不死の人
わたしはいま、空前のボルヘスブームの最中にいる。火付け役が英書の『Jorge Luis Borges: The Last Interview』であったことは先日書いたとおりだが、これまで『伝奇集』や『創造者』くらいしか読んだことのなかったわたしにとって、この本は未知のボルヘスとの出会い、その第一歩であった。『エル・アレフ』という原題どおりの翻訳もある、『伝奇集』の五年後に刊行された短篇集。
ホルヘ・ルイス・ボルヘス(土岐恒二訳)『不死の人』白水uブックス、1996年。
ほんとうだったら平凡社ライブラリーから2005年に刊行された木村榮一訳の『エル・アレフ』のほうを読むべきだったのかもしれないが、たまたまこちらの『不死の人』のほうが手に入りやすかったのだ。まあ、再読する可能性が非常に高い作家・作品なので、次に読むときは木村榮一訳で、と、いまから考えている。けっして読みにくいというわけではないのだが、白水uブックスの古いものは字が小さいし、土岐恒二訳のこちらが最良の選択肢だったとは思っていない。
さて、「『伝奇集』の五年後」と書いたが、まさしくあの怪物的文庫本と同じ気分で読める一冊である。どういうことかというと、じつは『The Last Interview』の記事に手間取っていたせいで更新できていないのだが、わたしはすでに『ブロディーの報告書』も読んでいて、この後期作品集と『伝奇集』とのあまりの開きに、度肝を抜かれているのだ。『砂の本』はまだ手に入れていないのだが、刊行年から鑑みて、『ブロディーの報告書』に近いのだろうと想像している。前期・後期と安直に呼んでしまうのは憚られるが、後年のボルヘスはすこし作風が変わり、『伝奇集』のころに多用していた特徴的語彙(迷宮、無限などなど)からも距離を置くようになるのである。詳しくは『ブロディーの報告書』を取りあげるときにでも書くつもりだが、この『不死の人』のころは、まだ『伝奇集』のときのと同じボルヘスが感じられる。
「この家のすべての部分は何度も反復されていて、どの場所も他の場所である。ここには決して一つの天水桶、一つの中庭、一つの水飼い場、一つの秣桶(まぐさおけ)というものはない。秣桶も、水飼い場も、中庭も、天水桶もその数は十四(無限)である。この家は世界と同じ大きさである、というよりも、それは世界である」(「アステリオーンの家」より、100ページ)
「かつてテニスンは言った、一輪の花さえ理解できたら、われわれが誰であるか、世界とは何かを理解するはずだ、と。おそらくその意味は、どんなにつまらないものでも、宇宙の歴史と因果の無限の連鎖とを包蔵していないものはない、ということであろう」(「ザーヒル」より、163〜164ページ)
「汝は真の目ざめへと目ざめたのではなく、前の夢へと目ざめたのだ。その夢はまたもうひとつの夢のなかにある、というようにして無限につづく」(「神の書跡」より、173ページ)
「世界がすでに迷宮であるとき、迷宮を建てることは必要ではない。ほんとうにわが身を隠したい者にとっては、ロンドンのほうが、ひとつ建物の回廊のすべてがそこに通じている望楼よりも、迷宮としてすぐれている」(「アベンハカーン・エル・ボハリー」より、189ページ)
あ、これは見たことがあるな、という感覚を覚える描写も少なくない。たとえば「アベンハカーン・エル・ボハリー」に登場する以下の一節は、『伝奇集』「八岐の園」中のある箇所にそっくりだ。
「この邸のなかには多くの四つ辻があるが、それをただ左手へ左手へと曲がってゆけば、一時間とちょっとで網状路の中央にたどりつくだろう」(「アベンハカーン・エル・ボハリー」より、179ページ)
「ライトがプラットフォームを照らしていたが、子供たちの顔は影になっていた。一人がわたしに訊いた。スティーヴン・アルバート博士の家に、行くの? 答えを待たずに、もう一人がいった。その家はここから遠いよ。でも、この道を左へ行って、交差点に出るたびに左へ曲がれば、迷うことなんかないよ」(「八岐の園」より、『伝奇集』125ページ)
また、この翻訳では表題作へと謎の昇進を遂げた「不死の人」の中核となる考えは、バーギンとの対談でも紹介されていたものである。
