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Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

Jorge Luis Borges: The Last Interview

配架-アルゼンチン文学 評価-★★★★★(奇跡) 言語-英語の本 テーマ-盲目

 先日『伝奇集』について書いた折、「記事にできるまで数週間かかるかも……」なんて言っていたボルヘスの対談集。まさか本当にこれほど時間がかかるとは思っていなかったのだが、いまわたしに起こっている空前のボルヘスブームは、じつはこの本が火付け役だったのだ。メルヴィル・ハウスの「Last Interview」シリーズ、ボルヘス編。

Jorge Luis Borges: The Last Interview: and Other Conversations (The Last Interview Series)

Jorge Luis Borges: The Last Interview: and Other Conversations (The Last Interview Series)

 

Jorge Luis Borges: The Last Interview, Melville House Publishing, 2013.


 さて、メルヴィル・ハウスといえば、「Art of Novella」という、すばらしいラインナップの中篇小説シリーズで有名な出版社だ。ずっと気になっていたこのシリーズを、先日ついにアメリカのAmazonでまとめ買いしようとしたのだが、在庫していない本があまりにも多かったため、予定変更、出版社のウェブサイトを通じて直接取り寄せることにした。すると、目当ての「Art of Novella」以外にも、おもしろそうな本がごろごろ出てくるではないか。どうせアメリカから運ぶのだから、と、気になる本を手当り次第にショッピングカートに放りこんでいったところ、この本が紛れこんだ。そして、到着してすぐにぺらぺら読みはじめたら、止まらなくなった。自分はとんでもない本を読んでいる、という予感がして、もう本を伏せられなくなってしまったのだ。二、三日のうちに読み終えたのは、じつはもう一月以上も前のこと、それからはずっとボルヘスばかり読んでいて、当初の目的だったはずの中篇小説には、まだ一冊も手を伸ばしていない。ボルヘスの人となり、それからその美学、読書傾向を、肩肘張らない形式でこれほどまで雄弁に語ってくれる本は、ほかにないような気がしている。

 とはいっても、この対談集はべつに、これまでまったく翻訳されてこなかった、というわけではない。「Last Interview」という名称からも察せられるとおり、このシリーズの売りは作家の生前最後の対談を収録していることなのだが、ボルヘスの場合、最後の対談(ロペス・レクベとのもの)が非常に短いため、かつて行われたほかの対談も併録されているのだ。そして、本の前半分を占めるリチャード・バーギンとの対話は、柳瀬尚紀による邦訳がある。晶文社から出ていた『ボルヘスとの対話』というのがそれで(対談職人シャルボニエとの同名の書籍もあるので注意)、信じがたいことに絶版だが、英語圏ではいまでも、ボルヘス理解のための格好の入門書として扱われているようだ。

「I know there are people in the world who have the curious desire to know me better. For some seventy years, without too much effort, I have been working towards the same end. Walt Whitman has already said it:
 "I think I know little or nothing of my real life."
 Richard Burgin has helped me to know myself.」(p.6)
「世の中にはわたしのことをもっとよく知りたいという、不思議な欲求を抱えたひとがいるそうです。七十年そこいら、たいした努力もせずに、わたしも同じことを目指してきました。ウォルト・ホイットマンがとっくに言っていることですが、
 「わたしは自分の人生について、まったく、あるいはごくわずかなことしか知らない」
 リチャード・バーギンはわたしのことを知るための、手助けをしてくれたわけです」

 バーギンとの対談は1968年ごろ、『伝奇集』や『不死の人(エル・アレフ)』の後、『ブロディ―の報告書』や『砂の本』よりは前に実施されたものだが、ボルヘスはすでに英語圏で、話によればスペイン語圏を凌駕する勢いで、名声を博しはじめていた。折しもアメリカ滞在中だった作家のもとに、まだ二十歳そこいらだったバーギンが押しかけるかたちで実施されたものだという。そしてこのバーギン、意識してかしないでか、質問も応答もじつに的確、インタビューアーの鏡のように振る舞っているのだ。

「And so we began to talk. Within fifteen minutes we were talking about Faulkner, Whitman, Melville, Kafka, Henry James, Dostoevsky and Schopenhauer. Every five minutes or so he would interrupt the flow of his conversation by saying, "Am I boring you? Am I disappointing you?" Then he said something that moved me very deeply. "I am nearly seventy and I could disguise myself as a young man, but then I would not be myself and you would see through it."」(p.9)
「そんなふうにして、わたしたちは話しはじめた。十五分のあいだに、話題はフォークナーからホイットマンへ、メルヴィルカフカヘンリー・ジェイムズドストエフスキー、それからショーペンハウアーへと移った。だいたい五分おきに、彼は会話の腰を折って、「退屈じゃありませんか? 失望したんじゃありませんか?」と尋ねるのだった。それに続く言葉は、わたしをさらに感動させた。「わたしはもうすぐ七十歳ですが、若者のように振る舞うこともできたはずなのです。でも、そんなことをしたら自分自身ではなくなってしまうし、そんな変装はあなたにも見えすいたものと映ることでしょう」」

「By the time of his last lecture at Harvard, Borges was the literary hero of Cambridge. I understand that wherever he went in the country, giving his lectures and poetry readings, his reception was equally enthusiastic. In Cambridge, writers like Robert Lowell, Robert Fitzgerald, Yves Bonnefoy, John Updike and Bernard Malamud attended his lectures and lined up to meet him. John Barth said Borges was the man "who had succeeded Joyce and Kafka."」(p.13)
「ハーヴァードでの最後の講義のころには、ボルヘスマサチューセッツケンブリッジにおける文学的英雄となっていた。講義や詩の朗読のため、国内のどこへ行っても熱狂的な歓迎を受けたのも頷ける。ケンブリッジではロバート・ローウェル、ロバート・フィッツジェラルドイヴ・ボヌフォワジョン・アップダイクやバーナード・マラマッドといった作家たちが、彼の講義に参加し、彼に会うために列を成した。ジョン・バースボルヘスのことを「ジョイスとカフカの継承者」と呼んでいた」

 バーギンとの対話については、すでに柳瀬尚紀の訳文があるのだから、なにもわたしが苦労して拙い訳文を付す理由などどこにもない。訳したのは単に、現在のわたしの環境ではこの絶版本を入手する術がなかったからである。帰国次第探してみるつもりでいて、うまく手に入れることができたら、今回の訳文などすべて、なかったことにしたくなるのだろう。だが、バーギンとの対談のみ訳なし、というのはいかにも不格好なので、負け戦にわざわざ挑んだ次第だ。以下、後半部のほかの対談も織り交ぜつつ、話題になっていたいくつもの事柄をどんどん紹介していきたい。まずは失明について。

BURGIN: Of course, it must be much more difficult for you to write now because of your blindness.
 BORGES: It's not difficult, it's impossible. I have to limit myself to short pieces. Yes, because I like to go over what I write; I'm very shaky about what I write. So before I used to write any amount of rough drafts, but now, as I can't do them, I have to imagine drafts. So then, walking up and down the streets or walking up and down the National Library, I think what I want to write, but, of course, they have to be short pieces because otherwise, if I want to see them all at once – that can't be done with long texts. I try to shorten them as much as I can, so I write sonnets, stories maybe one or two pages long. The last thing I wrote, rather a long short story, well, it was six pages.」(p.69)
バーギン:当然ながら、失明された今となっては、執筆は非常に難しいものとなったのでしょうね。
 ボルヘス:難しい、ではなく、不可能になりました。もう小品以上のものを目指すわけにはいきません。書いたものには目を通し、何度も手を加える性分なのです。以前だったらまず草稿を書いたものですが、いまやそんなことはできず、草稿を想像しなければならないのです。そうして、通りを行ったり来たり、図書館内を行ったり来たりしながら、どんなものを書きたいのか考えるのですが、それはもちろん短い作品でなければなりません。長いものだと、いちどきに見直すことができなくなってしまったのです。可能なかぎり切り詰め、ソネットや一、二ページほどの短篇を書くようになりました。いちばん最近のものは、わりと長めの短篇でして、六ページあります」

BORGES: Believe me: the benefits of blindness have been greatly exaggerated. If I could see, I would never leave the house, I'd stay indoors reading the many books that surround me. Now they're as far away from me as Iceland, although I've been to Iceland twice and I will never reach my books.」(p.152)
ボルヘス:信じていただきたいのですが、盲目であることの利点は、あまりに誇張されすぎています。もし見ることができたのなら、わたしは二度と家を出たりはせず、屋内に留まり、自分を取り囲むたくさんの本を読み漁っていることでしょう。これらの本は、いまやアイスランドみたいに遠いものなのです。アイスランドには二度行ったことがあるのですが、自分の蔵書には二度と手が届かないのです」

 ロペス・レクべとの最後の対談では、視力を失ったあとのボルヘスが見ているものが語られていて、ものすごく興味を覚えた。こういうことって、盲人の方相手に気安く尋ねられるものではないし、めったに聞くことができない話のように思えるのだ。

BORGES: when I dream in color the colors are too dazzling. In my waking hours, however, right now for instance, I'm surrounded by a fog, it's bright, sometimes bluish, sometimes gray, and the shapes aren't very well defined. The last color to stay with me was yellow. I wrote a book, The Gold of the Tigers, and in that book – it was a poem – I said, quite accurately I think, that the first color I ever saw was the yellow of a tiger's fur. I used to spend hours and hours staring at the tigers at the zoo, and when I began to lose my sight the only color left to me was yellow, but now I've lost that too. The first color I lost were black and red, which means that I am never in darkness. At first this was a little uncomfortable. Then I was left with the other colors; green, blue and yellow, but green and blue faded into brown and then the yellow disappeared. Now no colors are left, just light and movement.」(pp.151-152)
ボルヘス:彩色された夢を見るとき、それらの色はひどく眩しく映ります。けれども起きているあいだは、たとえば今など、わたしは霧に包まれているのです。明るくって、ときに青みがかっており、またときには灰色で、形はあまりはっきりしていません。わたしの元に留まった最後の色は黄色でした。わたしは『群虎黄金』という本を書いたことがあるのですが、その本――それは詩でした――のなかで、こんなふうに言ったのです。なかなか正確に書けたと思っているのですが、つまり、わたしが生まれて初めて見た色は、虎の毛皮の黄色であった、と。かつてのわたしは、動物園の虎を見つめるのに何時間も費やしていたのです。やがて視力を失いはじめたとき、残った色は黄色だけでした。今ではそれさえ失ってしまいましたが。最初に失くした色は黒と赤で、それはつまり、わたしは二度と闇に囚われることはないということです。これも、初めは落ち着かないものでした。ほかの色、緑や青、黄色とともに取り残されたわけですが、やがて緑と青は茶色へと褪せていき、ついには黄色も消えてしまいました。もうなんの色も残っていません。あるのはただ、光と動きだけです」

 ボルヘスはすでに『伝奇集』のときからごく短い短篇を書いている作家なので、失明がどれほど彼の作品に影響を与えたのかは、単に作品の長さだけを見ていたら、ちょっとわからない。個人的な感覚から言って、決定的なのは密度だ。『ブロディーの報告書』などに収められた作品は、『伝奇集』や『不死の人』のときに比べて、非常に読みやすいのだ。読みやすい、というのは、この場合は、密度が薄まっているということである。推敲の不可能性がもたらしたものなのかは定かではないが、信じがたいような情報量だった前期の作品に比べると、同じ作家の作品とは思えないほどだ。

