仮面の商人
小笠原豊樹の訃報が届いてから、早くも一週間が経った。一週間前、ちょうど『背骨のフルート』について書いたころであるが、わたしは自分でも驚くほど打ちのめされてしまっていて、ひどく沈んでいたものだ。自然、追悼の気持ちが高まってきて、はからずも生前最後の訳書のひとつとなった、先月出たばかりのトロワイヤを手にとった。しんみりした気持ちで読みはじめたのだが、ここで、大きな変化が生じた。あまりのおかしさ、おもしろさに、哀悼の念などそっちのけで、貪るように読みふけってしまったのだ。わたしはこの本を、文字通り一日で読み終えた。それくらい、手に吸いついて離れなかったのだ。読み終えたときはもう晴れやかな気分で、泣きたいほど嬉しかった。
アンリ・トロワイヤ(小笠原豊樹訳)『仮面の商人』小学館文庫、2014年。
本の裏表紙にさえ書かれていることなので、ちょっとだけ内容を話してしまおう。これは三部構成の小説で、第一部は19世紀的な野心的新人作家、ヴァランタン・サラゴスによって語られている。第二部になると途端に20世紀、すでに作家は没した後で、無名だった彼は皮肉にも人気作家となっており、作家の甥はこの「呪われた詩人」の伝記を書こうと、生前の叔父の姿をパリの街で追い求める。第三部は、もちろん秘密だ。
「劇的な最期を遂げたことから、このひとは、いわゆる「呪われた作家」の部類に入れられたが、これは文筆の世界では一種の昇進のようなものかもしれない。要するに、生前は夢にも思わなかった名声を、死後に博したというわけである」(147ページ)
この「呪われた詩人たち(Les poètes maudits)」というのは、ヴェルレーヌの詩論のタイトルで、ランボーやマラルメのほか、トリスタン・コルビエールといった詩人を一躍有名にしたものである。そういえば第一部に、こんな描写があった。
「その部屋は、ホテルの一室としてはかなり広く、猫の小便と麝香の匂いがこもっていた。整理箪笥の上に、シャム猫が二匹、まるで陶器の置物か何かのように、一匹は前脚を揃えて坐り、もう一匹は寝そべった恰好で、納まり返っていた。三匹めは籠の中で眠っていた。どの猫も、客が来たことなど全く意に介していない。マルシアル・モンフィスが紹介する。
「アルチュールと、コレットと、イワン……きれいな猫たちでしょう」
「かわいいですね」と、ヴァランタンは呟く。実は、子供の頃からずっと、現在に至るまで、猫アレルギーがひどいのだが」(50ページ)
この部屋の主人、マルシアル・モンフィスも作家である。アルチュールはもちろんランボー、コレットはもちろんあの『青い麦』の著者、イワンはちょっと対象が多すぎ、『カラマーゾフの兄弟』の登場人物が最初に思い浮かぶものの、きっと『父と子』を書いたツルゲーネフのことだろう。新人作家が語り手である第一部では、こんなふうに、文学的な目配せが数多く現れる。
「流行作家たちは、何はともあれ、読者を不必要に驚かすのが一番よくないと、口を揃えて言う。ところが、ヴァランタン・サラゴスは、文学とは一種の爆発であらねばならぬと考えている。作家と名乗るからには、すべからく、ダイナマイトを仕掛ける者でなければならない、というのがヴァランタンの意見だ」(16ページ)
「この若者を同僚たちから区別するものはなんにもない。頭の中では、気違いじみた言葉の群れが、今も、しきりに馬跳びを続けているのだが」(19ページ)
どの比喩も大変ウィットに富んでいるのだが、そのうえその印象が強すぎるということもなく、うっかりすると見落としてしまいそうなほど、自然に物語のなかに組みこまれているのだ。トロワイヤを読むのは、宝探しに近い。
「ヴァランタン・サラゴスは、いつものように、市役所前の停留所からバスに乗る。デッキに立っていると、バスの走行に伴う風が顔に激しくぶつかり、この瞬間、波を切り裂いて進む船の舳先に立っているような、あるいは熱気球の吊り籠に乗っているような、なんともいわれぬ野性的な喜びを感じる。バスの切符一枚の値段で、なんという冒険気分に浸れることだろう。駆け出しの作家として、バスの乗客を観察することさえ、ヴァランタンは忘れている」(22ページ)
