Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

どうして僕はこんなところに

 今月頭に読んだ『ウッツ男爵』があまりにおもしろかったので、もっとほかのも読んでみたいと思い手に取ったブルース・チャトウィンの作品集。2012年刊行だというのに残念ながらすでに絶版になってしまっているが、まだ在庫している書店を見つけられたので、ほとんど無理やり取り寄せた。

どうして僕はこんなところに (角川文庫)

どうして僕はこんなところに (角川文庫)

 

ブルース・チャトウィン(池央耿・神保睦訳)『どうして僕はこんなところに』角川文庫、2012年。


 これはチャトウィンが最晩年に自ら選んだ作品集で、文庫本で500ページもある。紀行文に気楽なエッセイのようなもの、さらには学術論文のごとき知性の洪水のような文章も収められており、読んでいてけっして飽きることがない。かなりの時間をかけて、じつにゆっくりと読んだのだが、ページを開くたびにチャトウィンの語る物事――歴史や芸術運動、作家やその作品、はたまた文化人類学的な考察――への関心が高まり、何度も中断し、その関心を満たしてくれるであろう本にむさぼりつきたい衝動に駆られた。なぜ中断せずに読み終えることを選んだのか、読み終えたいまになってみると信じられないほどである。それはきっとチャトウィンの文章が持つある種の気安さ、親密さの為せる業だったのだろう。

「大佐は手を振って伍長を下がらせると、憂鬱そうに私を眺めた。完璧にプレスされた落下傘部隊の制服に身を包み、帽子には赤い星をつけている。襟の折り返しにも赤い星が見えた。首の後ろには脂肪のかたまりが揺れている。分厚い唇は両端が垂れ下がっている。なぜか、悲しげなカバに見える。大佐が悲しげなカバに見えるなどと思ってはいけない、と自分に言い聞かせた。何があろうとも、私が大佐のことを悲しげなカバに見えると思っていることを、気取られてはならない」(「クーデター――物語」より、32ページ)

「アマゾネスと話していた伍長が戻ってきて、私たちにも下着一枚になれと命じた。まさしく、ルールなどどこにもありはしない。私は躊躇した。下着をつけていたか、確信がなかった。だが、腰に銃口をつきつけられては、下着をつけていようがいまいがズボンを脱がねばならぬと観念した。脱いでみると、私はブルックスブラザーズのピンクと白のボクサー・ショーツをはいていた」(「クーデター――物語」より、38~39ページ)

 先日紹介した『ウッツ男爵』ではチャトウィンは美術鑑定に通じた小説家だったが、じつは彼は稀代の旅行家として知られる人物だ。文字通りどこへでも行き、信じられないほど危ない目に何度も遭っている。1989年に48歳の若さで病死したため、夭逝の天才として語られることが多いが、正直もっと早く殺されていたとしてもまったくおかしくないような死地を、何度も乗り越えてきているのだ。時には軽率と呼ばれても仕方がないほどの、凡百な頭では計り知れない行動力をこの作家は持っている。

「違う。これは私のアフリカではない。こんなに雨ばかりで、果物が腐るアフリカなど、私のアフリカではない。血と殺戮のアフリカも違う。私の愛したアフリカは、北のゆるやかにうねるサバンナの大地だ。枝を広げたアカシアが見渡す限りに続く、まだら模様の大地。黒白入り交じったサイチョウがいて、高く赤いシロアリ塚がある。そのアフリカへ戻るたびに、そう、ラクダのキャラバンを目にし、白いテントや陽炎に遠く浮かぶ青いターバンが一つでも見えれば、ペルシア人が何といおうとこの世の天国とは庭園などではなく、棘だらけの白い木の広がる荒れ地だと確信した」(「クーデター――物語」より、42ページ)

「「この男は何者だ?」
 「イギリスから来た私の友人です」ジャックが答えた。
 「名前は?」
 「ブルース」
 「それじゃブルース、君は何座だ?」
 「牡牛座です」
 「牡牛座? 牡牛座だって?」
 「ええ、五月十三日生まれですから」
 「君は嘘つきだ」
 「本当に五月十三日生まれですよ」
 「この男を見ろ」
 黒のスウェットシャツを着たボディガードが、上腕を曲げて見せた。
 「彼こそ牡牛座だ。あんたはどうだ、てんでひ弱じゃないか!」
 胸の大きな女の子がきて会話が打ち切られたときには、私は心からほっとした」(「ライマン・ファミリー――物語」より、64~65ページ)

