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「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

伝奇集(再読)

 今月やけに静かなのには理由があって、じつは二、三週間前に読み終えた本の感想をいまだに書き終えられずにいるのだ。それは英語で刊行されたボルヘスの対談集で、読み終えてからというもの、まさしく取り憑かれたようにボルヘスばかり読んでいる。つまり、もちろんその対談集についての記事を先に書くべきなのだが、いつもどおり拙い訳文を付ける作業に苦戦していて、とてもじゃないがすぐには掲載できそうにないのである。ものの二、三日で読み終えた本だというのに、引用したい文章が多すぎて、翻訳(と呼べるほどのものではないが)作業がいつまでも終わらないのだ。だが、そのあいだにも異なる何冊ものボルヘスの著作を読み終えてしまった。だから、先に書いてしまおうと思った次第なのである。対談集については、べつに難しい英語で書かれているわけでもないので、数週間のうちに、とんでもなく長い記事を掲載することになるだろう。というわけで、しばらくこのブログはボルヘスに溢れることになる。始まりはこの本以外には考えられない。つまり、『伝奇集』を再読したのだ。

伝奇集 (岩波文庫)

伝奇集 (岩波文庫)

 

ホルヘ・ルイス・ボルヘス鼓直訳)『伝奇集』岩波文庫、1993年。


 初めてこの本を読んだのは2008年のことなので、なんともう八年も前のこと、当時のわたしは22歳だった。以前の感想をあらためて読んでみると、この若造の混乱ぶりが伝わってきて、大変笑える。読んでいた場所まで覚えている。当時勤めていた書店の屋上の喫煙所、それから、読み終えたのは三鷹駅を出たところのケンタッキー(の喫煙席)だった。そのころのわたしは文学史のあまりの豊かさに怯んでしまっていて(いや、怯んでいるのはいまでも同じだが)、一般に「必読書」と呼ばれるようなすべての本を読むためには、自分の人生に残された時間があまりに足りない、ということに、恐怖さえ抱いていた。だから、八年後の今日、中東の砂漠でこの本を再読することになるなど、まったく予想だにしていなかった。再読という行為の楽しさ・大切さというのは、強迫観念めいた「必読書」の海の、遥か向こう側にあるものだったのだ。八年のあいだに、わたしは海を自力で泳ぐのを諦めることを覚え、ヴァレリー・ラルボー『罰せられざる悪徳・読書』ショーペンハウアー『読書について』といった船(前者は謙虚な筏、後者は屈強な戦艦に喩えられるかもしれない)の助けを借りて、いわば近道をして、その向こう側を垣間見てきたわけである。ボルヘスのような博覧強記の作家を前にしては、自分の採った方式はじつに卑怯なものに映るが、所詮わたしはボルヘスではなく、今後もボルヘスにはなれないことをいまや知っているので、仕方がない。

 八年前に読んだときの倒錯はかつての記事のとおりだが、その倒錯のうちのある部分は、じつは今回の再読まで、途絶えることなく続いていた。告白するが、わたしは「マジック・リアリズム」というものを完全に誤解していた。以前「雑記:海外文学おすすめ作家ベスト100(2014年版)」などにもはっきり書いてしまったことだが、わたしはボルヘスを「マジック・リアリズムの作家」だとは、認められずにいたのだ。これは、できればなかったことにしたい、大いなる間違いである。「マジック・リアリズム」という単語でボルヘスを名指すことができないのであれば、もうだれのことも「マジック・リアリズムの作家」と呼ぶことはできないだろう。

 だが、自分がそんな倒錯に陥った理由を、いまでは完全に理解している。現在「マジック・リアリズムの作家」と言うとき、ふつう最初に名前が挙がるのは、ガルシア=マルケスだろう。ガルシア=マルケスの作品は『百年の孤独』『エレンディラ』くらいしか読んだことがないのだが、あれらを読んでも、ボルヘスが同じものを目指していた、あるいはガルシア=マルケスのほうがボルヘスと同じものを目指していた、というふうには、ぜんぜん感じられなかったのだ。そこで、「よし、ガルシア=マルケスマジック・リアリズムの作家であるのなら、きっとボルヘスマジック・リアリズムの作家ではなかったにちがいない」と、考えてしまったわけである。このまったく異なる二人の作家を、同じラテンアメリカの作家というだけの理由で一括りにしようとするのはじつに乱暴なことに思え、そしてその役割を担おうとしているのが、マジック・リアリズムという言葉であるかのように感じられたのだった(わたしは「なんとかイズム(主義)」という言葉をことごとく嫌っているのである)。この二人を並置しようとすることの暴力については、今でもわたしの意見は変わっていないが、ただ、語の本来の意味での「マジック・リアリズム」、その言葉の包容力について、かつてのわたしはあまりにも無知だったように思う。

