Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

求愛瞳孔反射

 信頼する友人が推薦しているのを知って、途端に興味を持った一冊。歌人である穂村弘の、短歌ではない詩集。

求愛瞳孔反射 (河出文庫)

求愛瞳孔反射 (河出文庫)

 

穂村弘『求愛瞳孔反射』河出文庫、2007年。


 とてもとても薄い本なので、あっというまに読み終えてしまう。最近は、こんなの一冊にするなよ、と言いたくなるようなぺらぺらの文庫本も多いけれど、これはそういうのとはちがう。あっというまに読めてしまうから、できるだけ時間をかけて読みたい、と思わせてくれるような詩集だ。

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かき氷の日

「こぼさずに食べられないの? かき氷」
あなたは呆れて繰り返す
どの夏もどの夏もどの夏も
僕の目の前のテーブルは濡れていた
そうして半袖シャツの裾も

開け放った窓の下で
かすかに汗ばみながら
あなたはねむっている
僕はタオルを首に巻いて
『百万人の手品入門』を読んでいる
それから僕は
金平糖を宙に浮かべた

「お雛さまはお内裏さまを敵から守るために、左側にいるんですって」
「どういうこと?」
「ひだりに、心臓があるから」
「……」
「……」
「心臓さえ守ればいいのかな」
「お雛さまはそう思ってるみたい」

カブトムシ用栄養ゼリーを買って帰る
夕暮れ
あなたがくるしげに息を弾ませる頃
カブトムシたちは薄桃色のゼラチンに顔を埋めている

夜の道が濡れている
雨は降ってないのに
つやつやと
ほんとうに濡れているようだ
ほんとうに
あれは

僕たちは夜の道をみている
僕はしゃがんで
あなたは立って

(52~55ページ)
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 短歌でもエッセイでもないけれど、とても穂村弘らしい作品が並んでいて嬉しくなってくる。短歌的というのか、言葉たちのじつに細かなニュアンスが、印象深くあとを引くのだ。たとえば、「デニーズ・ラヴ」。

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デニーズ・ラヴ

メニューの方はお下げしてもよろしいですか。
うん、いいよ。
失礼します。
待って。あんたはいかないで。
でも、メニューの方をお下げしないと。
ここから、投げ返せばいいよ。
届くかしら。
だいじょうぶ、ほら。
まあ。
どう?
でも、あたしが戻らないとあなたのオーダーが通らないわ。
いいんだ。あんたがここにいてくれれば、舞茸とごぼうのピリ辛サラダなんて。
でも、ケイジャンジャンバラヤとさくさく蜂蜜パルフェが。
いいんだ。あんたがいてくれれば、何もいらない。
ほんとう? 宇治冷緑茶も?
うん。
信じるわよ。
信じて。ここに座って。
ええ。
僕の目を見て。笑わないで。
見てるわ。笑わない。
愛してるよ。
あたしも。
ああ、ウエイトレスさん。
お客さん。
ほら、指を出して。
まあ、素敵なキュービック・ジルコニア
ごめん、ダイヤなんだ。
ダイヤも好きよ。綺麗ね。
似合うよ。
ありがとう。
僕の目を見て。笑わないで。
見てるわ。笑わない。
愛してるよ。
あたしも。
ウエイトレスさん、可愛いウエイトレスさん。
お客さん、禁煙席のお客さん。
幸せになろうね。
ええ。珈琲のお替わりはいかが?

(10~13ページ)
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 最初のほうで二度繰り返される「メニューの方」は、ぜったいにわざとやっている。「ばんりのちょうじょうのもけいづくり」も忘れられない。

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もんじゃやき

もんじゃやきたべましたね
つきしまで
あれは
なつだったか
ごごさんじはんとか
ちゅうとはんぱなじかんに
たべましたね
ふたりともはじめてで
やりかたわからなくて
となりのせきの
じょうれんぽいじょしこうせいたちをぬすみみると
えーすらしいひとりが
ぜんいんぶんをまとめて
ばんりのちょうじょうのもけいづくりみたいな
ものすごいことをしてて
とてもまねできなくて
おみせのおばさんは
めだまがぎょろっとしててききにくく
こまって
あいまいなやりかたで
ごまかしながら
ふたりで
たべましたね
もんじゃやき
あれはなんのひだったか
あのあとどうしたんだったか
なつの
ちゅうとはんぱなじかんに
ふたりで
もんじゃやき
たべましたね
いちど
おいしかったね

(110~112ページ)
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 それから、女の子たちのエキセントリシティにスポットライトが当てられている。これも、『世界中が夕焼け』で書かれていたとおり、穂村弘の「いつものパターン」。わたしはこれに触れたくて穂村弘を読んでいるようなところがある。

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国道にて

水銀灯の下で
綿棒を耳にいれながら
あなたは目をみひらいている

僕はガードレールに座って
ダンボールに入ったままの引越し荷物のことを考えている

 かわいいワーゲン・ビートルと
 そうでもないワーゲン・ビートルと
 ワーゲン・ビートルには個体差があるね

数分前
歩きながらそんな話をした

煙るような水銀灯の下で
ますますおおきくみはられて
表面張力のように
瞳は

ふいにあなたの望みがわかる

 人形焼きがたべたいな
 アンなし

(42~44ページ)
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 この詩集のなかでもいちばん気に入ったのが、以下の「ホームレス・バター」だ。最高。

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ホームレス・バター

大きさがぴったり

うれしそうにわらって
冷蔵庫のバター置き場に
目覚し時計をいれたのは
きみだ
すっぽりと塡まり込んだ目覚し時計は
そこから抜けなくなって
時間を知るために
ぼくらは
いちいち冷蔵庫を開けなくてはならない
夏はすずしいが
冬はさむい
また将来電池が切れたときのことを考えると
不安である
いや
ぼくらはまだいい
少しくらいさむくても
時間がわからなくなっても
でも
バターはどうなる
居場所を奪われて
かわいそうな
雪印・ホームレス・バター
そんなふうに文句をいうと
きみは
うれしそうにわらって
だってほら
大きさがぴったり

     ★

暗くなってゆく部屋の
机の上で
バターが溶けている
冷蔵庫の中で
小さく
目覚し時計が鳴っている
きみの寝息を
胸に抱いている

(66~69ページ)
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 詩集を紹介するのには、勇気がいる。いいな、と思う詩が、あとからあとから出てくるからだ。とはいえ最近は、読み返すたびにまた紹介すればいいや、なんて考えている。最初に読んでみたときに、どの詩ももれなくすばらしい、と思えるような詩集にはこれまで出会ったことがないし、実在するとしても、それはきっと詩集としてあまりおもしろくないだろう。響いてこない詩が少なからずあったほうが好ましい。読み返してみて、以前は気にも留めなかった詩が輝いていることに気づいたときの、あの興奮が楽しすぎるのだ。

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あした世界が終わる日に

あした世界が終わる日に
一緒に過ごす人がいない
あした世界が終わる日が
夏ならいちごのかき氷
舌をまっかに染めながら
輝く雲を見ていたい

あした世界が終わる日に
一緒に過ごす人がいない
あした世界が終わる日が
冬ならメリーゴーラウンド
つやつや光る馬たちの
首を抱えて廻りたい

あした世界が終わる日に
一緒に過ごす人がいない
あした世界が終わる日が
今日なら蝶のアロハシャツ
汗ばむような陽炎の
駅であなたと出逢いたい

(8~9ページ)
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 この詩集もきっと、何度も読み返すことだろう。

求愛瞳孔反射 (河出文庫)

求愛瞳孔反射 (河出文庫)