 章が変われば舞台も変わり、この一冊を読み終えたときには、ガーナにもロシアにも中国にも足を踏み入れたような気分になっていた。さきほども書いたとおり、おもしろいのは章が変わるたびにまるで異なることが話題になる点だ。たとえば、ロシアの美術蒐集家ゲオルギー・コスタキについて語られる章での、抽象芸術の隆盛と衰退の歴史はとくに興味深い。

「コスタキはけっして裕福な方ではなかったが、使える金はすべて絵につぎ込んだ。時には言い値の二倍三倍を申し出ることもあったと第三者から聞いた。おかげで、次の作品を手に入れるために毎回悪戦苦闘するはめになった。数年前、彼は金を貯めて車を買った。夫人はこれでピクニックに行けると有頂天だった。数日後、一枚のシャガールが届き、車はなぜか修理工場に戻された。彼は妻に訊いた。「シャガールと車とどっちがいい?」「そりゃシャガールもいいけど……」。シャガールは壁を動かず、車は修理工場から戻らなかった」(「ゲオルギー・コスタキ――ソ連の美術蒐集家」より、220ページ)

「ここはロシアの非公式な現代美術館として、あらゆる国の専門家や好事家を惹きつけている。来客名簿はストラヴィンスキーの直筆に始まり、馴染みのある名がずらりと並ぶ。東西の美術館館長たちによる恭しい讃辞が、このコレクションの比類のなさをはっきりと証拠立てている。ソ連のある有名俳優が書いている。「最も活気にあふれた、世界最高の美術館の一つだ。私は素面(しらふ)だ」」(「ゲオルギー・コスタキ――ソ連の美術蒐集家」より、222ページ)

 ゲオルギー・コスタキが蒐集した抽象芸術の傑作群は、ソ連の支配下で最終的には抑圧され、長いあいだ忘れ去られることを運命づけられた芸術運動のまばゆい遺産であった。『シュルレアリスムとは何か』『ダダ・シュルレアリスムの時代』を読んだときには気づいていなかったことだが、わたしは芸術運動というものに目がない。個人的なものであるはずの芸術が集団によって組織され、運動として起こるということのメカニズムに、ただならぬ関心を抱いているのだ。

「独裁的な社会が人間の像(イメージ)を好むのは、そうした像がヒエラルキーの全階級において支配の絆を強めるからである。だが、純粋な形態と色彩からなる抽象芸術は、単なる装飾ではなく真面目な作品であれば、現実世界の限界を超え、隠れた普遍的法則の世界へ入りこもうと努めるがゆえに、世俗権力のまやかしを嘲笑う」(「ゲオルギー・コスタキ――ソ連の美術蒐集家」より、230ページ)

「激しい闘争心に燃えて、左翼芸術家は階級の壁を打破し、平等な芸術を民衆に押しつける仕事に取りかかった。政府に対し「イーゼル画家の会」を解散させ、あらゆる伝統的形式の絵画を廃止するよう要請した。まさしく革命だからこそ、異国風、西欧風のアカデミックな伝統とは完全に訣別しなければならない。新しい人間が「荷を積みすぎたラクダのごとく押しつぶされる」のを防ぐため、過去の遺物を投げ捨てよと彼らは叫んだ。ボグダーノフに言わせれば、過去の芸術は宝庫などではなく、前時代を攻撃するための武器庫である。「古い世界を叩き壊すのだ」とマヤコフスキーは宣言した。彼はアダムからマヤコフスキーに至るすべてのものをごみ箱に葬るよう提唱する」(「ゲオルギー・コスタキ――ソ連の美術蒐集家」より、231ページ)

 こんなものを読んだあとでも関心を抱かないとしたら、どうかしているというものだ。すでに何冊もの関連書を取り寄せているところなので、この「ロシア・アヴァンギャルド」と通称される20世紀前半の運動については、今後もっと掘り下げていきたいと思っている。特に気になるのが、詩人マヤコフスキーだ。折しもわたしが最も敬愛する翻訳者のひとり、小笠原豊樹による伝記や訳業が、土曜社を中心に刊行されはじめたところだ。天啓を感じずにはいられない。

 チャトウィンには美術オークションで知られるイギリスのサザビーズで、美術鑑定士をしていた経歴がある。まったく多才なひとである。その該博な知識は彼が文字通りどこにいても顔をのぞかせ、その文章をただ土の匂いにまみれた旅行記以上のものにしていると言ってもいいだろう。