 マジック・リアリズムの目指すものというのは、その名が示しているとおり、魔術的な非現実と、現実との混淆だろう。シュルレアリスム、あるいはもっと古い、たとえばドイツロマン派と、いったいなにがちがうんだよ、と思わずにはいられないし、どんな明晰な文芸評論家にだって、地理や時代以外を理由にその区別をわたしに納得させることなどできないと思う(そもそも明晰な文芸評論家なら、そんな試みはしないはずだ)。しかし、そういった類語(?)同士の厳密な定義はひとまずうっちゃっておこう。重要なのは、ボルヘスの書いたものに魔術的非現実が混ざっているかどうか、ということなのであり、そしてその答えはだれの目にも明らかなのだ。いや、むしろ、ボルヘスにおいては、混ざりものであるはずの非現実があまりに現実めいていて、混ざっているかどうかの判断がためらわれてしまうほどのものなのだ。

 ボルヘスは上述の対談集のなかで、コンラッドを引用しながら、「現実の世界はあまりに幻想的なので、幻想と現実には差がない」と断言している。「自分で幻想を発明できるなどと考えるのは、世界に対する侮辱である」、とも。わたしが知るかぎり、ボルヘスがみずからをマジック・リアリズムの作家であるなどと自称したことはない(そもそも、このひとは作家であることを自称することさえためらうだろう)。だが、これがマジック・リアリズムという語の定義の根底にあったのだとしたら、たとえばガルシア=マルケスなどは、マジック・リアリズムの作家だとは呼ばれていなかったのではないか、と思わずにはいられないのだ。

 ガルシア=マルケスにおいては、たとえば台所で玉ねぎを切っている最中、ふと顔をあげて窓の外を見たら、天使が空を飛ぶ練習をしていた、というようなことが平気で起こる。ボルヘスの作品はまったく異なり、どこまでが現実の情報で、どこからが非現実(創作)なのか、判断することができない。どちらがより優れている、ということではなく、混淆の度合いからして、まったくちがうのだ。あらゆる文章は書き留められた時点で、少なからず著者の創意が混ざってしまうものだ(すべてを現実そのままに書くことなどできない)。つまり、小説にかぎらず、あらゆる書物は現実と非現実の混淆物なのである。ボルヘスにおける「非現実の混淆」というのは、そういうレベルで起こっていることなのだ。

「トレーンの哲学者たちは真理を、いや真理らしきものをさえ探求しない。彼らが求めるのは驚異である。哲学は幻想的な文学の一部門である、と彼らは考える」(「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」より、25~26ページ)

 これはウクバールという架空の国について書かれた、「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」という短篇小説(この呼称が正しいものとは思えないほどだ)からの抜粋である。その国がどんなふうに発見されたかを読むだけで、上述した「混淆の度合い」云々についてははっきり理解してもらえることだろう。

「記憶に値する点はただひとつ。その記述によれば、ウクバールの文学は幻想的であり、その叙事詩や伝説はまったく現実とかかわりを持たず、ムレイナスとトレーンという、ふたつの架空の地方にまつわるものである……。文献に四冊があげられていたが、現在までのところ、それらに出会っていない。もっとも、三番目の本――サイラス・ハスラム著『ウクバールと呼ばれる国の歴史』1874年版――は、バーナード・クワリッチ書店の図書目録にのっている。一番目の本、『小アジアのウクバールという国にかんする、興味ぶかく読むに値する考察』は1641年の日付で、ヨハン・ファレンティン・アンドレーの作品である。この事実は意味がある。二年後に、わたしは思いがけずド・クィンシーの本(『著作集』第十三巻)のなかでその名前に出くわし、それがドイツの神学者の名前であること、彼は十七世紀の初葉に薔薇十字という空想の共同体について記述していること、そしてこの共同体は彼が予測したところにならって、他の人びとによって設立されたこと、などを知ったのである」(「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」より、17ページ)