BORGES: I've always been a greater reader than a writer. But, of course, I began to lose my eyesight definitely in 1954, and since then I've done my reading by proxy, no? Well, of course, when one cannot read, then one's mind works in a different way. In fact, it might be said that there is a certain benefit in being unable to read, because you think that time flows in a different way. When I had my eyesight, then if I had to spend say a half an hour without doing anything, I would go mad. Because I had to be reading. But now, I can be alone for quite a long time, I don't mind long railroad journeys, I don't mind being alone in a hotel or walking down the street, because, well, I won't say that I am thinking all the time because that would be bragging.
 I think I am able to live with a lack of occupation. I don't have to be talking to people or doing things. If somebody had gone out, and I had come here and found the house empty, then I would have been quite content to sit down and let two or three hours pass and go out for a short walk, but I wouldn't feel especially unhappy or lonely. That happens to all people who go blind.」(pp.18-19)
ボルヘス:わたしはいつだって、作家であるよりは読者でした。でも、もちろん、1954年には視力を失いはじめたわけで、それからというもの、仲介者なしには読書もできなくなったわけです。読書ができないとなると、当然ながら、頭の働きもちがったものになってきます。実際、読書ができないということには、少なからぬ利点もある、と言うべきでしょう。時間の流れが別物になったように感じられるのです。視力がある時分に、もし、たとえば半時間を、なにもせずに過ごさなければならなかったとしたら、わたしは怒り狂ってしまったことでしょう。なにせ、読書しているべきなのですから。でも、いまでは、長い時間を一人きりでいることにも抵抗がありません。列車での長旅も、ホテルに一人きりでいることも、通りを歩きまわるのも苦になりません。四六時中考えごとをしているから、なんて言うと、嘘っぽく聞こえてしまうでしょうけれど。
 手持ち無沙汰でいることが苦にならなくなったのです。だれかと話をしていなくったって、やるべきことがなくったって、気になりません。家の者が出て行って、ここに来て家がからっぽだと気づいたとしたら、わたしは二、三時間をここで満足に座ったまま過ごして、それから短い散歩に出かけるでしょうけれど、それで不幸だとか淋しいとか、そんなふうに感じたりはしなくなったわけです。失明したら、だれでもそんなふうになるのではないでしょうか」

BORGES: I never understand why people say they're bored because they have nothing to do. Because sometimes I have nothing whatever to do, and I don't feel bored. Because I'm not doing things all the time, I'm content.」(p.19)
ボルヘス:やるべきことがないから退屈だ、などと言うひとたちのことは理解できません。わたしはしばしば、やるべきことなんてなにひとつない状態に陥りますが、それで退屈、ということはないのです。いつもなにかをしているというわけではありませんし、満足していられるわけです」

 ボルヘスは何度も繰り返し、「自分は何者でもない」という主旨の発言をしている。バーギンも書いていることだが、こういうことを言うときのボルヘスの謙虚さは本物で、あまりの正直さ、謙虚さに、それを聞くひとの最初の反応は、転じて疑いとなってしまうほどのものだそうだ。

BURGIN: Do you feel you're your own best critic?
 BORGES: No, but I believe that some of my pieces have been over-rated. Or, perhaps, I may think that I can let them go their way because people are already fond of them, no?」(p.36)
バーギン:ご自身のことを自作に対するもっとも辛辣な批評家だとお考えですか?
 ボルヘス:いいえ。それでも、わたしの作品のいくつかは、過大評価されていると思います。まあ、人びとがすでに気に入ってくれているのだから、そのままにしておけばいいのでしょうけれど」

LOPEZ LECUBE: What will happen to your house when you die?
 BORGES: It's not important. When you're dead, you're not there. Now, what I hope is that I will be forgotten because it's all a mistake, these superficial honors, people taking me seriously all over the place.」(pp.172-173)
ロペス・レクべ:あなたが亡くなったら、家はどうなるのでしょう?
 ボルヘス:そんなのは大した問題ではありません。死んでしまったら、もうそこにはいないのですから。わたしはただ、忘れられることを望んでいます。こんな表面的な栄光や、人びとが至るところでわたしのことを真面目に捉えていることなど、すべてなにかの間違いなのですから」

 だが、何度も何度も、自分は何者でもない、と告げるボルヘスを見ていると、その発言の背後には、彼の血肉となった無数の書物への敬意が潜んでいるのだ、と気づくにちがいない。稀代の読書家であるからこそ、自分の著書のことを、傍から見ると卑屈なまでに過小評価してしまっているのだろう。

BORGES: I felt that I owed so much to Kafka that I really didn't need to exist. But, really, I am merely a word for Chesterton, for Kafka, and Sir Thomas Browne.」(p.138)
ボルヘスカフカに負うところがあまりに多いので、わたしは自分が存在する必要性を感じません。実際、わたしなど単に、チェスタトンカフカ、トーマス・ブラウンに対する賛美でしかないのですよ」

BORGES: come visit in Buenos Aires, I'll show you my library, you won't find a single book of mine. I'm very sure of this – I choose my books. Who am I to find my way into the neighborhood of Sir Thomas Browne, or of Emerson. I'm nobody.」 (p.139)
ボルヘス:ぜひブエノス・アイレスにお越しください、書斎をお見せしますよ。わたしの作品など、一冊も見当たらないことでしょう。これについては確信が持てます。蔵書は入念に選ぶ性質なのです。トーマス・ブラウンやエマーソンの隣に、わたしの居場所などありません。わたしなど、なんでもないのですよ」

BORGES: I owe much to Groussac, I owe much to Lugones, I owe much to Capdevila, I owe much to Fernandez Moreno, without a doubt. Almafuerte, I don't know if I'm worthy of him.」(p.164)
ボルヘス:わたしはグリューサックに、ルゴネスに、カプデヴィラに、それから疑いの余地なくフェルナンデス・モレノに、多くを負っています。アルマフエルテについては、わたしには名指す資格があるとも思えません」

 極めつけは、最後の対談の末尾で交わされる以下のやりとり。対談のギャラについて話し合っているのだが、ボルヘスは、自分ごときの話で金なんかとれない、と言うのだ。この箇所は、ちょっとかっこいい。

LOPEZ LECUBE: Do you know that there are writers who charge for interviews? You're someone...
 BORGES: Well, I really have no idea how much you're going to pay me.
 LOPEZ LECUBE: [Laughing.] We can talk about that later.
 BORGES: I think nothing, don't you? Let's set it at zero then, is zero fine with you?
 LOPEZ LECUBE: Of course, zero. Silvia Bullrich charges in dollars.
 BORGES: Well, Silvia Bullrich is a rich woman and I'm a poor man. It's strange that rich people are usually miserly and often greedy too. Poor people aren't, the poor are free with their generosity. Poor people are generous, rich people aren't. My father used to say to me that when one inherits a fortune, they inherit the conditions that led to making that fortune, meaning that rich people inherit wealth and the qualities of miserliness and greed, which it maybe requires.
 LOPEZ LECUBE: That's wonderful, you mean that one can't be rich without stealing from someone?
 BORGES: I think so, property is originally a theft.」(pp.183-184)
ロペス・レクベ:インタビューにお金をとる作家がいるのをご存じですか? あなたというひとはほんとうに……。
 ボルヘス:でも、あなたがいくら払おうと言うのか、ほんとうに見当もつかないのですよ。
 ロペス・レクベ:(笑)。これについては、あとでお話しましょう。
 ボルヘス:無料でいいじゃないですか。ゼロ、ということでいかがです? ゼロで問題ありませんか?
 ロペス・レクベ:もちろん、問題ありません。シルヴィア・ブルリッチは米ドルで請求するんですよ。
 ボルヘス:それはシルヴィア・ブルリッチが裕福な女性で、わたしが貧乏な男だからですよ。裕福なひとがたいてい吝嗇家で欲深いというのは奇妙なことです。貧乏人はそんなことはありません。貧乏人は自在に気前よく振る舞うものです。貧乏人は気前がよく、金持ちはそうではない。父がかつて言い聞かせてくれたものですが、ひとは大金を相続するとき、その大金を作りあげるのに必要な条件さえも相続するそうなのです。つまり、金持ちは富を相続しながら、同時に吝嗇と欲深さをも受け継ぐ、と。きっと必要なことなんでしょう。
 ロペス・レクベ:それ、いいですね。だれかから盗まないかぎり、ひとは裕福にはなれない、ということですよね?
 ボルヘス:そう思います。どんな資産も、もとを辿れば盗品でしょう」

 日本でのボルヘスは、文庫化されているような作品を眺めてみても、やはり小説家としての印象がとても強く、「博覧強記」という形容も、小説作品に散りばめられた贅沢なスパイス、といった程度の意味でしか使われていないように映るのだが、『詩という仕事について』や『七つの夜』といった例外的な文庫本を見ると、批評家、いや、読書人としてのボルヘスの底力は、単なるスパイスどころに留まるものではない、ということがすぐにわかるだろう。

BORGES: I think of myself primarily as a reader, then also a writer, but that's more or less irrelevant.」(p.129)
ボルヘス:わたしはまずもって読者であり、それからまた作家でもありますが、これらのあいだに大した関係はないのです」

BORGES: I'm merely a dreamer, and then a writer, and my happiest moments are when I'm a reader.」(p.132)
ボルヘス:わたしは単なる夢想家で、それから作家でもありますが、いちばん幸せなのは、読者であるときなのです」

 日本語や英語でボルヘスを読んでいるかぎり、たとえば翻訳家としての彼のことを知ることなどはできないのは、ある意味当然のことだ。だが、われわれが知らないボルヘスの顔を知るために、つまりボルヘスによる翻訳を読むためにスペイン語を習得する、というのは、いま、非常に魅力的な案のように感じている。思えばイタリアの書店で見かけた川端康成の訳書に、須賀敦子の名が刻まれているのを目にしたときにも、同じことを感じたものだった。

BOURNE: You were the first to translate Kafka into Spanish. Did you feel a sense of mission while you were translating him?
 BORGES: No, that was when I translated Walt Whitman's Song of Myself. "What I'm doing is very important," I said to myself. Of course I know Whitman by heart.」(p.139)
ボーン:あなたはカフカをスペイン語に訳した初めての人物ですが、翻訳の最中、使命感のようなものを感じましたか?
 ボルヘス:いいえ、それを感じたのは、ウォルト・ホイットマンの『ぼく自身の歌』を訳していたときです。「わたしがやっているのはとても重要なことだ」と、自分に言い聞かせていました。ホイットマンは、もちろん暗誦できます」

BOURNE: So Borges the writer and Borges the translator are completely separate?
 BORGES: Yes, they are. When I translate, I try not to intrude. I try to do a fair translation of some kind, and to be a poet also.」(pp.139-140)
ボーン:では、作家ボルヘスと翻訳者ボルヘスは、まったく別の人間であると?
 ボルヘス:ええ、別です。翻訳するときには、介入しないよう努めているのです。公平な翻訳を、また、詩人であろうとも心がけています」

BORGES: I think that if one has to translate slang one should translate it into straight Spanish, because you're not... you get a different kind of local color.」(p.143)
ボルヘス:俗語を翻訳しようというときには、平易なスペイン語に訳すべきだと考えています。そうでなければ、別種の地方色が付着してしまうことでしょう」

 ボルヘスは、彼自身が言うとおり、作家である以前に読者であるわけだが、作家という語をもっと具体的により分けてみたら、小説家である以前に詩人だったのだろう、と思う。だが、そんな穿った考え方を、彼はこんなふうに戒めてくれている。

BURGIN: Do you think you're more gifted in fiction than in poetry or...
 BORGES: I don't think I'm gifted at all. But I don't think of them as different, or different species or tasks. I find that sometimes my thinking, or rather my fancy, takes the shape of verse and sometimes the shape of prose, and sometimes it may be a tale or it may be a confession or it may be, well, an opinion. But I don't think they are different.」(p.91)
バーギン:ご自分のことを、たとえば詩作よりも小説のほうに才能があるとお思いになりますか?
 ボルヘス:わたしはどんな才能も持ち合わせてはいませんよ。でも、それらが異なるものだとは考えていません。異なる分野あるいは仕事である、などとは。わたしの考えは、いや、思いつきと言うべきでしょうか、時に韻文のかたちを採り、また時には散文になります。物語のときもあれば、告白だったり、意見だったりするのです。でも、それらが異なるものだとは思えません」

