短歌ください
日本で会った心の友に薦めてもらった本。今回は仕事を片付けるための帰国だったため、半年以上ぶりの日本だというのに期間もたった一週間と短く、しかも毎日会議が中心の心底さびしい日程だったのだが、場所もさまざまな取引先の会社を訪問するための電車に揺られる長い時間は、この本を携帯していたおかげでぜんぜん苦ではなくなった。穂村弘が『ダ・ヴィンチ』誌上で連載している読者参加型企画「短歌ください」をまとめたもの、の、文庫版。
穂村弘『短歌ください』角川文庫、2014年。
はじめに書いてしまうと、この本を読んだせい(おかげ?)で、空前の短歌ブームが自分のなかで起こっている。今日は休日だったので、昼過ぎに起きてから短歌の本ばかり十冊も鞄に詰めて、喫茶店で一日を過ごした。以前に起きた「空前の短歌ブーム」も、思えば穂村弘が火付け役だったので(じゃあもう「空前」じゃないじゃん、とは言わないこと)、このひとは本当に短歌の魅力を伝えるプロだな、と思う。
短歌のなにがおもしろいって、「良いな」と思う歌の自分なりの基準、というものが、当の自分にも見えてこないのだ。つまり、自分の好みがわからない。けっこう真剣に考えてはいるのだけれど。まず、自分は定型に忠実なほうが好みで、だから俵万智の短歌には好きなものがかなり多いのだけれど、定型への意識を前提にあえて崩してあるような短歌にも好きなものが多い。たとえば、穂村弘の「風の交叉点すれ違うとき心臓に全治二秒の手傷を負えり」とか(これは『世界中が夕焼け』に教わった歌)。だから定型に対する意識さえあれば、どれも良い歌のように思えてくる。
この『短歌ください』に収められているほとんどは、いわゆる歌人が詠んだ歌ではなく、われわれのような一般読者が投稿したものだ。だから本来なら玉石混淆のはずなのに、穂村弘がどの歌も褒めまくっていて、しかもその褒め方にものすごく説得力があるせいで、どれも良い歌に見えてくる。おのれ、ほむほむ。
とはいえ、自分が気づいたのは、詠まれている対象とその詠み方に応じて、一首が自分のなかに響いてくる速度、というのが、コンマ何秒か違うということだ。その一瞬の差が、記憶に残る歌とそうでないものを分けている気がする。詠われている情景の再現に時間がかかるほうが、記憶には鮮烈に残るように思えるのだ。逆に、情報量が少なく、すんなり入ってくる直球の歌は、そのぶん出ていくのも早い、という気がする。ただ、これも記憶への定着という一点に関してだけのことで、気に入る気に入らないといった次元での話ではない。以下、すぐに響いてきた気に入った歌。
ごめんなさい。絶対告白しないから、どうか近くに置いて下さい
(百舌、11ページ)
こんなにもしあわせすぎる一日は早く終わって思い出になれ
(ひろ、116ページ)
金曜から1ミリ伸びたこの爪はあなたと食べたアイスの栄養
(しほ、142ページ)
それから今度は、すぐに、というわけではなく、一瞬「は?」となって、そのすぐあとに、「あ、いいな」と思った歌たち。
CDを手にしただけで音楽を聴けたら良いな天使みたいに
(麻花、131ページ)
目を閉じてばかりいてふと開けた夜自分の闇より外が明るい
(泉谷星来、151ページ)
僕は今、おそらく君の住む街の近くを「あっ」とも言えずに通過
(伊藤夏人、155ページ)
じゃんけんでいつも最初にパー出すの知っているからわたしもパーで
(須田千秋、182ページ)
“一日の翌日二日は日曜日”素人泣かせのしかくな記号
(やかず、203ページ)
この空を覚えていようと誓った日そのことだけをただ覚えている
(ウルル、227ページ)