「ハワードの絵画は、多かれ少なかれつねにエロティックだった――あからさまでない分、なおさらエロティックなのだ。どうやら彼は、激しい感情をかき立てる主題でないと、制作に入れないようだ。だが次には、その主題を曖昧にぼかすか、少なくとも遠回しに表現しようとする。しかし、そもそもあらゆるエロティックな美術とは、単なるポルノグラフィとは反対に、遠回しなものではあるまいか。性行為の記述など、空から見た風景の描写に劣らず退屈で、無味乾燥である。フローベールが描いた、ルーアンの連れ込み宿におけるエンマ・ボヴァリーの部屋の描写、それも行為の最中ではなく、その前後の描写こそ、近代文学で最もエロティックな一節であるのは間違いない」(「ハワード・ホジキン」より、115ページ)

「ある若い士官は、暴徒と化した兵士たちがまず楽器から叩き壊すのが不思議だ、と漏らした。「彼らの行為は、軍神マルスが知の女神ミューズの対極にあることの象徴ではないだろうか。私は、同じテーマを描いたルーベンスの大作を思い出した」破壊の限りを尽くす兵士も、鏡には手を出さない。これはどうしてだろうか、と若い士官は首を捻った。髭剃り用かと士官は考えたが、ユンガーは他に理由があるのだろうと思った」(「エルンスト・ユンガー、戦う美の追求者」より、414~415ページ)

 また、チャトウィンはとてつもない愛書家でもある。これほど多くの書物を読んでいるひとはそうそういないように思えるのだが、そのことが声高に指摘されないのはいったいどうしてだろう。この『どうして僕はこんなところに』では、じつに多くの作家が登場し、さらに多くの書名が登場している。詳しくはかつてないほど引用文で膨れあがった末尾の「読みたくなった本リスト」を参照してもらいたいが、なんでもないところでひょっこりと言及される作家の名前や書名が、彼の文章を魅力的なものにしているのは疑いない。

「沼に渡した踏板を越えながら考えた。「ツルゲーネフの小説の一こまにそっくりだ。語り手とその飼い犬が沼を渡ると、その足元からヤマシギがさっと飛び立つくだりだ」。私は一、二歩前へ出た――すると、なんとヤマシギが飛び立った! これがツルゲーネフの小説なら、遠くから歌声も聞こえてくるはずだ。それから、リンゴのようなほっぺたをした農家の娘が、恋人との逢い引きのために急いで駆け出してくる。私はもう百ヤードほど歩いた。すると初めに歌声が聞こえ、それから木の間隠れに、土地の女の白い被り物が見えた。私はそばへ近づいた。だが彼女はブラックベリーを摘むのに余念がなかった。女は若くはなかった。髪をヘンナ染料で染め、入れ歯をしていた。わたしは自分が摘んだキノコを差し出した。「ニエット!」にべもない一言が返ってきた」(「ヴォルガ川」より、261ページ)

ロシア文学にはつきものの、釣りやチェスやビリヤードの世界に閉じこもるには、ここはそれほど悪い場所ではない。今は1982年で、1882年ではないのだと思い知らせてくれるのは、時おりやってくるマクシム・ゴーリキー号の乗客だけなのだから」(「ヴォルガ川」より、262ページ)

 作家や芸術家がそのまま章の主題となっていることも多いのだが、なかでもアンドレ・マルローとエルンスト・ユンガーについて書かれた章は忘れがたいものだった。

「彼の存在そのものが、聴き手を恍惚とさせる。その声は切れのいい情熱のほとばしりから甘いささやきへと自在に変化する。人は自然に彼の言葉の支配下に入ってしまい、後になって、自分がすっかりふりまわされたことに気づく。彼は読者の知性を、ぎりぎりの限界にまで追いつめる。概念、感覚、警告、哲学思想、そして驚くべき類推が、次から次へとつめこまれる。人の度肝を抜く洞察のあとに、あわてて付け足したようなもっともらしい説明が続く。読み手はすっかり煙に巻かれている。マルローの難しさに触れて、かつてコクトーは意地の悪い言葉を吐いた。「『人間の条件』を読んでいる人間なんて、実際にいるのかね?」マルローの作品は、翻訳されると著しく変質する。その高度に緊迫したレトリックは、フランス語でこそ輝きを放つもので、英語ではうまくおさまらない」(「アンドレ・マルロー」より、169ページ)

