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Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

L'étranger

配架-アルジェリア文学 評価-★★★★★(奇跡) 言語-フランス語の本

初めてこの本を読んだ日のことは決して忘れることができない。その頃まだ高校生だった私は、学校の帰りに紀伊國屋書店新宿南店に寄り、京王線の中でわくわくしながらこの本を開いた。そして気がついたときには、自分の降りるべき駅を通り過ぎてしまっていたのだ。反対方面の電車に乗りなおし自分の駅に戻ってから、ホームのベンチに座って一気に最後まで読んだ。その日が尋常じゃないほど寒かったことさえ覚えている。あの時に味わった衝撃を忘れたくなかったから、それきり一度も読み返さなかった。だが、あれから八年だか九年だか経ち、今年は彼の没後五十年を記念する年だ。異邦人としての自分の立場も考えると、再読するなら今しかないとさえ思えた。

L'Etranger (Collection Folio, 2)

L'Etranger (Collection Folio, 2)

 

Albert Camus, L'étranger, Édition Gallimard, Folio n°2, 1942.


ガリマール社が発行しているFolioというペーパーバックのシリーズで最も刷り部数の多い本はこの『L'étranger(異邦人)』である。去年ルノドー賞を受賞したフレデリック・ベグベデ(Frédéric Beigbeder)という作家が過去に行ったフランス人を対象にしたアンケート調査(『Dernier inventaire avant liquidation(邦題:文学の墓場)』)でも、この本はカフカプルーストを抜いて第一位を獲得していた。日本だったら考えられないことだが、この本は今でもペーパーバックの週間ランキングで常に十位以内に位置している。「実存主義」という言葉が古びたものとなった今日でも、カミュのこの著作が現在的でないという意味での古典となることは決してないのだ。それは心底素晴らしいことだと思う。

「Quand elle était à la maison, maman passait son temps à me suivre des yeux en silence. Dans les premiers jours où elle était à l'asile, elle pleurait souvent. Mais c'était à cause de l'habitude. Au bout de quelques mois, elle aurait pleuré si on l'avait retirée de l'asile. Toujours à cause de l'habitude.」(p.12)
「家にいた頃、ママンは黙ったまま私を目で追うことで時間を潰していた。施設に入って間もない時分彼女はよく泣いたが、それは習慣が変わったからに過ぎない。数ヶ月経って、誰かが彼女を施設から引き離そうとしたら、彼女は泣き出しただろう。いつだって習慣のせいに過ぎない」

意外に思われるかも知れないが、特にこの『異邦人』においては、カミュの書く文章は決して難解なものではない。いや、語られていることの本質はもちろん難解なのだが、それを語る言葉は決して難しくないのだ。その理由の一つとして、物語を書く際にしか用いられないフランス語の時制「passé simple(単純過去)」がほとんど使われていないことが挙げられる。ムルソーによる一人称の語りは、ちょうど『La Chute(転落)』におけるクレメンスの語りのように、読者に向かって放たれる会話文のようなものなのだ。

「Nous l'avons transportée dans notre petite morgue. Pour ne pas impressionner les autres. Chaque fois qu'un pensionnaire meurt, les autres sont nerveux pendant deux ou trois jours. Et ça rend le service difficile.」(pp.12-13)
「彼女の遺体は霊安室に運びました。他の者たちを動揺させないようにね。施設の誰かが亡くなるたびに、他の居住者たちは二、三日ばかり神経質になるんです。そうなると世話をするのが厄介でね」

窪田啓作の素晴らしい訳文があるのに、わざわざ原書で読む必要なんてない。サン=テグジュペリ『Le Petit Prince』の時にも書いたが、素晴らしい訳文というのは原書を読むことで思い出されるものなのだ。窪田啓作が幾度となく書いていた「重要ではない」という言葉は、この本を読んでいる最中ずっと頭の中で鳴り響いていた。何年も前に一度しか読んでいない本が、これほどまでに記憶に残っているということは単純に驚きでしかない。強烈な印象というのは定着するものなのだ。

