Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

もしも、詩があったら

 先月は信じられない頻度で更新をしていたので、ちょっと控える(さぼる)ことにしていた。何度でも眺めて楽しむことのできる宝石のような詩、それがたくさん集められた、まさしく宝石箱たる詩集に、次から次へと手を伸ばすというのは、あんまりいい趣味とはいえないから。きっと詩集というのは、読み返してこそ、ほんとうの意味で楽しさを味わえるものなのだ。読み返したいと思える詩集に、これまでに何度出会うことができたのか。その数こそが、ひとの豊かさを決定づけるような気さえしている。そして、そんな詩集にまたしても出会った。

もしも、詩があったら (光文社新書)

もしも、詩があったら (光文社新書)

 

アーサー・ビナード『もしも、詩があったら』光文社新書、2015年。


 告白するが、わたしは新書というものをぜんぜん信用していない。岩波新書中公新書などの幸福な例外を除いて、できるだけ自宅の本棚には置きたくないとさえ思っている。かつて書店員として発注していた経験から、各社の新書、その語られていることの軽薄さに、ほとほと嫌気が差してしまっているのだ。月末に一覧注文書が届くたび、「またこんなに紙クズを増やすのかよ」と、ため息を吐いていた。小池昌代『通勤電車でよむ詩集』が、完全ノーマークだった理由である。友人にあの本を薦められていなかったら、先日書店に行った折、新書棚の前で立ち止まることは決してなかっただろう。

「「もしも」の反対語はなにか? もちろん、どこの辞書にも載っていないが、おそらく「もしも」から最も遠い対極にあるのは、思考停止の「しかたがない」「しようがない」あたりだろう。あるいは、諦めを含んだ「無理」か」(6~7ページ)

 アーサー・ビナードのこの本は、「もしも」という言葉が秘める力に注視したエッセイ兼アンソロジーとなっている。各章ごとにテーマ(?)があるようで、たとえば「恋する「もしも」」と題された章には、こんな一節があった。

「『ロミオとジュリエット』の悲しい結末をあらかじめ知っていても、この第一幕第五場のなれ初めの場面はほほえましく、色っぽく愉快で、わくわくしてくる。何度読んでも、何度観劇しても、今度こそどうにかすり抜けて幸せに暮らしていけるんじゃないかと、ちょっと信じたくなる。恋の始まりの「もしも」には、絶望をも跳ね返そうとする未知数が、含まれているのだ」(75ページ)

 でも、テーマなど、じつはあんまり気にする必要はないのだ。アーサー・ビナードという詩人は、わざわざ明確な章などを立てて詩を縛るようなひとではない。この本のすばらしさは、もう断言してしまうが、各章でさらりと紹介されている、詩人が訳した海外の詩たちだ。聞いたこともないような詩人の作品が、ものすごくこなれた日本語で、飛びかかってくる。以下のものなど、重訳なのかもしれないが、ちょっと忘れられない。

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  ハリケーン注意報


  農家のおじさんは、じっと空を見つめて
  話してくれた――。
   ハリケーンがやってくるとき
   おっかないのは、風だけじゃない。
   大雨も、嵐のうなり声も
   怖いには怖いが、むしろ
   それよりもマンゴーやアボカドが恐ろしい。
   青いかちかちのバナナやプランテーンも。
   ミサイルさながらに村に襲来するんだからな。

   なんといっても家族の
   やりきれなさが全然ちがうよ。
   一家の主が、もしも
   空飛ぶバナナに殺されちまったら、
   子孫にどう説明すりゃいいんだ?