「フランスでは、芸術はすべて、社会の周辺部分に存在する。外務省では、私は生き残れなかっただろう。あなた方のイギリスにはない、この国のよいところは、思索家を重んじる伝統が残っていることだ。思索家の影響は、やがて革命という形で結実する。ヴォルテールしかり、ルソーしかり。その力が、社会の周辺にあった芸術に正統性を与える」(アンドレ・マルローの言葉、「アンドレ・マルロー」より、186ページ)

 アンドレ・マルローの『人間の条件(La Condition humaine)』は、Gallimard社が刊行しているペーパーバック版シリーズFolioの記念すべき第一冊目を冠する書籍で、じつはずっと気になっていた(ちなみに二冊目はカミュ『異邦人(L'étranger)』である)。コクトーの意地悪が大変気にかかるところではあるが、こればかりはぜひともフランス語で読んでみたいと思う。

 また、マルローがこんなことを語っているのも、忘れずに指摘しておきたい。

「フランスの古典的知識人は『書物に関わる人』で、その伝統はヴォルテールに始まっている。もっともヴォルテールは政治的にかなり強い力を持っていたから厳密には正しくないのだが、『書物の人』としての彼の評判はすっかり定着していたからね。そして、君は若いからよく知らないかもしれないが、非常に重要な役目を演じた男がいた――アナトール・フランスだ。大変な才能の持ち主で、彼が死んだときは、国葬が行われたのだよ。彼自身『書物の人』だったが、彼の描く主人公たちもまた、『書物の人』だった」(アンドレ・マルローの言葉、「アンドレ・マルロー」より、191ページ)

 アナトール・フランス! これを読んでわたしが狂喜したのは言うまでもない。主人公が「書物の人」というのは、『シルヴェストル・ボナールの罪』のことを語っているのに違いないだろう。マルローはじつにいろいろな作家のことを「若者」であるチャトウィンに語って聞かせているのだが、ソルジェニーツィンについてはこんなことを言っていた。

「マルローはソルジェニーツィンのことを、前世紀トルストイ風小説家、と称した。パステルナークやバーベリによる進歩をまるで無視している作家だ、と言う」(「アンドレ・マルロー」より、189ページ)

 じつはこの本のなかでソルジェニーツィンに対する批判を目にするのは、これが初めてのことではない。すこし前の章で、ナジェージダ・マンデリシュタームも彼の名を挙げているのだ。むしろ関心が湧いてくるではないか。

「「今のロシアに偉大な作家などいないわね」低くくぐもった彼女の声には怒りが滲んでいた。「この国でも、名作はもう生まれないわ。ソルジェニーツィンはわがロシアの作家よ。でも、それさえ喜んではいられない。ソルジェニーツィンの問題はここにあるのよ。つまり、彼自身が真実を語っているつもりでいるとき、実はとんでもない嘘を喋ってしまうということ。でも、彼が想像力を駆使して物語を創造しようとすると、時には真実を掴むこともあるのよ」」(「ナジェージダ・マンデリシュターム――ある訪問」より、122ページ)

 エルンスト・ユンガーについては今すぐ紐解きたいほどだ。彼にまつわるエピソードで、こんなものがあった。ここにもコクトーが登場している。大興奮の一節である。

「ユンガーはギトリの自宅に招かれて、昼食を共にする。フローベールの『感情教育』の生原稿や、女優サラ・ベルナールが愛用した金色のサラダボウルに目を見張る。やがてユンガーは、ジャン・コクトーと彼の「寵臣」ジャン・マレーの知己を得て、文豪プルーストがベッドの中で客を迎えた話を聞かされる。プルーストは、爪を噛む癖が出ないよう、黄色いキッド革の手袋をはめたままで、整理ダンスの上には「チンチラの毛皮」と見紛うほど、埃が積もっていたという」(「エルンスト・ユンガー、戦う美の追求者」より、428~429ページ)

 作家以外にも、興味を惹くことはいくらでもある。チャトウィンが生涯をかけて探求したテーマ「ひとはなぜ旅をするのか」という事柄に関連して、遊牧民に関する考察が現れるのだが、これが非常におもしろい。

「ロシアの歴史では、タタールとモンゴルは同義語である。十三世紀にヨーロッパの辺境に現れたタタール騎馬民族は、世界の終わりを告げるためにキリストの対立者がこの世に遣わしたゴグとマゴグの軍団だと考えられた」(「ヴォルガ川」より、243ページ)

