3冊で広げる世界:頭の悪すぎる英国紳士たち
文学作品の良し悪しを判断するうえで大切な要素のひとつに、笑いがある。かつて井上ひさしがどこかで「読者を泣かせることは簡単だが、笑わせることは難しい」と書いていた記憶があるが、ここに端的に表れているように、笑いをもたらすというのはとても高度な技術を必要とすることなのだ。
とはいえ、一言に「笑い」と言っても、そこには色々な種類がある。たとえばケストナーは、読者をすこやかな笑顔にする天才だ。いわば「にっこり」。また、レーモン・クノーはジャック・ルーボーは、その人を食った文章によって読者を「にやり」とさせることに異常なまでの才能を発揮している。現代の作家について言えば、ジョン・アーヴィングやミラン・クンデラ、イアン・マキューアンも、作中いたるところに「にやり」や「クスリ」を潜ませていると言えるだろう。でも、彼らのだれも、読者がおなかを痛めるほどの大爆笑を目的としているわけではない。彼らはその作品をユーモラスに書いている、というだけであって、ユーモアは目的ではなく、その叙述の過程なのだ。
さて、ここでは読者を窒息死させることを目的として書かれたにちがいない、おそろしく乱暴な3冊を紹介しよう。哄笑を誘うということは、それ自体すばらしく芸術的なことなのだと教えてくれる3冊である。
ジェローム『ボートの三人男』
ウッドハウス『ユークリッジの商売道』
ダグラス・アダムス『銀河ヒッチハイク・ガイド』
- 作者: ジェローム・K.ジェローム,丸谷才一
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2010/03/25
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 15回
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- 作者: P.G.ウッドハウス,P.G. Wodehouse,岩永正勝,小山太一
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2008/12/15
- メディア: 単行本
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- 作者: ダグラス・アダムス,安原和見
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2005/09/03
- メディア: 文庫
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正直に告白しよう。じつは3冊ともウッドハウスでも良かったのだ。でも、それだとこのシリーズの主旨に反するし、それにほかの2冊を並べることで、ウッドハウスの価値をさらに強調することができると感じたのである。問題はウッドハウスの作品からひとつだけを選ぶ、ということの困難なのだが、これについては後述する。
イギリスにはユーモア文学の伝統がある。このときわたしが「ユーモア」と呼んでいるのはブラックユーモアではなく、もっと直接的な笑い、すなわち哄笑のことだ。いわば「ゲラゲラ」。余談だがブラックユーモアは東欧やロシアにて(おそらくは慢性的な抑圧が原因で)異常な発展を遂げている。ゲラゲラ笑うよりも皮肉った笑いが好きな方は、まずは近代と現代を代表するウクライナの作家たち、すなわちゴーゴリとアンドレイ・クルコフを手にとってみるといいだろう。『鼻/外套/査察官』および『ペンギンの憂鬱』がおすすめである。
また脱線してしまったが、なにはともあれイギリスにはユーモア文学の伝統があるのだ。そして、その創始者と目される人物が、ジェローム・K・ジェロームである。彼は現代風に言うところの「一発屋」で、『ボートの三人男』という作品以外は、ほとんどまったく残っていない。ちなみに『ボートの三人男』の成功に気をよくして書かれた『自転車の三人男(Three Men on the Bummel)』という未邦訳作品があるのだが、駄作の気配があまりにも濃厚で、いまだに手を出せていない。恐いもの知らずな方は英語で探してみるといいかもしれない。
「一体ぼくは、いつも働くべき分量以上に多く働いているような気がする。誤解しないでほしいが、ぼくが仕事が嫌いだという訳ではない。ぼくは仕事が大好きだ。何時間も坐りこんで、仕事を眺めていることができる位なのだ。ぼくは仕事をそばに置いておくのが好きで、仕事から引離されるなどということは、考えただけでも胸が痛くなる。
ぼくはいくら仕事が多くても平気なのである。仕事を溜めておくということは、ぼくにとって、ほとんど情熱のようなものになっている。今では、ぼくの書斎は仕事が一杯になって、もうこれ以上仕事を置いておく余地がないくらいだ。もうじき建て増ししなければならないと思っている。
それにぼくは仕事に対して注意ぶかい。だから、ぼくが抱えている仕事のなかには何年間もぼくの所有に属していて、しかも指のあと一つついていないものもあるのだ。ぼくは自分の仕事にたいへん誇りをもっている。ときどき仕事をとりだして、ハタキをかけてみるくらいだ。仕事の保存状態がぼくよりもよい人は、あまりいないだろう」(『ボートの三人男』より、218ページ)