「孤独を好む若者にしてみれば、新たな人間関係はすべて悩みの種なのだ」(43ページ)
作家同士の会話では、いかにして書くべきか、という話題も豊富で、こういう創作の秘密が盗み聞きできるのは大変楽しい。
「残念だなあ! 私なんかが読みたいのは、もっと複雑なプロットで、一癖も二癖もある人物が大勢出てくる小説なんだけれども……作者のお喋りばっかりで、登場人物が少ないと、読むほうは疲れちまってね」(46~47ページ)
「伝記において一人の人物を復元するには、その人物の高貴な部分のみならず、些細な欠陥にも触れ、天才的な特徴のみならず、人間的な弱点にも言及しなければならない」(166ページ)
また、当時のフランスの出版界の様子が垣間見えるのも楽しさのひとつだ。文学サロンが猛威をふるっていたヴァランタン・サラゴスの時代には、サロンでの肯定的な評価なくしては出版活動はおぼつかないものだった。
「ほんの少しでも世間のしきたりに譲歩すると、ヴァランタンは自分が堕落したように感じるのだ。この若者の文学観によるなら、作家は自分の作品を作り上げるとき、商業的成功や不成功を気にかけてはいけない。本の売れ行きを確実なものにするための、さまざまな試みは、小心翼々たる商人にすぎない出版人の側では容認できるのだろうが、自由な創作者である作家は、信用を失墜するだけなのだ」(47ページ)
「二人の周囲で、人声が、がやがやと騒がしくなる。ガルディソン夫人が喜びの嘶きをあげる。フランソワ・モーリャックが、このサロンに到着したのだ。こうなると、もう、モーリャック、モーリャックで、大騒ぎだ」(66ページ)
そんなさなか、あるとき、ヴァランタン・サラゴスは自著の即売会という皮肉な状況に身を置くことになる。ぜんぜん世に認められない「呪われた詩人」であることを運命づけられている彼が、こんなことに加担させられているだなんて、想像するだにおかしいではないか。
「「これ、小説かしら」
「ちがいます」と、ヴァランタン。
「エッセー? 歴史上の人物についての」
「それも、ちがいます」
「じゃ、なんなの?」
「叫び、です」
婦人は本をテーブルに置き、不愉快そうな顔をして立ち去る。
「小説だって、おっしゃればよかったのに!」と、若い娘は溜息をつく」(68~69ページ)
「ここでは、芸術家と商人の混同が全面的に行われている。作家が購買者に本を直接売り込んだりしないのは当然だが、たいていの作家たちは、売り捌かれる本の部数が多いほど、その本には価値があると信じているらしい。ヴァランタンのような純粋な詩人は、ぜんぜん売れないことを誇りに思うしかない」(69ページ)
書店で働いている身としては、最近の日本人の作家はあらゆる書店でサイン本を作りすぎていると思うので、このヴァランタンの意見をぜひ読んでみてもらいたいものだ。日本との比較で言うと、出版界でのデビューの方法がまるきり違うのも印象的だ。日本では文壇(嫌な言葉だ)デビューのためには、まずなにかの新人賞に応募する必要があるが、フランスでは賞よりも先に出版があり、大手出版社は「Rentrée littéraire」と呼ばれる毎年9月以降の時期に、これら有望な作家たちの作品を一挙に刊行し、11月頭に立て続けに発表される数多の文学賞(ゴンクール賞、ルノドー賞、メディシス賞、フェミナ賞などなど)の受賞を狙う、という伝統があるのだ。出版文化の違いが見えて、とてもおもしろいことだと思う。
「「『下水の番人』のタイプ原稿、何部残ってます?」
「三部」
「三部とも、きれいな原稿?」
「まあまあだね」
「じゃ、グラッセに一部、ガリマールに一部、フランマリオンに一部、送りましょう」」(107ページ)
グラッセ(Grasset)もガリマール(Gallimard)もフランマリオン(Flammarion)も、トロワイヤ自身も大いにお世話になっている、フランスの大手出版社の名前である。レイモン・クノーも社員であったガリマールからはそんなに著作が出ている印象はないが、なんとつい先日の12月3日に、フランマリオン社がトロワイヤの旧作の新装復刊を開始したのだ。初回はまとめて4点! 1月21日にも3点の復刊予定があるので、しばらく待てば、この『仮面の商人』さえも新装版で手に取れるようになるのかもしれない。かなり期待している。