詠んだこともないくせに心底勝手な言い分だけれど、良い短歌というのは歌人でなくても詠めるのだな、と思った。ただ、直球で響いてくる歌の多くは、思いつきや意外性を中心に据えた、いわば「発見」の短歌であることが多く、これまで言葉にされたことのないものや状況、心情を詠っている、という以上の意味を持たないことが多い。いわゆる「あるあるネタ」的な共感を呼び起こす類のもので、もちろん、それでも良い歌であることには変わりないのだけれど、いわゆる歌人たち、この本のなかでも何度も繰り返し登場する「歌人予備軍」のひとたちの詠むもの、詠みかたには、ぜんぜんちがった深み、というか、複雑さがあるように思えた。なにか対象を描きながら、本当に詠っているのは詠み手の心情、というような。情報量が違うのだ。
どの道を帰ってきたの全身に悲しみの匂いこびりついてる
(西野明日香、98ページ)
水のない場所へほたるが動き出す君に呼ばれた私と同じ
(日野寛子、162ページ)
目を閉じた人から順に夏になる光の中で君に出会った
(ルーキーセンセーション!木下侑介、188ページ)
脱がしかた不明な服を着るなってよく言われるよ 私はパズル
(古賀たかえ、206ページ)
「花柄が好きかもしれない」打ち明けた彼にいいよと言う声ふるえ
(モ花、233ページ)
夕暮れの理科室の隅の窓際でひっそり冷たいナナホシテントウ
(あいすきゃんでぃ、243ページ)
以下、このひとの歌集が読んでみたいな、と思った、常連投稿者たちの歌。まずは冬野きりんさん。彼女のエキセントリックな感じは、『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』を思い出させてくれる。穂村弘がこのひとの歌を何度も取り上げているのは、なんだかわかりやすい。
見つめてる 赤の他人の虫刺され ばってんつけたい 愛が欲しい
(冬野きりん、49ページ)
ペガサスは私にはきっと優しくてあなたのことは殺してくれる
(冬野きりん、65ページ)
足早にすり抜けてゆく 花々が私に気付き無視する前に
(冬野きりん、86ページ)
忘れるな明日はみんな黒い服決めたんだもう蝶か蛾になる
(冬野きりん、103ページ)
それから陣崎草子さん。すでに歌集も出しているひとなのだけれど、じつはこのひとの歌は最初、作為的だな、と思えてしまって、苦手だった。でも、「ごーごーと燃えてる屋敷のきれいさを忘れないまま大人になりたい」を読んだ瞬間、謝りたい気持ちでいっぱいになった。「あるあるネタ」的なレベルの共感から抜け出そうとしていて、きっとそのために言葉の選択に強い意識が向けられていたのかも、と、いまは思う。「ごーごーと」はこの本のなかでも一、二を争うくらい気に入った歌。
どうせ死ぬ こんなオシャレな雑貨やらインテリアやら永遠めいて
(陣崎草子、73ページ)
ごーごーと燃えてる屋敷のきれいさを忘れないまま大人になりたい
(陣崎草子、128ページ)
かけがえのないものみたいな振りさせて食卓の上ころがすレモン
(陣崎草子、172ページ)
それから、ちゃいろさん。このひとの歌はどれもささやかで、本当に良いな、と思う。このささやかさ、ちょっと好きすぎる。
ひそやかな祭の晩に君は待つ コンビニ袋に透けるレモンティー
(ちゃいろ、84ページ)
一(ひと)押しのリンスを受けたてのひらのつめたさ集めてじっとしている
(ちゃいろ、111ページ)
本選びレジへ並んだ君の横 正しい距離がわからず揺らぐ
(ちゃいろ、169ページ)
シラソさん、というひとの歌には怖いものが多くって、これはこれで気になってしまう。穂村弘はこの本のなかで「怖い歌はいい歌」と何度も繰り返しているのだけれど、本当に、怖さのある歌は記憶に留まる力がぜんぜんちがうのだ。
きみの目は遠くをみてる小さくて鮮やかな色美しい飴
(シラソ、92ページ)
するすると赤いリボンが落ちてゆくりんごの香り終わらない夜
(シラソ、171ページ)
きみのくび切取線が描かれてた大丈夫だよわたしがまもる