 わたしはボルヘスの対談や評論をすでに読んでいるので、ド・クィンシーが彼のお気に入りの作家であることを知っている。だから、ここでド・クィンシーの名が登場していることに特段驚きはしないのだが、そういった知識なしに読んだとき、書店で見かけることのできる現実の作家の名がここに出てくることの不思議に、大変驚かされることだろう。それこそがまさしく、八年前の自分に起こったことなのだ。

「この素晴らしい新世界(ブレイヴ・ニュウ・ワールド)は、一人の隠れた大天才にひきいられた天文学者、生物学者、技術者、哲学者、詩人、化学者、代数学者、倫理学者、画家、幾何学者などの秘密結社の創作物であると推定された」(「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」より、21~22ページ)

「誰ひとりとして名詞の実在性を信じないという事実が、逆説的ながら、その数を無限のものにしている。トレーンの北半球の言語は印欧語のあらゆる名詞と、はるかに多数の他の名詞とを所有する」(「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」より、24ページ)

「トレーンとの接触やその習俗はこの世界を崩壊させた。その精密さに魅惑された人類は、これがチェスの名手の精密さであって天使のそれではないことを忘れる。くり返し忘れる」(「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」より、39ページ)

 同じような、なんと言えばいいのだろう、どこからが創作なのかまったくわからない、しかも説得力抜群の空想が、もちろんほかの作品からも、いくらでも挙げられる。これを魔術と呼ばずして、なんと呼べばいいのか。

「『アル・ムターシムを求めて』の最初の版(エディティオ・プリンケプス)は1932年の暮れにボンベイで出た。用紙はほとんど新聞のもので、表紙ははっきりと、その本がボンベイ市生まれの男によって書かれた最初の探偵小説であることを買い手に示していた。数ヵ月のうちに、各刷千部で第四刷まで売り切った。「季刊ボンベイ評論」、「ボンベイガゼット」、「カルカッタ評論」、「ヒンドスタン評論」(アラハバッド)、そして「カルカッタ・イングリッシュマン」が賛辞を送った。それを見てバハドゥールは、「アル・ムターシムと名のる男との対話」という題をつけ、「動く鏡のたわむれ(ア・ゲイム・ウィズ・シフティング・ミラーズ)」というしゃれた副題を添えた挿絵入りの版を出した。この版こそ、ドロシー・L・セイヤーズの序文を付し、(おそらく好意からだろうが)挿絵をはぶいて、最近ヴィクトル・ゴランツ社がロンドンで刊行したものである。わたしが目の前に置いているのもそれだ。初版にはついにめぐり会えなかった。初版のほうがすぐれていると想像する。そう考える理由は、1932年の初版と1934年の版の根本的な異同を要約した付録である」(「アル・ムターシムを求めて」より、42ページ)

「今日の書物が遠い昔のものに由来するのは名誉なことだと思われる。なぜならば、同時代の人間に負い目があるということは、(ジョンソンもいったとおり)何人にとっても好ましくないからだ。ジョイスの『ユリシーズ』とホメーロスの『オデュッセイア』の多くの、だが意味のない一致は――わたしにはその理由が分からないが――いまだに軽率な批評家たちの賞賛の的となっている。バハドゥールの小説とファリッド・ウッ・ディン・アッタールの尊重すべき『鳥の会話』との一致は、ロンドンで、いや、アラハバッドやカルカッタで、あれにおとらぬくらい不可解な賞賛を博している」(「アル・ムターシムを求めて」より、49ページ)

 ところで、先のド・クィンシーも含めて、ボルヘスが頻繁に言及する作家は以下のとおり、『工匠集』の「プロローグ」中に簡単に列挙されている。

ショーペンハウアー、ド・クィンシー、スティーヴンソン、モースナー、ショー、チェスタートン、レオン・ブロワなどが、わたしが絶えず読み返している作家たちの雑多なリストにふくまれている」(「プロローグ」『工匠集』より、144~145ページ)

