悲劇ヴラジーミル・マヤコフスキー
先日の『ズボンをはいた雲』に引き続き、土曜社刊「マヤコフスキー叢書」の一冊。これはほんとうに気安く手に取れる、奇跡みたいにすばらしいシリーズである。読み終えたのはじつはもう一週間以上も前のことなのだが、先日の『ズボンをはいた雲』同様、これを書くために再読した。一冊の本としては規格外に薄いので、どうしても最後までページをめくってしまう。
ヴラジーミル・マヤコフスキー(小笠原豊樹訳)『悲劇ヴラジーミル・マヤコフスキー』土曜社、2014年。
最初にどぎまぎしながら読んだときには突飛な言葉の数々に圧倒されっぱなしで、いざ読み終わってみると、わけのわからない世界から解放された心地好さでいっぱいになったのだが、二度目にその同じわけのわからない世界に入っていくと、今度はそちらのほうを気持ちよく感じる、という妙なことが起こった。タイトルに「悲劇」とあるが、あまり深く考えないほうがいい。こんなものを舞台にかけるだなんて正気の沙汰じゃない、とも思うのだが、なんと詩人の演出で上演もされているのだ。わたしの言う意味は、以下の登場人物一覧を見るだけでも納得いただけると思う。
《登場人物一覧》
ヴラジーミル・マヤコフスキー(詩人、20~25歳)
その女友達(身長4~6メートル、台詞なし)
乾いた黒猫の群を連れている老人(齢、数千歳)
片目片足の男
片耳のない男
頭のない男
恐ろしく顔の長い男
二つのキスを持ち合せた男
ごく平凡な青年
小涙の女
中涙の女
大涙の女
新聞売子たち、少年たち、少女たち、その他。
いったいどうすれば「頭のない男」を演じられるのか、大変気になるところである。しかもその俳優は公募によって集められたという。気になる。
出版されたのは『ズボンをはいた雲』よりも前のことだそうで、1914年、当時のマヤコフスキーは21歳の「美男子」であったはずだ。すでに頼もしいほどに自信に満ち溢れた彼は、こんなふうにこの「戯曲」をはじめる。
「きみたちにわかるかな、
なぜぼくが
嘲りの嵐のなか、
平然と、
自分の魂を大皿に載せて
モダンな食事の席へ運ぶのか。
広場のほっぺたの無精髭を伝い
無用の涙となって流れる、
このぼくは、
恐らく
最後の詩人なのだろう。」
(V・マヤコフスキーの台詞、19~20ページ)
ご覧のとおり、詩のときと同様、やけに改行の多い台詞である。『マヤコフスキー事件』のなかで、彼の最後の恋人ポロンスカヤが語っていたことを思い出さずにはいられない。マヤコフスキーは大変魅力的に自作を朗読した、という箇所だ。シェイクスピアやユーゴーの例を挙げるまでもなく、戯曲と詩はすばらしい親和性を持っている。どちらも小説以前からあった文学である、という点も興味深い。
「だが、ぼくはちっぽけな魂でびっこを引き引き、
天井に星々の穴があいている
使い古された玉座へと引き下がろう。
そして怠惰の衣服を身にまとい、
ほんものの堆肥のやわらかな寝床に
晴れ晴れと
横たわれば、
そっと
枕木の膝にキスしながら、
機関車の車輪がぼくの首を抱きしめるだろう。」
(V・マヤコフスキーの台詞、22~23ページ)
「家の殻のなかでぶよぶよに脂ぎってる奴を探して、
その腹のタンバリンを陽気に叩くんです!
つんぼで愚かな奴らの足をひっつかみ、
そいつらの耳に息を吹きこもう、
フルートを吹くみたいにね。」
(V・マヤコフスキーの台詞、26ページ)
公募で集められた素人俳優たちに、作者にして主人公にして演出家のマヤコフスキーが、どんな指導をしたのか、想像するだけで可笑しい。多くはないものの、彼らにはもちろん台詞も用意されているのだ。小笠原豊樹の「訳者のメモ」によれば、彼らは「与えられた台詞を機械的に唱え」ていたという(「訳者のメモ」より、84~85ページ)。機械的に読まれるマヤコフスキー!
