恋愛詩集
わたしが書店で働くようになったのは18歳のときのこと、その後いろいろと店や担当分野を遍歴し、ついに書店を去ったのは昨年、つまり29歳のときだったが、十年以上もブックカバーをかける側の人間でありつづけたこともあってか、わたしはもう自分の本にはカバーをかけなくなってしまっている。国内の書店で「カバーをおかけしますか?」と尋ねられると、反射的に「いえ、結構です」と答える癖がついてしまっているのだ。そもそも、ここ数年はずっと海外暮らしなので、公共の場で開いていたって、わたしがなんの本を読んでいるかを判別できるひとなど、周りにはいやしない。だから先日の帰国の折、友人に薦められてこの本を購入したときにも、いつもどおり「カバーは要りません」と言ったのだが、帰りの電車内で、そのことをちょっと後悔してしまった。第一作にあたる、先日の『通勤電車でよむ詩集』もそうだが、このひとのタイトルの付け方は、あまりに直球なのである。小池昌代の選による詩のアンソロジー第二弾、その名も『恋愛詩集』。
ご覧のとおり、表紙がやけにかわいい。そして大きな文字で書かれた「恋愛詩集」という題。人前で詩を読むことを恥じる気持ちなどはぜんぜんないのだが、これはちょっと妙な誤解を招いてしまってもおかしくはないかわいさ、直球ぶりである。そもそも男が買うことなど、ぜんぜん想定されていないかのようだ。帰宅ラッシュの時間帯、混み合った電車のなかで開いていたら、小洒落たスーツを着た同年代のサラリーマンたちが、年中私服のわたしを横目で見ながら、「おいおい、見ろよ」とか、こそこそ言いはじめる気さえしてくる。くそ、知るかよ、と開いてみると、すぐさまこんな文章が目に飛びこんできた。
「恋するひとは狂気のひとだ。彼らの目は中心を失い、虹色になって輝いている。うらやましいがおそろしい。それはもはや、尋常な状態ではないのだから。恋は事件ではなく、事故なのだと思う」(「恋のさまざま――はしがきにかえて」より、12ページ)
あ、これは、と思う。ロラン・バルトの『恋愛のディスクール・断章』を思い出させるではないか。「恋するわたしは狂っている。そう言えるわたしは狂っていない」。バルトが寄りかかってきた瞬間、もう周囲の目などまったく気にならなくなった。さらにこんな文章がつづく。
「そんな彼らに恋歌のアンソロジーを薦めてみたところで、読んでる場合じゃないかもしれない。
では恋歌を、読むのはだれか。
今日も明日も、一見恋とは程遠い現実のなかで、汚れにまみれながら生きている、わたしたち、ではなかろうか」(「恋のさまざま――はしがきにかえて」より、12ページ)
証明終わり、である。この本に収められた言葉たちと無縁なひとなど、世界中のどこにもいない。途端に、胸を張る。男どもよ、この本を手にとれ、と。しかも、このアンソロジーに収められているのは、いわゆる恋愛詩ばかりではないのだ。まだ二冊目だというのに、さすが小池昌代、なんて言いたくなってしまう。
「アンソロジーの花束を、テーマという、きつい縄でしばりたくはなかった。これって恋愛詩? と思われるような作品も、ここにはさりげなく、混ぜてある。でもそれが、わたしの願う恋の姿だ。恋うとは遠いものに橋を渡すこと、そうだとしたら、詩のことばはみんな恋を生きている」(「恋のさまざま――はしがきにかえて」より、13ページ)
当然ながら、気に入った詩はいくつもあった。恋愛という「事故」が持つ、いくつもの顔が、ここにはふんだんに散りばめられている。かなり末期的なものからはじめてみよう。新藤凉子の「遅い」。
―――――――――――――――――――――――
遅い
あの帽子は
わたしがころんだすきに
波にのまれてしまったのです
ひろってください
帽子は波にのってただよっています
ほら
すぐ手のとどくところに
あなたが一生懸命
手をのばしたのはわかっています
今日は 海の水がおこっている日
あなたをさえ 波がのみこもうとしている
けど おそれずに