BORGES: I'm given an idea; well, that idea may become a tale or a poem. But I'm only given the starting point and the goal. And then I have to invent or concoct somehow what happens in between, and then I do my best. But generally, when I get that kind of inspiration, I do all I can to resist it, but if it keeps bothering me, then I have to somehow write it down. But I never look for subjects.」(p.131)
ボルヘス:なにか着想を得たら、それは物語や詩になるかもしれません。しかし、わたしが与えられるのは、始まりと終着点だけで、あいだになにがあったのかは、どうにか思いつくか、でっちあげなければならないのです。でも大抵の場合、着想を得たときには、できるだけその誘惑に抗うようにしています。それでもそれが頭を離れないときにかぎって、なんとか書き留めるようにしているのです。書く題材を自分から探し求めるようなことはありません」

 また、自作については、こんなことも言っている。

BURGIN: You once said that if a man is happy, he doesn't want to write or really do anything, he just wants to be.
 BORGES: Yes, because happiness is an end in itself. That's one of the advantages, or perhaps the only advantage, of unhappiness. That unhappiness has to be transmuted into something.
 BURGIN: So then, your own writing proceeds out of a sense of sorrow.
 BORGES: I think that all writing comes out of unhappiness.」 (p.121)
バーギン:いつだったか仰っていましたね。ひとが本当に幸せであったなら、そのひとは書いたり、なにかをしようなどとはしない、と。ただ、そのままでいたがるはずだ、と。
 ボルヘス:ええ、幸せというのは、それ自体、完結しているものなのです。それが不幸にとっては一つの、あるいは唯一の強みなのでしょう。不幸というのは、なにかに変容せざるを得ないのです。
 バーギン:では、ご自身の著作も悲しみの感情に由来するのですね。
 ボルヘス:あらゆる著作というのは、不幸から汲み出されたものだと思います」

BORGES: I meant nothing whatever, I meant the tale itself. If I could have said it in plainer words, I would have written it otherwise.」(p.86)
ボルヘス:隠れた意味などなにもなく、わたしは物語そのものを意味したのです。もっと単純な言葉で書けたなら、そのようにしていたことでしょう」

 ところで、自作のなかから一冊を、となったとき、ボルヘスが選んだのは小説作品ではなく詩集、『創造者』だった。『創造者』のすばらしさは、ほんとうに忘れがたいものだ。「率直に言って覚えていないのだ、あの晩、実際に自殺をしたのかどうか」(「ある会話についての会話」より、23ページ)。

BURGIN: Of all the books you've published, do you have a favourite book?
 BORGES: Of all my books, yes. The book called The Maker, El hacedor. Yes, because it wrote itself. And my English translator, or my American translator, he wrote to me and said that there was no English word for "El hacedor." And then I wrote him back, saying that "El hacedor" had been translated from the English "The Maker." But, of course, all words in a foreign tongue have a certain distinction behind them, no? So that "El hacedor" meant more to him than "The Maker." But when I used "El hacedor" for the poet, for Homer, I was merely translating the Old English or the Middle English word "maker."」(pp.104-105)
バーギン:これまで刊行した著作のうち、とくに気に入っているものはありますか?
 ボルヘス:ええ、あります。『創造者(The Maker)』、原題では『El hacedor』という本です。これは本自身によって書かれた本なのです。英訳を担当したイギリス人、あるいはアメリカ人が、「El hacedor」にぴったり合致する語彙が英語には存在しない、と書いて寄越しました。返事には、「El hacedor」はかつて英語の「The Maker」から訳された言葉だと書きました。しかし、当然ながら、外国語のすべての言葉には、その裏側にある程度の差異が感じられるものです。彼にとって「El hacedor」というのは、「The Maker」以上の意味を持っていたのでしょう。しかしわたしが詩人、ホメロスを指して「El hacedor」と言ったとき、わたしは単に古英語、あるいは中世英語の「maker」を訳していただけなのです」

BURGIN: Some people didn't take you seriously when you said that El hacedor, translated back into English as Dreamtigers, would make all your other books unnecessary. But as I read it, I think more and more that perhaps it was more than a joke on your part – saying that.」(p.105)
バーギン:あなたがあの『創造者』について、結局は『夢虎(Dreamtigers)』という英題で刊行されましたが、これでわたしのほかの著作はすべて無用の長物になった、と言ったとき、多くのひとはその言葉を真剣に受け取ろうとはしませんでした。しかし読むにつれ、あれはいつもの冗談などではなかったのだ、と考えるようになっていきました」

BORGES: I think that if a poem is really great, you should think of it as having written itself despite the author. It should flow.」(p.133)
ボルヘス:ある詩がほんとうにすばらしいものであるなら、それは著者の手を離れ、詩自身によって書かれたもののように思えるはずです。流れているべきなのです」

 ところで、『詩という仕事について』などを含め、ボルヘスは至るところで、英語で詩を読む楽しみを伝えようとしてくれている。正直に告白すると、わたしは英詩、とくに韻文詩というものに馴染みがなく、原文ではいまだにほとんど読んだことがないのだ。以下の一節を読んで、ここから始めてみよう、と思った。

BORGES: if they thought of poetry as they think of music, that might make things easier for them, don't you think so? When you're hearing music, well, of course, I know nothing whatever about music, I suppose you'd just be pleased or displeased or bored. But if you're reading a book, you're hunting for a book behind the book, no? Consequently you have to invent all kinds of reason...」(p.87)
ボルヘス:人びとが音楽について考えるように詩を捉えてくれたら、もっとすんなり受け入れられるはずだとは思いませんか? 音楽に聴き入っているとき、いや、もちろん、わたしは音楽のことなどなにひとつ知らないのですが、ひとは楽しいか楽しくないか、あるいは退屈するかくらいのものでしょう。ところが本を読むとなると、本の裏側にある本を見極めよう、となってしまう。その結果として、あらゆることに理由を求めてしまうのです」

 また、模倣するということの大切さについても、ボルヘスは雄弁だ。詩についてはこんなふうに述べている。

BOURNE: You said new writers should begin by imitating old forms and established writers.
 BORGES: I think it's a question of honesty, no? If you want to renew something you must show that you can do what has been done. You can't begin by innovation. You can't begin by free verse for example. You should attempt a sonnet, or any other set stanza, and then go on to the new things.」(p.145)
ボーン:新人作家は、古いものやすでに老練した作家を模倣することから始めるべき、と、いつか仰っていましたね?
 ボルヘス:それは誠実さの問題なのです。もしなにかを新しくしようというのなら、まずはすでに為されたことを為せるのだと示すべきでしょう。発明から始めることなんてできません、たとえば、自由律韻文から始めるだなんて。ソネットやほかのスタンザをまずは試してみるべきで、新しいものに取り掛かるのはそのあとでしょう」

BORGES: it's quite easy to write an original poem, let's say, with original thoughts or surprising thoughts. I mean, if you think, that's what the metaphysical poets did in England, no? But in the case of "Limites," I have had the great luck to write a poem about something that everybody has felt, or may feel.」(p.97)
ボルヘス:独創的な詩を書くというのは、それほど難しいことではありません。独創的な、あるいは驚くべき考えがあればいいのです。これこそまさにイギリスの形而上詩人たちがやったことではありませんか? しかしながら、あの「Limites」の場合、わたしはだれもが感じたことのある、あるいは感じるであろうことを、詩のかたちで書き留めるという幸運に恵まれたのです」

 ここではすでに何度も述べていることだが、ロラン・バルト『零度のエクリチュール』などで執拗に書いていたとおり、二十世紀というのは新奇なものを求めて作家たちが足並みを揃えていた時代で、ついには「ポストモダン」なんていう胡散臭い言葉まで広まるようになった。だが、新しいものの追求というのは終わりがない。今日新しいものは、明日にはすでに古くなってしまっているのだから。断言するが、この傾向の終着点は窒息、失書症でしかないのだ。ボルヘスはすでに為されたこと、過去に敬意を払うひとなので、とても彼らしい提案をしてくれている。

BORGES: I suppose that each generation has to rewrite the books of the past and do it in a slightly different way. When I write a poem, that one has already been written down any amount of times, but I have to rediscover it. That's my moral duty. I suppose we all attempt very slight variations, but the language itself can hardly be changed. Joyce, of course, tried to do it. But he failed, though he wrote some beautiful lines.」 (p.141)
ボルヘス:それぞれの世代が、過去の書物をほんのすこしだけ違った方法で、書きなおすべきなのだと考えています。わたしが詩を書くとき、その詩はもう何度も書かれてきたものなのですが、わたしはそれを再発見しなければならないのです。それこそがわたしの道徳的使命なのでしょう。われわれはみんな、ほんの些細な違いしか試みてはいません。言葉というのは、そうそう変わるものではないのです。ジョイスはそれを変えようと努めましたが、失敗に終わりました。美しい数行を残しはしましたが」

BORGES: You don't have to try to be contemporary. You are already contemporary.」(p.138)
ボルヘス:現代的であろうとする必要などありません。すでに現代を生きているのですから」

 さて、読書という行為が話題になると、ボルヘスはもう止まらない。本について語っているときの彼のテンションの高さは、愛着の深さをそのまま伝えてくれていて、とても好ましい。

BORGES: I think of reading a book as no less an experience than travelling or falling love. I think that reading Berkeley or Shaw or Emerson, those are quite as real experiences to me as seeing London, for example.」(p.35)
ボルヘス:読書というのが、旅行や恋愛に劣る経験だとは考えていません。たとえばバークリーやショー、エマーソンを読むということは、わたしにはロンドン見物と同じくらい実際的な体験に思えるのです」

BORGES: every time a book is read or reread, then something happens to the book.
 BURGIN: It becomes modified.
 BORGES: Yes, modified, and every time you read it, it's really a new experience.」(p.38)
ボルヘス:読まれたり再読されたりするたび、その本にはなにかが起こっているのです。
 バーギン:修正される、と。
 ボルヘス:ええ、読むたびに修正されるのです。いつだって新しい体験なのです」

BORGES: I think that literature has not only enriched the world by giving it books but also by evolving a new type of man, the man of letters.」(p.109)
ボルヘス:文学というのは、本を与えて世界を豊かにしたというだけでなく、人びとをある新しい種に進化させることでも、それを達成してきたように思います。文人と呼ばれる人びとです」

 会話のなかで挙がる作家名は数えきれないほどだが、やはり特に多いのはカフカだ。上に引いたとおり、ボルヘスカフカから受けた影響を隠そうともしない。それでいてこんなことも言っているのだ。

「"After two or three chapters of The Trial you know he will never be judged, you see through the method. It's the same thing in The Castle, which is more or less unreadable. I imitated Kafka once, but next time I hope to imitate a better writer. Sometimes great writers are not recognized. Who knows, there may be a young man or an old man writing now who is great. I should say a writer should have another lifetime to see if he's appreciated."」(p.10)
「『審判』の初めの二、三章を読んだ時点で、主人公がけっして裁かれないことはすでに明白、やり口が見えすいてしまっているのです。『城』も同様で、とても読めたものではありません。わたしにはカフカを模倣していた時期がありますが、次はもっとましな作家を真似するべきなのでしょうね。偉大な作家が認められていない、というのは、よくあることです。いま現在執筆中の若者、あるいは老人が、じつは偉大な作家、ということだって大いにあり得ます。作家は、認められるかどうかを知るための、もうひとつの生を受けるべきなのでしょうね」

