桃の花が咲いていた
もう詩以外のどんなものも読みたくない、というときには、目に入るすべての文字が詩に見えてくる。「ぼくが欲しいのは毒だけだ、詩を飲むに飲むこと」(マヤコフスキー『背骨のフルート』より)。今日は仕事をさっさと切りあげ、日没まで家で煙草を吸ってから、断食明けの喧騒のさなか、詩集を求めて書店へと向かった。それはかつて自分が働いていた書店で、その日本語書籍の棚には、わたしが注文したまま買い手を見つけられずにいる本が、まだたくさん残っている。いや、返品できるものなら、後任のひとがすでにあらかた返品してしまっている。わたしがつくった詩の棚に残っているのは、もはや返品不可能な出版社の本ばかり。詩集よりも売りやすい本は星の数ほどあるので、利益を度外視でもしないかぎり、貴重な棚面積を詩などに割いたりはしないのだ。それは経営職に就いた書店員としてはごく自然な考えかたなのだが、それでも返品できない本はどこにも行けない。つまり、詩の棚は、なくすことができない。後任のひとに悪いな、と思いながらも、同時にちょっとだけ、ざまあみやがれ、と思わなくもない。でも、いつまでも買い手が見つからないのでは、詩集のほうも可哀想だ。だからもう、自分で買うことにした。責任、取ります。うちの子に、なれ。
山之口貘『桃の花が咲いていた』童話屋、2007年。
童話屋の詩文庫というのは、贈り物にうってつけ、どこまでも気軽な選集なので、思潮社の現代詩文庫、岩波文庫やハルキ文庫の詩選集などに比べて、どうしても軽く見られがちだ、という気がしている。でも、「このひとはどんな詩人なんだろうなあ」という、ちょっとした好奇心に、これほどまでに見事に応えてくれるシリーズは、そうそうない。まず童話屋詩文庫を読んでみて、その詩人が気に入ったら、現代詩文庫などに手を伸ばせばいいのだ。一冊あたりの詩の収録数も多すぎず少なすぎず(いや、たまにちょっと少なすぎるけれども)、あくまでも気安さを第一に作られているのだと思う。こういうのがあってもいいんじゃない、という、作り手の声が聞こえてくるかのようだ。二段組だったり、300ページを超えてしまうような詩集は、「この詩人、めっちゃ好きだ!」という確信でもないかぎり、そうそう手が伸びないもの。でも、その詩人とすでに親しんでいるのなら、二段組も本の厚みも、喜ばしい要素でしかなくなる。だからこのシリーズは、そういう詩集をいっそう楽しむための、いわば、恰好のジャンプ台なのだ。
さて、山之口貘である。いきなりマヤコフスキーの引用からはじめてみたものの、このひとの詩を「毒」と呼ぶ気にはなれない。なにせ、可笑しいのだ。内田百閒の随筆でも読んでいるかのよう。それはこのひとが自分の貧乏ぶりを、どこまでもおもしろおかしく描くからだろう。「質屋」という単語が、このごく薄い詩集のなかで何度出てくることか。
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結婚
詩は僕を見ると
結婚々々と鳴きつゞけた
おもふにその頃の僕ときたら
はなはだしく結婚したくなつてゐた
言はゞ
雨に濡れた場合
風に吹かれた場合
死にたくなつた場合などゝこの世にいろいろの場合があつたにしても
そこに自分がゐる場合には
結婚のことを忘れることが出来なかつた
詩はいつもはつらつと
僕のゐる所至る所につきまとつて来て
結婚々々と鳴いてゐた
僕はとうとう結婚してしまつたが
詩はとんと鳴かなくなつた
いまでは詩とはちがつた物がゐて
時々僕の胸をかきむしつては
箪笥の影にしやがんだりして
おかねが
おかねがと泣き出すんだ。
(「結婚」、46~47ページ)
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自然に、田村隆一の語っていたことを思い出す。
「ぼくが敬愛してやまない内田百閒先生の説によれば――。
金持ちからは決して借金をするな。相手を喜ばせるだけだ。これほどつまらんことはない。金は貧乏人から借りるべし。爪に火をともすようにして貯めた金をこそ、借りろっていうんだ。そうすれば、いやがうえにもその相手との「真の交歓」が生まれる(笑)。友情などの比ではないんだよ。さらに、百閒先生はこう続ける。できるならば、その貧乏人が借金した金を借りてみろ! その時、君は「人生の怪人」と呼ばれるであろう(大笑)。どうだい、痛快だろう」(『詩人からの伝言』74ページ)
文人たちの金銭感覚、いかれてやがる。でも、こういうの、とても好きだ。そういえば先日の『村に火をつけ、白痴になれ』のなかでも、大杉栄もこんなことばかりしていた。貧乏暮らしとはいえ、みんなとっても楽しそうなのだ。重要なのは、それだけ。ケストナーが書いていたとおりだ。「金や、地位や、名誉なんて、子どもっぽいものじゃないか。おもちゃにすぎない。そんなもの、本物の大人なら相手にしない」(『飛ぶ教室』160ページ)。そこに、金子光晴が山之口貘を評した言葉がリンクしてくる。
「貘さんの詩は、まずまちがいない。安心してよませてもらえる。ゆめゆめ、勲章をもらう道具にするような了見がないからであろう。貘さんの詩を読んでいると、こんなにも楽しいのにじぶんの書いた詩となるとみるのも胸くそがわるい」(金子光晴「『鮪に鰯』への小序より、154~155ページ)
「貘君がもし、自殺したら、僕は、猫でも 鳥でも ななほしてんとう虫でも自殺できるものであるといふ新説を加える。――まあ、それほど 僕のみた貘君は、自然なのだ」(金子光晴「『思弁の苑』への序文」より、152ページ)
ところで、田村隆一は「春画」(『1999』所収)でも金子光晴のことを書いているけれど、このひと、どうも田村隆一にとって、金を借りる相手の筆頭にいたようなのだ。そして、山之口貘。なんておそろしい友人たち。たぶん色々なひとにお金を貸していたのだろうな、と思う。山之口貘は、佐藤春夫とも交流があったそうだ。
「誰か女房になつてやる奴はゐないか
誰か詩集を出してやる人はゐないか」
(佐藤春夫「『思弁の苑』への序文」より、149ページ)