「わしらは恋する者の服に太陽をピンどめし、
銀色に輝くブローチを星から作ろう。
家なんか捨てちまえ!
さあ、こするんだ――
乾いた黒猫を、こすれや、こすれ!」
(乾いた黒猫の群を連れている老人の台詞、31~33ページ)
「ぼくはカツレツを切る道具を発明しました。
だから決して阿呆ではない!」
(ごく平凡な青年の台詞、43ページ)
「(快活に)
ぼくたち、大量生産されました。
消費してください!」
(駆け込んできたキスの子供たちの台詞、66ページ)
パステルナークがこの作品に関して語ったことが「訳者のメモ」に紹介されているのだが、それがすばらしい。この言葉は裏表紙にも掲載されていて、パステルナークというもう一人の詩人に大変興味を持った。
「……この悲劇の題名はヴラジーミル・マヤコフスキーだ。この題名は、詩人が作者ではなく詩の対象として、一人称で世界に呼びかけるという、天才的な単純さを発見したことを、背後に秘めていた。この題名は、作者の姓名ではなく、作品の内容を示していたのである」(パステルナーク『安全通行証』第三部四章からの引用、「訳者のメモ」より、83ページ)
詩人は声も高らかに、自分で生み出した空間のなかで自由奔放に振る舞う。これは確かに、ちょっと見たこともない構図だ。どういうわけかいま、コクトーの『ポトマック』のことを思い出したのだが、いかにあの作品が自身を小説であると宣言しようと、それが詩であることはだれの目にも明らかだったろう。そういえばコクトーも戯曲をたくさん書いているではないか。劇作家と詩人の共通にいまさら思い当たるだなんて。
「ぼくが書いたこの芝居は、何から何まで
あわれな鼠たち、
きみたちのことなんだ。
でも残念ながら、ぼくには乳房がない。
あれば、やさしい乳母となって、おっぱいを飲ましたのに。
見ろよ、ぼくの窶(やつ)れちゃったこと。
あほくさ。
それにしても、今までに、
だれかが、
どこかで、
人間の考えを、こんなふうに、
人間にあるまじき自由な空間で遊ばせた例(ためし)があったか!」
(V・マヤコフスキーの台詞、72~73ページ)
ここでもやはり、小笠原豊樹の訳文はすばらしい。「あほくさ」である。どんなに頭を振ってみたところで、「あほくさ」と同じ語感の英語やフランス語は浮かばない。この確信に満ちた「あほくさ」に出会えるだけでも、この本を手にとる価値があるというものだ。
「昨年(2013年)、岩田さんは小笠原豊樹の名前で『マヤコフスキー事件』(河出書房新社)を上梓された。マヤコフスキーへの愛の総決算のような読み応えのある一冊だ。これにてマヤコフスキーとの関係は終了かと思いきや、新訳を密かに進めておられたらしい。何という愛。何という執念。このロシアの詩人のどこに小笠原さんはかくも惹き付けられるのか。小笠原さんを虜にするほどマヤコフスキーは魅力的なのか。新訳を読めばわかるかもしれない」(平田俊子「水を越えて、時を越えて」より、12~13ページ)
たしかに、ロシア・アヴァンギャルドに興味を持って踏み込んだ世界ではあるが、いまではマヤコフスキーのなにが小笠原豊樹ほどのひとをここまで惹きつけるのか、それを知るために、彼の詩を読んでいるような気がする。だんだんわかってきた、ような気もしている。
「ぼくは詩人だから、
自分の顔と他人の顔の
違いを消しちまった。」
(V・マヤコフスキーの台詞、41ページ)
再読で評価が大きく変わる作品というのがあるが、これはその典型である。再再読のときにどうなるのかが、いまから楽しみなほどだ。本棚の目につくところにしまっておきたい。