 そして、おもしろいことに、ボルヘスはしょっちゅうヘンリー・ジェイムズを持ち出しては、カフカやほかの作家たちと比較している。ほんとうに、ヘンリー・ジェイムズはあまりに何度も名が挙がるので、先日ついに徹夜して『ねじの回転』を読んでしまったほど。この本についても、いつか記事にするつもりだ。

BORGES: I think that you get many things in James that you don't get in Kafka. For example, in Henry James you are made to feel that there is a meaning behind experience, perhaps too many meanings. While in Kafka, you know that he knew no more about the castle or about the judges and the trial than you do. Because the castle and the judges are symbols of the universe, and nobody expected to know anything about the universe. But in the case of Henry James, you think that he might have had his personal theories or you feel that he knows more of what he's talking about. I mean that though his stories may be parables of the subject, still they're not written by him to be parables. I think he was really very interested in the solution, maybe he had two or three solutions and so in a sense I think of Henry James as being far more complex than Kafka, but that may be a weakness. Perhaps the strength of Kafka may be in his lack of complexity.」(pp.79-80)
ボルヘス:ジェイムズを読んでいると、カフカよりもよっぽど多くのものが得られるでしょう。つまり、ヘンリー・ジェイムズの場合、経験の裏側に、なにか意味が、ちょっと多すぎるほどの意味が潜んでいるように感じられるのです。しかしながらカフカの場合、城や評決、審判のことでさえ、読者が知っている以上のことを作家が知っているようには思えません。つまり、城や評決というのは宇宙の象徴なのであって、宇宙のことなど、そもそもだれにもわからないのです。ヘンリー・ジェイムズにおいては、彼の持論であったり、彼が語っている以上のことが隠されているように思えます。たとえその物語が主題に関する寓話であったとしても、寓話として書かれたもののようには思えないのです。思うに、彼は解答というものに多大な関心を抱いていて、それをいつも二つ三つ持ち合わせていたのでしょう。ある意味、ヘンリー・ジェイムズカフカよりもよほど複雑な作家なのですが、しかしそれは彼の欠点でもあるのです。カフカの強みは、その複雑性の欠如にあるのかもしれません」

BORGES: I think what is interesting in James are the situations more than the characters. Let's take a very obvious example. If I think of Dickens, I'm thinking of Sir Pickwick, Pip, David Copperfield. I think of people, well, I might go on and on. While if I think of James, I'm thinking about a situation and a plot. I'm not thinking about people. I'm thinking about what happened to them.」(p.80)
ボルヘス:ジェイムズを読んでいておもしろいのは、人物よりもむしろ状況のほうです。明瞭このうえない例を挙げますと、ディケンズについて考えるとき、わたしはピクウィック氏やピップ、デイヴィッド・コパーフィールドといった人びとのことを思うのです。ほかにもいくらでも出てきます。ところがジェイムズの場合には、状況や筋書きが頭に浮かぶばかり、人びとのことなど眼中にないのです。彼らにどんなことが起こったのか、そればかりを考えるのです」

BORGES: Perhaps I think of Henry James as being a finer storyteller than he was a novelist. I think his novels are very burdensome to read, no? Don't you think so? I think his novels are very... James was a great master of situations, in a sense, of his plot, but his characters hardly exist outside the story. I think of his characters as being unreal. I think that the characters are made – well, perhaps, in a detective story, for example, the characters are made for the plot, for the sake of the plot, and that all his long analysis is perhaps a kind of fake, or maybe he was deceiving himself.」 (p.74)
ボルヘス:思うに、ヘンリー・ジェイムズは小説家である以上に、良き物語作家だったのではないでしょうか。彼の小説を読むのは、苦行みたいに思えませんか? まったく彼の小説っていうのは……。ジェイムズは状況を描く職人、ある意味では、筋書きの職人です。けれども彼の登場人物たちというのは、物語の外側には存在しておらず、現実味を帯びていないのです。作りものめいているのです。たとえば探偵小説のなかで、登場人物たちというのは筋書きのため、筋書きに合わせて作りあげられたものでしょう。事件解明に到るまでの長々しい分析は、見せかけのものでしょう。探偵がみずからを欺いていた、という場合もあるのかもしれませんけれど」

 人物を創りあげることに成功した作家として手放しの賞讃を受けている一人が、コンラッドである。コンラッドは『ブロディーの報告書』などでも、本名のユゼフ・コジェニョフスキとして小説中に登場していたりと、ボルヘスお気に入りの作家だ。

BURGIN: You've quoted Conrad as saying that the real world is so fantastic that it, in a sense, is fantastic, there's no difference.
 BORGES: Ah, that's wonderful, eh? Yes, it's almost an insult to the mysteries of the world to think that we could invent anything or that we needed to invent anything. And the fact that a writer who wrote fantastic stories had no feeling for the complexity of the world.」(p.67)
バーギン:いつだったか、コンラッドを引用していましたね。現実世界というのはあまりに幻想的なので、ある意味では現実と幻想には差がない、と。
 ボルヘス:ああ、すばらしいですよね。ええ、なにかを想像したり発明したりできると考えることは、世界の神秘を前にしては、ほとんど侮辱と言ってもいいでしょう。幻想的な話を書く作家は、世界の複雑さに対する畏敬の念が足りていないのです」

BURGIN: What novelists do you think could create characters?
 BORGES: Conrad, and Dickens, Conrad certainly, because in Conrad you feel that everything is real and at the same time very poetical, no? I should put Conrad as a novelist far above Henry James. When I was a young man I thought Dostoevsky was the greatest novelist. And then after ten years or so, when I reread him, I felt greatly disappointed. I felt that the characters were unreal and that also the characters were part of a plot. Because in real life, even in a difficult situation, even when you are worrying very much about something, even when you feel anguish or when you feel hatred – well, I've never felt hatred – or love or fury maybe, you also live along other lines, no? I mean, a man is in love, but at the same time he is interested in the cinema, or he is thinking about mathematics or poetry or politics, while in novels, in most novels, the characters are simply living through what's happening to them. No, that might be the case with very simple people, but I don't see, I don't think that happens.」(pp.74-75)
バーギン:では、どんな小説家が登場人物たちを創作できているのですか?
 ボルヘスコンラッド、それからディケンズです。コンラッドは間違いないでしょう。コンラッドを読むとき、すべては真実で、しかも詩情に溢れているのです。コンラッドヘンリー・ジェイムズよりもよっぽど格上の作家に思えます。まだ若いころには、ドストエフスキーが最高の作家だと考えていたものです。しかし十年かそこいら経って、あらためて読み返してみたとき、ずいぶんがっかりさせられました。登場人物が虚構めいて見え、筋書きの一部のように思えたのです。ほら、実際の生活では、たいへん難しい状況にあったとしても、なにかを気に病んでいたり、苦悩や憎悪(いえ、わたしは憎しみの感情など抱いたことはないのですが)、または愛や怒りを感じていたとしても、それでもそれらの感情とは別の生活を、同時に送っているものでしょう。つまり、恋に落ちた男だって、同時に映画に興味を持ったり、数学だの詩だの政治だののことを考えているはずなのです。しかしながら小説、ほとんどの小説では、登場人物たちは自分の身に起きていることのみを生きているのです。そんなのは、ごくごく単純な人びとにしか起こりえません。そんなはずはない。そんなふうに事が運ぶわけがないのです」

 対称的なのはジョイスで、ボルヘスは疑いようもなく彼の意図そのものは評価しているのだが、その結果としての作品、とりわけ『ユリシーズ』には懐疑的である。

BURGIN: Do you think a book like Ulysses, for example, was, among other things, an attempt to show the full spectrum of thought?
 BORGES: Yes, but I think that Ulysses is a failure, really. Well, by the time it's read through, you know thousands and thousands of circumstances about the characters, but you don't know them. And if you think of the characters in Joyce, you don't think of them as you think of the characters in Stevenson or in Dickens, because in the case of a character, let's say in a book by Stevenson, a man may appear, may last a page, but you feel that you know him or that there's more in him to be known, but in the case of Ulysses you are told thousands of circumstances about the characters. You know, for example, well, you know that they went twice to the men's room, you know all the books they read, you know their exact positions when they are sitting down or standing up, but you don't really know them. It's as if Joyce had gone over them with a microscope or a magnifying glass.」(p.75)
バーギン:たとえば『ユリシーズ』のような本は、ほかの目的はさておき、思考というものを全的に提示しようとした試みだと思いますか?
 ボルヘス:ええ、ですが、実際のところ、『ユリシーズ』は失敗だったのだと思います。読みとおしてみると、読者は登場人物たちの何千もの異なる状況を目にするわけですが、それでも彼らのことを知らないままなのです。ジョイスの登場人物たちのことを考えるときは、スティーヴンスンやディケンズの人物のようにはいきません。たとえばスティーヴンスンの本のなかで、だれかが現れ、一ページ留まっただけでも、その人物のことを知ったように、もっと知るべきことがあるように感じられるでしょう。ところが『ユリシーズ』の場合は、人物について何千もの状況が語られるのです。彼らがある男たちの部屋に二度立ち寄ったことや、これまでどんな本を読んできたのか、どんなふうに腰掛けているのか、あるいは立ち上がっているのか、そういったことならば、知ることができます。しかし彼ら自身のことはわからないのです。まるでジョイスが、顕微鏡や虫めがねを片手に、彼らの上辺だけを這い回ったかのようなのです」

 小説中の人物、ということに関連して、ボルヘス『ドン・キホーテ』についても、こんなおもしろいことを言っていた。

BORGES: When you read Babbitt, well, perhaps I think in the end, he became one with Babbitt. For as a writer has to write a novel, a very long novel with a single character, the only way to keep the novel and hero alive is to identify with him. Because if you write a long novel with a hero you dislike or a character that you know very little about, then the book falls to pieces. So, I suppose, that's what happened to Cervantes in a way. When he began Don Quixote he knew very little about him and then, as he went on, he had to identify himself with Don Quixote, he must have felt that, I mean, that if he got a long distance from his hero and he was always poking fun at him and seeing him as a figure of fun, then the book would fall to pieces. So that, in the end, he became Don Quixote.」(pp.23-24)
ボルヘスシンクレア・ルイスの『バビット』を読むと、結果的にそうなったのかもしれませんが、作家本人がバビットと一体化しているように思えるのです。小説を、それもとびきり長いやつをひとりの主人公で書こうという作家は、作品を完成させ、主人公を魅力的に描きつづけるには、彼と一体化する以外に手立てがありません。自分の好みでない主人公や、ろくに知らない人物を中心にしては、長篇小説などは書けず、本は成り立たなくなってしまうことでしょう。ですので、ある意味では同じことがセルバンテスにも起こっているのです。『ドン・キホーテ』を書きはじめた当初、作家はこの主人公のことをろくに知らなかったはずで、話を進めるにつれて、自分と一体化させる必要性を感じとったにちがいありません。距離を置いたまま小突いて笑いものにしたりと、嘲笑の対象としてしか見られないのだったら、本は成り立たなくなってしまっていたはずなのです。こうして最終的に、彼はドン・キホーテになったのです」

 また、『不思議の国のアリス』『イリアス』『オデュッセイア』についても、ずいぶん風変わりな論理を展開している。最近は『不思議の国のアリス』というと、すぐさま『図書館』を書いたアルベルト・マングェルのことを思い出すようになっているのだが、思えば失明後のボルヘスに本の読み聞かせをしていたのがマングェルである。二人の関係についても、もっと知りたいと思う。

