読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし

松籟社が刊行している大変魅力的なシリーズ「東欧の想像力」第三回配本。第一弾はダニロ・キシュ(セルビア)の『砂時計』で、ボフミル・フラバル(チェコ)の『あまりにも騒がしい孤独』が続き、本書、ミロラド・パヴィチ(セルビア)の『帝都最後の恋』、そして第五弾であるイスマイル・カダレ(アルバニア)の『死者の軍隊の将軍』が現在までに刊行されている。ちなみに2010年春にはクンデラ、フラバルと並んでチェコの三大作家に数えられているヨゼフ・シュクヴォレツキーの『二つの伝説』が刊行予定で、今後も目が離せないシリーズである。

ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし―ドナウを下って (東欧の想像力 3)

ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし―ドナウを下って (東欧の想像力 3)

 

エステルハージ・ペーテル(早稲田みか訳)『ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし――ドナウを下って』松籟社、2008年。


ハンガリーの作家である。帯に書かれた「プロの旅人を雇いませんか?」という文句に惹かれて手に取った。全く予備知識のない作家の本を読むのには、いつだって勇気が必要だ。この文句から一体どんなものが飛び出すことになるのか皆目見当も付かず、今回は予想していたよりも随分手間取ってしまった。

「この結婚からロベルトが得たものといえば、自身には必ずしもそんな権利はなかったのに、51年の夏のはじめに強制移住の対象になったことだった。ロシアのひそみにならって、ホルトバージに流されたのだったが、僕たちの国が流刑にはおよそ不向きだってことを忘れていたようだ。何しろエゲルに彼女がいても、日帰りで会いに行ってくることだってできるのだ」(7ページ)

恐ろしく奇妙な本だった。そもそも小説なのかどうかすら怪しい。一気に読んでしまおうなんて考えは絶対に起こさない方が良い。詩集を読むつもりで読んだ方が良いと、はっきりと断言できるほどだ。本筋と脱線の境目が判らない本、と書けば、少しは伝わるだろうか。一文ごとに気の利いた言い回しがポンポン出てくるのを見ると大変楽しい読みものなのだが、脱線に次ぐ脱線、さらには時系列や場面が、訳者の言を借りれば「自在に飛躍する」ことから、余程の集中力をもって望まないと何の話をしているのか全く判らなくなるのである。一日10ページずつ読んで一ヶ月完成のコースを用意することを薦めたいほどだ。一日5ページの二ヶ月でも良い。

「数年前、誰しもがそう呼ぶ、先祖の城(名前はどうでもいい)に所用ができたことがあった。城には貴重な図書館がひっそりと隠れていて、一般には非公開になっていた。必要なものがそこで見つかるかもしれないと僕は期待していた。(見つからなかった。見つからないとわかったことが、当の捜しものではなかったとしたら、ということだけれど)」(10ページ)

「「わかりました」と、僕はうなずいた。出版社がハッピーエンドを確約しているカフカ的小説のなかに迷いこんだようだった。そのこころは、かなり絶望的な小説ということだ」(11ページ)

そもそもこれはどういう話なのか。そう、プロの旅人の話である。主人公である旅人(雇われ人)は、上流はドナウエッシンゲンから下流はスリナまで、ドナウ川に沿って旅し、それぞれの地で見たものを依頼人に報告していく。副題にもその名が現れているドナウ川こそが主題なのだ。以下はハイネがマルクス宛に送った手紙(実在しない)の一節である。

「ただ、私は考えたくないのです。もうたくさんです。ドナウ川など存在しない、あるのはブレーク川とブリガッハ川だ、というのが簡潔明快な主張でしょう。すると、ドナウ川はフィクション、詩なのです。百メートルも歩けば、小さなエルツ川がライン川へと流れていきます。父なるラインの方へ。ドナウ川ソネット、話法、談話です。私はエルツ川の方を向いています。このことを、今貴殿に告白します」(23ページ)

「ドナウエッシンゲンの道化芝居
 旅人「源泉の名前を言いたまえ!」
 ドナウ川(肩をすくめる)」(64ページ)

主人公の「僕」がいつの間にか「私」となり、「旅人」として依頼人にこの上なく詩的な、もしくはこの上なく杜撰な報告書を書き綴る。著者によればこれは「ドナウ川の本にして、歴史の本、恋愛の本、中央ヨーロッパを風刺する本、反マグリスの本、旅行記、レストラン・ガイド、混沌の本、本の本」である(「訳者あとがき」より、325ページ)。混沌の本って、ちょっと待て、と言いたくなる。

「ある時、ブレークがブリガッハにこう言っているのを耳にした。昨日はすごく太っててごめんなさい」(100ページ)

「約束してください、けっして三十五歳にはならない、と」(171ページ)

ふんだんに散りばめられたユーモアが素晴らしい。笑わせるような場面でないときにも、きっちりと笑いをとってくる。話題が色々なところへ「飛躍」するのは先述の通りで、その範囲はまさしく計り知れない。歴史の話をしていたかと思えば他の作家からの引用になっていて、気付けば笑わされている、という感じ。引用は本当に多い。しかもそれが上述のハイネのように実在しない引用、少なくとも出所不明の引用だったりもするのだ。正直、手に負えない。

「この私をお信じくださいますならば、幸いでございます。もう何年もの間、わが家の浴室で見知らぬ男が毎朝歯を磨いております。ブダペストとはそんな都市なのでございます。この男に出会ったことはただの一度もございません。この男、ネルのパジャマを計算にいれなくても、一トンの重さがございます。あやつは自分自身の屍体なのさと、そんなふうに言われております」(211~212ページ)