ちょっと話が小説から離れすぎてしまったが、小笠原豊樹の死とこのフランマリオン社の復刊が重なったというのは、個人的にはとても大きなことなのだ。小笠原豊樹の訳文は、この本でも燦然と輝いている。以下の二箇所なんて、原文がどうなっているのか想像もつかない。
「いや、なんでもない、なんでもないんだ……あなたというひとは、実にもう、いじらしいというか、ほろりとさせるというか!」(56ページ)
「ああ、これをあのひとがまた褒めてくれたら、どんなにいいだろう! それから、自分の気持を理性で抑えようとする。一体、なんの夢の中にのめり込む気なのか。キャリゼ夫人の招待はただの社交辞令だ。ヴァランタンの本のことなど、夫人がそれほど気にかけている筈はない。月曜には、きっと二十人あまりのお客が来るのだろう。招待客の中に埋もれて、ヴァランタンなんか、みんなの話に一言も口を挟めずに終るだろう。そういう現実を無視して、心の触れ合う会話など期待するとは! アホか! 知恵遅れの子供の幻想みたいなものに、またまた迷いこむつもりか……」(75ページ)
宝探しはいつまでも続き、これほどまでに美しい描写が、惜しげもなく、自然に散りばめられている様は、形容しがたいほどだ。惜しげもなく、というのは、つくづくトロワイヤにはぴったりの言葉だと思う。あまりに惜しまないので、美しい描写が文脈に完全に溶けこんでしまっているのだ。
「時間が経てば経つほど、ヴァランタンは、エミリエンヌに息子がいることが恨めしくて、いたたまれなくなる。母親であることが、この女の詩的な部分を、どんどん散文化していくような気がする」(103~104ページ)
「陰気な悪夢の横行する一夜が明けて、目が覚めたときは、喪服のベールが空の光を一面に覆っているような印象を受ける」(121ページ)
「部屋へ戻ったときは、もう夜半を過ぎていた。父親は眠っているにちがいない。住居ぜんたいはその重みで闇の中に投錨し、静まり返っている」(137ページ)
世間に認められない新人作家の陰鬱な生活は、サロン偏重の趨勢への反骨精神とあいまって、どんどん悲劇的な方向へと加速していく。だが、ぜんぜん可哀想に思えないのは、この主人公と著者との圧倒的な距離が為せる業だ。これは、チェーホフの短篇を読んでいるときの感覚にきわめて近い。そういえば『かわいい女・犬を連れた奥さん』を訳したのは、まさしく小笠原豊樹ではないか! これは神西清が『カシタンカ・ねむい』で語っていたことだが、チェーホフは「非情」なまでに、登場人物たちを客観的に、俯瞰的な位置から扱うのだった。
「ちょっぴりでも才能を持っている人間なら、だれでも、風のように自由に生きて然るべきだ。ペンに用いる鳥の羽毛は、飛ぶための翼として使うべきであって、地面を掃くための箒として使ってはいけない」(123ページ)
「父親が思い出すちっぽけな出来事のかずかずは、ことごとく平凡な、でなければグロテスクなものばかりだ。まじめに生きてきた一人の男の、これが人生の総決算か! 道の果てに待っているのが倦怠と愚弄だけならば、どうして、あくせく生き延びなければならないのだろう」(140ページ)
さて、第二部に入ると、先述のとおり作家の甥が主人公となっており、叔父の伝記を書くために彼の生前の友人たちを尋ねまわる。時は1992年。第一部からは56年が経過しており、作家の友人たちは軒並み老人になっている。
「それが、あなた、きのうが誕生日で、もう八十二です。ご承知の通り、ポンヌフはパリで一番古い橋だが、あの橋のように頑丈ですからね、この私ときたら!」(157ページ)
「現在の住所と電話番号は、ボレリオ出版が教えてくれた。当年とって九十二歳で、サン・マンデ大通りの奥の奥、パリの町外れの老人ホーム「とんぼ」で、晩年の日々を送っているという。さっそく電話すると、墓のむこうから答えているような、ひどい嗄れ声が、あすの四時に来てくれと言った」(173~174ページ)
甥のアドリアンは作家の情報を求めて老人ホームを訪ねるのだが、そのときの描写がすさまじい。上の「墓の向こうから答えているような、ひどい嗄れ声」というのも相当なものだが、ここを読んだときには、腹を抱えて笑ってしまった。