BURGIN: You like Alice in Wonderland, don't you?
 BORGES: Oh, it's a wonderful book! But when I read it, I don't think I was quite as conscious of its being a nightmare book and I wonder if Lewis Carroll was. Maybe the nightmare touch is stronger because he wasn't aware of it, no? And it came to him from something inner.
 I remember as a child I, of course, I gently enjoyed the book, but I felt that there was – of course, I never put this feeling into words – but I felt something eerie, something uncanny about it. But now when I reread it, I think the nightmare touches are pretty clear. And perhaps, perhaps Lewis Carroll disliked Sir John Tenniel's pictures, well, they're pen-and-ink drawings in the Victorian manner, very solid, and perhaps he thought, or he felt rather, that Sir John Tenniel had missed the nightmare touch and that he would have preferred something simpler.」(pp.72-73)
バーギン:『不思議の国のアリス』、お好きですよね?
 ボルヘス:ああ、すばらしい本です! でも初めて読んだときに、あの本が抱える悪夢めいた様子に気づいていたとは思えません。ルイス・キャロル自身も、気づいていたかどうか。気づいていなかったからこそ、あれほどまでに悪夢めいているのではないでしょうか? あれはなにか作家の内面から発露したもののように思えるのです。
 子どもだった時分、もちろんあの本を楽しみはしたのですが――当然ながら、その感覚を言葉にはしませんでしたけれど――なにか不気味な、薄気味悪いものを感じもしたのです。しかし今になって読み返してみると、あれははっきりと悪夢ではありませんか。おそらく、ええ、これは推測なのですが、ルイス・キャロルジョン・テニエル画伯の挿絵を嫌っていたのではないか、と考えてしまいます。ヴィクトリア朝らしいペン描画で、非常に細密な絵です。きっとルイス・キャロルは、ジョン・テニエルは悪夢めいた様子を見逃している、もっと簡潔な絵のほうが良かった、と思っていたに、いや、感じていたにちがいありません」

BORGES: I love The Odyssey, but I dislike The Iliad. In The Iliad, after all, the central character is a fool. I mean, you can't admire a man like Achilles, no? A man who is sulking all the time, who is angry because people have been personally unjust to him, and who finally sends the body of the man he's killed to his father. Of course, all those things are natural enough in those tales, but there's nothing noble in The Iliad...」(p.100)
ボルヘス:『オデュッセイア』は大好きですが、『イリアス』はどうかと思います。結局、『イリアス』は中心人物が愚か者ではありませんか。つまり、アキレウスのような男には感心できないでしょう? いつも不機嫌で、人びとが不公平だと怒ってばかり、挙句の果てにはみずから手にかけた男の死骸を、わざわざその父親のもとに送りつける始末。もちろん、こういったことは物語のなかでは自然に起こることです。ですが、やはり『イリアス』には気品が欠けていますよ」

 それから、ボルヘスといえばチェスタトンとスティーヴンスンに対する愛着も忘れてはいけない。わたしにとってはこの二人は、それぞれ『木曜日だった男』『新アラビア夜話』と、ともに南條竹則が教えてくれた作家だ。この二人の名は何度も何度も登場してくる。

BURGIN: I also love "The Garden of Forking Paths," and you don't like that one.
 BORGES: I think it's quite good as a detective story, yes.
 BURGIN: I think it's more than a detective story, though.
 BORGES: Well, it should be. Because, after all, I had Chesterton behind me, and Chesterton knew how to make the most of a detective story. Far more than Ellery Queen or Erle Stanley Gardner. Well, Ellery Queen's quite a good story.」 (p.53)
バーギン:わたしは「八岐の園」も好きなのですが、お気に召さないようですね。
 ボルヘス:探偵小説としてなら、よく書けていると思いますよ。
 バーギン:でも、あれは単なる探偵小説以上のものだと思います。
 ボルヘス:まあ、そうあるべきでしょうね。わたしの背後にはチェスタトンがいて、チェスタトンは、探偵小説のことを知り尽くしていたのです。エラリー・クイーンやE・S・ガードナーなど、比較になりません。つまり、エラリー・クイーンのまともな作品など、という意味ですが」

BORGES: another thing I dislike is if people ask me, for example, "Do you admire Shaw?" "Yes." "Do you admire Chesterton?" "Yes." "And if you had to choose between them?" "But I don't." They stand for different moods, don't you think so? I mean, you might say that Chesterton as a weaver of tales was cleverer than Shaw, but that on the whole I think of Shaw as a wiser man than Chesterton. But I'm not thinking of a kind of duel between them. Why not have both?」(p.88)
ボルヘス:ほかにも、こういうことを尋ねられるのは嫌いですね。たとえば、「ショーを高く評価していますね?」「ええ」。「チェスタトンを高く評価していますね?」「ええ」。「では、どちらかを選ばなければならなかったとしたら?」「でも、そんな必要には迫られません」。これらの作家の雰囲気は、ぜんぜんちがうではありませんか。たしかに、物語の紡ぎ手としてのチェスタトンはショーより賢い人間だったかもしれないけれど、でも全体的には、ショーのほうがチェスタトンよりも思慮深いように思えます。しかし、ふたりを競わせようなどとは考えません。二人ともすばらしい、それで良いじゃありませんか?」

LOPEZ LECUBE: Do you lie, Borges?
 BORGES: Not voluntarily. But I can lie, language is so limited compared to what we think and feel that we are obliged to lie, words themselves are lies. Stevenson said that in five minutes of any man's life things happen that all of Shakespeare's vocaburary and talents would be unable to describe adequately. Language is a clumsy tool and that can oblige one to lie. Lie deliberately? No. I try not to lie.」 (pp.167-168)
ロペス・レクべ:あなたは噓をつきますか、ボルヘス
 ボルヘス:自分から進んでついたりはしませんよ。でも、噓をつくことはできます。言語というのは考えたり感じたりすることに比してあまりに不自由なので、われわれは噓をつくことを強要されているのです。言葉そのものが噓なのですよ。スティーヴンスンが言っていましたが、どんな人間の人生に起こる五分間の出来事ですら、シェイクスピアの語彙と才覚をもってしても、満足いくように描写することなどできやしないのです。言語というのは粗雑な道具で、そこでは噓が強要されています。故意の噓ですか? いや、噓はつかないように努めています」

BORGES: I was stopped by a stranger, who said to me: "I'd like to thank you for something, Borges," and I said: "What would you like to thank me for, sir?" And he said, "You introduced me to Robert Louis Stevenson." "Ah, well," I said to him, "in that case I feel that I haven't lived in vain. If I've introduced you to such an admirable writer..." I didn't ask him who he was, because it's perfect like that. Whoever he was, that was enough. Knowing who he was would be redundant, useless, I was already congratulating myself without knowing who the boy I taught around 1960 and introduced to Stevenson's work was. I thought: "Well, now, after that, I am justified." The books I've written don't matter. They're the least important thing.」(p.175)
ボルヘス:知らないひとに呼び止められ、こう言われたのです。「ボルヘス、あなたにお礼を言いたいのです」。わたしは尋ねました。「いったいなにについて、お礼を言いたいというのでしょう?」彼の答えはこうでした。「あなたはわたしに、ロバート・ルイス・スティーヴンスンを紹介してくれました」。「ああ、そういうことなら」とわたしは言いました。「わたしの人生も無駄ではなかったようです。あれほど見事な作家を紹介することができたのなら……」。彼がだれであるのかは尋ねませんでした。これだけで完璧でしょう。だれであろうと、もうこれで十分でした。彼の素性を知るのは蛇足であって、不要なことだったのです。1960年ごろにスティーヴンスンの著作について教えた、どの学生であったかなどお構いなしに、わたしはすでに喜びに浸っていました。わたしはこう考えました。「ああ、これで、わたしはとうとう赦された」と。わたしが書いた本など、どうでもいいのです。そんなのは、いちばん些末な事柄です」

 また、ボルヘスはアルゼンチンで、カサーレスとともに探偵小説(ミステリー)を文学として紹介していたという。その数、なんと150冊! これについてはいつかもっと調べてみるつもりだ。ダンテに由来するという訳語「第七圏」は、鼓直が使っていたのを拝借した。

BURGIN: You once edited some anthologies of detective stories, didn't you?
 BORGES: I was a director of a series called the Seventh Circle, and we published some hundred and fifty detective novels. We began with Nicholas Blake; we went on to Michael Linnis, then to Wilkie Collins, then to Dickens's The Mystery of Edwin Drood, then to different American and English writers, and it had a huge success, because the idea that a detective story could also be literary was a new idea in the Argentine. Because people thought of them, as they must have thought of Westerns, as merely amusing. I think that those books did a lot of good, because they reminded writers that plots were important. If you read detective novels, and if you take up other novels afterwards, the first thing that strikes you – it's unjust, of course, but it happens – is to think of the other books as being shapeless. While in a detective novel everything is very nicely worked in. In fact, it's so nicely worked in that it becomes mechanical, as Stevenson pointed out.」(pp.53-54)
バーギン:探偵小説のアンソロジーを編纂したことがあるそうですね?
 ボルヘス:「第七圏」という選集の責任者だったのです。探偵小説ばかり百五十冊ほど刊行しました。ニコラス・ブレイクから始めて、ミカエル・リニス、ウィルキー・コリンズ、それからディケンズの『エドウィン・ドルードの謎』、英米のほかの作家たちも入れました。この選集は大成功でした。探偵小説が文学でもあり得る、というのは、当時のアルゼンチンでは新奇な考えだったのです。人びとは探偵小説を、ちょうど西部劇のように、単なる娯楽と見なしていました。これらの本はすばらしい成果を収めたと思います。筋書きの大切さを、作家たちに思い知らせたのです。探偵小説を読んで、次にべつの小説を読もうとするとき、最初に読者を驚かせるのは――もちろん、公平なことではありませんが、それでも起こるのです――、ほかの本がまとまりのないものとして映る、ということです。探偵小説ではすべてがきっちりと運びます。実際、きっちり運びすぎてもはや機械的に映る、と、スティーヴンスンが指摘しているほどです」

 編集者としてのボルヘスについて言えば、世界最高の短篇を選んで一冊の本をつくる、という、ある出版社の企画があったらしい。「バベルの図書館」の編纂者にやらせる仕事とは到底考えられないが、ボルヘスの選択はおもしろい。

BURGIN: What about "Bartleby the Scrivener" – did you like that story?
 BORGES: Yes, I remember an anthology that came out in Buenos Aires, well, about six months ago. Six Argentine writers could choose the best story they knew. And one of those writers took that story, "Bartleby."
 BURGIN: The best story of Melville or the best story by anybody?
 BORGES: I mean by anybody.
 BURGIN: One story from all of world literature, that's very difficult.
 BORGES: Yes, but I don't think the aim was really to find out the best stories in the world by any means. I think what they wanted was to get an anthology that people might want to buy, no? That people might be interested in. Then one took "Bartleby," and one took, I don't know why, a very disagreeable and rather bogus story by Lovecraft. Have you read Lovecraft?
 BURGIN: No, I haven't.
 BORGES: Well, no reason why you should. And somebody had a story about a mermaid by Hans Andersen, I suppose you know it. Well, it's not a very good story.
 BURGIN: Strange choices.
 BORGES: Then somebody had a short Chinese story, quite a good story – three pages long. And then, I wonder what you will make of my choice? I took Hawthornes's "Wakefield," about the man who stays away from home all those years. Well, strangely enough, there were six stories and three by American authors: Melville, Lovecraft and Hawthorne.」(pp.83-84)
バーギン:「代書人バートルビー」はいかがでしょう、この短篇はお好きですか?
 ボルヘス:ええ。ブエノス・アイレスで半年ばかり前に刊行された選集のことを思い出します。六人のアルゼンチン人作家が、それぞれ最高だと考える短篇を提出したのです。選考した作家のひとりが、「バートルビー」を選んでいました。
 バーギンメルヴィルの最高傑作、ということですか? それともあらゆる短篇作品から?
 ボルヘス:あらゆる短篇作品から、です。
 バーギン:世界中のあらゆる文学から短篇をひとつだけだなんて、ひどく難しそうですね。
 ボルヘス:ええ、でも、思うに、この選集の目的はべつに、あらゆる意味で世界最高の短篇を集めよう、というようなものではありませんでした。読者が購入したがるような選集にしたかったのでしょう。人びとが関心を抱くような。そうして、ある者は「バートルビー」を選び、ほかのある者は、理由は皆目わかりませんが、ラヴクラフトの大変不愉快な、野暮ったい作品を選びました。ラヴクラフトを読んだことはありますか?
 バーギン:いえ、ないです。
 ボルヘス:まあ、読むべき理由もありません。ほかには、ハンス・アンデルセンの人魚の話が選ばれていましたね。ご存知かと思います。べつにおもしろい話でもありません。
 バーギン:おかしな選択ですね。
 ボルヘス:ほかに、中国の短篇を選んだ者もいました。これは三ページの長さで、結構おもしろかったです。それから、わたしの選択をあなたがどう思われることだか。わたしは、ホーソーンの「ウェイクフィールド」を選んだのです。何年も自分の家から離れて暮らす男の話です。ええ、奇妙なことですが、選ばれた六篇のうち三篇がアメリカ作家のものでした。メルヴィルラヴクラフト、それからホーソーン