ドナウ川沿いの土地の描写がこの本の本筋となっている。以下が「レストラン・ガイド」の真相である。

「私はミツィを知った。正しくはミチと発音するらしいが、私はミツィと呼んでいる。ここはミツィが豊かな地方だ。道端で炭火を使って焼いている。スパイスを効かせたひき肉。うまい。それなのに、ビールもワインもないときている。水にさえこと欠くありさま。あるものときたら、黄色い色したねばねばの液体ばかり、これはもうありえないしろもの、もっと的確に言うなら、馬の唾とでも呼んだ方がいい。注ぎ口には死んだハエがへばりついている。馬の唾はハエの死体を避けるすべもなく、その上をドクドクと流れていく」(263ページ)

引用が大変多いのと同じく、様々な国の作家の名前が出てくる。最も多いのはクンデラとダニロ・キシュだろう。著者と親交があったダニロ・キシュは「ユーゴスラヴィアなるおよそありえない理念を体現した真に唯一のユーゴスラヴィア人」と評され(270ページ)、物語にも重要な役割を果たす。物語、そんなものがこの本にあったとして、ということだが。

コルタサルが(黒めがねをかけて、お忍びで)ブダペストにやってまいりました時、すぐさま――彼はここで、ある仕草をしたのでございます。波を、あるいは降下や潜水を、さらには遊園地のケーブルカーを、はたまた雪崩や飛び込みを描くようにして、こんなふうに――、まさしくそんなふうにしてすぐさま、この御仁はひとりの美しいジプシー女と、ジプシー女に、はてはジプシー女のなかで、という成りゆきだったのでございます。もっとも、それはあの仕草をいかに解釈するかにかかっているのではございますが。ああ、フリオ!」(181ページ)

「さるジョークにいわく、サッカーチームをひとつに束ねるものは、一にアルコール、二にコーチへの絶対的な憎悪なり。これだ。これが中央ヨーロッパというものだ。クンデラの定義を有効にしていたのはソビエトの存在なのだった」(224ページ)

ユーモア、作家論に次いで多いのが、東欧に対する批判だ。公然たる政治への批判や彼の地が体験した悲劇を、笑わせるような筆致で描こうとする。いやいや全然笑えないよ、と突っ込みたくもなるだろう。

「詮ずるところ、西ヨーロッパの人間はものについて話す。ものがあって、それを観察する、ときにはかなり個人的に。対するに、東、中央、中間ヨーロッパの人間は、自分を中心に話をする。まず自分がいて、それについて話す、ものを通して」(73ページ)

結局どういう本だったのか、上手く言い当てることが出来ない。ストーリーらしいストーリーなんて皆無だ。旅の本、とすればしっくりくるが、読んでみて見出されるのは混沌。手に負えない。

「旅の歴史が人類の歴史と同じ程度古いことに、こころ踊る思いをしない人間がいるだろうか。短足で頭でっかち、ずんぐりむっくりの毛深い古代人が、トナカイやバッファローやクマのあとを追って、最初の長い狩猟行に出立した時、それは偉大なる旅の始まりだった。それは、今も続いている」(115ページ)

「海は目的ではなく敵である。死。海は無限ではない。言うなれば有限そのもの。だがドナウ川は無限だ。無限の終わりにはどんな結末がありうるだろう? そんなことをよく女たちに語って聞かせたものだ。女たちに語るように、男たちにも語った。あるいはまた、男たちに語るように女たちに。まあ、どちらでもかまわない。そんな時、誰しもが笑った。有限なるものには墓があるが、無限なるものには何がありうるか? 物語がある」(296ページ)

日記や書簡が一気に読むのには適さないのと同じように、この本はゆっくりと読まれるべきだ。中断することで脈絡を忘れてしまう、というようなことは、起こったとしても他の小説ほどには影響してこない。一気に読もうとしたらまず間違いなく粉砕されるので、そこはどうかお気をつけ下さい。得難い本であることは疑いない。

ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし―ドナウを下って (東欧の想像力 3)

ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし―ドナウを下って (東欧の想像力 3)

 


<読みたくなった本>
カルヴィーノ『見えない都市』
ブダペストのことを書いた章のタイトルは「見えない都市」。エステルハージはカルヴィーノとキシュに最も親近感を覚えるそうだ。

見えない都市 (河出文庫)

見えない都市 (河出文庫)

 

ダニロ・キシュ『砂時計』
→「東欧の想像力」第一回配本。ここまで推されたからには。

砂時計 (東欧の想像力 1)

砂時計 (東欧の想像力 1)

 

トーマス・ベルンハルト『消去』
クンデラとキシュに次いで言及される回数が多い気がする。そういえばアゴタ・クリストフも推していた、オーストリアの作家。ハンガリー人に人気なのか。

消去 上

消去 上

 
消去 下

消去 下

 

アンドレ・ケルテス『On Reading』
→写真集。つい先日友人が紹介していて購入したばかりだったところ、なんとこの小説にシゲトベチェにある彼の記念館が登場してきた。ハンガリー人だったとは知らなかった。キャパもハンガリー人だし、写真が盛んなのかもしれない。

On Reading

On Reading

 

 追記(2014年10月19日):翻訳が出ました。

読む時間

読む時間