ジェロームは、そりゃあもう文句なしにおもしろいのだが、それでもたまにすべることがある。1889年に書かれたこの作品の重要性は、それまでだれも実践しなかった(にちがいない)、「ユーモア文学」という新たな文学形式の可能性を世に知らしめた点に尽きる。もちろん、百発百中で笑えるなんて、そうそうあることではない。だが、ジェロームの目指したものの継承者として20世紀に颯爽と登場したウッドハウスは、それを可能にしたのだ。
ウッドハウスにいたっては、一度読んでしまうと、もう彼の著作を手に取るだけで笑いがこみあげてくるようになる。もはや呪いのレベルである。彼の文章はシェイクスピアのように流麗で、シェイクスピアとまったく同様、ストーリーとはまるで関係のないところに美しい文句が溢れている。とりわけ彼の比喩の使い方は、20世紀以降のすべての作家の手本となるべき、すばらしいものだ。
「水盥の後ろで寝ていた犬が片目を開けてロード・エムズワースを見た。何の変哲もない毛深い犬だが、あくどい信用詐欺に引っかけられたのではと警戒する株屋のように冷たい、用心深く疑わしそうな目付きをしていた」(『エムズワース卿の受難録』より、166ページ)
「僕は油断なく目を配りながらホールを移動した。煉瓦のかけらを手にした子供があちこちに潜んでいる、見知らぬ路地に迷い込んだ野良猫のように緊張していた」(『ユークリッジの商売道』より、168ページ)
「僕は部屋の隅にそっと避難し、新米の猛獣使いの心境を味わっていた。どうしたわけかライオンの檻に閉じ込められてしまい、こういう場合の対処法が書いてある通信教育の第三課を必死に思い出そうとしている心境だ」(『ユークリッジの商売道』より、351ページ)
ウッドハウスの作品のなかから1冊を選ぶうえで立ちはだかるのが、その豊富さの問題だ。すべてが良質という喜ばしい悩みだけではなく、作品数が非常に多いのだ。おまけに、作品はいくつかのシリーズとして展開されていることが多く、ジーヴス、ブランディングス城、マリナー氏、ドローンズ倶楽部などなど、登場人物たちもシリーズによって異なってくる(一部重複もしている)。自分の楽しみのためにリストを作成してみようと思ったのだが、すでに詳細をきわめるリストがWikipediaに存在していた。熱心なファンの方によるものにちがいない、すばらしい労作なので、ここであわせて紹介しておく。
Wikipedia日本語版「P・G・ウッドハウスの著作一覧」
Wikipedia日本語版「P・G・ウッドハウスの短編小説の一覧」
さて、熟考のうえ今回選んだのが、『ユークリッジの商売道』である。ユークリッジは四六時中金儲けのことばかり考えているという愛すべき男で、この文藝春秋版の翻訳には『Ukridge』という題のもとに1924年に刊行されたすべての作品が収められている。ここでちょっと翻訳の問題について付言しておこう。ウッドハウスの邦訳は現状、国書刊行会の森村たまき訳と文藝春秋の岩永正勝・小山太一のタッグに代表されているが、個人的な印象としては、文藝春秋の翻訳のほうがこなれた日本語になっている。ただ、森村たまきの国書刊行会版が原書一巻をそのまま翻訳する傾向があるのに対して、文藝春秋のタッグは、選集を編訳しているのだ。「すべてのウッドハウスを読みたい!」と願っているわたしのような読者は、割愛された作品に想いを馳せざるを得ない。その点、この『ユークリッジの商売道』は例外的に原書一巻がまるまる訳出されているので、詐欺にあったような気分になることもないのである。
「「ひと財産作りたくないか?」
「作りたい」
「じゃ、我輩の伝記を書け。思いっきり書いて、上がりは二人で山分けだ。ここしばらく、貴公の書いたものをじっくり読んでみたが、どれもなっちゃいない。何がいかんというに、貴公は人間の心という泉の深さを知らんのだな。ろくでもない与太話をでっち上げて、ちまちま書きつけているにすぎん。ひとつ、我輩の生き様に取り組んでみろ。これこそ書くに値するテーマだ。金はザクザク――イギリスで連載、アメリカで連載、両方の単行本の印税、舞台化の権利金に映画化の権利金――まあ、固く見積もっても、それぞれ五万ポンドにはなるな」
「そんなに?」
「固い線だ。そこでだな、こうするとしよう、な。貴公はいいやつだし長年の親友だから、イギリスでの連載の版権、我輩の取り分は百ポンドで譲ろう」
「ぼくが百ポンド持ってるなんて、どうして思うんだ?」
「じゃあ、イギリス版権にアメリカでの連載料も添えて、五十」
「おい、襟がボタンから飛び出してるぞ」
「ええいっ、全ての権利をひっくるめて、二十五でどうだ」
「おあいにくさま」
「じゃあ、致し方ない」ユークリッジはふと思いついたように言った。「当座のつなぎに半ポンド貸してくれ」」(『ユークリッジの商売道』より、13~14ページ)