(シラソ、244ページ)
「わんちゃんが事故にあってね」死なずにはすんだようです見知らぬ人の
(シラソ、253ページ)
男性ではハレヤワタルさん(最初はひらがなで、はれやわたる)が印象的だった。自分も男だからか、男という生き物は散文的で、必要以上にややこしくものをとらえがちだから、短歌なんて無理、と勝手に思っているのだけれど、この本に出てくる男性にはそんなところは欠片もない。
あおむけに時計をおいて真上からのぞいていると母の呼ぶ声
(はれやわたる、116ページ)
飼っている猫がこっちを見ています僕は将来有望ですか
(ハレヤワタル、217ページ)
昨年の夏に野球を共に観た女子はファウルをよけられなくて
(ハレヤワタル、231ページ)
三階の教室に来たスズメバチ職員室は一階にある
(ハレヤワタル、241ページ)
それから伊藤真也さん。穂村弘もコメントしているけれど、このひとの歌にはすてきなものがぜんぜん登場してこない。どういうわけか、それがすごくすてき。
湿り気の多い個室でイソジンを口移しする村は初雪
(伊藤真也、71ページ)
底冷えのする屋上につま立ちて瞼とじればペヤングの匂い
(伊藤真也、97ページ)
「大丈夫、お前はやれる」拒否された10円玉をきつくねじ込む
(伊藤真也、165ページ)
ヒポユキさんという方の歌には、やさしさが滲み出ている。このひと、会ったらぜったい、いいひとだと思う。いや、会いたいわけじゃないけれど。
おにぎりを三個持たせる母が言う余れば誰かに差し上げなさい
(ヒポユキ、38ページ)
閉じた時写真同士がキスをする卒業アルバム一つずれたい
(ヒポユキ、236ページ)
気に入った常連のひとは、ほかにもたくさん。やはりというべきか、女のひとの歌が多くなった。女のひとが物事をどんなふうに見つめているのか、とても気になるのだ。
肩車君にされつつ電球をきゅるきゅる回す顔横にして
(麻倉遥、135ページ)
スイッチの仕組みがすべて分かるまで君はホテルで落ち着きがない
(麻倉遥、234ページ)
つむってもひかりが入ってくるのです。うすい瞼はお嫌いですか?
(いさご、51ページ)
こんにちは、ひかりは知らぬ間にひざを抱えてわたしの横に座った
(いさご、154ページ)
せんべいの欠片ちらばる卓伏台に二人がつくった真昼の宇宙
(イマイ、127ページ)
ねぇ、あしたふたりで下剤を飲もうかと日射しのなかできみは笑った
(イマイ、177ページ)
沖縄のアリは甘くて大きくて陽が落ちるのにも気づかずにいた
(こゆり、140ページ)
のうみそのいちばんちかいところまでとどくよきみのくれたみみかき
(こゆり、249ページ)
金魚鉢ぽちゃって音があっ鳴ったそこに生きてるものがいるのね
(森響子、43ページ)
いつもより光って見える自販機にあやかりたいな冬の陽炎
(森響子、229ページ)
あと二歩で杉並になる世田谷の自販機で買うコーラの甘味
(ロンゴロンゴ、124ページ)
広場にて酔いつぶれ寝る女らをまたいで歩く塾帰りの子
(ロンゴロンゴ、150ページ)
この連載には毎回テーマというものがあって、一回の最後に必ず次の募集テーマが載せられているのだけれど、そのテーマの選び方がすごくおもしろくって、読み進めるのがとても楽しい。「音」とか「時間」とか、「癖」とか「宝物」とか。
「どんなテーマでも、最初から「だよね」と思われるのは困る。それは予め知っていることを云われた読者が同意しただけで、本当の共感とはちがいます。まず読者が思ってもみなかった切り口を提示して、そこから真の共感を獲得したい」(248ページ)
短歌ってすげえ楽しいな。と心底から思った。ここではぜんぜん引用しなかったけれど、穂村弘の一首に対するコメントがどれもとても良いので、気になる方はぜひ。