あの帽子をひろってください
わたしが願ったのは
帽子をとりもどすこと
ではなかったけれども
(新藤凉子「遅い」、174〜175ページ)
―――――――――――――――――――――――
恋に狂っているはずなのに、とても明晰。ヴァレリーを思い出す。「自分が何を言っているのかわかっていない、ということがわかっている人間!」(『ムッシュー・テスト』34ページ)。また、以下の「男について」も大変狂っていて、そのくせ、その狂気になんの違和感も感じない自分が、恐ろしくもなった。こちらはぜひ、小池昌代によるコメントも併せて見てもらいたい。
―――――――――――――――――――――――
男について
男は知っている
しゃっきりのびた女の
二本の脚の間で
一つの花が
はる
なつ
あき
ふゆ
それぞれの咲きようをするのを
男は透視者のように
それをズバリと云う
女の脳天まで赤らむような
つよい声で
男はねがっている
好きな女が早く死んでくれろ と
女が自分のものだと
なっとくしたいために
空の美しい冬の日に
うしろからやってきて
こう云う
早く死ねよ
棺をかついでやるからな
男は急いでいる
青いあんずはあかくしよう
バラの蕾はおしひらこう
自分の掌がふれると
女が熟しておちてくる と
神エホバのように信じて
男の掌は
いつも脂でしめっている
(滝口雅子「男について」、110〜112ページ。第三連中の「あんず」には、原文では傍点)
―――――――――――――――――――――――
「この詩の男は、男くさい男だが、平成の男はどうだろう。もう、匂いなんかしないかもしれない。それでも「好きな女が早く死んでくれろ」とは、ちょっとばかりは思っているんじゃないか。だって女も思っているもの。好きな男が早く死んでくれろと。憎んでいるから消えてほしいわけじゃない。ほんとに死んだらきっと泣く。泣いてる自分を思って泣く」(113ページ)
東直子の有名な一首を思い出してしまう。
一度だけ「好き」と思った一度だけ「死ね」と思った 非常階段
(東直子『春原さんのリコーダー』124ページ)
でも、相手がほんとうに死んでしまったとき、ひとはどんな言葉でその悲しみを語るのだろう。愛するひとの死というのは、恐ろしいことに自然の摂理の内側にあって、だからあらゆる時代・国の文学で語られつづけているわけだが、それでも、以下の茨木のり子の詩ほど、その感情を直接伝えてくるものは、わたしにはちょっと思いつかない。悲劇めいた調子などまったくないところが、かえって悲しみを誘う。そんなつもりがなくっても、読みかえすたびに涙が出てくる。
―――――――――――――――――――――――
夢
ふわりとした重み
からだのあちらこちらに
刻されるあなたのしるし
ゆっくりと
新婚の日々よりも焦らずに
おだやかに
執拗に
わたくしの全身を浸してくる
この世ならぬ充足感
のびのびとからだをひらいて
受け入れて
じぶんの声にふと目覚める
隣のベッドはからっぽなのに
あなたの気配はあまねく満ちて
音楽のようなものさえ鳴りいだす
余韻
夢ともうつつともしれず
からだに残ったものは
哀しいまでの清らかさ
やおら身を起し
数えれば 四十九日が明日という夜
あなたらしい挨拶でした
千万の思いをこめて
無言で
どうして受けとめずにいられましょう
愛されていることを
これが別れなのか
始まりなのかも
わからずに
(茨木のり子「夢」、146〜148ページ)
―――――――――――――――――――――――
「最愛の夫が亡くなった。四十九日目にやってきた彼は、「わたくし」の肉体に刻印を残す。魂だけになっても、彼には重みがある。その重みだけが、唯一のリアリティ。わたしにも信じられる。確かに彼がそこにいたこと。詩人の死後、「Y」と書かれた箱が発見され、そのなかに、夫を恋うる一連の作品がしまわれていた」(149ページ)
今回のコメントにも、すばらしいものが多い。詩人の来歴を簡潔に説明したものも多く、なかでもカミングズの翻訳がとても気になった。二度、おいしい。