 ついでながら、友人カサーレスについては、こんなエピソードが伝えられていた。この作家については結局いまだに『モレルの発明』しか読んだことがなく、もっと親しみたいと常々思っている。

BORGES: I think I had the luck to begin with the worst mistakes, literary mistakes, a man can make. I began by writing utter rubbish. And then when I found it out I left that kind of rubbish behind. The same thing happened to my friend, Bioy Casares. He's a very intelligent man, but at first every book he published bewildered his friends, because the books were quite pointless, and very involved at the same time. And he said that he had done his best to be straightforward but that every time a book came out it was a thorn in the flesh, because we didn't know what to say to him about it. And then suddenly he began writing very fine stories. But his first books are so bad that when people come to his house (he's a rich man) and conversation is flagging, then he goes to his room and he hides what the book is, no? And then he says, "Look here, I got this book from an unknown writer two or three days ago; let's see what we can make of it?" And then he reads it, and then people begin to chuckle and they laugh and sometimes he gives the joke away and sometimes he doesn't, but I know that he's reading his own old stuff and that he thinks of it as a joke. He even encourages people to laugh at it, and when somebody suspects, they will remember, for example, the name of a character and so on, they'll say, "Well, look here, you wrote that," then he says, "Well, really I did, but after all, it's rubbish; you shouldn't think that I wrote it, you should enjoy it for the fun of it."
 You see what a nice character he is, no? Because I don't think many people would do that kind of thing. I would feel very bashful. I would have to be apologizing all the time, but he enjoys the joke, a joke against himself.」(pp.28-29)
ボルヘス:思うに、わたしは最悪の失敗、およそ物書きに犯すことのができる最低の失敗から始めるという、幸運に恵まれたようです。つまり、まったく紙クズとしか呼べないようなものを書いていたわけです。それに気がついて、わたしはそういった紙クズどもを押しやりました。同じことがわたしの友人、ビオイ=カサーレスにも起こりました。知性に溢れた男なのですが、初期の著作は友人連中を当惑させるばかり、まあ、おもしろくなかったわけで、おまけに入り組んだ話ばかりだったのです。彼は、可能なかぎり単純を心がけた、なんて言ってはいたのですが、本の完成はいつだってわたしたちを戦慄させました。それについてどんな感想を述べるべきなのか、ちっともわからなかったのです。その後彼は、唐突にすばらしい話を書くようになりました。それでも初期の著作はひどい代物で、人びとが彼の家に押しかけ(裕福な男なのです)、会話が途絶えたときなど、彼は自室から一冊の本を持ってきて、それが何であるかは隠したまま、こんなことを言うようになったのです。「二、三日前に、ある作家からこんな本を受け取ったんだ。話題の種として、ちょっと見てみないかい?」そうして朗読を始めるわけで、人びとはくすくす、あるいは大声で笑ったりして、しかも彼は時折冗談まで言うわけですよ。でも、わたしは彼が自分の昔の作品を朗読していて、おまけにそれらの著作をいまや冗談として捉えていると知っているわけです。みんなを笑わせようとけしかけたりもするのですが、あるときだれかが疑って、たとえば登場人物の名前などから、ついに思い出すわけです。「ねえ、それ、きみの本だろ」。すると彼は応えて、「うん、たしかにぼくのだ。でも、実際、こんなのは紙クズでしかない。ぼくが書いただなんて考えず、笑いものにして楽しむべきなんだよ」。
 おもしろいやつでしょう? こんなこと、滅多にできるものではありません。わたしだったら、どんなに恥ずかしいことでしょう。ずっと謝りつづけることになるでしょうね。でも、彼は冗談として、彼自身に対する冗談として楽しんでいるわけです」

 ボルヘスのいくつもの顔、ということでは、英米文学の教授としての彼のことも、わたしはなにひとつ知らなかった。スティーヴンスンの関連で上にもすこし引いたが、こんな先生が近くにいてくれたら、と思わずにはいられない。

BORGES: You know I'm a professor of English and American literature and I tell my students that if you begin a book, if at the end of fifteen or twenty pages you feel that the book is a task for you, then lay that book and lay that author aside for a time because it won't do you any good. For example, one of my favourite authors is De Quincey. Well, as he's a rather slow-moving author, people somehow don't like him. So I say, well, if you don't like De Quincey then let him alone; my task is not to impose my likes or dislikes on you. What I really want is that you should fall in love with American or English literature, and if you find your way to a few authors or a few authors find their way to you, then that's as it should be.」(pp.102-103)
ボルヘス:ご存じのとおり、わたしは英米文学の教授をしているのですが、生徒にはこう言って聞かせているのです。つまり、本を読み始めて、十五から二十ページに達するときに、その本が課せられた宿題のように感じられたら、そういうときはその本もその作家のことも、しばらくうっちゃっておきなさい、と。いいことなどひとつもありません。たとえば、わたしのお気に入りの作家のひとり、ド・クィンシーは、物語がさくさく進むわけでもないので、どうも嫌われてしまうようなのです。なので、もしもド・クィンシーのことを好きになれないのなら、彼のことはそっとしておいてやってくれ、と言うようにしています。わたしの職務は自分の好き嫌いを押しつけることではないのですよ、と。わたしが本当に望んでいるのは、あなたたち生徒がアメリカやイギリスの文学に惚れこむこと、そしてあなたが幾人かの作家を見出し、あるいは、幾人かの作家があなたを見出す、そんなふうにあるべきなのですよ、と」

BORGES: as to examinations, I won't ask you the dates of an author because then you would ask me and then I would fail. But, of course, I think it's all to the good that you should think of Dr. Johnson as belonging to the eighteenth century and of Milton belonging to the seventeenth, because if not, then you couldn't understand them. Now, as to those birth dates, that may or may not be important. As to the dates of their deaths, as they didn't know them themselves, why should you know them? Why should you know more than the authors did? And as to articles, bibliographies and so on, you don't have to worry about that. What you have to do is to read the authors.」(pp.103-104)
ボルヘス:試験にあたっても、作家の生没年を尋ねるようなことはしません。そんなの、わたしも答えられないでしょうからね。とはいえもちろん、ジョンソン博士が十八世紀、ミルトンなら十七世紀のひと、と認識しておくのは、意味のあることでしょう。そうでないと、彼らのことを理解できませんから。生年については、重要だとも、そうでもないとも言えるでしょう。それから没年に関しては、作家自身が知らずにいたことですので、知る必要はありません、どうして作家以上に知っていなければならないのです? 論文や主要文献なども、気にすることはありません。大切なのは、その作家のものを読むことなのです」

 詩人たちについても、ボルヘスは饒舌を極める。なかでもロバート・ブラウニングウォルト・ホイットマンについては、紙幅を割いてその魅力を(とはいえ褒めているのかどうかよくわからない、いつものやり方で)説明してくれていた。

BORGES: Nobody knows a lot about English literature, it's so rich... But I believe, for example, that I have revealed Robert Browning to many young men in Buenos Aires who knew nothing whatsoever about him. Now I'm wondering if Browning, instead of writing poetry – of course he should have written poetry – but I think that many of Browning's pieces would have fared better, at least as far as the reader goes, had they been written as short stories. For example, I think that he wrote some very fine verses in The Ring and the Book. We find it burdensome because I suppose we've grown out of the habit of reading long poems in blank verse. But had he written it in prose, had The Ring and the Book been written as a novel, and the same story told over and over again by different characters, he might have been more amusing, no? Though he would have lost many fine passages of verse. Then I should think of Robert Browning as the forerunner of all modern literature.」(p.76)
ボルヘス:英文学に詳しい人間など存在しませんよ、あの沃野はあまりに豊かですからね……。とはいえ、ブエノス・アイレスの若者たちに、ロバート・ブラウニングを紹介することはできたと信じています。この詩人のことなどまったく知らなかった若者たちに、です。もしブラウニングがその作品を詩としてではなく――いえ、もちろん詩であるべきなのですが――短篇小説として書いていたとしたら、もうすこし多くの読者に恵まれていたような気がしてなりません。たとえば『指輪と書物』のなかには、いくつかのすばらしい韻文詩がありますが、長大な無韻詩というものを読まなくなったわれわれにしてみたら、これを読むことは苦行のように映るのです。しかし、散文だったとしたら、『指輪と書物』が小説として書かれていたとしたら、同じ話がべつの人物によって何度も何度も繰り返し語られるものだったとしたら、もっと楽しいと思いませんか? その場合、見事な韻文は犠牲になってしまいますけれど、ロバート・ブラウニングをあらゆる近代文学の先駆者と見なすこともできたでしょう」

BORGES: Walt Whitman himself was a myth, a myth of a man who wrote, a very unfortunate man, very lonely, and yet he made of himself a rather splendid vagabond. I have pointed out that Whitman is perhaps the only writer on earth who has managed to create a mythological person of himself and one of the three persons of the Trinity is the reader, because when you read Walt Whitman, you are Walt Whitman. Very strange that he did that, the only person on earth.」(p.134)
ボルヘスウォルト・ホイットマンは、彼自身が神話でした。物書きという、ひどく不幸な、たいへん孤独な男の神話で、そのくせみずからを傑出した放浪者として描いてみせたのです。かつてホイットマンのことを指して、自身を神話的人物として創り上げることに、三位一体説の三者のひとりを読者とすることに成功した、おそらく唯一の作家、と言ったことがあります。なぜなら、ウォルト・ホイットマンを読むとき、読者はウォルト・ホイットマン自身となるのです。ひどく奇妙なことで、こんなことをした作家は彼ひとりだけです」

BURGIN: Walt Whitman tried to write some poems about happiness, but we see through them so that...
 BORGES: But Whitman, I think, overdid it. Because in him everything is wonderful, you know? I don't think that anybody could really believe that everything is wonderful, no? Except in a sense of it being a wonder. Of course, you can do without that particular kind of miracle. No, in the case of Whitman I think he thought it was his duty as an American to be happy. And that he had to cheer up his readers. Of course, he wanted to be unlike any other poet, but Whitman worked with a programme, I should say, he began with a theory and then he went on to his work. I don't think of him as a spontaneous writer.」(pp.121-122)
バーギンホイットマンは幸福についての詩を書こうとしましたが、なんだかその意図が見え透いてしまっていると言うか……。
 ボルヘス:思うにホイットマンは、ちょっとやりすぎたのです。彼にとっては、なにもかもがすばらしい(wonderful)。けれど、どんなひとにだって、不思議(wonder)という意味ならともかく、なにもかもがすばらしいだなんて、本気で信じられることのようには思えないのです。もちろん、詩を書くのに、そんなふうな奇跡は必要ありません。ホイットマンは、アメリカの詩人たるうえは幸せを描くべきだ、とでも考えていたのではないでしょうか。そうして読者たちを、元気づけてやらねばならない、と。もちろん、ほかの詩人たちとの差別化という意図もあったのでしょうが、ホイットマンは計画的に、つまり、理論ありきで詩作に励んだように思えるのです。無意識に作家であった人物のようには思えません」