   高波にさらわれたとか、
   洪水で溺れたとか、突風を
   もろに受けて山の岩に叩きつけられ、
   全身打撲で死んだとか、もしそんなであれば
   堂々と語りつぐことができるだろう。
   ところが、マンゴーに当たって
   頭蓋骨がまっぷたつに割れてみろ、
   末代までの恥さ。
   時速百キロを超えるプランテーンが
   こめかみを直撃しても同じことだ。

  おじさんは、吹き荒れる風に敬意を表して、
  帽子を脱いで軽く会釈する。
  そしてこう言い切る――。
   大雨も、轟音も
   それほど気にすることはない。
   すさまじい風も、たいして心配はいらない。
   もし外に出るなら
   ぜったい気をつけなきゃならないのは
   マンゴーだ。それと、
   マンゴーに負けないくらい甘くて美しい
   ものたちにも、たえず
   注意することだな。


(ヴィクター・ヘルナンデス・クルース(アーサー・ビナード訳)「ハリケーン注意報」、114~117ページ)
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 アーサー・ビナードというひとに畏敬の念を抱かざるを得ないのは、その日本語に対する知識の深さが、詩人の感性と結託して、これまで見たこともないような訳文をかたちづくっているからだ。なんというのだろうか、日本人の翻訳家では思いつきそうもないことを、さらりとやってのけている。たとえば、ウィリアム・スタフォードという詩人の「A Story that Could Be True」という作品が訳されているのだが、この題、なんと訳すべきだろうか。ぜんぜん難しい英語ではないので、ほとんどのひとが深く考えることなく、「本当にあったかもしれない物語」なんていうふうに訳すと思う。だが、アーサー・ビナードは、これを「絶対にありえないとも限らない物語」と訳していたのだ。和訳が迷いなく出てくる英文なだけに、かえってその発想には至らない、と思ってしまう。レベルがちがうな、と思った。自分よりも英語がうまいのは、アメリカ人なんだから当たり前だ、と笑っていられるが、たぶんこのひとは日本語も、自分も含め大多数の日本人より上手なのだ。だからもう、言いわけのしようがない悔しさにとりつかれてしまう。なんだこれは、となる。

「英単語が漢字に置き換えられて作られた日本語が、ごまんとある。ベースボールのpitcherは「投手」になって、catcherも「捕手」と決まり、もっと近年の変換ではvirtual realityが「仮想現実」と称されたりもする。そんな多彩な訳語の中でも、ぼくが特に気に入っているのはskyscraperの日本語バージョン「摩天楼」だ。
 scrapeは「擦る」とも「磨く」ともとれるし、「擦り剥く」という意味にもなるが、少々やわらかめの「摩る」を選んだ訳者のセンスが光る。しかもその「摩」が、「摩訶不思議」にも「摩利支天」にも通じて、古典の風格を備えている。
 また「楼」がそこを補い、とても近代の訳語には見えず、「磨崖仏」や「五重塔」と同じくらいの由緒を抱え持つ名称に思える。発音は濁音がなく、でもどこか凄みがあり、大きく響くようにできている」(32~33ページ)

「「言わぬは言うに優る」や「言わぬが花の吉野山」といった表現に見られるように、余韻を大切にする日本語の流れは脈々とつづいている。しかしどの言語にも、微妙な綾とニュアンスによって伝えられる意味が必ずあって、その類いの「みなまで言うな」の表現を呑み込み、身につけるプロセスこそが語学ではないか。もっといえば、最初、曖昧に思われた言葉が次第に曖昧ではなく、よくわかる細やかな言葉に変身していけば、やっとそこで言語を習得できたということになるのだ」(199ページ)

 そしてこの圧倒的言語力は、じつは双方向を向いたものなのであって、つまり、アーサー・ビナードは日本語で書かれた詩の英訳にも力を注いでいるのだ。この本には英語原文のほかに日本の詩の英訳版も併録されていて、先日『桃の花が咲いていた』で出会ったばかりの山之口貘などの詩も収められていた。おお、と声が出たのは、以下の和歌の英訳を見たとき。

  月夜よし夜よしと人につげやらば来てふに似たり待たずしもあらず
  (よみ人しらず、『古今和歌集』より、91ページ)

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  If I told him, "The moon is beautiful
  and the air so serene tonight,"
  he'd think it was an invitation.
  Of course, it's not that
  I wouldn't be waiting.