「連れられて行った場所は、ひまわりを描いた壁紙を張りめぐらしてある、広い、明るい部屋だった。部屋中にたくさんのテーブルが置かれ、肘掛けのあるのや、ないのや、さまざまな椅子がそれらのテーブルを取り囲み、そこにミイラの集団が坐っていた。まるで何かの不気味な見本のように、あらゆる年齢、あらゆる外観の老人たちが集まっている。皺と、義歯と、禿頭と、白髪の、大々的な祭典だ。人間の屑を搔き集めたような、この堆積は、どれだけの愛情に、野心に、憎しみに、希望に、服喪に、換算されるのだろう。私の印象では、ここはある種の港であって、すべての船はここで艤装を解かれ、腐敗するままに放置されているのだった。これらの漂流物の前では、自分が比較的若いことが恥ずかしくてたまらない」(174ページ)
「老人はお辞儀をし、その頭が胸に、がくんと垂れた。今までの短い会話で、へとへとになっていたのだ。ひょっとすると、もう、うつらうつらしていたのかもしれない。私は骨ばった手を握ってから、大股に歩いて、この墓場の待合室から立ち去った」(181ページ)
しかし、彼が出会う老人たちはたくましい人間ばかりで、それがまた大変笑える。エラスムスの『痴愚神礼讃』でも読んでいるかのようだ。第一部の悲劇的な様相は第二部には面影すら残しておらず、徹底的に喜劇的なのである。
「出版界での最後の成功を夢みている、この九十二歳の老人には、何かしら不思議で、同時にグロテスクなところがある。しかし、棺桶に片足を突っ込んだ段階にあって、なおかつ、自分の駄作が読者にどう受け入れられるかを気にかけるのは、作家としては当然のことなのだろうか」(179ページ)
「この女だって二十歳の頃には、ほっそりしていて魅力的だったのだと、そこまで思い至るためには、よほどの努力が必要だ。容赦ない時の経過は、私を恐怖でいっぱいにした」(195ページ)
ところで、トロワイヤと言えば、日本では小説家としてよりも伝記作家として親しまれていることが多い。そしてこの甥は、まさしく伝記を書いているのだ。稀代の伝記作家が描く小説の登場人物としての伝記作家、というのは、トロワイヤにしか書けそうもない一種の離れ業で、そこに現れる描写は一種の確信を帯びており、この稼業の魅力や困難を大変饒舌に物語っている。
「いくら伝記を書くには事実が必要だからといって、こんなふうに人間の奥底の秘密を冒すことが許されるものだろうか。若い頃、叔父と寝たことがあるというだけの理由で、年老いた婦人を裸にする、どんな権利が私にあるだろう」(160ページ)
「私は仮面を商う者になったような気がする。四分の三は消えかけているヴァランタン・サラゴスの顔に、どれが似合うだろうかと、いろんな仮面を次から次へと宛てがっている」(171ページ)
「そして自分に言い聞かせる。誠実に、必要な場合には大胆に、ヴァランタン・サラゴスの伝記を書くことができるのは、ヴァランタン・サラゴス本人だけなのだ、と。そして、つまるところ、こんなふうに凝ってばかりいては、何もかも駄目にしてしまう危険がある」(210ページ)
最後に蛇足をひとつ。この物語は終始パリを舞台にしているのだが、なかでも登場人物のひとりエミリエンヌは、テルヌ大通りとワグラム大通りのすぐ近く、ベヤン通りに住んでいるというのだ。
「通りは暗く、人気がなかった。もう地下鉄は動いていない。しかし夜間の路線バスは、一時間に一本程度だが、ちゃんと機能していた。エミリエンヌの住居は、ベヤン通りで、すぐ近くの、テルヌ大通りとワグラム大通りが交差する所に、バス停がある」(85ページ)
これはパリのなかでも17区、およそ観光客には縁のない、ひどく庶民的な街並みの区画のことで、過去に『ユルスナールの靴』を紹介したときにも書いたとおり、わたしはここに住んでいたことがある。というか、テルヌ大通りなんて、いちばん近いコインランドリーがあった場所だ。大変親しみのある名前を目にして、なんだか嬉しくなってしまった。
また、この本の巻末には、いわゆる「解説」や「訳者あとがき」の代わりに、岩田宏名義で発表されたエッセイ、それから小笠原豊樹が草思社からこの作家の本を三冊刊行したときの「訳者のメモ」(すでに「マヤコフスキー叢書」で慣れ親しんだ名称を、このひとはこのときからすでに使っていた)をまとめた文章が掲載されていた。これがまた、どちらもすばらしいのだ。読めば読むほど、この作家・詩人・翻訳家への敬意は高まるばかりである。