「彼らは、無窮の時がたつうちには、あらゆる人間にあらゆることが起こるものであるということを知っていた。あらゆる人間は、その過去または未来の美徳のゆえに、あらゆる善行をうける資格があり、過去または未来の悪行のために、あらゆる背信をこうむるに値する」(「不死の人」より、26ページ)
「どんなにもなりうる人というのはいない。ただ一人の不死の人がすべての人である。コルネリウス・アグリッパのように、わたしは神であり、英雄であり、哲学者であり、悪魔であり、世界である、ということは、わたしは存在しないということの回りくどい言い方なのである」(「不死の人」より、27ページ)
「BORGES: if time is endless, all things are bound to happen to all men, and in that case, after some thousand years every one of us would be a saint, a murderer, a traitor, an adulterer, a fool, a wise man.」
「ボルヘス:もしも時間が終わりのないものであったなら、あらゆるひとにあらゆる出来事が起こることでしょう。数千年もすれば、だれもが聖者で、殺人鬼で、裏切り者で、色事師で、愚者で、賢者になっていることでしょう」(『The Last Interview』55ページ)
同じ「不死の人」からは、以下の文章も見逃せなかった。こちらもバーギンとの対談で、コンラッドに教わったと告白されている考えと、関連が強い。
「われわれは現実を気軽にうけいれるが、それはおそらく何ものも現実ではないことを直観しているからであろう」(「不死の人」より、23ページ)
「BURGIN: You've quoted Conrad as saying that the real world is so fantastic that it, in a sense, is fantastic, there's no difference.
BORGES: Ah, that's wonderful, eh? Yes, it's almost an insult to the mysteries of the world to think that we could invent anything or that we needed to invent anything. And the fact that a writer who wrote fantastic stories had no feeling for the complexity of the world.」
「バーギン:いつだったか、コンラッドを引用していましたね。現実世界というのはあまりに幻想的なので、ある意味では現実と幻想には差がない、と。
ボルヘス:ああ、すばらしいですよね。ええ、なにかを想像したり発明したりできると考えることは、世界の神秘を前にしては、ほとんど侮辱と言ってもいいでしょう。幻想的な話を書く作家は、世界の複雑さに対する畏敬の念が足りていないのです」(『The Last Interview』67ページ)
こういった共通は、作家としてのボルヘスの問題意識、その哲学が揺らいでいないということの証明であり、それ以上のどんな意味も持つものではない。だが、同じ問題意識をもとに異なった話を繰り返し語る、というのは、ボルヘスという作家が根源的に抱えている、言葉に対する不信感がもたらした態度なのかもしれない。その不信感は、この本のなかでも至るところで目にすることができる。
「一年おいて、わたしは以上の記録を読みかえしてみた。わたしはそれが真実をそのまま伝えていると確信するものであるが、はじめの二、三章と、他の章のある段落には、多少の偽りが認められるように思う。それはおそらく、情況の細部描写という、わたしが詩人たちから学んだ、ものをなんでも偽りにみせる方法を、濫用した結果であろう」(「不死の人」より、32ページ)
「驚異の物語はおそらく伝達不可能なものである。ベンガルの月はイエメンの月と同じではないが、しかし同じ言葉で描写することができるだろう」(「アヴェロエスの探求」より、138ページ)
おまけにその不信は、想像を絶するかたちで現われることがあるのだが、ボルヘスの文章を読んでいてとびきり楽しいのは、以下のような文章に出会ったときなのである。