アーサー・ビナードによる英訳、92ページ)
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 すこし前、俵万智『サラダ記念日』の英訳版、『Salad Anniversary』について書いたときにも述べたが、英語(というか海外の言語一般)では、俳句が三行詩の「haiku」として訳される傾向があるため、短歌・和歌はこういうふうに、五行詩として訳されることが多い。原文よりも情報量が多く、「月夜」と「夜」の「よし」が、それぞれ「beautiful」と「serene」なんて訳し分けられている。日本語の原文にはない「もしも」が、英訳ではいちばん頭に登場してくることも見逃せない。もともとが和歌だなんて信じられないかもしれないが、独立した作品として、すてきな五行詩だと思う。「待たずしもあらず」が「it's not that I wouldn't be waiting」だなんて。

 ちなみに山之口貘の詩で紹介されていたのは、以下のもの。

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  若しも女を摑んだら


  若しも女を摑んだら
  丸ビルの屋上や煙突のてつぺんのやうな高い位置によぢのぼつて
  大声を張りあげたいのである
  つかんだ

  つかんだ

  つかんだあ と張りあげたいのである
  摑んだ女がくたばるまで打ち振つて
  街の横づらめがけて投げつけたいのである
  僕にも女が摑めるのであるといふ
  たつたそれだけの
  人並のことではあるのだが。


山之口貘「若しも女を摑んだら」、84~85ページ)
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 こいつ、ぶれないな、と思う。もっと読みたいなと思っていたので、これは嬉しい再会だった。そして、すこし貘さん的なものを感じさせる、またべつの詩人も紹介されていた。それが以下の、竹内浩三

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  金がきたら


  金がきたら
  ゲタを買おう
  そう人のゲタばかり かりてはいられまい

  金がきたら
  花ビンを買おう
  部屋のソウジもして 気持よくしよう

  金がきたら
  ヤカンを買おう
  いくらお茶があっても 水茶はこまる

  金がきたら
  パスを買おう
  すこし高いが 買わぬわけにもいくまい

  金がきたら
  レコード入れを買おう
  いつ踏んで わってしまうかわからない

  金がきたら
  金がきたら
  ボクは借金をはらわねばならない
  すると 又 なにもかもなくなる
  そしたら又借金をしよう
  そして 本や 映画や うどんや スシや バットに使おう
  金は天下のまわりもんじゃ
  本がふえたから もう一つ本箱を買おうか


竹内浩三「金がきたら」、150~152ページ)
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 この金銭感覚! たまらん。もっと読んでみたい。日本の詩人ではほかに、まど・みちおが気になった。まど・みちおというひとは、もう「やばい」という形容があまりに似合いすぎていて、ほかの言葉で語れる気がしない。このひとは、やばい。とてもいい。

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  空


  子どもたちが 石をなげます
  空へ むけて
  なんどでも なんどでも

  空は 受けとってはくれませんが
  空が 受けとらないはずはありません
  夜ごと きらめいている星たちは
  あれは みんな石です

  この世のはじめから 今までに
  なん億回にか 一どずつ
  なん兆回にか 一どずつ
  とどいたのを
  空が 受けとっては光らせた…

  子どもたちが 石をなげます
  空へ むけて
  空に とどくまで

  あんなに空が 息をとめて
  今か今かと 待っているものですから
  ほんとに 石がとどくのを…


まど・みちお「空」、35~36ページ)
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 アーサー・ビナードによって訳された詩には、気に入ったものが数えきれないくらいあった。日本でも有名な作家だと、D・H・ローレンスとアレン・ギンズバーグのものが忘れがたい。