 まず、文中の「モースナー」というのはフリッツ・マウトナーのことらしい。かく言うわたしも、だれだかわからなかったので検索したのだが、その結果、篠田一士が同じ間違いをしていたという高山宏の指摘を見つけたのだ。英語ふうの「モースナー」としてしまったのは、綴り「Mauthner」が招いたミスにちがいない。なにせ、ボルヘスというのは基本的に、英語での読書、英米文学をその背骨としている作家なのだ。そして、古英語に対する強い関心がもたらしたものなのか、同じゲルマン諸語で書かれたドイツ文学にも非常に明るい。もちろん彼の母語はスペイン語であり、また同じロマンス諸語のイタリア語やフランス語も解したにちがいないのだが、どういうわけか、とくにフランス文学については、フロベールなどを除いて、あまり言及されている印象がないのだ。ここで唐突に現れるレオン・ブロワの名には、ちょっと唐突すぎるというか、妙な違和感を覚える。

 そこで見てみたいのが、「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」である。ピエール・メナールはその名が示すとおりフランス人という設定であるが、彼が選んだのはフランス文学ではなく、セルバンテスだったのだ。

「彼はべつの『ドン・キホーテ』を書くこと――これは容易である――を願わず、『ドン・キホーテ』そのものを書こうとした。いうまでもないが、彼は原本の機械的な転写を意図したのではなかった。それを引き写そうとは思わなかった。彼の素晴らしい野心は、ミゲル・デ=セルバンテスのそれと――単語と単語が、行と行が――一致するようなページを産みだすことだった」(「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」より、58~59ページ)

「『ドン・キホーテ』は――とメナールはわたしにいった――何よりもまず、愉快な本だった。それが今では、愛国心あふれる乾杯、文法上の思い上がり、みだりがわしい豪華版などのための恰好な口実でしかなくなった。名声はすなわち無理解、それもおそらく最悪の無理解なのだ」(「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」より、67ページ)

 おもしろいのが、『ドン・キホーテ』はメナールの「目には見えない作品」ということになっているのだが、反対に「目に見える作品」のほうには、ヴァレリーを含め、フランス文学の作家の名が散見されるのだ。

「(o) ポール・ヴァレリーの『海辺の墓』のアレクサンドラン格による書き換え(「N・R・F」1928年1月号)」(メナールの目に見える作品リストより、「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」より、56ページ)

 極めつけは以下の一節である。これは、半分くらいボルヘスの本心を反映しているのだと考えても差し支えないだろう。

「それにしても、なぜ『ドン・キホーテ』なのか、と読者はいうかもしれない。この選択もスペイン人の場合ならば、説明不可能ではないだろう。しかし、ニーム象徴主義者であって、エドモンド・テストを産んだヴァレリー、その彼を産んだマラルメ、その彼を産んだボードレール、その彼を産んだポーをとりわけ熱愛する者の場合には、たしかに説明不可能である」(「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」より、61ページ)

 ここには、ボルヘスが抱くフランス文学への印象が現れているように思えるのだ。つまり、ヴァレリーの系譜を辿っていけば、結局はアメリカ文学、ポーに辿り着く、と。もちろん、ある部分ではきっとそれは正しいのだろうし、間違っているなどと断言できるほどの知識はわたしにはないわけだが、ボルヘスのなかでのフランス文学というものの位置づけが、イギリスやアメリカ、ドイツ文学と比して、あまり大きなものでなかった、というのは疑いないだろう。まあ、そもそも作家の国籍などは重要ではないし、国ごとに傾向を分けようとすることなどにボルヘスが賛成するわけがない、と言ってしまえば、ただそれだけの話なのであるが。

 閑話休題ボルヘスは「作家のための作家」と形容されてきた事実からも察せられるとおり、書物を題材にした作品が非常に多い。というか、書物や作家が関わってこない作品を見つけることのほうが難しいくらいだ。その理由は、「ハーバート・クエインの作品の検討」が教えてくれているように思う。

「すぐれた文学は非常にありふれたもので、その域に達していないような街の会話はほとんどない」(「ハーバート・クエインの作品の検討」より、94ページ)

「クエインは、読者はすでに絶滅した種である、とよくいった。ヨーロッパ人で、と彼は語った、潜在的に、あるいは現実に、作家でない者はいない」(「ハーバート・クエインの作品の検討」より、100ページ)

