こころ
谷川俊太郎がいなかったら、現代詩、いや、もっと広義に詩そのものが、われわれにとってこれほど身近なものでなかったことは疑いない。そんなことを考えたのは、たまたま手に入ったこの本が、谷川俊太郎にとっていったい何冊目の詩集なのかを調べようとして、とてもじゃないが調べきれない、ということに気づいたからである。このひと、いったい何冊の詩集を出しているんだろう。思えば、ここで最後に谷川俊太郎の本を紹介したのは、もう6年も前だが、あのときの『詩の本』は、過去の作品をまとめた選集の趣が強く、新作詩集というのではなかった。そういう選集をも含めたら、ほんとうにもう、何冊あるのかなんて数えきれない。詩との距離感を考えるとき、谷川俊太郎が現代に果たした、そしていまでも果たしつづけている役割は、途方もなく大きい。
これは2008年から2013年まで朝日新聞に連載されていた「今月の詩」をまとめたもので、つまりは純然たる新作詩集である。すでにあれほどまでに多くの傑作を残している詩人が、新作ばかりを収めた詩集をいまだに刊行している、というのは、ちょっとものすごいことだ。谷川俊太郎の詩の泉は、けっして枯れることがない。
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彼女を代弁すると
「花屋の前を通ると吐き気がする
どの花も色とりどりにエゴイスト
青空なんて分厚い雲にかくれてほしい
星なんてみんな落ちてくればいい
みんななんで平気で生きてるんですか
ちゃらちゃら光るもので自分をかざって
ひっきりなしにメールチェックして
私 人間やめたい
石ころになって誰かにぶん投げてもらいたい
でなきゃ泥水になって海に溶けたい」
無表情に梅割りをすすっている彼女の
Tシャツの下の二つのふくらみは
コトバをもっていないからココロを裏切って
堂々といのちを主張している
(「彼女を代弁すると」、10~11ページ)
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さて、この「彼女を代弁すると」は、本を開いてかなり早くに出会う詩なのだが、いま思うと、この詩集に収められた60篇のなかでも、これがいちばん衝撃的な詩かもしれない。というか、谷川俊太郎のあらゆる詩作品のなかでも、これほどまでに厭世が短く直接的に書かれた詩は、けっして多くはないだろう。「谷川俊太郎の詩」という一般的イメージから喚起されるものとは、あまりにかけ離れているように思えるのだ。「みんななんで平気で生きてるんですか」。「私 人間やめたい」。どうしようもないほどに、突き刺さってくる。結局だれなのかはわからない「彼女」の、代弁された言葉の純度が高すぎて。
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捨てたい
私はネックレスを捨てたい
好きな本を捨てたい
携帯を捨てたい
お母さんと弟を捨てたい
家を捨てたい
何もかも捨てて
私は私だけになりたい
すごく寂しいだろう
心と体は捨てられないから
怖いだろう 迷うだろう
でも私はひとりで決めたい
いちばん欲しいものはなんなのか
いちばん大事なひとは誰なのか
一番星のような気持ちで
(「捨てたい」より、38~39ページ)
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孤独
この孤独は誰にも
邪魔されたくない
と思った森の中のひとりの午後
そのひとときを支えてくれる
いくつもの顔が浮かんだ
今はここにいて欲しくない
でもいつもそこにいて欲しい
いてくれるだけでいい
いてくれていると信じたい
嫌われているとしても
嫌われることでひとりではない
忘れられているとしても
私は忘れない
孤独はひとりではない
(「孤独」、110~111ページ)
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欲求としての「捨てたい」も、「彼女を代弁すると」と親和性が高いものだろう。そして「孤独」は、その欲求の果てにあるもの、という気がしている。だから、並べて置いてみたい、と思ったのだ。
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心の居場所
今日から逃れられないのに
心は昨日へ行きたがる
そわそわ明日へも行きたがる
今日は仮の宿なのだろうか
ここから逃れられないのに
心はここから出て行きたがる
どこか違う所へ行きたがる
行けばそこもここになるのに
宇宙の大洋に漂う
小さな小さなプランクトン
自分の居場所も分からずに
心はうろうろおろおろ迷子です
(「心の居場所」、108~109ページ)
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題名が『こころ』となっていることからも察せられるとおり、語句としての「心(こころ、ココロ)」は、この詩集では数えきれないほどに登場してくる。「心」という言葉が一度も用いられていない詩のほうが少ないのでは、と思ってしまうほどだ。「ここから逃れられないのに/心はここから出て行きたがる/どこか違う所へ行きたがる/行けばそこもここになるのに」。この詩行を読んだときには、コクトーをはじめ、以下のたくさんの言葉たちが自分のなかで溢れた。
「ある町と町のあいだに、一人の貧しい旅行者がいる。彼が町に残してきたもの、それはもう彼のものではない。彼がこれから町で求めるもの、それはまだ彼のものではない」(コクトー『ポトマック』、196ページ)
「ここからやがて立ち去る、そう感じるだけで、まだ手で触われる一切のものが、いわばつい隣にあったその実在性をほとんどたちまちのうちに失ってしまうのです」(ヴァレリー『ムッシュー・テスト』、45~46ページ)
「私は二つの町のあいだにいるのだ。一方はまだ私を知らず、他方はもう私のことを憶えていない町である」(サルトル『嘔吐』、282ページ)
リルケの『マルテの手記』にも、こういうものがあったと思うのだが、手元にないので調べられなかった。でも、谷川俊太郎の主体の場合、じっさいには「逃れられない」。そういう意味では、ロジェ・グルニエが「沈黙」で語っていたチェーホフ的人物のほうが、より近いのかもしれない。「すべてを捨ててモスクワへ、よりよい生活にむけて出発するのだ、と言う。が、けっして実行はしない」(ロジェ・グルニエ『フラゴナールの婚約者』、206ページ)。
心は、ほんとうにどこにでも登場してくる。そして、言葉というのはいつも、心の不断の動きを捉えるにはあまりに不向きで、変幻自在の行き来を「標本のように留めてしまう」。
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心よ