「彼は、無数の挿入句によってたびたび中断されながら蜿蜒(えんえん)と広がってほとんど解きほぐすこともできないような綜合文を組み立てた。そこでは文法無視と破格とが侮蔑の方法となっているかのようであった。彼は不協和音を発する楽器を作ったのだ」(「神学者たち」より、52ページ)
「《撞着語法(オクシモロン)》と呼ばれる修辞においては、ある語はそれと矛盾撞着するように見える修飾語を冠せられる。それゆえ、グノーシス派は暗い光という言い方をするし、錬金術士は黒い太陽という言い方をする。わたしがさきほど訪問してきたテオデリナ・ビジャルのところから、酒場に砂糖黍焼酎を飲みに行くということは、一種のオクシモロンである。その無作法さとその軽薄さが、わたしの心をひきつけたのだ」(「ザーヒル」より、153〜154ページ)
「この詩人の仕事は詩にあるのではなく、その詩を称賛さるべきものとするための理屈をでっちあげることにある。したがって、当然ながら、そうした爾後工作は、彼にとってこそ作品を改変するものであるが、他の者にとってそうではないのだ」(「アレフ」より、224ページ)
また、言葉に対するのとまったく同様に、ボルヘスにとっては記憶、過去というものも疑いの対象である。『The Last Interview』でボルヘス父が語っていたことも自然と想起されてくる。
「《ザーヒル》がわたしの手にはいったのは、六月七日の夜明けだった。わたしはもはやあのときのわたしではないが、あの事件をまだ思いだすことも、おそらくは語ることもできる。わたしはまだ、たとえ部分的であれ、ボルヘスなのだから」(「ザーヒル」より、150ページ)
「いまやわたしは、この物語の名状しがたい中心に到達した。わたしの作家としての絶望はここに始まる。あらゆる言語は、対話者同士が同じ過去を共有していることを前提にして習得される符牒のアルファベットである。とすれば、わたしの小心な記憶がほとんどなにもとどめていないあの無限のアレフを、いったいどうやって他者に伝えたらいいのであろうか?」(「アレフ」より、237ページ)
ボルヘスというのは、基本的に疑うひとなのだ。サイードが『知識人とは何か』のなかで語っていた、「迎合するまえに批判せよ」を地で行くひと、しかしその批判をきっと声にはせず、黙して疑いの文章を綴ったひと。信仰についてもきっと同様で、無神論者と名指すわけではないが、彼は疑いようもなく不可知論者である。それは感覚としてはずっとあったものだが、以下の文章を読んだ途端に、確信となった。
「不死であるというのは無意味なことだ。人間を除けば、すべての生物は不死である。なぜなら、彼らは死というものを知らないから。神聖なもの、恐ろしいもの、不可知なものは、みずから不死たることを自覚しているものだ。世に宗教はいろいろあるが、わたしはそういう信念のきわめて稀有なことに気がついた。ユダヤ教徒も、キリスト教徒も、マホメット教徒も不死を信じてはいるが、彼らが今生に払っている崇敬の念は、彼らが今生しか信じていないことを証明している」(「不死の人」より、25〜26ページ)
不可知論というのはつまり、自分で知覚できないことは信じない、という態度のことである。ちなみにわたしは現在中東のイスラム教国に住んでいるのだが、当地では無神論者を公言するのは憚られることもあって、よくこの言葉(agnostic)でもって自分の信仰告白に代えている。「きみの宗教は?」などという質問が気軽に発せられる環境では、「無神論者(atheist)」という語はちょっと刺激的すぎ、言外の意味が強すぎるのだ(それにみずからを無神論者などと呼ぶ連中は、ちょうどリチャード・ドーキンスみたいに、無神論を宗教的に信奉していることが多い)。以下の一節などは、不可知論者以外は書きそうもない箇所である。
「わたしの物語はわたしがそれを書いていたときのわたしという人間の象徴であり、その物語を書くためにはわたしがその人物でなければならず、その人物となるためにはわたしがその物語を書かなければならなかった、というふうに無限に続いてゆくのを感じた。(わたしが彼を信じることをやめるとき、《アヴェロエス》は消散する。)」(「アヴェロエスの探求」より、147〜148ページ)
