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「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

戦争と世界

 唐突にマヤコフスキー。じつはこれについても近々書くつもりだが、ブレヒト『アンティゴネ』を読んでいて思い出した一冊なのだ。戦争の残酷さ、というより、もっと具体的に、戦争に駆り出されること、無理やり動員されることの残酷さについて考えたとき、この二冊は強く共鳴し合っている。前に一度読んでいたのだが、今回思い出して再読した。再読しやすい長さなのも、このマヤコフスキー叢書のすばらしい点だ。

戦争と世界 (マヤコフスキー叢書)

戦争と世界 (マヤコフスキー叢書)

 

ヴラジーミル・マヤコフスキー小笠原豊樹訳)『戦争と世界』土曜社、2014年。


 第一次世界大戦が起こったのが百年前だというのは奇妙な感覚だ。たったの百年前とも思えるし、同時に、もう百年も昔のこと、とも感じられる。戦争が忌むべきものであることは疑いないし、その点ではたやすく人びとの同意を得られるとも信じているけれど、じゃあなぜ戦争はひどいものなのか、と尋ねられると、英雄的なイメージの強い映画などが邪魔をして、正直わたしには具体的なイメージが湧いてこない。戦争という危機的状況が、自分の内面になにか好ましい変化をもたらしてくれる、という予感さえ抱いている。アニメの見すぎだろうか。百年という期間が感覚を鈍らせてしまっているにちがいないが、マヤコフスキーはこの詩のなかで、なぜ戦争は好ましくないものなのか、端的に教えてくれた。それはきっと、望むと望まないとに関わらず、われわれの意思とは無関係に、「動員される」ものだからなのだ。

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何なんだ、これは。
何人かの禿頭がひっついて一個の月になった。

(25ページ)
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耐えがたいほど明らかになったのは、
もしも人々を集めて中隊に束ね、
おもむろに人々の静脈を切開しなければ、
汚染された地球は
ひとりでに死ぬだろうということ。

(34~35ページ)
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 セリーヌ『夜の果てへの旅』ヴォネガット『スローターハウス5』を読んでいてなお、戦争の悲惨さを理解するのにマヤコフスキーを必要とする。それが平和に慣れすぎた現代のわれわれの感覚なのかもしれない。わたしはいま中東に住んでいるので、いまでも家の近くでロシアあたりが精巧な爆撃によって人びとを縮みあがらせているところだと思うのだが、そのだれもが意思とは無関係に「動員された」という一点が、なにより途方もない悲しみを誘う。

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古代ローマの皇帝たちの虐殺の伝説も、
今始まったばかりの
現実には及ばない!
奇怪至極の誇張のことばも、
これに比べれば
子供の頬の朝焼けほどの愛らしさ。

(40ページ)
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今日、
世界は
全体がコロッセオ
七つの海の波がことごとく
ビロードのように敷きつめられた大競技場。

(40ページ)
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 でも、マヤコフスキーは戦争と詩は共存しえないと語る。戦争の言葉と詩の言葉とは、きっと同じ文体には収まらないのだろう。戦争体験に関するこれほど多くの文学作品が書かれた20世紀という時代を経て、21世紀のわれわれが本当にまた未曽有の戦争をはじめるのだとしたら、それは人びとが書物を手に取らなくなった証左、先人たちの遺してくれたものの価値に気づけなくなったという告白なのかもしれない。

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怒りの叫びは
おだやかな詩集の詩とごっちゃにはならない。

(27ページ)
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だめだ!
詩では無理だ!
喋るよりは
舌を紐みたいに結んでしまうほうが
まだましだ。
これは
詩では語れない。
甘やかされた詩人の舌で
燃える七輪を舐められるものか。

(63~64ページ)
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 それでもマヤコフスキーは彼らしい言葉遣いで、戦争を描いていく。この途方もなく壮大なスケールに、唐突に、一瞬にして飛躍していく感じ、これを読んでいると「ああ、マヤコフスキーだ!」と思う。

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歩道の鍵盤をぶっ叩く男たちは、
淫らな通りの狂暴化したピアノ弾きの群だ。

(27~28ページ)
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太陽は発狂したペンキ屋、
埃まみれの人間を襲って、
オレンジ色に塗ったくった。

(33~34ページ)
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おそらく、
もう
時間という名のカメレオンには
色が一切残っていないのだ。

(73ページ)
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 宗教もしくは宗教的な言葉が何度も登場するのは、これが現代における最大の火種となっていることとも無関係ではないだろう。宗教が異なるだけで、どうしてこれほど互いを理解できなくなるのか、宗教を持たないわたしにはまったく理解できない。

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ロシアよ!
アジアの強盗の情熱はもう冷えたか?!
血の中で欲望がどっさり沸いている。
福音書の蔭に隠れたトルストイの輩を引きずり出せ!
やせ細った足をつかまえろ!
鬚面を石畳の上で引きずれ!

(37ページ)
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南からは
コンスタンチノープル
回教寺院の歯をむき出して、
虐殺死体を
ボスポラス海峡
嘔吐した。
波よ!
お供えの聖パンの残りに齧りついてるあいつらを、
散り散りに押し流してくれ。

(47~48ページ)
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魂に白い翼が生え、
射撃音のなかから兵士たちの呻きが伝わってくる。
「お前、天国へ行ったら
絞め殺すんだ、
絞め殺すんだ、あの
負け知らずのやつを」

(56ページ)
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 戦争が終わったのちも、世界はもう同じものではなくなっている。なにせ、「のどかに草むしりをして」いる「おとなしい連中」が、「大砲の悪党ども」だったかもしれない世界なのだ。すごい説得力。無理だ、と思う。

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信じられまい、
あの連中が
死神を嘔吐しながら航海したとは。
火薬のことなど永遠に忘れて、
戦艦の乗組員たちは
さまざまな一口話を船倉に積み込み、
静かな港へと運んで行く。

大砲の悪党どもを一体だれが今こわがるのだろう。
あの
おとなしい連中が
砲弾を破裂させるのですと?
連中は家の前の
空地で
のどかに草むしりをしてござる

(90~91ページ)
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 冒頭、「プロローグ」と題された箇所で、マヤコフスキーは全力で戦争を拒否している。動員を拒否している、と言ったほうが適切かもしれない。ボリス・ヴィアンの「脱走兵の歌」のような雰囲気さえ漂ったここを読んだあとに、上のような情景が繰り広げられるのだ。あらためてものすごい構成だと思う。

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帰還した連中に、
きみらの悲しみが
何だというのだ、
何やら詩の縁飾りみたいなものが
何だというのだ?!

(18ページ)
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あとはもう、
銃殺するならしろ、
柱に縛りつけろ!
おれは顔色ひとつ変えないよ!
なんなら、
エースの札を
おでこに貼ろうか。
的がはっきり見えるようにさ?!

(21ページ)
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 マヤコフスキー叢書もこれで、『ズボンをはいた雲』『悲劇ヴラジーミル・マヤコフスキー』『背骨のフルート』につづき、早くも4冊目である。小笠原豊樹さんが亡くなってしまった悲しみを癒してくれる稀有な出版事業なので、今後も土曜社にはがんばってもらいたい。すぐには読めないかもしれないけれど、全巻ぜったいに買います。

戦争と世界 (マヤコフスキー叢書)

戦争と世界 (マヤコフスキー叢書)