 ちなみに、この「ハーバート・クエインの作品の検討」には、こんなおもしろい小説が紹介されていた。カルヴィーノあたりが実現してくれそうな構成である。

「『エイプリル・マーチ』が提示する世界は逆行的ではない。その語り口がそうなのだ。すでにいったとおり、逆行的で分岐的なのだ。十三の章が作品を構成している。第一章は、プラットフォームに立つ見知らぬ男たちの曖昧な会話を伝えている。第二章は、第一章の前夜の出来事を物語る。第三章もやはり逆行的で、第一章の考えられる「べつの」前夜の出来事を、第四章はさらにべつの前夜の出来事を物語っている。それら三つの前夜のそれぞれが(厳しくたがいを排除しながら)、性質の大いにことなる三つのべつの前夜に分岐する。したがって作品全体は九つの小説から、そして各小説は三つの長い章から成り立っている(もちろん、第一章はすべてに共通する)」(「ハーバート・クエインの作品の検討」より、96~97ページ)

 それから書物以外にも、無限や永遠性、それを示すものとしての迷路、円環、鏡、虎(その模様が永遠性を想起するのだろう)なども、ボルヘスを読んでいる最中には何度も何度も目にする言葉である。

「くり返されれば、無秩序も秩序に、「秩序」そのものになるはずだ」(「バベルの図書館」より、116ページ)

「ライトがプラットフォームを照らしていたが、子供たちの顔は影になっていた。一人がわたしに訊いた。スティーヴン・アルバート博士の家に、行くの? 答えを待たずに、もう一人がいった。その家はここから遠いよ。でも、この道を左へ行って、交差点に出るたびに左へ曲がれば、迷うことなんかないよ」(「八岐の園」より、125ページ)

「われわれは先に延ばせることはすべて、一寸延ばしにして生きている。おそらく、われわれは心の底では、自分たちは不死の存在であって、あらゆる人間が遅かれ早かれ、あらゆることを行ない、あらゆることを知りうると信じているのだ」(「記憶の人、フネス」より、156~157ページ)

「一人の人間のすることは、いってみれば万人のすることです。ですから、ある庭園で行なわれた反逆が全人類の恥となっても、おかしくはないわけです。また、一人のユダヤ人の磔刑が全人類を救っても、決しておかしくはないのです」(「刀の形」より、167ページ)

「べつの部屋から、無限にもつれてほどける、いわば貧弱この上ない迷路であるギターの音が聞こえていた」(「結末」より、223ページ)

「人間は時間のなかに、連続のなかに生きているが、魔性の動物は現在に、瞬間の永遠性のなかに生きているのだから、彼らはいわばガラスでへだてられているのだ」(「南部」より、239ページ)

 お気づきと思うが、「交差点に出るたびに左へ曲がれば」、それは結局は円環をなして、無限ループのなかに取り込まれるということだ。こんな道案内、聞いたことがない。「南部」のなかには、こんな文章もあった。

「その男はさらに説明を加えたが、ダールマンはそれを理解しようと、いや聞こうとさえしなかった。事実のメカニズムには関心がなかったからだ」(「南部」より、241ページ)

 上述したマジック・リアリズムのことを念頭に置くなら、「事実」は「現実」と言い換えることもできるだろう。これはボルヘスそのものだ。現実と非現実の境目が見えないとき、「事実のメカニズム」にはなんの意味もない。

「あれほど下劣な男のいだく憎悪は一種の賛美だ」(「アル・ムターシムを求めて」より、44ページ)

「彼はわざとひと晩、夢をみなかった」(「円環の廃墟」より、76ページ)

バビロニアのすべての男のように、わたしはかつて地方総督だった」(「バビロニアのくじ」より、81ページ)

「くじ引きは世界の秩序のなかへの偶然の投入であり、誤りを受け入れることは偶然に逆らうことではなく、それを確証することである」 (「バビロニアのくじ」より、87ページ)

「名誉と知識と幸福がわたしのものでないのなら、そんなものは他人にくれてやろう。わたしの場所は地獄であってもよいから、天国を存在せしめよ。わたしは凌辱され滅ぼされようとかまわない。しかし一瞬によって、ある存在によって、「あなたの」広大な図書館の存在は正当化されなければならないのだ」(「バベルの図書館」より、112~113ページ)