心よ
一瞬もじっとしていない心よ
どうすればおまえを
言葉でつかまえられるのか
滴り流れ淀み渦巻く水の比喩も
照り曇り閃き翳る光の比喩も
おまえを標本のように留めてしまう
音楽ですらまどろこしい変幻自在
心は私の私有ではない
私が心の宇宙に生きているのだ
光速で地獄極楽を行き来して
おまえは私を支配する
残酷で恵み深い
心よ
(「心よ」、68~69ページ)
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ああ、これは谷川俊太郎らしいな、と思ったのが、以下の「私の昔」。使われている言葉の性格からも、詩人のデビュー作、『二十億光年の孤独』を思い出さずにはいられない。
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私の昔
私の昔はいつなんだろう
去年がまるで昨日のようで
子ども時代もまだ生々しくて
生まれた日から今日までが
ちっとも歴史になってくれない
還暦古稀から喜寿傘寿
過ぎればめでたい二度童子(にどわらし)
時間は心で伸びて縮んで
暦とは似ても似つかない
私の昔はいつなんだろう
誕生以前を遡り
ビッグバンまで伸びているのか
(「私の昔」、98~99ページ)
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詩がどのように生まれるか、というより、発生するかを描いた、「問いに答えて」も、すばらしかった。「心が活字の群れを〈詩〉に変える」という詩行は、ちょっと忘れがたい。
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問いに答えて
悲しいときに悲しい詩は書けません
涙こらえるだけで精一杯
楽しいときに楽しい詩は書きません
他のことして遊んでいます
詩を書くときの心はおだやか
人里離れた山間のみずうみのよう
喜怒哀楽を湖底にしずめて
静かな波紋をひろげています
〈美〉にひそむ〈真善〉信じて
遠慮がちに言葉を置きます
あなたが読んでくだされば
心が活字の群れを〈詩〉に変える
(「問いに答えて」、90~91ページ)
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また、朝日新聞のこの連載が2008年から2013年までのもの、つまり、あいだに東日本大震災を経験したものであることを忘れることはできない。ここでの引用は控えたが、「シヴァ」という詩にいたっては、当時は掲載を見合わせられたとのこと。以下の「言葉」も、そういう背景を意識して読むと、鮮烈である。
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言葉
何もかも失って
言葉まで失ったが
言葉は壊れなかった
流されなかった
ひとりひとりの心の底で
言葉は発芽する
瓦礫の下の大地から
昔ながらの訛り
走り書きの文字
途切れがちな意味
言い古された言葉が
苦しみゆえに甦る
哀しみゆえに深まる
新たな意味へと
沈黙に裏打ちされて
(「言葉」、78~79ページ)
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それから、以下の「記憶と記録」は、被災された方々への、詩人なりのエールのように思えた。でも、谷川俊太郎は誇張しないし、必要以上には励まそうともしない。きっと、言葉が有効でいられる範囲を、だれよりも深く理解しているから。
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記憶と記録
こっちでは
水に流してしまった過去を
あっちでは
ごつい石に刻んでいる
記憶は浮気者
記録は律義者
だがいずれ過去は負ける
現在に負ける
未来に負ける
忘れまいとしても
身内から遠ざかり
他人行儀に
後ろ姿しか見せてくれない
(「記憶と記録」、120~121ページ)
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気に入ったものは、ほかにもたくさんある。恋愛を詠ったものにも、すばらしいものがたくさんあった。
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水のたとえ
あなたの心は沸騰しない
あなたの心は凍らない
あなたの心は人里離れた静かな池
どんな風にも波立たないから
ときどき怖くなる
あなたの池に飛びこみたいけど
潜ってみたいと思うけど
透明なのか濁っているのか
深いのか浅いのか
分からないからためらってしまう
思い切って石を投げよう あなたの池に
波紋が足を濡らしたら
水しぶきが顔にかかったら
わたしはもっとあなたが好きになる
(「水のたとえ」、22~23ページ)
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目だけで
じっと見ているしかない
いやじっと見ているだけにしたい
手も指も動かさずふんわりと
目であなたを抱きしめたい
目だけで愛したい
ことばより正確に深く
じっといつまでも見続けて
一緒に心の宇宙を遊泳したい
そう思っていることが
見つめるだけで伝わるだろうか
いまハミングしながら
洗濯物を干してるあなたに
(「目だけで」、58ページ)
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それから、ものすごく気に入ってしまって、どうにも頭から離れないのが、以下の「シミ」。最後の一行が、とても気になる。
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シミ
妬みと怒りで汚れた心を
哀しみが洗ってくれたが
シミは残った
洗っても洗っても
おちないシミ
今度はそのシミに腹を立てる
真っ白な心なんてつまらない
シミのない心なんて信用できない
と思うのは負け惜しみじゃない
できればシミもこみで
キラキラしたいのだ
(万華鏡のように?)
(「シミ」、96ページ)
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谷川俊太郎、もっともっと読みたいな、と思った。代表作を集めたような、いわゆるベスト盤ではなく、単独刊行された詩集を手に取って、たとえばこの「シミ」みたいな、ベスト盤からは漏れてしまうであろう、地味な感動を求めていきたい。どれが選集でどれが新作詩集なのか、もはや判別すら難しいのが悩みどころだ。と言いつつも、一般に傑作と認められている谷川俊太郎の詩も、ほんとうにすばらしい、何度も読みたいものばかりである。それなら手当たり次第に手を伸ばしていけばいい、と、自分のなかから声がしている。