ノマド遊牧民)という単語は、牧草地の意味をもつギリシア語のノモスからきている。正統のノマドは移動する牧畜者で、家畜動物の所有者・飼育者である。流浪の狩人をノマディック(遊牧する人)と呼ぶのは、単語の意味を取り違えている。狩猟は動物を殺す技術であり、牧畜は動物を生かして役立てる技術である。狩人と遊牧民の心理的隔たりは、遊牧民と農耕者のそれと変わらない。ノマディズム(遊牧生活)はかなり広範な地域で生まれた。土地がやせていて経済的に耕作できない地域――サバンナ、ステップ、砂漠、ツンドラなどでは、動物たちは移動することによって、その個体数を支えているのだろう。遊牧民にとっては、移動することが精神基盤である。移動しなければ、家畜は死んでしまう。一方農耕民族は、自分の土地に縛りつけられている。もし土地を離れれば、作物は枯れてしまう」(「遊牧民の侵入」より、305~306ページ)

 チャトウィンとは比べるべくもないが、わたしもひとから「ノマド」と呼ばれることがある。日本に留まることをせず、いつまでもふらふらしていることを批判されているわけなのだが、ノマディックな生き様、というものに大きな共感を抱いていることも否定できない。以下の一節は首がもげるほどに頷きながら読んだ。

「人間は本質的に、広い意味での移動に対する止むに止まれぬ衝動を持っているのだということを、認めるべきだろう。旅をするという行為は、人に肉体的・精神的な幸福感を与えるもので、一方、長期にわたる定住・定職生活からくる単調さは、疲労と、何かが欠けているような感覚を生む、脳のパターンを創り出す。行動生物学者が「攻撃性(アグレッション)」と呼ぶものの多くは、単に閉じ込められていることへの不満が怒りとなって表に現れているにすぎない」(「遊牧民の侵入」より、309ページ)

 アルジェリアの歴史についての覚書も、わたしが関心を抱く事柄に溢れていた。じつはいまの職場では信頼の置けるアルジェリア人の同僚が複数名いるので、読みながら彼らのことを思い出さずにはいられなかった。アルジェリアについてヨーロッパの人間が語るときには、フランスに肩入れしていることがほとんどなので、ノマドとしてのチャトウィンの特異な立脚点は、ことさらに大きな魅力を放っている。

「現在、フランスのパスポートを持つ七十三万人のアルジェリア人は、嫌われものの植民地結婚で生まれた子供たちで、離婚した両親の間を行ったり来たりしている。アルジェリアの官僚たちがこの問題を取り上げるとき、彼らの自尊心が疼き、身構える。そして「尊敬」や「威厳」といった言葉を嫌というほど聞かされることになる。マルセイユでの事態に対し、ブーメディエンは彼ならではの切れ味のよい対応をした。九月十九日、フランスへ移民するすべての交通路を封鎖した。加えて、フランス政府が罪なきアルジェリア人を報復攻撃から護る手段をとらなければ、経費を度外視してすべてのアルジェリア人を引き上げさせると明言した。フランスに多数のアルジェリア人がいることは歪んだ植民地政策のせいであることは、一点の曇りもない明白な事実だと承知していた」(「サラ・ブグリンの哀しい物語」より、341ページ)

「幾多のコロンがさんざん悪者扱いされ、虚仮にされてきた。その現代史はあまりにも惨めで、そろそろ彼らの立場を弁明する人間が一人くらい現れてもいい頃だ。「黒い脚(ピエ・ノワール)」と綽名され、気質と環境に制約されて、彼らは故国に近い辺境の地に住みついた。先行き見込みのないヨーロッパを捨て、無一物でアフリカにたどり着いた難民はフランス人ですらなかった! 1912年の政府の記録では、入植者の五分の一はフランス出身だった。1962年の出国は帰郷ではなく、新たな移民だった。アルジェリアが祖国だったのだ」(「サラ・ブグリンの哀しい物語」より、344ページ)

 ヤスミナ・カドラの『昼が夜に負うもの』を思い出す一節である。アルジェリアで起きていることの数々は、現在進行形で「問題」であり続けているので、なかなか体系的に語られることがない。ブーメディエン大統領についてどう考えているか、アルジェリア人の同僚たちに聞いてみたいと思った。

 そのほか、読んでいておもしろいと思ったこと。チャトウィンはすでに鬼籍に入っているとはいえ現代人なので、普段古典ばかり読んでいるわたしには驚くべき描写が数多くあった。たとえば以下の人物描写。

