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Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

César

配架-フランス文学 評価-★★★☆☆(満足) いわゆる-戯曲 言語-フランス語の本 舞台-マルセイユ

マルセル・パニョルによるマリユス三部作、とうとう最後の一作。結局この三部作を読み終えるのに丸々一月も費やしてしまった。

Cesar

Cesar

 

Marcel Pagnol, César, Éditions de Fallois, 2004.


最後の一作となったこの『César』では、前作『Fanny』から二十年の時が経っている。舞台がマルセイユであるのは相変わらずだが、そこにマリユスの姿はなく、ファニーとパニスの息子セザリオは既に二十歳になっていた。彼は故郷を離れパリの学校に通っているが、父パニスが危篤との報を受けてマルセイユに戻ってくる。パニスは死の床でセザリオに、もしファニーが自分の死の後に再婚を望むのなら、決して自分のことを再婚相手と比べてはいけないと伝えた。

パニスの死からさらに二年が流れたとき、司祭がファニーのもとに手紙を持ってくる。それはパニスがセザリオに宛てたもので、そこには彼がセザリオの本当の父親ではないということが書かれていた。パニスは人生の最期に、自身の息子に真実を伝えることを望んだのである。それはセザリオが学業を終える歳になってから渡すように告げられていたが、二年後にやってくる彼の終業まで自身が生き長らえているか危ぶんだ司祭はそれをファニーに託したのだ。だが、その最中にセザリオが帰宅し、ファニーが慌てて手紙を隠すところを見てしまう。セザリオは追及し、そしてその手紙は開かれる。

Césariot: Il est mort ?
 Fanny: Pour moi, oui.
 Césariot: Ce qui veut dire qu'il vit encore.
 Fanny: Je le suppose. Je ne l'ai pas revu depuis vingt ans.
 Césariot: Après tout, je n'ai aucune envie de savoir qui c'est. C'était sans doute un jeune homme riche, qui a séduit la petite marchande de coquillages, et qui l'a abandonnée avec un enfant. Je suis donc le fils d'un salaud.
 Fanny: Ce n'est pas vrai. Il n'était pas riche, et il était honnête. Quand il m'a quittée, il ne savait pas que j'allais avoir un enfant, car je ne le savais pas non plus.
 Césariot: Tu ne l'as donc pas fréquenté bien longtemps. Alors, comme ça, en passant...? Tu as fait ça, toi ?
 Fanny: Non, mon petit, non... Je le connaissais depuis longtemps... Il était beau, et il m'aimait.
 Césariot: Et toi, tu l'aimais aussi ?
 Fanny: Si je ne l'avais pas aimé, tu ne serais pas là pour me le reprocher.
 Césariot: Alors, si vous vous aimiez tant que ça, pourquoi t'a-t-il quittée ?
 Fanny: Il avait la folie de la mer. Il voulait naviguer... C'était une maladie.
 Césariot: Comme Marius, le fils de César ?
 Fanny: Comme Marius, le fils de César. C'était lui.」(pp.74-75)
セザリオ:その人は死んじゃったの?
 ファニー:ええ、私にとっては。
 セザリオ:ということは、まだ生きているんだね。
 ファニー:多分ね。もう二十年も会っていないのよ。
 セザリオ:とにかく、それが誰だか知りたくもないよ。そいつはきっとどこかの若い金持ちで、貝売りの少女を誘惑して子どもを孕ませた挙句に捨てたんだろう。つまりぼくは、げす野郎の息子なんだ。
 ファニー:それは正しくないわ。彼は金持ちじゃなかったし、正直者だったもの。彼が私から離れたときには、私が子どもを持つことになるなんて知らなかったのよ。私だって知らなかったんだから。
 セザリオ:じゃあ、長い付き合いのある相手じゃなかったんだね。となると、まさか、通りすがりの人…? 母さんはそんなことをしたの?
 ファニー:違う、違うわ…。彼のことは昔からよく知っていたわ…。ハンサムで、私を愛してた。
 セザリオ:母さんも? 母さんも彼を愛してたの?
 ファニー:もし愛していなかったなら、あなたがここで私を非難することもなかったでしょうね。
 セザリオ:そんなに愛し合っていたのなら、どうして彼は離れていったのさ?
 ファニー:彼は海に夢中だったのよ。航海に出たかったの…。病気みたいなものよ。
 セザリオ:セザールの息子のマリユスみたいに?
 ファニー:セザールの息子のマリユスみたいに。彼よ」