 また、ガルシア・ロルカは好きではないらしい。理由がまた変。

BORGES: I'm not fond of Lorca. Well, you see, this is a shortcoming of mine, I dislike visual poetry. He is visual all the time, and he goes in for fancy metaphors. But, of course, I know he's very respected. I knew him personally. He lived a year in New York. He didn't learn a word of English after a year in New York. Very strange. I met him only once in Buenos Aires. And then, it was a lucky thing for him to be executed. Best thing to happen for a poet. A fine death, no? An impressive death. And then Antonio Machado wrote that beautiful poem about him.」(p.135)
ボルヘス:ロルカのことは好きではありません。いや、これはわたしの欠点でして、視覚に訴える詩を好まないのです。ロルカはいつだって視覚的で、手のこんだ隠喩を好むではありませんか。もちろん、彼が至るところで尊敬を勝ち得ていることは知っていますし、個人的な知己だってあります。彼はニューヨークに一年ほど住んでいたことがあるのですが、そのあいだにも一語だって英語を学ばなかったそうです。じつにおかしなことではありませんか。ブエノス・アイレスで一度会ったきりです。彼が処刑されたのは、幸運だったと言うべきでしょう。詩人に起こり得る最高の事態、見事な死、印象的な死です。そうしてアントニオ・マチャードが、彼についての美しい詩を書いたわけです」

 バーギンがほかの作家たちを引き合いに出しながら、ボルヘス自身の作品について掘り下げていこうとする箇所も、とてもおもしろかった。以下の訳文では「metaphysical」という語をどう訳したものか、ちょっと思いつかなかったので、ほかに良い案が浮かんだ方はこっそり教えてほしい。

BURGIN: You're a metaphysical writer and yet so many writers like, for example, Jane Austen or Fitzgerald or Sinclair Lewis, seem to have no real metaphysical feeling at all.
 BORGES: When you speak of Fitzgerald, you're thinking of Edward Fitzgerald, no? Or Scott Fitzgerald?
 BURGIN: Yes, the latter.
 BORGES: Ah, yes.
 BURGIN: I was just naming a writer who came to mind as having essentially no metaphysical feeling.
 BORGES: He was always on the surface of things, no? After all, why shouldn't you, no?
 BURGIN: Of course, most people live and die without ever, it seems, really thinking about the problems of time or space or infinity.
 BORGES: Well, because they take the universe for granted. They take things for granted. They take themselves for granted. That's true. They never wonder at anything, no? They don't think it's strange that they should be living. I remember the first time I felt that was when my father said to me, "What a queer thing," he said, "that I should be living, as they say, behind my eyes, inside my head, I wonder if that makes sense?" And then, it was the first time I felt that, and then instantly I pounced upon that because I knew what he was saying. But many people can hardly understand that. And they say, "Well, but where else could you live?"」(pp.20-21)
バーギン:あなたは形而上的(メタフィジカル)な作家ですが、それでいて多くの作家、たとえばジェイン・オースティンフィッツジェラルドシンクレア・ルイスなどは、ぜんぜん形而上的な感じを与えませんよね。
 ボルヘスフィッツジェラルドというのは、エドワード・フィッツジェラルドのことを言っているのですか? それともスコット・フィッツジェラルドのほう?
 バーギン:後者です。
 ボルヘス:ああ、なるほど。
 バーギン:形而上的な感じを与えない作家の名を、思いつくままに挙げてみたのです。
 ボルヘス:彼はいつだって物事の表面に留まっていますからね。でも、どうしてそれがいけないことなのでしょう?
 バーギン:もちろん、多くのひとたちは時間や空間、永遠のことなど、一度だって本気で考えることはなしに、人生を送っているように思えます。
 ボルヘス:それは彼らが、森羅万象を当たり前のものとして捉えているからでしょう。事物は彼らにとって、当たり前のものなんです。彼らは自分たちの存在を疑っていません。なにかを疑うということがないわけです。自分たちが生きているのは、べつにおかしなことではない、と。わたしが初めてそんなことを考えるようになったのは、父がこう言ったときです。「瞳の奥に、頭のなかに、自分が生きているだなんて、奇妙なことだと思わないか。それって理にかなったことなんだろうか」。そのとき、わたしは初めてその違和感を感じ、ただちに疑うようになりました。父がなにを言おうとしていたのか、わかっていたのです。しかし、ほとんどのひとには理解してもらえないでしょう。彼らは「だったら、自分はどこにいるっての?」なんて言うでしょうね」

 ちなみに、このボルヘス父は対談の至るところで登場してきて、鮮烈な言葉をいくつも残している。この父親、ちょっとすごすぎる。このひとが本を書いていないだなんて、と思わずにはいられない。

「"You don't have to be in a hurry. You write, you go over what you've written, you destroy, you take your time. What's important is that when you publish something you should think of it as being pretty good, or at least as being the best that you can do."」(p.16)
「なにも急ぐことはない。書いて、見直して、破り捨てて、時間をかけるといい。大事なのは、自分で良いと思えるものを、最低でもその時点での自分の最高傑作と思えるものを出版することだよ」(ボルヘス父の言葉)

BORGES: I remember my father said to me something about memory, a very saddening thing. He said, "I thought I could recall my childhood when we first came to Buenos Aires, but now I know that I can't." I said, "Why?" He said, "Because I think that memory" – I don't know if this was his own theory, I was so impressed by it that I didn't ask him whether he found it or whether he evolved it – but he said, "I think that if I recall something, for example, if today I look back on this morning, then I get an image of what I saw this morning. But if tonight, I'm thinking back on this morning, then what I'm really recalling is not the first image, but the first image in memory. So that every time I recall something, I'm not recalling it really, I'm recalling the last time I recalled it, I'm recalling my last memory of it. So that really," he said, "I have no memories whatever, I have no images whatever, about my childhood, about my youth. And then he illustrated that, with a pile of coins. He piled one coin on top of the other and said, "Well, now this first coin, the bottom coin, this would be the first image, for example, of the house of my childhood. Now this second would be a memory I had of that house when I went to Buenos Aires. Then the third one another memory and so on. And as in every memory there's a slight distortion, I don't suppose that my memory of today ties in with the first images I had," so that, he said, "I try not to think of things in the past because if I do I'll be thinking back on those memories and not on the actual images themselves." And then that saddened me. To think maybe we have no true memories of youth.」(pp.25-26)
ボルヘス:記憶について、父が言ったことをいまでも覚えています。じつに淋しい話です。「ブエノス・アイレスに来れば、幼年時代を思い出せるかと思ってた。でも、もう無理なんだ」。わたしは尋ねました。「どうして?」「思い起こすのは、記憶のほうだからさ」。これが父が自分で思いついた理論なのかはわかりません。わたしはあんまり感動してしまったので、自分で考えたのか、などと尋ねることはしなかったのです。父は言いました。「なにかを思い出そうとしたら、たとえば、今朝のことを思い返そうとしたら、今朝目にしたことの印象が立ちのぼってくるだろう。でも、夜にまた思い出そうとしたら、出てくるのは最初の印象ではなくって、記憶のなかの印象のほうなんだ。つまり、なにかを思い出すたび、思い出されるのは本来の印象ではなくって、最後に思い出したときの記憶だということ。だからもう、ぼくには幼年時代の、また青年時代の、どんな記憶も、どんな印象も残っていないんだ」。それから父は小銭を積み重ねて図式化してくれました。コインを山のうえに載せながら、こんなふうに言うのです。「さて、最初のコイン、この山のいちばん下にあるやつは、最初の記憶だ。たとえば、幼年時代の家の記憶。下から二番目にあるのは、ブエノス・アイレスに行ったときに思い出した、その家のこと。三枚目もまた別の記憶、そういう感じで続いている。ところで、すべての記憶にはちょっとした齟齬があるものだ。今日思い出せる記憶なんて、本来の印象とはぜんぜん関係がないだろう」。父は続けました。「ぼくはね、昔のことは思い出さないようにしているんだ。思い出されるのは記憶のなかの印象だけで、本来の現実そのものではないからね」。わたしはひどく淋しい気持ちになりました。若き日の本当の記憶を、じつはまったく持ち合わせていないだなんて」

BORGES: Of course I am interested in the past. Perhaps one of the reasons is we cannot make, cannot change the past. I mean you can hardly unmake the present. But the past, after all, is merely to say a memory, a dream. You know my own past seems continually changed when I am remembering it, or reading things that are interesting to me.」(p.130)
ボルヘス:もちろんわたしは過去に興味を持っています。おそらくその理由のひとつは、過去というのが作ったり変えたりできないものだからなのでしょう。現在だって作り変えたりはできないものですが、過去となると、これは単に記憶、夢を語っているのと変わりありません。思い出すたび、なにか関心を惹くものを読むたび、わたしの過去は絶え間なく書き換えられてしまっているように思えるのです」

 ボルヘスの哲学的態度を言葉にしようとしたら、きっと不可知論者が当てはまるのだと思うが、そんな彼が、さまざまな概念をごく当たり前のものとして捉える女性に哲学を薦める箇所は、とても興味深く読んだ。もちろん一般化はできないと思うが、哲学的なものに馴染めないひとというのは、そういうものなのかも、と思う。

BORGES: I have known very intelligent women who are quite incapable of philosophy. One of the most intelligent women I know, she's one of my pupils; she studies Old English with me, well, she was wild over so many books and poets, then I told her to read Berkeley's dialogues, three dialogues, and she could make nothing of them. And then I gave her a book of William James, some problems of philosophy, and she's a very intelligent woman, but she couldn't get inside the books.
 BURGIN: They bored her?
 BORGES: No, she didn't see why people should be poring over things that seemed very simple to her. So I said, "Yes, but are you sure that time is simple, are you sure that space is simple, are you sure that consciousness is simple?" "Yes," she said. "Well, but could you define them?" She said, "No, I don't think I could, but I don't feel puzzled by them." That, I suppose, is generally what a woman would say, no? And she was a very intelligent woman.」(pp.22-23)
ボルヘス:知人にとても賢い女性がいるのですが、哲学はどうも苦手なようです。わたしが知るなかでも最も賢い女性、じつはわたしの生徒で、古英語の研究をいっしょにしていたのです。多くの本や詩人に夢中になっていたので、ジョージ・バークリーの対話、『ハイラスとフィロナスの三つの対話』を読むように勧めたのですが、まるで理解できなかったとのことでした。それからウィリアム・ジェイムズの本、『哲学の根本問題』を渡したのですが、とても知的な女性であるにもかからわず、やはりしっくりこないと言うのです。
 バーギン:退屈に感じてしまう、ということですか?
 ボルヘス:いえ、彼女は、自分にとって至極単純に思えることが、あんなふうに人びとを熱中させている理由がわからない、と言うのです。ですからわたしは「うん、でも、時間や空間、意識といったものは、ほんとうに単純なものだろうか?」と尋ねました。すると、「ええ」との答え。「では、これらの概念を定義できると?」「いいえ、できないでしょう。でも、そういった概念に混乱させられることもありません」。一般的な女性の感覚とは、こういうものなのではないでしょうか? そして、彼女はとびきり知的な女性なのです」

