金曜日の砂糖ちゃん
調子づいてまたしても酒井駒子。『BとIとRとD』を読んだ直後に、本棚から慌てて引っ張り出してきたもの。購入したのはずいぶん昔のことなのだが、理由ははっきりと覚えている。帯の推薦文を書いていたのが、江國香織だったから。いま思うとかなり気持ち悪い男であるが、推薦文なども含め、江國香織の影がする本を古本屋で手当たり次第に購入していた時期がかつてあったのだった。
ごくごく短い作品が三篇収められている、小さな小さな本である。『BとIとRとD』ほどにはぶっ飛んでいないものの、それでもこの本が読みものとして広く普及しているような未来図は想像できない。今日買ったばかりの『Pooka+ 酒井駒子 小さな世界』では、この本の三篇はこんなふうに紹介されていた。
「『金曜日の砂糖ちゃん』は、カマキリに守られてお昼寝する女の子の話。『草のオルガン』は、つまらないことがあった男の子が知らない場所へ行く話。『夜と夜のあいだに』は、夜中に起きて、家を出てしまう女の子の話。どれも、古い映画のフィルムのように幻想的で繊細」(『Pooka+ 酒井駒子 小さな世界』39ページ)
じつはこの紹介、ものすごく的確なのである。というか、筋書きとしてはここに書かれていることがすべて、と断言してもいい。まず表題作の「金曜日の砂糖ちゃん」についてだが、これは本の表紙にもなっている女の子の名前である。こんなにすてきかつ詩的な名前がどんな由来でこの女の子に授けられたのか、もしも作者が長篇作家だったとしたら、腕まくりまでして長々と物語を仕立てあげるところだと思うのだが、酒井駒子はそんな安易な予感を一秒で裏切ってみせる。
「女の子は 皆から
“金曜日の砂糖ちゃん”と
よばれています。
(ちょっと 変わった名前でしょう。
でも 良い名前です。女の子らしくて)」
(「金曜日の砂糖ちゃん」より、6ページ)
名前については、これだけ。「ちょっと 変わった名前でしょう。/でも 良い名前です。女の子らしくて」! マジかよ。圧倒的である。物語をつくりあげる要素に対する一般的な比重の感覚が、酒井駒子の場合には通用しないのだ。このひとは一般道を走らない。どんなところへ連れていかれるのか、まるで想像がつかない。そして彼女の描く子どもたちの無表情は、どんな予見をも許してはくれない。
「今日 ぼくは
さみしいことが
あったから
つまらないことが
あったから
知らない道を
とおって 帰る」
(「草のオルガン」より、22~26ページ)
こちらは「草のオルガン」。もう察せられると思うが、どんな「さみしいこと」、「つまらないこと」があったのか、作者も描かれている男の子の表情も、語ってはくれないのだ。とはいえ、男の子は本当にじつにさみしい/つまらなそうな顔をしていて、それがとてもいい。口、開いてるし。過程については沈黙を守るが、その結果については雄弁な顔。「草のオルガン」はとくに好きだな、と思った。
最後の「夜と夜のあいだに」に関しては、書かれている文字以上に絵が突き刺さってくる。この作品に関しては言葉は無力なので、ぜひその目で絵を見てもらいたい。びっくりする。
酒井駒子、ちょっとたまらない。原作者がほかにいるわけではない、絵描きである彼女自身が紡ぐ物語は、どんな想像もやすやすと越えていく。彼女の描いたものはもちろん、書いたもののほうも、もっともっと読んでみたいと強く思った。
〈引用しましたコーナー〉