「Il m'a invité à me rendre au réfectoire pour dîner. Mais je n'avais pas faim. Il m'a offert alors d'apporter une tasse de café au lait. Comme j'aime beaucoup le café au lait, j'ai accepté et il est revenu un moment après avec un plateau. J'ai bu. J'ai eu alors envie de fumer. Mais j'ai hésité parce que je ne savais pas si je pouvais le faire devant maman. J'ai réfléchi, cela n'avait aucune importance. J'ai offert une cigarette au concierge et nous avons fumé.」(p.17)
「管理人は私に食堂に戻って夕食をとるように薦めたが、腹は減っていなかった。すると彼はカフェ・オ・レを持ってきてくれると言い、私は応じた。カフェ・オ・レは大好きなのだ。やがて彼はお盆を持って戻ってきて、私は飲んだ。煙草が吸いたくなった。だが、ママンの前でそんなことをして良いものか迷った。私は熟考した。大したことではない。彼にも一本薦め、私たちは煙草を吸った」

フランス語の「L'étranger」という単語は「外国人」という意味で最もよく使われるが、語幹となっている形容詞「étrange」には「奇妙な」「異常な」などの意味がある。この関係は英語の「stranger」と「strange」のそれと完全に同じだ。『異邦人』という訳題が素晴らしいのは、そこに「異常」の「異」が含まれているからで、ムルソーがもちろん外国人などではなく、むしろ闖入者、社会に溶け込むことのできない周縁的存在であるからだ。サイードが『知識人とは何か』で指摘していた通り、生まれ育った土地において異邦人となることは往々にして起こり得る。それはほとんど少数派(La minorité)と同義で、このタイトルには招かれざる存在としてのムルソーが投影されているのだ。

「Il m'a dit : «Je savais bien que tu connaissais la vie.» Je ne me suis pas aperçu d'abord qu'il me tutoyait. C'est seulement quand il m'a déclaré : «Maintenant, tu es un vrai copain», que cela m'a frappé. Il a répété sa phrase et j'ai dit : «Oui.» Cela m'était égal d'être son copain et il avait vraiment l'air d'en avoir envie.」(p.52)
「彼は「お前は人生ってものをよくわかってるな」と言った。初めは彼が私のことをお前呼ばわりしていることに気がつかなかった。「今やお前は本当の友達だ」と彼が言ったとき、ようやくそのことに気がついたのだ。彼はこのセリフを繰り返し、私は「ああ」と言った。私にはどちらでも良いことだったし、彼はそれを本当に欲しがっているように思えた」

この人生に何の意義も見出せない絶望的な状況を、実存主義者たちは「不条理」と呼ぶ。私はこの、全てを説明しているようで何の意味もない言葉が大嫌いだ。「実存主義」という言葉でサルトルカミュを括ることができなかったのと同じように、「不条理」という言葉でカミュカフカベケットらを括ることなどできやしない。カミュの死から五十年が経ったというのに、彼が語る意味での「不条理(absurde)」という言葉は誰にも理解されていないのではないかとさえ思う。もちろん私にだってそれが何であるかを言い当てることなどできないのだが、ただ「不条理」などという言葉で片付けるには、カミュの遺したものはあまりにも大きすぎるように思える。「不条理」という、このあまりにも安易な用語を捨てなければ、ムルソーの孤独を理解することなどできないのではないか。この本のもたらす強烈な感動を説明することなどできないのではないか。

「Le soir, Marie est venue me chercher et m'a demandé si je voulais me marier avec elle. J'ai dit que cela m'était égal et que nous pourrions le faire si elle le voulait. Elle a voulu savoir alors si je l'aimais. J'ai répondu comme je l'avais déjà fait une fois, que cela ne signifiait rien mais que sans doute je ne l'aimais pas. «Pourquoi m'épouser alors?» a-t-elle dit. Je lui ai expliqué que cela n'avait aucune importance et que si elle le désirait, nous pouvions nous marier. D'ailleurs, c'était elle qui le demandait et moi je me contentais de dire oui. Elle a observé alors que le mariage était une chose grave. J'ai répondu : «Non.»」(p.67)
「夜になって、マリーが私を探しに来て、私が彼女と結婚したがっているかどうか尋ねた。私はどちらでも良いと、もし彼女がそれを望むのなら結婚しても良いと言った。彼女は私が彼女を愛しているのかどうか知りたがった。既に一度したように、そんなことには何の意味もないが、おそらく愛していないと答えた。「だったら、どうして結婚するの?」と彼女は言った。私はそれが重要なことではないと、もし彼女がそれを望むのなら結婚できると説明した。それを尋ねるのは彼女で、私は「ウィ」と言うだけなのだ。すると彼女は結婚というのは重大なことだと言い出した。私は答えた。「ノン」」