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  女性のみなさんに、言わせてもらえるなら


  ぼくの心にないものは
  どうしたって、ぼくの心にはない。
  心にないのに、そんな感情が
  ぼくにあるとは言えない。
  きみが心に抱いていると言う
  その感情は、本当はないはずだ。
  ふたりが本当に互いに抱いていたらいいと
  きみが思う理想の感情も
  実はふたりとも抱いていないのだ。
  しょせん人間は、持つべき感情を
  ちゃんと持ち合わせたためしがない。
  もし、自らの感情をもっともらしく
  語る人がいたら、それはだいたい
  心にないことを言っているにすぎない。
  そしてもし、きみとぼくと互いに
  なにか感情らしきものを抱いてほしいと
  きみが思うのであれば、まずそんな
  感情の発想自体をさっさと
  捨ててしまうことだ。


(D・H・ローレンス(アーサー・ビナード訳)「女性のみなさんに、言わせてもらえるなら」、88~89ページ)
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  宿題


  もし洗濯するとなったら、ぼくは汚れてしまったイランと
  アメリカ合衆国をまずほうり込んで、洗剤をたっぷり注ぎ、
  ついでにアフリカもごしごしやって、鳥たちと象たちに
  きれいになったジャングルを返してやろう。それから
  アマゾン川をすっかりすすぎ、油にまみれたカリブ海
  メキシコ湾をぴかぴかにして、北極の大気汚染をふき取り、
  アラスカの石油パイプラインも払いのける。ばしゃばしゃ
  ぼしょぼしょロスアラモスとロッキーフラッツの放射能
  洗浄して、ラブカナルに埋められた廃棄物、ちくちくする
  セシウムとかをみな流してしまおう。ギリシアのパルテノンや
  エジプトのスフィンクスに降る酸性雨をゆすいで、地中海に
  溜まったへどろを排水口から出し、澄んだ青い海水を
  取り戻す。ライン川の上空も青くして、小さな雲を漂白、
  昔ながらの真っ白い雪を降らせる。ハドソン川テムズ川
  ネッカー川もすっかりさらって、エリー湖の垂れ流し公害を
  クリーニングしよう。そして強力コースで、東南アジアの
  血と枯れ葉剤を洗い落とし、ロシアと中国を脱水にかけ、
  アメリカの真っ黒い傀儡警察国家を中米から、絞り機で
  ぎゅーっと。絞り終わったら、地球をまるごと
  乾燥機に入れ、二十分のコースか、じゃなければ
  十億年くらい、とにかくきれいになって
  出てくるまで……。


アレン・ギンズバーグアーサー・ビナード訳)「宿題」、232~233ページ)
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 また、以下のジョン・アガードには、以前『Little Book of Poems for Young Children』で出会ったことがあった。そのときからずっと気になっているのに、いまだ彼の著書を手に入れられずにいる。以下の詩は、冒頭で引用したヴィクター・ヘルナンデス・クルースのものと並んで、この本のなかでも最も気に入った作品のひとつだ。ちょっと長いけれど、引用せずにはいられない。

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  イギリスから来た彼女が
   はじめてマンゴーを食べる(一種の恋歌)


  彼女に、ちょっとすすめてみようか。
  「ね、このめくるめく黄金の
  ジューシーな太陽のかけらを、
  このぺろぺろ唾液とめどなくでる
  熱帯の愛のかたまりを
  てのひらに、のせてごらん」

  でも、もしもぼくが
  そういったら、彼女はきっと
  「まったく大げさだわ」と
  返してくるだろう。だから
  ぼくは、ただ「このマンゴー
  食べる?」という。

  まるで赤面したように
  紅を帯びた黄色いマンゴーを、
  彼女は持ち上げ、つるつるの
  皮にさわり、彼女自身の頬も
  ぽーっと赤らんだ。
  「どうしたらいいの?
  このままかじりつくの?」と
  ぼくにきく。

  そこで「誘惑の悪魔を
  見習って、原罪を皮まで
  喰らわば……」なんて一瞬、
  しゃべろうかと思うが、
  そうしたらきっと
  「また神秘的なことを
  いっちゃったりして」と
  からかわれかねない。