真実を知ったセザリオは、ファニーに嘘をついてマリユスを探す旅に出る。マリユスはトゥーロンで自動車の修理工になっていた。セザリオは素性を隠してマリユスに接近し、彼と共に釣りに出かけるが、最後まで素性を明かすことなくトゥーロンを去る。だが、やがて仕事の用事でマリユスがマルセイユにやって来ると、彼らは再会する。

Marius: Vous connaissez mon père, vous ?
 Césariot: Oui; Césariot, c'est moi.
 Marius: Comment ?
 Césariot: Je suis le fils de Fanny.
 Marius: Mais qu'est-ce que vous dites ?
 Césariot: Je suis votre fils.」(p.156)
マリユス:君はぼくの父さんを知っているの?
 セザリオ:ええ。ぼくはセザリオです。
 マリユス:え?
 セザリオ:ファニーの息子です。
 マリユス:今なんて言った?
 セザリオ:あなたの息子です」

マリユスはセザリオの求めに応じて、父の経営するバーへと赴く。そこにはセザールの他にファニーもいた。彼らは過ぎ去った時間を埋めようとするが、セザリオのために彼らがとった決断をマリユスは許すことができない。

César: Tu es une drôle de victime... On ne t'a pas vu depuis dix ans, et tu reviens pour engueuler tout le monde.
 Marius: Et j'en ai le droit, oui, j'en ai le droit.
 Césariot: Le droit, c'est un bien grand mot.
 Marius: Quoi?
 Césariot: Vous parlez de droit, mais il y a aussi des devoirs.」(p.165)
セザール:お前は妙な犠牲者だよ…。十年も会わずにいて、みんなを罵るために戻ってくるなんて。
 マリユス:ぼくにはそうする権利がある。そう、権利があるんだ。
 セザリオ:権利、たいそうな言葉ですね。
 マリユス:なんだと?
 セザリオ:あなたは権利について話しているけれど、義務ってものもあるんですよ」

だが今となっては、ファニーは本当の夫が生きているにも関わらず未亡人になっていて、セザリオはマリユスの名前を持たず、セザールはたった一人で生きており、マリユスはパニスが生きている長い間マルセイユに寄ることができなかった。彼にしてみれば、自身の不在の最中に決められたすべてのことが気に入らず、しかもそれを話すことさえできなかったのだ。口論の末に彼は再びマルセイユを去る。そしてセザリオは学業のためにパリへ戻る。だが、そこからさらに時間が経って、マリユスは自身の事業を船にまで拡大し、仕事のためにパニスの事務所、つまりファニーのもとへとやってくる。マリユスは船のモーターについて話をしながら、セザリオの学業について尋ね、再び船のモーターに戻る。マリユスがモーターについて話しながら言った「取り返しがつかない」という言葉を拾って、ファニーは言う。「Il n'y a rien d'irréparable.(取り返しがつかないものなんて何もないのよ)」。そして幕となる。

一作目『Marius』を読んだときに書いた、マリユスが辿る運命がジュリヤン・ソレルのようなものにならなければいいという想いは見事に叶えられた。彼はギロチンに架けられることも勿論なかったが、だが、彼の過ごした二十年間はともすると、ギロチンに架けられた方が余程マシなものだったかもしれない。それでも、ファニーが放った最後の言葉には救いが込められている。この幕の引きかたなら四作目や五作目も構想しうるが、マルセル・パニョルがそれをしなかったのは素晴らしいことだ。ここには未来への期待があって、最早それ以上書く必要はどこにもないのだ。

戯曲を三冊読むのに一ヶ月を要するなんて、日本語の本だったら考えられないことだ。フランス語で読むからには時間がかかるのは当たり前なのだが、そのおかげでこの三冊が持つ魅力を存分に味わえた気がする。いつかマルセイユに行くことがあったら、きっと彼らのことを思い出すだろう。

Cesar

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