宗教についてボルヘスは、世が世であったら火炙りにされても文句は言えないようなことも書いている。
「『小論と補遺』第一巻を再読すると、誕生の瞬間から死に至るまでのあいだにある人の上に起こりうることは、その人によってあらかじめ決められていたことであると書かれている。それゆえ、すべての怠慢は熟慮されたものであり、すべての偶然は約束されたもの、すべての恥辱は後悔、すべての失敗は神秘的勝利、すべての死は自殺である。われわれの不幸はわれわれが選んだものであるという考えほど巧妙な慰めはない。この個人的な目的論は我々にある秘密の秩序を開示し、驚くべきことに、われわれを神と混同する」(「ドイツ鎮魂曲」より、121〜122ページ)
「宗教のために死ぬことは、それを生きぬくよりもやさしい」(「ドイツ鎮魂曲」より、122ページ)
「時とともに、神聖なる文という考え自体が、わたしには児戯とも瀆神とも思われた。ある日わたしは、神が言いうるのはただ一語でなくてはならず、しかもその一語で十全のことを言いつくしているにちがいないと考えた。神にとってはいかなる音声もただひとつで宇宙に劣らず、また全時間に匹敵しうるものである。《全》とか《世界》とか《宇宙》とかいった野心的で貧弱な人間の音声は、ひとつの言語、およびひとつの言語が包摂しうるかぎりのものに匹敵する神の声の、影か幻にすぎない」(「神の書跡」より、172ページ)
また、この作品集中でもとびきりおもしろいのが、「ドイツ鎮魂曲」で語られている、「可能性として地獄の胚芽でないようなものはこの地上には何もない」という論理、そしてそれを突き詰めた短篇、「ザーヒル」である。「ザーヒル」において語り手は、なんてことのないごくごく普通の貨幣が頭から離れなくなってしまい、その存在に日夜苛まれるようになるのだ。
「わたしはもう何年も前から、可能性として地獄の胚芽でないようなものはこの地上には何もないということを理解するようになっていた。ひとつの顔、ひとつの言葉、一個の羅針盤、一枚のタバコの広告でさえも、もしある人がそれを忘却することができなければ、その人を狂気に追いやる可能性をもっている。四六時中ハンガリアの地図ばかり脳裡に描いている男は狂人ではないだろうか?」(「ドイツ鎮魂曲」より、124〜125ページ)
「わたしはこのつまらぬ一文を綴ることで(そのなかに、わたしは怪しげな知識をひけらかして『ファフニスマル』の詩行を二、三、挿入した)あの貨幣のことを忘れることができたと言った。ところが、夜になるとよく、それのことをもっと忘れることができるという気持ちになったので、かえってそれのことを自分から進んで思いだすのだった。たしかにわたしはそういう回想にふけりすぎたようである。物事は、それを終わりにするより始めるほうがやさしいものだ」(「ザーヒル」より、158ページ)
「時間は思い出を軽くするものなのに、《ザーヒル》の思い出は重くする。かつてわたしは表を思い描き、つぎに裏を思い描いた。いまでは両面を同時に見る。こういうことはあたかも《ザーヒル》が透明であるかのようにして起こるのではない。一方の面が他方の面に重なってはいないのだから。むしろ、視界が球になっていて《ザーヒル》がその中心にあるからそうなるのだ。《ザーヒル》でないものは、篩にかけられ、まるで遠くからのように、わたしのところへやってくる」(「ザーヒル」より、163ページ)
これらの箇所を読んだときには、ヴァレリーを思い出したものだ。
「とても美しいのです、あのひとの眼は。あの眼は、眼に見えるどんなものよりもほんのすこし大きい、そこが好きです」(「マダム・エミリー・テストの手紙」より、『ムッシュー・テスト』66ページ)
「わたくしは、ある確乎としてゆるがぬ眼差の世界のなかを、ぶんぶんと飛びまわっている一匹の蠅、見られているときもあり、見られていないときもあり、しかしけっして視野のそとには脱けられない」(「マダム・エミリー・テストの手紙」より、『ムッシュー・テスト』81ページ)
ヴァレリーの名前は『伝奇集』の「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」においても挙がっているのだが、フランス文学に言及する頻度が極端に少ないボルヘスのことを考えると、これは異例の事態なのである。もちろん、ボルヘスが『ムッシュー・テスト』を読んでいなかったとは考えがたい。しかし、ヴァレリーとボルヘスは、ヴァレリーのほうが三十歳近くも年長とはいえ、同じ時代を生きた作家である。以下の一節に、ボルヘスの本心を読み取ろうとするのは、邪推だろうか。