招かれざる存在としてのムルソーは、法廷においても一切の抗弁を拒む。死刑宣告を受けても、執行を待つ彼は幸福そうにさえ見えるのだ。メルヴィル『バートルビー』カフカの『審判』と並べてみたら面白いかもしれない。うまく説明できないが、これらの作品の持つ非常識な世界は、ルイス・キャロル『スナーク狩り』『ハムレット』ベケット『ゴドーを待ちながら』とはまた違った印象を与えるのだ。しつこいようだが、これらを「不条理」などという言葉で片付けてしまうのは許しがたい矮小化である。獄中でひたすらに夜明けを待つムルソーを見つめていると、涙すら湧いてくる。

「Il avait l'air de me demander ce qu'il pouvait encore faire. Moi, je n'ai rien dit, je n'ai fait aucun geste, mais c'est la première fois de ma vie que j'ai eu envie d'embrasser un homme.」(p.140)
「彼は私に、何か私のために他にできることがないか尋ねているように見えた。私は何も言わず、どんな仕草もしなかった。だが、このとき私は生まれて初めて、男を相手に抱きしめてやりたいと思った」

社会から隔絶されたムルソーが孤独を感じていたことは、この一文が証明しているではないか。そして、彼の孤独を癒すものが自身の哲学以外になかったことは、考えようによっては憐れむべきことだ。だが、本質的な孤独というのは安い同情で癒せる類のものではない。

「J'ai dit rapidement, en mêlant un peu les mots et en me rendant compte de mon ridicule, que c'était à cause du soleil. Il y a eu des rires dans la salle.」(p.156)
「私は口早に、言葉をもつれさせながら、そして自分の滑稽さを意識しながら言った。「それは太陽のせいだった」。室内に嘲笑が起きた」

ムルソーに対して法廷が下したのが一方的な道徳的判断だったというのは象徴的だ。そこから断絶された人間に対して、社会的に一般化された常識を押しつけてくるなど暴力でしかないではないか。ムルソーはもちろん反論しない。その断絶の理由を説明できるのなら、彼は初めから有罪ではないのだ。

「Il voulait encore me parler de Dieu, mais je me suis avancé vers lui et j'ai tenté de lui expliquer une dernière fois qu'il me restait peu de temps. Je ne voulais pas le perdre avec Dieu.」(p.180)
「彼はまだ私に神様の話をしたがったが、私は彼の前に進み出て最後にもう一度説明を試みた。つまり、私にはもう僅かな時間しか残されておらず、それを神様などと一緒に浪費するつもりはないということを」

やってきた神父を追い払って、宗教的平安を拒否するムルソーは輝いている。死に際して尚、自身の哲学を貫く彼の姿は英雄的ですらあるではないか。彼は自身の死刑執行の日に、沢山の人びとが憎悪の叫びと共に彼を迎えることを望む。何という孤独だろう。

「Personne, personne n'avait le droit de pleurer sur elle.」(p.183)
「彼女のことを思って泣く権利のある人間など、一人としていやしない」

実存主義を越えた今日、私たちはみな死すべき運命にあって、それを意識することの意義を知っているはずなのだ。だが今日、一体誰がこの哲学を実践しているだろうか。「実存主義」というわけのわからない言葉がいけない。「不条理」というわけのわからない言葉がいけない。そんなものを捨て去って、もう一度『異邦人』を開きさえすれば、この哲学の秘密は浮かび上がってくるはずなのだ。何度も読み返して、ムルソーを理解したいと思った。世界はまだカミュに追いついていない。『異邦人』を手放すには、まだ我々は孤独を知らなさすぎるのではないか。

L'Etranger (Collection Folio, 2)

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異邦人 (新潮文庫)

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<読みたくなった本>
Camus, Le Mythe de Sisyphe(『シーシュポスの神話』)

Le Mythe de Sisyphe (Collection Folio / Essais)

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シーシュポスの神話 (新潮文庫)

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Camus, L'exil et le royaume(『追放と王国』)

L'Exil Et Le Royaume (Folio)

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転落・追放と王国 (新潮文庫)

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