「アルファベットを使い、革新的な詩法で幸福のヴィジョンを創造したカミングズ。徹底的に「個人」を貫き、私生活では人嫌いだったともいわれるが、子供だけは大好きだったらしい。訳者・藤富保男も機知に富んだ詩を書く詩人。卓抜な日本語の翻訳を得て、カミングズの詩が二度、おいしい」(26ページ)
コメントのなかには、それ自体が詩であるかのような、忘れがたいものも数多くあった。以下の「この詩にはまったく埃がつかない」なんて、これほどの褒め言葉は、そうそう浮かんでこない。それぞれ、どの詩に寄せられたものなのかは、内緒。
「作品にも作者にも、無名になることをめざしているようなところがあって、書かれてから半世紀以上もたつというのに、この詩にはまったく埃がつかない」(34ページ)
「橋を見ると驚く。願いが、そのまま形になっているから」(44ページ)
「ここには「裏切り」が描かれている。あれから長い時間が流れたけれど、裏切られたほうより、裏切ったほうがこうして相手のことを忘れていない」(141ページ)
長いので全文引用は諦めたものの、これは、と思った詩行を、あまり褒められたことではないとは知りつつも、備忘録代わりに抜粋してみる。一篇の詩の部分的な数行だけで、まとまった詩集を読んでみたいと思わせるのは、ものすごいことだ。
―――――――――――――――――――――――
突然の感情によって結ばれたと
二人とも信じ込んでいる
そう確信できることは美しい
でも確信できないことはもっと美しい
(ヴィスワヴァ・シンボルスカ(沼野充義訳)「一目惚れ」より抜粋、16ページ)
―――――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――――
ふたり一緒に歩いた十年の季節の展望は、
ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり。
(高村光太郎「樹下の二人」より抜粋、47ページ)
―――――――――――――――――――――――
最後に、もうひとつだけ気に入ったものを。こちらは全文。
―――――――――――――――――――――――
夜の脣
こひびとよ、
おまへの 夜のくちびるを化粧しないでください、
その やはらかいぬれたくちびるに なんにもつけないでください、
その あまいくちびるで なんにも言はないでください、
ものしづかに とぢてゐてください、
こひびとよ、
はるかな 夜のこひびとよ、
おまへのくちびるをつぼみのやうに
ひらかうとしてひらかないでゐてください、
あなたを思ふわたしのさびしさのために。
(大手拓次「夜の脣」、60〜61ページ)
―――――――――――――――――――――――
先日の『通勤電車でよむ詩集』だけでも、すでに読みたい詩集が百冊単位で蓄積されているというのに、立て続けにこれほどすばらしいアンソロジーを読んでしまって、いったいこれからどうするつもりなのだ、と自分に問いかけてしまう。
電車のなか、男も女も、みんな堂々とこの詩集を読んでいる。そんな世界が作れたら、とってもすてきだな、と思った。
〈掲載されている詩の一覧〉
※巻末の出典一覧、『通勤電車でよむ詩集』のときとは異なり、今回は初出の記載がなかった。ちょっと残念。
ヴィスワヴァ・シンボルスカ(沼野充義訳)「一目惚れ」『終わりと始まり』未知谷、1997年。
E・E・カミングズ(藤富保男訳)「はい は楽しい いなかです」『カミングズ詩集』思潮社海外詩文庫、1997年。
- 作者: E.E.カミングズ,E.E. Cummings,藤富保男
- 出版社/メーカー: 思潮社
- 発売日: 1997/06
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 20回
- この商品を含むブログ (2件) を見る