ひどい書かれようであるが、親しさを感じさせるではないか。『虹消えず』を通じて知った堀口大學の弔辞、「他界の春夫に」なども、思い出してしまう。この時代の詩人たちの交流関係が、気になって仕方がない。
閑話休題、山之口貘の詩に戻ろう。佐藤春夫の懸念は杞憂であった。以下は、結婚生活の模様。
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ある家庭
またしても女房が言ったのだ
ラジオもなければテレビもない
電気ストーブも電話もない
ミキサーもなければ電気冷蔵庫もない
電気掃除機も電気洗濯機もない
こんな家なんていまどきどこにも
あるもんじゃないやと女房が言ったのだ
亭主はそこで口をつぐみ
あたりを見廻したりしているのだが
こんな家でも女房が文化的なので
ないものにかわって
なにかと間に合っているのだ
(「ある家庭」、90~91ページ)
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ああ、もう、「文化的」って、まさかこれほど便利な言葉だったのか。でも、この夫婦、なんだかんだとても幸せそうなのだ。仲良し。こういう関係って、すごくすてきだ。
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処女詩集
「思弁の苑」というのが
ぼくのはじめての詩集なのだ
その「思弁の苑」を出したとき
女房の前もかまわずに
こえはりあげて
ぼくは泣いたのだ
あれからすでに十五、六年も経ったろうか
このごろになってはまたそろそろ
詩集を出したくなったと
女房に話しかけてみたところ
あのときのことをおぼえていやがって
詩集を出したら
また泣きなと来たのだ
(「処女詩集」、60~61ページ)
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ほかに、こんな詩もあって、互いを思いやる気持ちがうかがえる。
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生きる先々
僕には是非とも詩が要るのだ
かなしくなっても詩が要るし
さびしいときなど詩がないと
よけいにさびしくなるばかりだ
僕はいつでも詩が要るのだ
ひもじいときにも詩を書いたし
結婚したかったあのときにも
結婚したいという詩があった
結婚してからもいくつかの結婚に関する詩が出来た
おもえばこれも詩人の生活だ
ぼくの生きる先々には
詩の要るようなことばっかりで
女房までがそこにいて
すっかり詩の味をおぼえたのか
このごろは酸っぱいものなどをこのんでたべたりして
僕にひとつの詩をねだるのだ
子供が出来たらまたひとつ
子供の出来た詩をひとつ
(「生きる先々」、22~23ページ)
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そうして生まれた「子供の詩」が、以下。
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ミミコ
おちんちんを忘れて
うまれて来た子だ
その点だけは母親に似て
二重のまぶたやそのかげの
おおきな目玉が父親なのだ
出来は即ち茨城県と
沖縄県との混血の子なのだ
うるおいあるひとになりますようにと
その名を泉とはしたのだが
隣り近所はこの子のことを呼んで
いずみこちゃんだの
いずみちゃんだの
いみちゃんだのと来てしまって
泉にその名を問えばその泉が
すまし顔して
ミミコと答えるのだ
(「ミミコ」、116~117ページ)
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ほかにも、気になったものとして、こんな詩があった。まさかのヴァレリー。
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博学と無学
あれを読んだか
これを読んだかと
さんざん無学にされてしまった揚句
ぼくはその人にいった
しかしヴァレリーさんでも
ぼくのなんぞ
読んでない筈だ
(「博学と無学」、18ページ)
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とびきり気に入ったのは、以下の「首」。この呑気さ、軽やかさは、ちょっと比類ない。
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首
はじめて会ったその人がだ
一杯を飲みほして
首をかしげて言った
あなたが詩人の貘さんですか
これはまったくおどろいた
詩から受ける感じの貘さんとは
似てもつかない紳士じゃないですかと言った
ぼくはおもわず首をすくめたのだが
すぐに首をのばして言った
詩から受ける感じのぼろ貘と
紳士に見えるこの貘と
どちらがほんものの貘なんでしょうかと言った
するとその人は首を起して
さあそれはと口をひらいたのだが
首に故障のある人なのか
またその首をかしげるのだ
(「首」、32~33ページ)
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でも、金子光晴はこんなことも書いていた。この一文が、いつかわたしをこの詩人のもとへ立ち返らせることになるような気がしている。
「詩は、目下、かれをたのしませて、詩がかけるから当然、生きてゐてもいゝと呑気にかまえさせてゐる。詩が、こつぴどく彼をいぢめるときがこなければ幸ひだ。あまりに詩人ならば、或は、そんな時が来ずにすむかもしれないが」(金子光晴「『思弁の苑』への序文」より、151ページ)
わたしは十代から一貫して海外文学ばかり読んできた人間なので、いまだって日本文学のことは、ほとんど何も知らない。そしてそれは、とてももったいないことなのだ、と、この詩人との出会いを通して痛感した。詩を飲むに飲むこと。日本語で書かれた詩の世界は、とんでもない沃野である。