  なので、ぼくはただ
  「それはお好みで、皮をむいて
  食べてもいいよ」という。

  マンゴーに触れる彼女の指はもう
  うんと貴重なものを扱っている動き。
  「とてもおいしそうね」と
  彼女はほほえむ。

  ぼくは、ちょっとさとす。
  「言葉でいうよりも、
  おいしそうなものが目の前に
  あるなら、神様からもらった歯を
  使って、遠慮なくかぶりつくと
  いいよ……まず皮をむいて、
  あるいは、ぼくの母親が
  好きだった食べ方なら
  マンゴーを指先でもんで、
  中の果肉が全部ぐしょぐしょの
  汁になるまで、そして一か所、
  皮をかじってちっちゃな穴をあけ、
  そこからちゅっちゅっとゴールドの
  シロップを吸いとるんだ。
  赤ん坊がおっぱいを吸うみたいに。
  もみもみしぼって最後の
  濃厚な一滴までさ」

  「それも楽しそうね」と彼女。

  念のため、ぼくはいっておく。
  「これはリンゴの芯なんかとは
  わけが違う。種のまわりが
  いちばん甘いから、その汁を
  しゃぶり忘れたら、損だよ。
  心の中にまでしみてくるから」

  英国のバラのような彼女の
  その幸せな表情ったらなかった!
  全身、足の指の先まで
  桃色に輝いていた。

  やがて食べおわると
  彼女は笑って、「ね、ハンカチを
  かしてくれる?」とぼくに頼んだ。
  「指がみんなマンゴーの汁で
  べちゃべちゃなの」

  そこで、はっきりと
  教えてあげなきゃならなかった。
  「ハンカチだって? あのさ、
  マンゴーを食べるときは、な、
  ハンカチといえば、それは
  自分の舌のことだよ。指は、
  ぺろぺろなめるにかぎる。
  こういうのを、文化と呼ぶんだ。
  いいんだよ、ちっとも恥ずかしくない。
  これこそカルチャーってものさ。
  もしくは、植民地支配の逆コースか。
  さかさ植民地化と呼んでもいいかも」


(ジョン・アガード(アーサー・ビナード訳)「イギリスから来た彼女がはじめてマンゴーを食べる」、107~113ページ)
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 まったく知らなかった詩人も、数多い。もっともっと読んでみたいな、と思わせる詩ばかりだ。末尾に掲載作品リストを作ることにしたので、これからすこしずつ親しんでいけたら、と思っている。

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  クレジット


  道路脇の
  雨が流れ込む排水口のあの鉄格子の蓋を
  わたしはむかしから
  貯金箱だと思っていた。
  通るたびに、ポケットから小銭を出してしゃがみ、
  スロットに投入して、貯めているつもりだった。
  だから今、世界で一番
  わたしに借りがあるのは
  海のやつだ。


(スナイ・アキン(アーサー・ビナード訳)「クレジット」、44ページ)
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  ひとつの主張


  「みだらなことは、想像しただけでも罪になる」
  と宗教家はよくいう。つまりもんもんともがいて
  我慢しても、あるいは行動に移しても、
  結局は天罰を受けるわけだ。

  どっちみちそうなるならば、ぼくも
  きみも、裁かれるのは目に見えている。
  だったら、心ゆくまで味わおうではないか、
  その天罰にちゃんと見合う、せめてもの快楽を!


(トマス・ムーア(アーサー・ビナード訳)「ひとつの主張」、102ページ)
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  もしぼくが死んだら


  もしぼくが今晩死んだら、
  そして安置されたぼくのそばへ、きみがやってきて、
  ひんやりした粘土みたいな遺体を見て泣き崩れたら、
  もしぼくが今晩、死んでしまって、
  きみが嘆き悲しみ、心の芯からぼくを惜しんで、
  「借りてた、これがあの十ドル……」と囁いたなら、
  死に装束の白いネクタイをしめたまま、ぼくはぬうっと
  起きて「なになになんだって?」というかもしれない。

