス、アルキノオスに対面す
(オデュッセウスアテネナウシカア、アルキノオス、アレテ)
少女に扮したアテネの助けで、オデュッセウスはアルキノオスの屋敷に到着する。オデュッセウスナウシカアの指示通りに王妃アレテに嘆願し、アルキノオスは彼の帰国の手助けを約束する。

第八歌:オデュッセウスとパイエケス人との交歓
(オデュッセウス、アルキノオス、デモドコス)
アルキノオスは集会を催し、オデュッセウスを国許へ送ることを決議する。宴の席で楽人デモドコスの歌うトロイエ戦争の物語を聞いたオデュッセウスは落涙し、無理に参加させられた競技会では見事な腕を示す。デモドコスが歌うとオデュッセウスは再び涙を流し、アルキノオスは名もなき放浪者に素性を訊ねる。

第九歌:アルキノオス邸でオデュッセウスの語る漂流談、キュクロプス物語
(オデュッセウス、ポリュベモス)
アルキノオスの問いに応えて、オデュッセウスは自らの名を明かし、トロイエからの帰国の途上で何が起きたかを語る。巨人キュクロプスの一人ポリュペモスによって、部下の多くを食われたオデュッセウスポリュペモスの目を潰したこと、それに激怒したポセイダオンが彼の帰国を邪魔立てするようになったことが明かされる。

第十歌:風神アイオロス、ライストリュゴネス族、およびキルケの物語
(オデュッセウス、アイオロス、キルケ、ヘルメイアス)
キュクロプスの国から逃れたオデュッセウスたちは、次に風の神であるアイオロスの支配するアイオリエに到着する。帰国の協力を求めると、アイオロスは一つの革袋をオデュッセウスに渡す。神の起こす快い順風に送られ、故国イタケが視認できるまでになると、オデュッセウスは安堵のあまり眠りに落ちてしまう。彼が眠っている間に、アイオロスの渡した革袋の中に秘密の宝が入っていると邪推した部下たちが袋を開け、袋の中に入っていた嵐に船が流され、アイオリエまで引き戻されてしまう。オデュッセウスが再び風の神に協力を仰ぐと、彼を神に疎んじられる者とし、島から追い出してしまう。次にライストリュゴネス族の島に着くが、巨人の彼らはキュクロプスと同様に人間を食べ、部下の多くを失ったオデュッセウスは命からがら逃げ出す。女神キルケの島に着くと、部下たちは彼女によって豚に変えられる。ヘルメイアスの助けを得たオデュッセウスのみは女神の術を逃れ、キルケに危害を加えぬよう誓わせ、部下たちを元の姿に戻してもらう。食糧の豊富なこの地で彼らは一年を過ごすが、出発を決めたオデュッセウスにキルケは、まず冥府に赴き彼の地にいる予言者テ
イレシアスに行先を訊ねるよう薦める。

第十一歌:冥府にて
(オデュッセウス、テイレシアス、アンティクレイア)
キルケの指示の通りに冥府に赴いたオデュッセウスは、予言者テイレシアスより自身の未来を告げられ、既に世を去った母アンティクレイアの亡霊が、オデュッセウス不在のイタケの有り様を語る。次に高名な女性たちに会ったことを話すと、一旦話はパイエケス人たちの国に戻るも、アルキノオス王の催促によってオデュッセウスは尚も語り続ける。彼はアガメムノンアキレウス、アイアスらのトロイエ戦争時の旧友に会い、またタンタロス、シシュポス、ヘラクレスら著名な英雄の姿も見る。

第十二歌:セイレンの誘惑。スキュレとカリュブディス、陽の神の牛
(オデュッセウス)
冥府から戻ったオデュッセウスたちは一旦キルケの島アイアイエに戻り、女神に指示を仰ぐ。オデュッセウスはセイレンたちの歌、恐るべき怪物スキュレ、魔の淵カリュブディス、陽の神エエリオスの住む島トリナキエのことを聞き、部下を鼓舞しながら船を出発させる。部下たちは悉くオデュッセウスの言いつけに従い難を逃れていたが、とうとうトリナキエにおいて空腹から言いつけを破り、エエリオスの牛を屠ってしまう。激怒した神エエリオスはゼウスに進言し、父神の雷によってオデュッセウスは船と部下たちを失い、漂流の末にカリュプソの島に着く。以上でオデュッセウスの漂流談は終わる。

<下巻>
第十三歌:オデュッセウス、パイエケス人の国を発ち、イタケに帰還
(オデュッセウスアテネ)
話を終えたオデュッセウスは約束通りにイタケへと送られる。オデュッセウスは眠ったままイタケへと運ばれ、贈られた財宝と共にアテネの生み出す霧に包まれる。パイエケス人たちの船は怒り狂うポセイダオンによって石に変えられてしまうが、オデュッセウスは無事にアテネから求婚者たちの陰謀、テレマコスの所在、ペネロペイアの現状を聞く。オデュッセウスアテネの助けで財宝を隠し、人に見つからぬよう老人に姿を変えられる。