「約束の相手は、新築の香港上海銀行の前庭で牙をむくブロンズのライオン像の横に立っていた。青いシルクのネクタイはニナ・リッチで、ワニ革のストラップのついた金の時計をはめ、しわ一つないグレーのウーステッド・スーツを着ていた」(「中国の風水師」より、77ページ)

 ニナ・リッチのネクタイやワニ革のストラップのついた金の時計が高価なものであることは、彼がこれを書いてから30年経ったいまでも変わらない。つまり上の人物は裕福な人間なのだ。19世紀にシルクハットを被っている紳士が裕福なのは感覚としてわかるが、具体的なブランド名や素材は、もっと直接的な実感として、その人物の資産を教えてくれる。思えばわれわれは現在でもこんな風に初対面の人間のことを吟味しているのではないか。また、こんな一節もあった。

普通列車でブーローニュからパリに出た。後ろの席で二人の演奏家が楽譜を読んでいた。網棚には楽器が載っていた。ロストロポーヴィチアンネ=ゾフィー・ムターだった。幸先が良かった」(「ケヴィン・ヴォランズ」より、95ページ)

 とりたてて好きというわけではないが、メンデルスゾーンの『ヴァイオリン協奏曲』など、わたしはアンネ=ゾフィー・ムターのCDを何枚も持っている。ロストロポーヴィチも、ソルジェニーツィン(またしても!)をかくまったことで知られるチェリストだ。現代まで連綿と続くいくつものことが円環を成しているかのようで、めまいがした。音楽については『ソングライン』のこともあり、何度も言及されている。

「人間はしゃべり、歌う生き物である。人は歌い、歌は世界の隅々にこだまする。最初の言葉は歌だった。音楽こそは至高の芸術である」(「ケヴィン・ヴォランズ」より、97ページ)

 チャトウィンが語るテーマは興味深いことばかりだが、その文章の面白さはテーマとは距離を置いたところで独立している。友人である画家ハワード・ホジキンの人柄について語った「喝采を待ち望む一方、世間から忘れ去られたいと切に願っている。美しい部屋に住もうと計画はするが、混沌たるがらくたに囲まれている方がはるかに幸せそうだ」なんていう描写(「ハワード・ホジキン」より、104ページ)を見ると、あらためて読んでいて飽きなかったわけだ、と思わざるを得ない。

「板張りのキオスクのそばの長椅子で指のない男が柔らかいパンを噛んでいた。あたりにドイツ人がいると聞いたせいで、私に胡散くさそうな視線を向けた。私はイギリス人だと言うと、金歯がきらりと光った。そして、戦争中にはいかにたくさんのドイツ人を殺したか得意げに話しはじめた。「ブーン、ダ! ブーン、ダ!」と、指のない拳を空に突き上げた。男はますます興奮していくので、そのうち私がドイツ人ではないということを忘れてしまい、あげくの果てに私は叩きのめされ、川に浮かぶ羽目になるのではないかと心配になった。私はさよならを言い、男は私が差し出した手に拳を押しつけた」(「ヴォルガ川」より、254~255ページ)

「ナムチェは小さな町で、碗状の谷の周りを段々になった家々や畑が取り囲み、古代ギリシアの円形劇場を思わせた。ナムチェでは、登山隊の置いていったありとあらゆる物が売られていた。スペインのマルメロのジャム、フランスの粉末スープ、スイスのアイゼン、ドイツの酸素ボンベ、アメリカのフリーズドライ・チーズケーキ、イギリスのコンビーフ。夜明けとともに始まった市は、私たちのキャンプサイトからはハチの群れのように聞こえた。僧侶たちも食料を買いに来ていたが、そのほとんどがヨーロッパ人の残していったものを着ていた。登山用の黄色や赤やオレンジの服は、チベットラマ教の伝統的な色と見事に一致していた」(「雪男の足跡」より、381ページ)

 チャトウィンの魅力的な人柄が伝わってくる文章は数多いが、なかでもこの本のいちばん最後の数ページに出てくる文章が忘れられない。最初に書いたとおりだが、この『どうして僕はこんなところに』は、最晩年に著者自らが編纂した作品集である。自身の早すぎる死期を悟ったチャトウィンは、いったいどんな思いでこの本をまとめあげたのだろう、と考えずにはいられない。

「ベイのコレクションで、一つ残っているものがある。妻の婚約指輪だ。紀元前五世紀後半のギリシアの琥珀金の指輪である。ベイはこれを、1947年にタノというカイロの美術商から買った。きっとテル・エル=マスクータから出土した宝物の一点だろう。この財宝の大半は、現在ブルックリン美術館にある」(「ベイ」より、504ページ)