  もしぼくが今晩死んだら、
  そしてきみがやってきて、冷たくかたまった遺体の前で
  ひざまずいて、棺桶の縁をぎゅっと握り、涙にくれたら、
  そしてもし、ぼくが今晩死んで、そこへきみが現れ、
  借りっぱなしのあの十ドルを、もしも返してくれる
  ようなことを、少しでもほのめかしたなら、ぼくは
  生き返って起きるかもしれない、ほんの一瞬。
  でも驚きのあまり、またばたっと死んでしまうかも。


(ベン・キング(アーサー・ビナード訳)「もしぼくが死んだら」、173~174ページ)
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 ヴィクター・ヘルナンデス・クルースやジョン・アガードの、果物まみれな感じとはまた雰囲気がぜんぜんちがうけれど、以下のジェイムズ・スカイラーの詩もとても気に入った。この本、ほんとうにものすごい宝石箱である。

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  あいさつ


  過ぎ去った日々は、二度と戻ってこない。
  けれど、もし本気でやろうと思いながら
  ついにできなかったことがあった
  としても、それはそれで充分ではないか。
  本気だったということを思いおこせば。
  むかし、山小屋がぽつりと建っていた野原に
  ヒナギクやクローバーやヤナギタンポポ
  何種類も咲きこぼれていた。ぼくはいつか
  一輪ずつつんできて、みんな集めて
  午後のひとときそれぞれの特徴を見つめて
  調べようと思っていた。その花びらが
  しぼまないうちに。過ぎ去った日々は
  二度と戻ってこない。ぼくは花いっぱいの
  あの野原に、手を振る。


(ジェイムズ・スカイラー(アーサー・ビナード訳)「あいさつ」、196~197ページ)
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 アーサー・ビナード訳詩集、というような本があるのなら、ぜったいに読んでみたいな、と思う。岩波少年文庫の『ガラガラヘビの味』は、見逃せない。彼自身の日本語の詩にも、とても興味を持った。読みたい本が百冊増える類の一冊である。これは、おすすめ。

もしも、詩があったら (光文社新書)

もしも、詩があったら (光文社新書)

 



〈掲載されている詩の一覧〉
 もともとが英語で書かれていたわけではない詩の場合、巻末に掲載されていたのは原語での初出であって、アーサー・ビナードが参照したであろう英訳ではない場合が多かった。そのため、もとの英訳については基本的に、題以外の情報がない。残念。また、英語原文のものは全集から採られたものや、大学・教材系出版社刊行のアンソロジーが引用文献として挙げられていることも多かった。とりわけ後者が、すこし引っかかる。

オズワルド・デ・アンドラーデポルトガル人のぽかミス」
(Oswald de Andrade, Mistake of the Portuguese, O Santeiro do Mangue e Outros Poemas, Secretaria de Estado da Cultura, 1991)

Bois Brésil

Bois Brésil

 


ヘンリー・デイヴィッド・ソロー『森の生活』より抜粋
(Henry David Thoreau, Walden; or, Life in the Woods, Ticknor and Fields, 1854)

ウォールデン 森の生活

ウォールデン 森の生活

 


ポール・フーヴァー「わかる詩がほしい」
(Paul Hoover, Poems We Can Understand, Somebody Talks a Lot, The Yellow Press, 1982)

Somebody Talks a Lot

Somebody Talks a Lot

 


まど・みちお「空」

まど・みちお全詩集<新訂版>

まど・みちお全詩集<新訂版>

 


ジャック・プレヴェール「兵士の自由」
(Jacques Prévert, Free Pass, Paroles, Gallimard, 1989)

Paroles [French]

Paroles [French]

 


ヴァーン・ラツァーラ「睡眠」
(Vern Rutsala, Sleeping, Little-Known Sports, University of Massachusetts Press, 1994)

Little-Known Sports

Little-Known Sports

 


スナイ・アキン「クレジット」
(Sunay Akin, Debt, This Same Sky: A Collection of Poems from around the World, edited by Naomi Shihab Nye, translated from Turkish by Yusuf Eradam, Aladdin, 1996)

This Same Sky: A Collection of Poems from Around the World

This Same Sky: A Collection of Poems from Around the World

 