ちなみに批判めいたことを書いてはみたものの、ウッドハウスを原書で読むのは至難の業である。わたしは英語はべつに得意ではないが毎日仕事で使っており、英語で書かれた本を読むことにもそれほど抵抗を感じないが、正直なところウッドハウスには何度も撃沈させられている。ほんの百年前の文章だというのに、そのあまりの語彙の豊富さゆえに、辞書ばかり引いていて肝心の読書が遅々として進まず、そのためこの作家の持ち味である小気味良いテンポを、わたしの場合英語では存分に味わうことができないのだ。翻訳があるということのありがたさを痛感する作家のひとりであり、そういう意味でも彼はわたしにとってシェイクスピアのような存在である。批判などしていられるわけがない。森村たまきがすこし前に達成した「ジーヴスもの全14冊完訳」という偉業が、日本の翻訳史に燦然と輝く星であることは間違いない。
「僕は雄叫びを上げて椅子から飛び上がり、樟脳の臭いを撒き散らしながら階段を駆け下りた。ハムレット並の劇的シーンとはいいかねたが、僕はハムレット的な殺意を抱いていた」(『ユークリッジの商売道』より、103ページ)
さて、最後の一人、ダグラス・アダムスである。彼ほど明瞭にウッドハウスの影響を告げてくれるイギリス人作家はそういない。ただ、アダムスの場合は長篇小説によってその影響を告白しているので、ウッドハウスのちょっとした着想だけで書かれたような短篇より、もっと綿密な筋書きを感じさせる作家だ。とはいえ、彼が自分の作品に選んだのは、SFであった。じっさいのところ、荒唐無稽であろうとするうえで、SFほどすばらしい形式もないのだ。
「宇宙は大きい。むやみに大きい。言っても信じられないだろうが、途方もなく、際限もなく、気も遠くなるほど大きい。薬局はものすごく遠くて行く気になれないと言う人もいるかもしれないが、宇宙にくらべたらそんなの屁でもない」(『銀河ヒッチハイク・ガイド』より、104ページ)
「アーサーはしばらく耳を傾けていたが、フォードの言うことはほとんどちんぷんかんぷんだったので、いつのまにか聞くのをやめて別のことを考えはじめていた。なんに使うのかわからないコンピュータがずらりと並んでいて、そのふちを指でなぞっているうちに、手近のパネルに大きな赤いボタンがついているのに気づいた。それがいかにも押してくださいと言っているようで、なんの気なしに押してみた。パネルがぱっと明るくなり、「このボタンを二度と押さないでください」と表示された。アーサーは身ぶるいした」(『銀河ヒッチハイク・ガイド』より、127ページ)
アダムスをウッドハウスと比較するのはフェアなことではない。ウッドハウスほどの作家が歴史上に存在していたということが、そもそも驚くべきことなのだから。アダムスはジェローム同様、たまにすべるが、すべっていても読み続けたくなる作家である。これほど無害かつすいすい読める本もそうそうないので、今回の3冊中最初に選ぶにはうってつけだ。
「ミスター・プロッサーは言った。「提案とか抗議とかがしたければ、前もって申し出ればよかったんですよ」
「前もって?」アーサーはわめいた。「前もってだって? 初めてこの話を聞いたのは、昨日作業員がうちに来たときなんだぞ。窓拭きにでも来たのかと訊いたら、いいえこのうちを壊しに来ましたって言うじゃないか。もちろんすぐにそう言ったわけじゃない。とんでもない。まず窓を二、三枚拭いてみせて、五ポンド頂きますと来た。そのあとだ」
「ですがね、ミスター・デント、計画はもう九か月も前から地元の設計課で閲覧できるようになってたんですよ」
「そうだろうとも。話を聞くなりまっすぐ閲覧しに行ったよ、昨日の午後に。あんたたち、あの計画を告知しようとちょっとは努力したのか。つまり、少しは人なりなんなりに話をしたんですかってことだ」
「ですがね、計画書は貼り出して……」
「なにが貼り出してだよ。わざわざ地下室まで降りていかなきゃ見られなかったんだぞ」
「だって、地下が掲示場所ですからね」
「懐中電灯を持ってだぞ」
「そりゃ、たぶん電灯が切れてたんでしょう」
「電灯だけじゃない、階段まで切れてたよ」
「ですがね、いちおう告知はしてあったわけでしょ?」
「してあったよ」とアーサー。「もちろんしてあったさ。鍵のかかったファイリング・キャビネットの一番底に貼り出してあったよ。しかもそのキャビネットは使用禁止のトイレのなかに突っ込んであって、ごていねいにもトイレのドアには『ヒョウに注意』と貼り紙がしてあった」」(『銀河ヒッチハイク・ガイド』より、13~14ページ)
ウッドハウスの遺したものの大きさは計り知れず、現代のイギリス人作家のだれもが影響を受けていると言っても言い過ぎではないだろう。マキューアンなんて絶対大ファンだ、と、わたしは信じて疑わない。ウッドハウスがすこしでも多くの読者を獲得し、すこしでも多くの邦訳が世に出ることを願ってやまない。
- 作者: ジェローム・K.ジェローム,丸谷才一
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- 作者: P.G.ウッドハウス,P.G. Wodehouse,岩永正勝,小山太一
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