もちろんそれらの文章中ではトロワイヤについて多く語られていて、興味は尽きない。こんなにおもしろいとは知らなかったので、これからどんどん読んでいきたいと考えている。
「1996年現在の著書の数といったら、単発の長篇小説が27冊、3篇乃至5篇の長篇から成る「大河小説」のシリーズが7つ(25冊)、短編集が6冊、露仏の作家や詩人、ロマノフ朝の君主などの伝記が20冊、他に随筆、回想記、旅行記、戯曲などを含めると、全著書数は86冊に上る。86冊という数自体は、日本の「流行作家」の生産冊数と比べてさほど多くないかもしれないが、この人の長篇や伝記は、例外的に短いものでも(日本の四百字詰原稿用紙に換算して)五、六百枚、ほとんどが千枚あるいはそれ以上だから、総量はもしかするとバルザックに匹敵するのではないだろうか」(岩田宏「良識に逆らう」より、234~235ページ)
「あるフランス語教師が私と話していて、トロワイヤは通俗作家あるいは大衆作家あるいは娯楽作家に堕してしまった、という意味のことを言った。同じ頃、私はフランスの犯罪小説を読んでいて、作中人物の一人がこの作家に言及しているのを発見する。「バカンスに持って行くなら、やっぱりトロワイヤだね……」。この二つの事例は結局は一つのことを言っているようでもあり、正反対の意見をそれぞれ述べているようでもある」(小笠原豊樹「トロワイヤについての私的メモ」より、248ページ)
アナトール・フランスへの愛を考えてみても思うのだが、わたしはともすると「通俗作家」呼ばわりされ、斥けられてしまうような作家のことが大好きだ。それと同時に、クノーのような超がつくほどの前衛作家も好きなのだが。嬉しい出会いであった。草思社から刊行されている三冊も、ぜひとも読んでみたい。小笠原豊樹のことを故人と思うようになるには、まだ当分時間がかかりそうだ。
〈小笠原豊樹訳のアンリ・トロワイヤ〉
アンリ・トロワイヤ『石、紙、鋏』
アンリ・トロワイヤ『クレモニエール事件』
アンリ・トロワイヤ『サトラップの息子』
〈読みたくなった本〉
アンリ・トロワイヤ『蜘蛛』
「1930年代の有名な作品『蜘蛛』では、「健康な肉をすべて毒液に変えてしまう蜘蛛」のような青年、ジェラール・フォンセークの毒液製造のプロセスは、きわめて風通しの良い明快な文章によって余すところなく暴かれているから、青年の姿はほとんど透き通っていて、非文学的なモラルや感傷の侵入を受け付けない。神経質で、虚弱で、家族や社会への悪意に凝り固まり、まるで思春期の少年のように姉や妹たちの結婚に一々反対するジェラールは、結局、家族の注目を浴びたい一心で狂言自殺を試み、タイミングを誤って本当に死んでしまう。息苦しいし、薄気味悪いが、感情移入からは能う限り遠いトラジコメディだ」(岩田宏「良識に逆らう」より、235~236ページ)
アンリ・トロワイヤ『オリガの挑戦』
「オリガは作者トロワイヤと同じようにロシア生まれのロシア人で、幼い頃、両親に連れられてソビエトからフランスに移り、白系露人の経営するパリ近郊の寄宿女学校でバイリンガル教育を受ける。学校を出てすぐフランス人と結婚し、一人息子ボリスを産み、六十年後の現在は亡夫の遺産でつましく暮らしている。ボリスはすでに結婚に失敗し、そのあとの情事にも失敗して、母親の住居に転がり込む。ボリスの元妻と元愛人(どちらもフランス人)はレズビアンの間柄かと疑われるほど妙に仲が良くて、共同でパリ市内のボリス所有のロシア・レストラン(もちろん母親オリガが息子に買い与えたのだ)を切り回している。駄目息子は形式的に古本屋などやっているが、実態は、レストランのオーナーとして、二人の中年女性の働きの上前で生活している。このレストランの屋号が「ゴーゴリ」というのは、ちょっと、ふざけすぎではないかとも思えるが、トロワイヤによれば、ゴーゴリは実際に大食漢だったそうで、だからレストランの屋号にはふさわしいのだとか」(岩田宏「良識に逆らう」より、236~237ページ)