D・H・ローレンス「マキシマス」
(D. H. Lawrence, Maximus, The Complete Poems of D. H. Lawrence, Wordsworth Editions, 1994)

Complete Poems of  D. H. Lawrence (Wordsworth Poetry Library)

Complete Poems of D. H. Lawrence (Wordsworth Poetry Library)

 


カール・サンドバーグ「だれと出会っても失礼のないように」
(Carl Sandburg, We Must Be Polite, The Complete Poems of Carl Sandburg, Harcourt Brace Jovanovich, 1970)

Complete Poems of Carl Sandburg: Revised and Expanded Edition

Complete Poems of Carl Sandburg: Revised and Expanded Edition

 


ラドヤード・キップリング「もし」
(Rudyard Kipling, If, A Child's Anthology of Poetry, Harper Collins, 1995)

A Child's Anthology of Poetry

A Child's Anthology of Poetry

 


ジョン・ケンドリック・バングス「もし」
(John Kendrick Bangs, If, The Oxford Book of Children's Verse in America, Oxford University Press, 1985)

The Oxford Book of Children's Verse in America (Oxford Books of Verse)

The Oxford Book of Children's Verse in America (Oxford Books of Verse)

 


ビル・ホルム「アドバイス」
(Bill Holm, Advice, The Dead Get by with Everything, Milkweed Editions, 1991)

The Dead Get by With Everything

The Dead Get by With Everything

 


山之口貘「若しも女を摑んだら」

山之口貘詩文集 (講談社文芸文庫)

山之口貘詩文集 (講談社文芸文庫)

 


D・H・ローレンス「女性のみなさんに、言わせてもらえるなら」
(D. H. Lawrence, To Woman, As Far As I'm Concerned, The Complete Poems of D. H. Lawrence, Wordsworth Editions, 1994)

Complete Poems of  D. H. Lawrence (Wordsworth Poetry Library)

Complete Poems of D. H. Lawrence (Wordsworth Poetry Library)

 


マリアン・ムーア「センチメンタルな船員」
(Marianne Moore, The Sentimentalist, Becoming Marianne Moore: The Early Poems, 1907-24, University of California Press, 2002)

Becoming Marianne Moore: The Early Poems, 1907-1924

Becoming Marianne Moore: The Early Poems, 1907-1924

 


ジョン・デービーズ・オブ・ヘレフォード「もしもクリームの海峡が」
(John Davies of Hereford, "If There Were, Oh! an Hellespont of Cream", The Broadview Anthology of British Literature, Concise Edition, Volume A, Broadview Press, 2007)

The Broadview Anthology of British Literature

The Broadview Anthology of British Literature

 


トマス・ムーア「ひとつの主張」
(Thomas Moore, An Argument, A Book of Love Poetry, Oxford University Press, 1986)

A Book of Love Poetry

A Book of Love Poetry

 


ジョン・アガード「イギリスから来た彼女がはじめてマンゴーを食べる」
(John Agard, English Girl Eats Her First Mango, Mangoes & Bullets: Selected and New Poems, 1972-84, Longwood Pr Ltd, 1985)

Mangoes & Bullets: Selected and New Poems, 1972-84

Mangoes & Bullets: Selected and New Poems, 1972-84

 


ヴィクター・ヘルナンデス・クルース「ハリケーン注意報」
(Victor Hernandez Cruz, Problems with Hurricanes, Red Beans, Coffee House Press, 1991)

Red Beans: Poems

Red Beans: Poems

 


オグデン・ナッシュ「家庭裁判所
(Ogden Nash, Family Court, The Best of Ogden Nash, Ivan R. Dee, 2007)

The Best of Ogden Nash

The Best of Ogden Nash

 


ヒレア・ベロック「発見」
(Hilaire Belloc, Discovery, The Oxford Book of Short Poems, Oxford University Press, 1985)

The Oxford Book of Short Poems

The Oxford Book of Short Poems

 