吉原幸子「初恋」『吉原幸子詩集』思潮社現代詩文庫、1973年。
岸田衿子「ニ」(あかしあは尽きないのに)『忘れた秋』書肆ユリイカ、1955年。
ヤニス・リッツォス(中井久夫訳)「井戸のまわりで」『リッツォス詩選集』作品社、2014年。
中原中也「時こそ今は……」『新編中原中也全集』第一巻、角川書店、2000年。
まど・みちお「橋」『まど・みちお全詩集』理論社、2001年。
江代充「わかれのかた」『江代充詩集』思潮社現代詩文庫、2015年。
松井啓子「ねむりねこと」『くだもののにおいのする日』ゆめある舎、2014年。
会田綱雄「伝説」『会田綱雄詩集』思潮社現代詩文庫、1975年。
萩原朔太郎「強い腕に抱かる」『萩原朔太郎詩集』岩波文庫、1981年。
谷川俊太郎「なめる/蛇/未来」『女に』マガジンハウス、1991年。
三角みづ紀「プレゼント」『三角みづ紀詩集』思潮社現代詩文庫、2014年。
伊藤比呂美「とてもたのしいこと」『伊藤比呂美詩集』思潮社、1980年。
ピエール・ルイス(沓掛良彦訳)「欲望」『黄金の竪琴』思潮社、2015年。
宮澤賢治「無声慟哭」『宮澤賢治詩集』思潮社現代詩文庫、1979年。
ライナー・マリア・リルケ(富士川英郎訳)「薔薇の内部」『リルケ詩集』彌生書房、1965年。
室生犀星「舌」『室生犀星詩集』思潮社現代詩文庫、1989年。
滝口雅子「男について」『滝口雅子詩集』土曜美術社出版販売、1984年。
ソホラーブ・セペフリー(鈴木珠里訳)「住所」『現代イラン詩集』土曜美術社出版販売、2009年。
- 作者: Farzin Fard,鈴木珠里,前田君江,中村菜穂,ファルズィンファルド
- 出版社/メーカー: 土曜美術社
- 発売日: 2009/06
- メディア: 単行本
- クリック: 3回
- この商品を含むブログ (2件) を見る
シャロン・オールズ(江田孝臣訳)「娘に」『アメリカ現代詩101人集』思潮社、1999年。
Strike Sparks: Selected Poems, 1980-2002
- 作者: Sharon Olds
- 出版社/メーカー: Knopf
- 発売日: 2004/09/28
- メディア: ペーパーバック
- この商品を含むブログを見る
阪田寛夫「かぜのなかのおかあさん」『夕日がせなかをおしてくる』岩崎書店、1995年。
阪田寛夫童謡詩集 夕日がせなかをおしてくる [美しい日本の詩歌]
- 作者: 阪田寛夫,浜田嘉,北川幸比古
- 出版社/メーカー: 岩崎書店
- 発売日: 1995/12/25
- メディア: 単行本
- クリック: 1回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
林芙美子「雷」『林芙美子詩集』思潮社現代詩文庫、1984年。
村野四郎「秋の犬」『村野四郎詩集』白鳳社、1967年。
左川ちか「緑」『左川ちか全詩集』森開社、1983年。
岩田宏「住所とギョウザ」『岩田宏詩集成』書肆山田、2014年。
正津勉「おやすみスプーン」『正津勉詩集』思潮社現代詩文庫、1982年。
ローゼ・アウスレンダー(加藤丈雄訳)「沈黙Ⅱ」『雨の言葉』思潮社、2007年。
- 作者: ローゼアウスレンダー,Rose Ausl¨ander,加藤丈雄
- 出版社/メーカー: 思潮社
- 発売日: 2007/12
- メディア: 単行本
- クリック: 6回
- この商品を含むブログ (20件) を見る
永瀬清子「あけがたにくる人よ」『永瀬清子詩集』思潮社現代詩文庫、1990年。
須藤洋平「貝殻骨」『みちのく鉄砲店』青土社、2007年。
高田敏子「布良海岸」『高田敏子詩集』土曜美術社出版販売、2001年。
中勘助「そろばん/切符」『中勘助全集』第十巻、角川書店、1960年。
新藤凉子「遅い」『新藤凉子詩集』思潮社現代詩文庫、1989年。
大岡信「はる なつ あき ふゆ」『大岡信全詩集』思潮社、2002年。