第十四歌:オデュッセウス、豚飼のエウマイオスに会う
(オデュッセウス、エウマイオス)
アテネの指示に従うオデュッセウスは、自身の忠僕エウマイオスを訪ねる。オデュッセウスは年内に帰国すると告げるも、豚飼は信用しない。

第十五歌:テレマコス、エウマイオスを訪れる
(オデュッセウス、エウマイオス、アテネテレマコスペイシストラトス、メネラオス、テオクリュメノス)
アテネに帰国を促され、テレマコスはイタケに向かう。その途上、亡命者のテオクリュメノスを同船させ、自身は帰国後そのままエウマイオスの許へ向かう。その頃オデュッセウスはエウマイオスの過去を聞いている。

第十六歌:テレマコス、乞食の正体を知る
(オデュッセウステレマコス、エウマイオス)
テレマコスを迎えたオデュッセウスは屋敷の状況を聞き、テレマコスはエウマイオスに命じて自身の帰国を屋敷のペネロペイアに伝えさせる。エウマイオスが出ていき、オデュッセウステレマコスが二人きりになると、アテネオデュッセウスの姿を元に戻し、親子はついに再会する。帰国の報がもたらされた屋敷では、求婚者たちが殺害の失敗に気付き慌てるも、なおも新たな策を練り始める。エウマイオスが屋敷から戻るとオデュッセウスは再び乞食の姿に変えられる。

第十七歌:テレマコスの帰館
(オデュッセウステレマコス、エウマイオス、ペネロペイア、アンティノオス)
テレマコスは一人屋敷へ帰り、無事な姿を母ペネロペイアに見せる。オデュッセウスは遅れて町へ入り、屋敷では物乞いをする。求婚者の一人アンティノオスは彼に足台を投げつけるが、オデュッセウスは屈辱に耐える。

第十八歌:オデュッセウス、イロスと格闘す
(オデュッセウステレマコス、ペネロペイア)
土着の乞食イロスがオデュッセウスに喧嘩を吹きかけ、返り討ちに合う。オデュッセウスは求婚者の一人エウリュマコスとも口論になり、椅子を投げつけられるが、テレマコスが戒め、求婚者たちは屋敷を去って帰宅する。

第十九歌:オデュッセウスとペネロペイアの出会い、足洗いの場
(オデュッセウステレマコス、ペネロペイア、エウリュクレイア)
オデュッセウステレマコスは広間の武器を隠す。オデュッセウスは乞食の姿のまま妻と対面し、ペネロペイアは窮状を訴える。彼は偽りの素性を語るも、オデュッセウスが近く帰国すると予言する。彼の乳母であった老女エウリュクレイアが乞食の足を洗ってやろうとすると、彼女は足の古傷から彼がオデュッセウスその人であると気付く。オデュッセウスはその口を封じ、ペネロペイアから翌日の弓の競技のことを聞く。

第二十歌:求婚者誅殺前夜のこと
(オデュッセウステレマコス、テオクリュメノス)
眠られぬオデュッセウスアテネが現れ、援助を約束し、ゼウスは吉兆を示す。翌朝テレマコスは求婚者たちにきびしく対応し、テオクリュメノスは彼らの最期が近いことを予言する。

第二十一歌:弓の引き競べ
(オデュッセウステレマコス、ペネロペイア、エウマイオス、ピロイティオス)
ペネロペイアの企画した弓の引き競べが実施される。しかし求婚者の誰も、オデュッセウスの強弓を扱うことができない。オデュッセウスはエウマイオスとピロイティオスに自分の正体を明かし、自ら弓を試みて成功する。

第二十二歌:求婚者誅殺
(オデュッセウステレマコス、エウマイオス)
オデュッセウスは自ら張った強弓でアンティノオスとエウリュマコスを倒す。そしてテレマコスと二人の忠僕と共に、アテネの援護を受けながら求婚者たちを悉く誅殺し、不忠の山羊飼や女中たちを処刑する。

第二十三歌:ペネロペイア、乞食の正体を知る
(オデュッセウス、ペネロペイア)
ペネロペイアは乳母から客人すなわちオデュッセウスが求婚者たちを討ち取ったことを聞き、広間で夫婦は再会する。容易に夫であることを信じられないが、二人しか知らぬ寝室の秘密をオデュッセウスが語ると、納得する。オデュッセウスは漂流中の出来事を寝物語に妻に語る。

第二十四歌:再び冥府の物語。和解
(オデュッセウステレマコス、ラエルテス)
求婚者たちの霊は冥府にてアガメムノンらに会う。オデュッセウスは老父に再会し、求婚者たちの親族は復讐のために立ち上がるも、ゼウスとアテネの裁定によって両者は和解する。完。

ご覧の通り『オデュッセイア』の構成は複雑で、時間軸も一方通行ではなく作家の技巧を窺える作りになっている。奇跡である。誰でも名前を聞いたことのある作家の、誰もが知っている物語。是非、奇跡を体感して欲しい。

ホメロス オデュッセイア〈上〉 (岩波文庫)

ホメロス オデュッセイア〈上〉 (岩波文庫)

 
ホメロス オデュッセイア〈下〉 (岩波文庫)

ホメロス オデュッセイア〈下〉 (岩波文庫)