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Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

虹消えず

翻訳者である以上に詩人であった堀口大學の、多彩な活動を俯瞰できる一冊。

虹消えず

虹消えず

 

堀口大學『虹消えず』新潮社、1983年。


「随想」「訳詩」「詩集」の順で、堀口大學の著作を一望できる贅沢な本だ。「随想」には『季節と詩心』より、「訳詩」には『月下の一群』より、といった具合に、選集という感じが強い。堀口大學の入門書としては最適だろう。

まず「随想」。ここには大學の与謝野晶子に対する敬意や、佐藤春夫との交流が描かれている。自らの琴線に触れない限り難解でしかない「詩」という芸術も、ここに散見できる成立過程を覗くことによって、少しだけわかる。例えば『月かげの虹』に収められた「他界の春夫に」を、『詩と詩人』の「佐藤春夫」を読んだ後に読むと、恐ろしい寂寥感に打ちのめされる。

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他界の春夫に

即興死とでも言いそうな
君のあの短気な死に方
あれは是非学びたいもの
だが 急な引越だったので
なれるまで
暫くはさびしかろうが
幸い君には詩作という
消閑のすさびもある
すこし落着いたら
早速また
先年僕をあっと言わせたあの傑作
『狂想三部曲』
あれのまた一歩さきを行く新風を
書きためて置いてくれ給え
いずれあの世の楽しみにして行こうから

(「他界の春夫に」『月かげの虹』より、『虹消えず』184~185ページ)
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与謝野晶子に対する評価は、単なる激賞を大きく超えている。

「万葉古今以来の、日の本の歌のしらべの伝統は、晶子にいたって初めて完大成されたのであって短歌十数世紀の歴史は、一人の晶子を生むための歴史であったとも言い得るのである。同時にまた私は、しらべある歌の伝統は、わが晶子を以って終るのではないかとも思うものである。完成は一種の虚無である。ここに晶子の悲劇がある。見給へ、すでに、晶子在生中から、伝統のしらべをよその短歌の流派が鬱勃としてこの国におこりつつあるではないか」(「与謝野晶子」より、65ページ)

この予言めいた文章は、現代の我々にとっては衝撃である。短歌の伝統は、今どこに残っているだろうか。

「翻訳こぼれ話」も大変面白かった。この本において直接小説の訳業を主題としているものは、これ一つだけである。大學の苦心が窺われて興味深い。

「今日ほど西欧の生活様式がわが国にしみこんでいない四十数年前のことだ。今なら、<彼はトーストにバターを塗って食べた。>と、さらりと訳せばよいところが、<彼は焼麺麭に牛酪を塗って食べた。>と訳してある。<トースト>と、そのまま用いたり<バター>という英語を用いたりは到底出来なかった。無理に用いても読者の過半数には通じなかった時代なのだ。<キス>は必ず<接吻><口づけ>だった。ベッドとは遠慮で用いかねて、一々寝台と訳したものだ。トンカツだのビフテキだのと、そのままで通用する今の時代がしみじみありがたいという気がする」(「翻訳こぼれ話」より、89ページ)

「随想」の中で何より面白かったのは「コクトオの見た日本」だ。ジャン・コクトーが来日した時、案内をしたのは堀口大學だった。コクトーは秘書と二人きりで来日し、彼らの持参した小さなスーツケースにはそれぞれ、「フィレアス・フォッグ」、「パス・パルトウ」と書かれていたそうだ。どちらもジュール・ヴェルヌ『八十日間世界一周』の主人公の名前である。

「阿片は、堀口君、地球の上で、最も美しい物質だよ。それはまるで純金のような美しさだ。見ているだけでも僕の心は落着いてくる。この物質を発明した中国人は偉大な民族だ」(「コクトオの見た日本」より、53ページ)

「すべての芸術作品は、僕等にあの黒奴の疑いを持たせなければならないのだ。作った人間が消えてしまって、神の作ではないかと思わせるところまでゆかねばならないのだ」(「コクトオの見た日本」より、55ページ)

訳詩については何も語る必要はないだろう。『月下の一群』は今でも手に入る。やはりヴェルレーヌアポリネールの詩は凄い。ただ『月下の一群』に含まれていないシュペルヴィエルの詩が驚くほど良かった。

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炎の尖端  ジュール・シュペルヴィエル

一生の間
彼は蝋燭の灯で
書を読むを愛した。
彼はよくその炎を手にかざし
自分が生きてゐること
自分が確に生きてゐることを確めたものだ。
死んだ時以来
彼は自分のそばに
燃える蝋燭を立ててはゐるが
すでに両手は隠したままだ。

(「炎の尖端」『海軟風』より、『虹消えず』131ページ)
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大學自身の詩も良かった。

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死後

私の死んだ後に
一人が私の歌を歌ふかも知れぬ
私の知らぬ一人が…………

一人がこれ等の歌の中に
彼みづからの愁しさを見出で
やさしく小声に
私の名をつぶやくかも知れぬ
私の知らぬ一人が…………

敗者であり
弱者であり
そして私の知らぬ一人が
私の死んだ後に
これ等の悲しい歌によって
私を愛してくれるかも知れぬ
私の知らぬ一人が…………

(「死後」『新しき小径』より、『虹消えず』145~146ページ)
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そんな一人になりたいものだ。
堀口大學の知らぬ一人が、今後も増え続けることを祈る。

虹消えず

虹消えず

 

 

<読みたくなった本>
堀口大學『詩と詩人』講談社、1948年。

堀口大學『季節と詩心』

季節と詩心 (講談社文芸文庫)

季節と詩心 (講談社文芸文庫)

 

堀口大學『月光とピエロ』

月光とヒ゜エロ (愛蔵版詩集シリーズ)

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ジャン・コクトー『阿片』

阿片―或る解毒治療の日記 (角川文庫)

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与謝野晶子歌集』

与謝野晶子歌集 (岩波文庫)

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シュペルヴィエル詩集』

シュペルヴィエル詩集 (1955年) (新潮文庫)

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工藤美代子『黄昏の詩人――堀口大學とその父のこと』

黄昏の詩人―堀口大学とその父のこと

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柏倉康夫『敗れし國の秋のはて』

敗れし國の秋のはて 評伝 堀口九萬一

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