「1927年ごろ、わたしの人生にニーチェとシュペングラーとがはいってきた。ある十八世紀の作家は、誰しも同時代人の恩義はうけたくないものであると述べている。わたしも、気重に感じていたある影響から逃れるために「シュペングラー論判」という題の論文を書き、そのなかで、シュペングラーがファウスト的と呼ぶ人間性の一面のもっとも顕著な記念碑的作品は、ゲーテのあの雑多な戯曲ではなく、二千年前に書かれた詩作品『物の本質について』であると述べた」(「ドイツ鎮魂曲」より、119〜120ページ)
反面、ボルヘスの作品を読んでいると何度も登場するのが、エマーソンやトーマス・ブラウン、ヘンリー・ジェイムズ、それからコンラッドである。以下の文章中に出てくる「ロード・ジム」も「ラズーモフ」も、コンラッド作品中の登場人物の名前だ。
「不意にわたしはダミアンの遠慮がちな態度と頑な孤独の意味を理解した。それは謙虚から出たのではなく、羞恥から出ていたのだ。わたしは、卑怯な行動に呵責を感じている人のほうが、ただ単に元気なだけの人よりずっと複雑で、ずっと興味がある、とむなしく繰り返すばかりだった。ガウチョのマルティン・フィエロよりは、ロード・ジムやラズーモフのほうが記憶に残る、とわたしは考えた。そうだ、しかしダミアンは、ガウチョとして、マルティン・フィエロとなるべきだった」(「もうひとつの死」より、107ページ)
「不幸なポーよりもっと複雑で、もっと巧みで、確かにもっと風変わりな詩人エマソン」(「もうひとつの死」より、110ページ)
これまでボルヘスを読んだことがないひと、または『伝奇集』をすでに読んでいて、なおあの迷宮から抜け出せずにいるひとには、この『不死の人』ほどうってつけの本はないと言えるだろう。見たことのないような奇妙な論理、不可思議な描写なら、事欠かない。
「およそ運命というものは、それがどんなに長く、また複雑であろうとも、実際には《ただ一つの瞬間》より成っている。その瞬間において、人は永久におのれの正体を知るのである」(「タデオ・イシドロ・クルスの生涯」より、81ページ)
「重大な出来事は、時間の外で起こることがある。なぜならそのような出来事をはさんで、その直前の過去は未来から切り離されているからであり、またそのような出来事を構成する各部分が首尾一貫しているとは思われないからである」(「エンマ・ツンツ」より、90〜91ページ)
「彼は声の調子を変えて、戦争は、女のように、男たちを験すのに役だつもので、戦闘にはいるまでは誰も自分が誰なのか知りはしないのだと言った。誰か自分のことを臆病だと思っている人がじつは勇敢であったり、その逆の場合もある」(「もうひとつの死」より、106ページ)
「謎の解決はつねに謎そのものより劣る」(「アベンハカーン・エル・ボハリー」より、189ページ)
ただ、忘れずに書いておきたいのだが、ボルヘスの作品はただ奇抜なだけではなく、詩的な意味で、ときどき非常に美しいのだ。わたしがとくに好きなのは、「幸福に似た」ことが起こるときの彼である。それを「幸福」であると断言しないのは、先にも書いた言葉に対する不信、その喚起するものを他者と共有していないという確信が理由となっているのだろう。
「ある朝、なにか幸福に似たことが起こった。雨が、強く、ゆっくりと降っていたのだ」(「不死の人」より、22ページ)
「彼の疲労は、ある日、幸福に似ていた。そういう瞬間の彼は犬と比べてもあまり複雑な存在ではなかった」(「期待」より、201ページ)
ボルヘス的、などと現代の批評家が言うとき、その指しているものは疑いようもなく『伝奇集』、あるいは『不死の人』の作家のことである。ただ、これらの作品集に横たわる恐ろしいまでの多様性を考えると、「ボルヘス的」と形容できるものなど、もはやなにひとつ存在しない、という気もしてくる。唯一残るのが「迷宮」や「無限」といった語彙なのだが、まさにこれこそが、作家が『ブロディーの報告書』などでこれらを捨て去った理由なのだろう。「ボルヘス的」なものの向こう側にも、ボルヘスは広がっている。そのことを忘れないようにしたい。