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Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

ダフニスとクロエー

マキューアンの『初夜』を読んで読みたくなった、童貞と処女の恋を題材にしたローマ時代の古典。

ダフニスとクロエー (岩波文庫 赤 112-1)

ダフニスとクロエー (岩波文庫 赤 112-1)

 

ロンゴス(松平千秋訳)『ダフニスとクロエー』岩波文庫、1987年。


紀元後2世紀後半から3世紀前半の内に書かれたとされる、素性のほとんど判らないロンゴスという作者による恋物語である。「童貞と処女の恋」と書くと何か性の指南書めいたものを想像してしまうが、マキューアンの『初夜』がそういったイメージとはかけ離れたものであったのと同様、ロンゴスのこの作品も性だけを扱ったものではない。

「ダフニスはクロエーと連れだってニンフの洞へ行くと、肌衣と袋をクロエーにあずけ、自分は泉のかたわらに立って髪からからだのすみずみまで洗って汚れを落した。ダフニスの髪は黒く豊かで、肌は一面日焼けしているので、ちょっと見ると長い黒髪の陰が肌にしみこんだのかと思われるほどである。かたわらで眺めているクロエーの目にはダフニスの姿が、これまで思ったこともないほど美しく見え、これはきっとからだを洗ったせいに違いないとクロエーは考えた。背中を流してやると手のひらに触れる肌がなんとも柔らかく、ひょっとして自分の肌よりも柔らかいのではないかと、気づかれぬようにしながらいくどか自分のからだに触ってみたりもした」(21ページ)

当時「恋物語」と言えば男女が出会ってすぐに恋に落ち、その後結ばれるというのが一般的であり、その流れは今も大して変わっていない。しかし『ダフニスとクロエー』に関しては、生まれた時から一緒に育ってきた二人が次第に自分たちの恋心に気づいていくのである。性の指南書というよりも、性の芽生えを題材にした作品なのだ。

「エロースというのはな、神さまなのじゃ。若く美しく空を飛ぶこともおできになる。だから若さというものがお好きで、美しいものを追い、人間の心に翼をつけて下さる」(52ページ)

メルヘンのような心理描写のほとんどない文体が大変読みやすく、ところどころに差し挟まれるギリシャ神話のエピソードの数々がそれに拍車をかけている。翻訳者がホメロスと同じ松平千秋というのも、ギリシャ・ローマ文学の雰囲気をさらに盛り上げてくれる。

「接吻してみたけれど、なんの役にも立たなかった。だきあってもみたが、それもあまり利き目はなかった。そうなると一緒にねることだけが恋の妙薬なのだろう、ぜひやってみなくてはならない。きっとそれには接吻以上の利き目があるに違いないから」(55ページ)

ストーリーは単純明快である。美少年ダフニスと美少女クロエーの二人はそれぞれ別のところで山羊と羊に育てられているところを村人に保護され、その保護したそれぞれの村人たちが彼らの両親となる。やがて本当の両親が明らかになるのだが、彼らは自らの出自を疑うことなく成長し、些細なことから互いに惹かれ合うようになるのだ。至るところにエロースとパーン、そしてニンフたちがいて、彼らを手厚く保護してくれる。

とりわけ有名なエピソードが、ダフニスがクロエーを傷つけないために人妻から愛の手ほどきを受ける箇所である。ダフニスに惚れ込んだ遊女のリャカイニオンは、クロエーを想う彼の心を利用してダフニスと愛を結ぶ。その時のクロエーの反応は語られていないが、現代文学だったらただでは済まされない題材だろう。

「牡羊が牝に、牡山羊が牝にするようなことをするのさ。ああいうことをした後は、牝ももう牡から逃げないし、牡も苦労して追いかけたりしなくなる、その後は両方ともいかにも楽しいことをしあったように、仲よく草を食べているじゃないか。あのことはきっと気持のよいことに違いない、恋の苦しさをまぎらしてくれるようなね」(98ページ)

結局のところ大団円となるのだが、現代的な感性からはどうも腑に落ちない感覚を味わうことになる。ただ、それも古典を味わう楽しみの一つであることは間違いないのだが。納得できないところがあるのも、何となくメルヘンめいている。

ダフニスとクロエー (岩波文庫 赤 112-1)

ダフニスとクロエー (岩波文庫 赤 112-1)

 


<読みたくなった本>
ベルナルダン『ポールとヴィルジニー』
三島由紀夫『潮騒』
→訳者解説に付された二冊の関連書。

ポールとヴィルジニー (光文社古典新訳文庫)

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  • 作者: ジャック=アンリ・ベルナルダン・ドサン=ピエール,Jacques‐Henri Bernardin de Saint‐Pierre,鈴木雅生
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2014/07/10
  • メディア: 文庫
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ボリス・ヴィアン『日々の泡』
→ヒロインの名前は「クロエ」である。

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