「君に会えて実に楽しかった。だが、残念ながら二度と会うことはないだろう。私ももう長くはないからね。しかし、お別忠告れに一言させてもらうなら、『けっして芸術的であろうとしてはいけない』」(ノエル・カワードの言葉、「私のモディ」より、512ページ)

 親密な文章が彼を身近に感じさせてくれる分、その早すぎる死が惜しまれてならない。それにしてもなんと広範なテーマにわたる作品集だったことだろう。じつにたくさんの関心が生まれ、読みたい本が頭のなかで山積みになっている。この本を読んだときのように時間をかけて、これらの関心とはゆっくりと付き合っていきたい。

どうして僕はこんなところに (角川文庫)

どうして僕はこんなところに (角川文庫)

 


〈読みたくなった本〉
チャトウィン『ソングライン』
「本の売れ行きは上々だった。ベストセラー・リストの一位になったときには自信を喪失しかけた。とうとう私も売文の徒に仲間入りしたのか?」(「ケヴィン・ヴォランズ」より、95ページ)

ソングライン (series on the move)

ソングライン (series on the move)

 

ジッド『地の糧』
「ダッサ・ズンベ駅でパイナップルを売っていた少女のこと。窒息しそうなほど蒸し暑い日で、汽車はのろく、国中が燃えていた。私はジッドの『地の糧』を読んでおり、ダッサ駅にさしかかったとき、ちょうど「おお、カフェ! そこでは我々の乱痴気騒ぎが、まだ宵のうちから始まっていた」というところが目に入った。こことは別世界だな。私は思い、客車の窓から外を見やった。パイナップルの入った籠が窓の外で止まった。籠の下から少女の顔がのぞき、微笑んだ。私がジッドを渡すと少女は息をのみ、籠の中にあったパイナップルを六個全部窓に放りこむと、走って友だちに見せに行った。大勢が線路をスキップして来た。「私にも本、下さい。本、本!」と口々に叫んでいる。読み古したスリラー小説とサン=テグジュペリの『夜間飛行』が窓の外へ、そして本物の「地の糧」が入ってきた。ポーポーグアバ、パイナップル、埃だらけのノネズミの串焼、ヤシの葉で編んだ帽子」(「クーデター――物語」より、40ページ)

地の糧 改版 (新潮文庫 赤 45-E)

地の糧 改版 (新潮文庫 赤 45-E)

 

マヤコフスキーの詩集
「ある晩、ロトチェンコの娘ワルワーラと、雑誌『レフ(芸術左翼戦線)』の編集部として使われていたアパートで夕食を共にした。『レフ』の編集委員の一人でもあったマヤコフスキーの影が、室内に漂っているような気がした。腰をおろした曲げ木の椅子は、マヤコフスキーの椅子、目の前の皿は、マヤコフスキーの皿、果物の盛り皿は、自らを「ズボンをはいた雲」と呼んだ詩人のパリ土産だった」(「建築家コンスタンチン・メーリニコフ」より、150ページ)

ズボンをはいた雲 (マヤコフスキー叢書)

ズボンをはいた雲 (マヤコフスキー叢書)

 

アンドレ・マルロー『人間の条件』
「東洋への熱い思いを胸に帰国したマルローは、今までになかった、まったく新しい革命小説を生む。代表作『人間の条件』は、1927年の蒋介石に対する上海暴動を舞台に、驚くべきエピソードを積み重ねて構成されている。マルロー自身のさまざまな側面の投影ともいうべき主人公たちは、血にまみれて陰謀を企て、万に一つの賭けに身を投じ、皆、その過程で死んでゆく。高邁な精神の無神論者、社会正義を掲げた戦士として、あるいは死におびえながらも命の不滅を否定しつづけた人間として、マルローその人が姿を現す。小説の主題は「人間」、その悲しい運命、そして、死を目前にした人間の、壮烈な挑戦である」(「アンドレ・マルロー」より、163ページ)

人間の条件 (新潮文庫)

人間の条件 (新潮文庫)

 

アンドレ・マルロー『倒された樫の木』
「『倒された樫の木』でド・ゴール将軍について語るとき、マルローは書いた。(マルロー自身のような)真に創造的な人間は、歴史上の人物との対話を記録しない。ヴォルテールとフリードリヒ大王しかり、ミケランジェロ教皇ユリウス二世しかり。残すのはただ、偉大なる人物は歴史に属し、偉大なる芸術家は永遠に属すという、印象だけである」(「アンドレ・マルロー」より、168ページ)