バーナード・スペンサー「マネーの振る舞い」
(Bernard Spencer, Behaviour of Money, Complete Poetry, Translations & Selected Prose, Bloodaxe Books, 2011)

Bernard Spencer Complete Poetry: Translations & Selected Prose

Bernard Spencer Complete Poetry: Translations & Selected Prose

 


ルイス・ジェンキンス「現在の経済動向」
(Louis Jenkins, The State of the Economy, Sea Smoke, Holy Cow! Press, 2004)

Sea Smoke

Sea Smoke

 


竹内浩三「金がきたら」

戦死やあわれ (岩波現代文庫)

戦死やあわれ (岩波現代文庫)

 


ナオミ・シハブ・ナイ「どちらも」
(Naomi Shihab Nye, Half-and-Half, 19 Varieties of Gazelle: Poems of the Middle East, Greenwillow Books, 2005)

19 Varieties of Gazelle: Poems of the Middle East

19 Varieties of Gazelle: Poems of the Middle East

 


ベンジャミン・マッサー「もし戦争になるのなら」
(Benjamin Musser, If War Should Come, Poems of War Resistance: from 2300 B.C. to the Present, Grossman Publishers, 1969)

ベン・キング「もしぼくが死んだら」
(Ben King, If I Should Die, Ben King's Verse, Press Club of Chicago, 1894)

Ben King's verse

Ben King's verse

 


ウィリアム・スタフォード「絶対にありえないとも限らない物語」
(William Stafford, A Story That Could Be True, Stories That Could Be True: New and Collected Poems, Harper & Row, 1977)

Stories that could be true: New and collected poems

Stories that could be true: New and collected poems

 


高村光太郎「もしも智恵子が」『智恵子抄

智恵子抄 (新潮文庫)

智恵子抄 (新潮文庫)

 


ジェイムズ・スカイラー「あいさつ」
(James Schuyler, Salute, Salute, Tiber Press, 1960)

Collected Poems

Collected Poems

 


ショーン・オリオーダン「入れかわり」
(Sean O Riordain, Switch, Eireaball Spideoige, Sairseal agus Dill, 1952)

Eireaball Spideoige

Eireaball Spideoige

 


エドナ・セントヴィンセント・ミレー「母が持っていた勇気」
(Edna St. Vincent Millay, The Courage That My Mother Had, Collected Poems: Edna St. Vincent Millay, Harper Collins Publishers, 1975)

Collected Poems (P.S.)

Collected Poems (P.S.)

 


ウィリアム・ブレイク「ハエに」
(William Blake, The Fly, Songs of Innocence and of Experience, 1794)

Songs of Innocence and Songs of Experience (Dover Thrift Editions)

Songs of Innocence and Songs of Experience (Dover Thrift Editions)

 


アニタ・ポージー「もしも好きな羽を一対選んでいいのなら」
(Anita E. Posey, If I Could Have a Pair of Wings, My First Oxford Book of Poems, Oxford University Press, 2000)

My 1st Oxford Book of Poems

My 1st Oxford Book of Poems

 


エルス・ミナリク「蚊がおなかをすかせているとき」
(Else Minarik, When Mosquitoes Make a Meal, The Random House Book of Poetry for Children, Random House, 1983)

The Random House Book of Poetry for Children (Random House Book of ...)

The Random House Book of Poetry for Children (Random House Book of ...)

 


エリザベス・コーツワース「カモメ」
(Elizabeth Coatsworth, Sea Gull, The Random House Book of Poetry for Children, Random House, 1983)

The Random House Book of Poetry for Children (Random House Book of ...)

The Random House Book of Poetry for Children (Random House Book of ...)

 


アレン・ギンズバーグ「宿題」
(Allen Ginsberg, Homework, Collected Poems, 1947-1980, Harper & Row, 1984)

Collected Poems 1947-1980

Collected Poems 1947-1980

 


アーサー・ビナード「ねむらないですむのなら」

ゴミの日―アーサー・ビナード詩集 (詩の風景)

ゴミの日―アーサー・ビナード詩集 (詩の風景)