 さて、ここまではかなり性格の悪い、穿った見方をしてきたが、それはただボルヘスにつきまとう「わけのわからなさ」をすこしだけでも噛み砕いてみようと試みただけで、わたしが上に述べたようなことはすべて無視してしまっても、ボルヘスの小説の楽しさはすこしも揺るがない。単純に物語として読んだときにも、美しい描写の数々が驚かせてくれるにちがいないのだ。

「わたしは臆病者である。いまだから、誰にも危険でないとはいわせない計画を遂行したいまだからいうのだが、その実行は困難なものだった」(「八岐の園」より、122ページ)

「暑い一日のあとで、スレート色の大きな黒雲が空をおおっていた。南風が吹きすさび、すでに木々は狂ったように揺れていた。わたしは、野原のど真ん中で激しい雨に襲われるのではないかという不安(期待)を抱いていた。わたしたちは嵐と、いわば競争をしていた」(「記憶の人、フネス」より、149ページ)

「真昼の十二時の耐えがたい白熱の太陽は、日没に先だつ黄色い太陽になっていた。それも間もなく赤に変わるだろう。汽車も違うものになっていた。コンスティトゥシオン駅でプラットフォームを離れたときのそれではなかった。平原と時刻が呪いをかけて変えてしまったのだ」(「南部」より、241ページ)

 なかには「死とコンパス」のような、チェスタトンへの愛および敬意を表明するために書かれたような作品もあり、これなどは『木曜日だった男』『ブラウン神父の無心』と同じ気分で読める。

「「むずかしく考えることはない」と、偉そうに葉巻を振りまわしながら、トレヴィラヌスはいった。「ガリラヤの太守がじつにみごとなサファイアを持っていることは、みんなが知っている。何者かがそれを盗むつもりで、間違ってここへ入ったんだ。ヤルモリンスキーが起きていたので、泥棒は殺さざるをえなかった。どうだね、これで?」
 「そのとおりかもしれません。しかし、おもしろくはないですね」と、レンロットは答えた。「真実はおもしろくある義理はない、とおっしゃりたいのでしょう。わたしは、真実にはその義理はないが、仮定の場合はそうではない、と反論したいですね」」(「死とコンパス」より、181ページ)

 ボルヘスの作品はおしなべて、黄金しか産出しない鉱山である。美しい一文を探すのには苦労しない。どこを切り取っても美しいので、あらゆる引用が矮小化のように感じられてしまうほどだ。

「わたしは、人間が他人たちの敵となったり、他人たちのべつの瞬間の敵だったりすることはあるが、ひとつの国の敵であることはできない、つまりホタルや、ことばや、庭園や、水の流れや、西風の敵であることはできない、と思った」(「八岐の園」より、127ページ)

「考えるということは、さまざまな相違を忘れること、一般化すること、抽象化することである。フネスのいわばすし詰めの世界には、およそ直截的な細部しか存在しなかった」(「記憶の人、フネス」より、160ページ)

「やがて彼は、現実はおおむね予想とは一致しないことに気づいた。妙な論理だが、ある情況の細部の予見によってそれが起こるのを防げると結論した。彼はこの心許ない魔術的論理に忠実に、まさに起こらしめないために恐ろしい細部を練りあげていき、当然のことながら最後には、それらの細部が予言となることを恐れた」(「隠れた奇跡」より、203~204ページ)

「フラディークは韻文を好んでいた。芸術の条件である非現実性を、観客が忘れるのを防いでくれるからである」(「隠れた奇跡」より、205ページ)

 ボルヘスとは、もっと早く再会しているべきだったのだろう。『伝奇集』はすいすい読めるような本ではないので、八年前の混乱がその後もずっと、わたしを彼の小説作品から遠ざけていた。いま、対談や評論を通じて、その混乱はすこしばかり緩和されたように思っている。

「その物語のいっさいはある有名な本のなかにひそんでいて、わたし自身はそれを発掘した、あるいはそれを世に出した者にすぎない」(「プロローグ」『工匠集』より、144ページ)

「あなたはわたしを読んでいるが、果たして、わたしの言語を理解しているという確信があるだろうか?」(「バベルの図書館」より、114~115ページ)

 ハロー、ボルヘス。しばらくは付きまとわせていただく。

伝奇集 (岩波文庫)

伝奇集 (岩波文庫)