 それから、ひょんなことから話題が広島に落とされた原爆になったとき、ボルヘスはこんなことを言っていた。的外れな批判にあうことが目に見えているこういった意見は、ボルヘスの正直さだけが、口にすることを可能にしたもののように思える。日本人だったら感情的な部分が先行してしまって、こんなことはけっして思いつけないだろう。

BORGES: I shouldn't say this to you, I'll be blurting it out.
 BURGIN: Well, say it.
 BORGES: I can't think of Hiroshima as being worse than any battle.
 BURGIN: What do you mean?
 BORGES: It ended the war in a day. And the fact that many people are killed is the same fact that one man is killed. Because every man dies his own death and he would have died it anyhow. Then, well, of course, one hardly knows all the people who were killed in Hiroshima. After all, Japan was in favour of violence, of empire, of fighting, of being very cruel; they were not early Christians or anything of the kind. In fact, had they had the bomb, they would have done the same thing to America.
 Hold it, I know that I shouldn't be saying these things because they make me seem very callous. But somehow I have never been able to feel that way about Hiroshima. Perhaps something new is happening to mankind, but I think that if you accept war, well, I should say this, if you accept war, you have to accept cruelty. And you have to accept slaughter and bloodshed and that kind of thing. And after all, to be killed by a rifle, or to be killed by a stone thrown at you, or by somebody thrusting a knife into you, is essentially the same. Hiroshima stands out, because may innocent people were involved and because the whole thing was packed into a single moment. But you know, after all, I don't see the difference between being in Hiroshima and a battle or – maybe I'm saying this for the sake of argument – or between Hiroshima and human life. I mean in Hiroshima the whole tragedy, the whole horror, is packed very close and you can see it very vividly. But the mere fact of man growing, and falling sick, and dying is Hiroshima spread out.」(pp.114-115)
ボルヘス:こんなことは口にするべきではないのでしょうが……。
 バーギン:言ってください。
 ボルヘス:わたしには、あの広島の一件が、ほかの戦いよりも悪いものだったとは思えないのです。
 バーギン:どういうことでしょう?
 ボルヘス:あれは戦争を一日で終わらせました。そして、多くの人が殺されたというのは、一人の男が殺されたというのと、同じことなのです。人はだれでも、みずからの死を死ぬわけで、その死はだれにでもいずれは訪れます。そしてもちろん、広島で殺された人たち全員と知り合いだった人間などは、どこにもいないのです。結局のところ、日本は暴力の、帝国の、戦闘の、残酷の渦中にありました。初期キリスト教徒のような人びとではなく、もしあの爆弾が手中にあったのなら、彼らはそれを使って、アメリカに対して同じことをしたかもしれないのです。
 お待ちなさい。こんな冷淡に聞こえることを、わざわざ口にすべきでないということは承知しています。でも、どういうわけか、わたしには広島のことを特別なものとして見ることができないのです。おそらく、なにか新奇なことが人類に起こってでもいるのでしょう。しかし、これは言っておかなければなりません。戦争を承諾したのなら、一旦戦争を受け容れたのなら、残忍さをも受け容れなければならないのです。虐殺や流血といったことをも、容認しなければならないのです。そして結局のところ、銃殺されるのも、石打ちにあって殺されるのも、刃物で刺されるのも、本質的には同じことなのです。広島の一件が目立つのは、無実の多くの人びとが巻き込まれたから、しかもそれがほんの一瞬のうちに起こったからです。でも、おわかりでしょうか、わたしには、あのとき広島に居合わせることと、ほかの戦場に居合わせることとのあいだに、違いがあるとは思えない。あるいは――わたしはこれを自分の主張を通すために言っているのかもしれませんが――、広島に居合わせることと、人間の一生との違いがわからないのです。広島ではそのすべての悲劇が、すべての恐怖がぎっちり凝縮されているため、だれにとっても明らかなものとして見えるのです。しかし人が成長したり、病気に罹ったり、死んだりというのは、いわば引き延ばされた広島なのです」

 個人としてのボルヘスも、とてもおもしろい。何度も繰り返してきたことだが、このひとはほんとうにどこまでも謙虚なのだ。そして、その謙虚さのある部分が、自身の心根の臆病さに由来しているということを、どういうわけか勇敢にも、隠そうとはしない。

BURGIN: She wants to make a book of photographs of writers, is that it?
 BORGES: Writers, yes.
 BURGIN: Of course, a camera is a kind of a mirror.
 BORGES: Yes.
 BURGIN: A permanent mirror.
 BORGES: Because I'm afraid of mirrors, maybe I'm afraid of cameras.
 BURGIN: You didn't look at yourself much when you could see?
 BORGES: No, I never did. Because I never liked being photographed. I can't understand it.
 BURGIN: Yet your appearance is always very scrupulous. You always dress very well and look very well.
 BORGES: Do I?
 BURGIN: Yes, of course. I mean you're always very well groomed and attired.
 BORGES: Oh, really? Well, that's because I'm very absent-minded, but I don't think of myself as a dandy or anything like that. I mean I try to be as undistinguished and as invisible as possible. And then, perhaps, the one way to be undistinguished is to dress with a certain care, no? What I mean to say is that when I was a young man I thought that by being careless people wouldn't notice me. But on the contrary. They noticed that I never had my hair cut, that I rarely shaved, no?
 BURGIN: You were always this way, even when you were younger?
 BORGES: Always. I never wanted to draw attention to myself.」 (pp.33-34)
バーギン:あの人は、作家の写真で本でも作ろうとしているのでしょうか?
 ボルヘス:ええ、作家の、だそうです。
 バーギン:カメラというのは、ある種の鏡ですよね。
 ボルヘス:ええ。
 バーギン:永続的な鏡、というわけですね。
 ボルヘス:鏡を恐れているから、きっとカメラのことも恐ろしいのでしょうね。
 バーギン:視力があったころにも、あまりご自分のことを眺めたりはしなかったのですか?
 ボルヘス:ええ、けっして。写真を撮られるのが好きだったことはありません。そういう感情は理解できません。
 バーギン:でも、いつだってきちんとしていらっしゃる。とてもきっちりとした身なりで、すてきですよ。
 ボルヘス:そうなのですか?
 バーギン:ええ、もちろん。いつもきれいで、とても洒落ています。
 ボルヘス:本当に? まあ、それはわたしが散漫な人間だからであって、自分のことをダンディだとかそういうふうに考えたことはありません。できるだけ平凡に、目立たないようにしているのです。平凡であるための方法のひとつに、多少は身だしなみを整えておく、ということがあると思いませんか? じつは若い時分には、身だしなみに構わなければ、人びとはわたしに気づかなくなると考えていたのです。逆でした。いつまでも髪を切らないとか、鬚を剃らないとか、気づかれてしまうのですよ。
 バーギン:お若いときからも、ずっとそんな調子なのですか?
 ボルヘス:いつもこうです。関心を惹きたくないのですよ」

BORGES: perhaps if I were personally brave I wouldn't care so much about bravery. Because, of course, what one cares for is what one hasn't got, no?」(p.43)
ボルヘス:もし自分が勇敢な人間であったなら、勇気というものをこれほど気にすることはなかったでしょう。気になるものというのは、自分が持ち合わせていないものではありませんか?」

BORGES: What you really value is what you miss, not what you have.」(p.44)
ボルヘス:ひとが本当に価値を見出すのは、そのひとに欠けているものであって、すでに持っているものではありません」

 ボルヘスは、「自分は憎しみの感情を抱いたことはない」と言っており、それは自身を図書館から追放した独裁者ペロンに対してさえ当てはまるそうだが、以下の節などを読んでいると、ボルヘスは他人と必要以上に繋がることを怖れていたのでは、とも思わずにはいられない。

BORGES: if you care for people they can hurt you very much, they can hurt you by being indifferent to you, or by slighting you.」(p.45)
ボルヘス:だれかのことを気にかければ、そのひとは軽んじたり無視することで、あなたを大いに傷つけることができるでしょう」

BORGES: Forgotten, not forgiven. Forgetting is the only form of forgiveness, it's the only vengeance and the only punishment too. Because if my counterpart sees that I'm still thinking about them, in some ways I become their slave, and if I forget them I don't. I think that forgiveness and vengeance are two words for the same substance, which is oblivion. But one does not forget a wrong easily.」(pp.182-183)
ボルヘス:忘れたのであって、許したわけではありません。忘却というのは赦免の唯一のかたちであって、同時に唯一の復讐、唯一の懲罰でもあるのです。もしもわたしの対抗者が、わたしがいまだに彼らのことを気に病んでいると知ったら、わたしは彼らの奴隷ではありませんか。忘れてしまえば、そんなことにはなりません。思うに、赦免と復讐というのは、忘却という同じ本質を表すふたつの言葉なのです。しかし、不正を働く者のことを、ひとは簡単に忘れたりはしません」

 フィクションとして読んでいるだけではけっして見えない、ボルヘスの素顔が、この対談集には溢れている。そして、ところどころに現れる突飛な意見が、そのまま小説などの作品の着想点となっていると気づくこともある。この本を読んでいると、ボルヘス作品を読むのが百倍は楽しくなると言い切ってもいい。

BORGES: if time is endless, all things are bound to happen to all men, and in that case, after some thousand years every one of us would be a saint, a murderer, a traitor, an adulterer, a fool, a wise man.」(p.55)
ボルヘス:もしも時間が終わりのないものであったなら、あらゆるひとにあらゆる出来事が起こることでしょう。数千年もすれば、だれもが聖者で、殺人鬼で、裏切り者で、色事師で、愚者で、賢者になっていることでしょう」

BORGES: All love is great, love doesn't come in different sizes, whenever one is in love, they're in love with a unique person. Maybe every person is unique, maybe when one is in love they see a person as they really are, or how God sees them. If not, why fall in love with them? Maybe every person is unique, I could go further: maybe every ant is unique, if not why are there so many of them? Why else would God like ants so much? There are millions of ants and each one is undoubtedly as individual as, well, as Shakespeare or Walt Whitman. Every ant is undoubtedly unique. And every person is unique.」(p.169)
ボルヘス:あらゆる愛はすばらしいものです。愛というのは別々の大きさで現れたりはしません。恋をしているときにはいつだって、ある特定の人物に恋をしているものです。きっとどんな人間も、本来は特定のだれかなのであって、恋に落ちているときには、そのだれかの本来の姿を見つめることに、言わば神の視点で見つめることになるのでしょう。そうでなければ、どうしてそのひとに恋をするのでしょう? きっとだれもが唯一無二の存在なのです。もうすこし踏み込めば、きっとあらゆる蟻だって、唯一無二の存在なのです。でなければ、どうしてあれほどたくさんいるのでしょうか? それ以外に、神が蟻をたいそう気に入っている説明ができますか? 世の中には何百万もの蟻がいて、その一匹ずつが疑いようもなく別個の、つまり、シェイクスピアウォルト・ホイットマンくらい別々の存在なのです。あらゆる蟻は唯一無二の存在、そしてあらゆる人間もまた、唯一無二の存在なのです」

 わたしをボルヘス漬けにした本なので、はりきってたくさん引用してしまった。これでようやく、すでに読み終えているたくさんのボルヘス作品のことを記事にできるというものだ。すこしでも楽しさが伝わっていれば嬉しい。

Jorge Luis Borges: The Last Interview: and Other Conversations (The Last Interview Series)

Jorge Luis Borges: The Last Interview: and Other Conversations (The Last Interview Series)

 
ボルヘスとの対話 (1973年) (晶文選書)
 


<読みたくなった本>
Lewisohn's American histories of literature

The Story of American Literature

The Story of American Literature

 

Gary Snyder, Riprap

Riprap and Cold Mountain Poems

Riprap and Cold Mountain Poems

 

Sweet's Anglo-Saxon Reader

Sweet's Anglo-Saxon Reader in Prose and Verse

Sweet's Anglo-Saxon Reader in Prose and Verse