倒された樫の木 (1971年) (新潮選書)

倒された樫の木 (1971年) (新潮選書)

 

フランツ・ファノン『地に呪われたる者』
「ナイフはアラブ山岳民族の古典的な武器である。フランス領マルティニーク島生まれの精神科医で、アルジェリア革命の英雄でもあるフランツ・ファノンは、遺作『地に呪われたる者』の中で、アルジェ大学精神医学部が「科学的」データを駆使して、アルジェリアの農民が生まれながらの人殺しであることを証明するために、想像を絶する執拗な努力を続けて来たことを明らかにしている」(「サラ・ブグリンの哀しい物語」より、347ページ)

地に呪われたる者 (みすずライブラリー)

地に呪われたる者 (みすずライブラリー)

 

Robert Byron, The Road to Oxiana(ロバート・バイロン『オクシアーナへの道』)
「1930年代の紀行文を読みあさった人なら誰でも、最終的にはロバート・バイロンの『オクシアーナへの道』は傑作であると結論を出すに違いない。バイロンはジェントルマンであり、学者であり、唯美主義者であった」(「アフガニスタン哀歌」より、398ページ)

The Road to Oxiana (Penguin Classics)

The Road to Oxiana (Penguin Classics)

 

エルンスト・ユンガー『日記』
「ユンガーは硬質な、澄んだ散文の書き手である。作品の多くは、著者の揺るぎない自尊心、伊達と冷血を読者の心に刻み、時にはそれらが素っ気なく映る。にもかかわらず、最も生彩を欠いた一節でさえ突如として格言的な輝きを帯び、最も悲惨な記述でさえ非人間的世界における人間性への希求によって光が射す。鋭い観察力と意志の力でコントロールされる感受性を併せ持つ人間にとって、日記は最良の表現形式である」(「エルンスト・ユンガー、戦う美の追求者」より、416ページ)

パリ日記

パリ日記

 

Ernst Jünger, Storm of Steel(英訳版。エルンスト・ユンガー『鋼鉄の嵐の中で』)
ジッドは『鋼鉄の嵐の中で』を、大戦が生み出した最高傑作と激賞した。確かに『鋼鉄の嵐の中で』は、同時代のいかなる作品とも毛色が違う。ジークフリート・サスーンやエドマンド・ブランデンの牧歌的瞑想、ヘミングウェイに垣間見える臆病さ、T・E・ロレンスのマゾヒズム、レマルクの深い同情心などは、かけらもない。その代わりにユンガーが開陳するのは、人間には他人を殺めたい本能がある、という信念だ」(「エルンスト・ユンガー、戦う美の追求者」より、417ページ)

Storm of Steel (Penguin Classics)

Storm of Steel (Penguin Classics)

 

Curzio Malaparte, Kaputt(英訳版。クルツィオ・マラパルテ『カプート』)
「日記タイトルのシュトラールンゲン、つまり放射は、書き手のユンガーが光線の束を整え、読者に反射させることを意味する。『放射』は紛れもなく、第二次大戦が生んだきわめて特異な文学作品であり、セリーヌの『夜の果てへの旅』、マラパルテの『カプート』よりもはるかに斬新である」(「エルンスト・ユンガー、戦う美の追求者」より、425ページ)

Kaputt (New York Review Books Classics)

Kaputt (New York Review Books Classics)

 

イプセン『ヘッダ・ガブラー』
「五冊も著書を出すと、世間はその作家の文体についてあれこれ言いはじめる。人は私の飾り気のない、切り詰めた文体を、ヘミングウェイやロレンスにたとえた。ロレンスといっても、ありがたいことにT・EではなくD・Hの方だ。確かに彼らは私の愛読する作家である。冷ややかな文章という点では、イプセンの『ヘッダ・ガブラー』も熟読した」(「私のモディ」より、511ページ)

ヘッダ・ガーブレル (岩波文庫)

ヘッダ・ガーブレル (岩波文庫)

 

ノエル・カワード『私生活』
「生きた会話を書きたい作家には、何よりも、カワードの戯曲『私生活(焼け棒杭に火がついて)』における朝食の場面をお薦めする」(「私のモディ」より、512ページ)

ノエル・カワード戯曲集 (1976年)

ノエル・カワード戯曲集 (1976年)