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Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

マチネ・ポエティク詩集

 唐突に、短歌とは直接関係のない本。和歌・短歌の魅力を知ってからというもの、定型詩、というか「定型」そのものにただならぬ関心を抱いていて、自宅の本棚に眠らせていたこの本のことを思い出したのだ。今朝、洗濯機が仕事を終えるのを待っている最中に読みはじめ、昼過ぎには読み終えてしまった(洗濯物はそのあとに干した)。せめてもうちょっと推敲してから書けよ、とは自分でも思うが、読みながらわたしが思いついたようなことは、すでにこの本のなかで遥かな発展とともに語られていたのだ。福永武彦加藤周一中村真一郎による、新たなる定型詩の試み。

マチネ・ポエティク詩集

マチネ・ポエティク詩集

 

福永武彦加藤周一・原條あき子・中西哲吉・窪田啓作・白井健三郎・枝野和夫・中村真一郎マチネ・ポエティク詩集』水声社、2014年。


 さて、早速、どんな詩なのかを見ていただこう。

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  詩人の死

  日と月とは沈む涙の谷
  不毛の野に暮れる詩人の夜
  ひと筋の宿業のただなかに
  ゑがき得ぬ焔の想ひを織る

  復讐の身をきざむ道のべに
  悔恨はしろじろと降りつもり
  かなしい美を埋める雪の 眼に
  しみる真冬はすぎて年は古り

  後の世を告げる翼は聞え
  情熱の錆ついた日日は燃え
  このいのち振りかへる時既に

  憂ひの府(まち)の鐘は遠く鳴り
  悪霊の歌ふしるべにくだり
  つつまれる永劫の暗い手に

福永武彦「詩人の死」、24〜25ページ)
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 そう、ソネットである。だが、ただのソネットではなく、わかるだろうか、というのも、自分だったら言われないと気づかないような気がしているのだが、ここで志向されているのは言葉本来の意味でのソネット、つまり、押韻ありきの十四行詩なのである。「マチネ・ポエティク」というのは、押韻定型詩の試みなのだ。もうひとつ挙げてみる。脚韻に注目してもらいたい。

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  薔薇

  金の調べに死にたえる光
  くれなゐの空の想ひを残し
  天の座に静けさを染める星
  地のはての大きな谷をわたり

  人は見る 蕾 時劫をふくみ
  常夏をいろどる希臘(へらす)の瓶
  無韻の歌は美の願ひにさめ
  あかつきの潮ひびきよせる 海

  喪はれた世界を裡に焚き
  焔の像をきざむ一の鑿
  火のわざに意志といのちはひそみ

  まどろみは浅い大地をくだき
  あまがける誕生の微笑から
  深淵の夜にひらくもの ばら

福永武彦「薔薇」、「夜」第五歌、34〜35ページ)
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 どうだろうか。わざわざ「注目してもらいたい」などと書いたので、脚韻が踏まれていることにはもちろんお気づきいただけたと思うが、反対に、脚韻以外に印象的な部分はあっただろうか。性格の悪い質問ではあるが、わたしなどはジョルジュ・ペレック『煙滅』を読んでいたときの感覚を思い出さずにはいられなかった。つまり、ある種の制約・規定がそこにある、と知ったうえで読むと、書かれている言葉の意味が途端に入ってこなくなるのである。読みながら、もちろん本来なら言葉のほうが重要だというのに、枠組み・容器それ自体が、やけに声高に主張してくるようになってしまう。それだけ日本語で書かれたソネットが新奇(というかもはや奇異)に映る、ということでもあるのだが、並んでいる詩句もボードレールマラルメの影響を強く受けた象徴主義的なものであるため、いっそう気安くは響いてきてくれない。加藤周一のものには、もうすこし親しみやすいものがあった。こちらは同じ十四行詩ではあるが、ソネットではなくロンデル、第一連(四行)の初めの二行が、第二連(四行)の後半および第三連(六行)の最後に顔を出す、という形式である。

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  RONDELS
  雨と風

  雨が降つてる 戸をたゝく
  風もどうやら出たらしい
  火鉢につぎ足す炭もない
  今晩ばかりは金もなく

  食べるものさへ見当らない
  飢えと寒さのていたらく
  雨が降つてる 戸をたゝく
  風もどうやら出たらしい

  どうなることかと情けなく
  つらく悲しく馬鹿らしい
  どうせ望みも夢もない
  道化芝居のそのあげく
  雨が降つてる 戸をたゝく
  風もどうやら出たらしい

加藤周一「雨と風」、46〜47ページ)
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 彼らが日本語でどのような韻を目指したかについては、以下巻末の「NOTES」に詳説されている。

「最も厳密な意味では、ソネの第一連及び第二連は、同一の抱擁韻ABBA ABBAを踏むべきであるが、わが国語を以てしてはかかる完璧を求めることは極めて難く、この詩集中にも、加藤周一「詩法Ⅰ、Ⅱ」、福永武彦「物語」「夜―第一夜」中村真一郎「頌歌Ⅷ」等々を数へるのみである。他の作品は抱擁韻をとるも第一連と第二連と異る韻を持つか、(ABBA CDDC)或は、単純に第一連、第二連にも交叉韻を用ひる場合も稀らしくない、(ABBA CDCD)その他、われわれの試みた詩型には、ロンデル(RONDEL)、オード(ODE)等々の各種があり、四行詩(QUATRAIN)の短きより、最長、十行十五連、一五〇行の長詩に及んだ」(「NOTES」より、161〜162ページ)

「脚韻は原則として、二母音一子音を共通とする」(「NOTES」より、163ページ)

 以下の中村真一郎の作品は、上の引用のなかで「極めて難」いと言われている「ABBA ABBA」だ。

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  頌歌Ⅷ

  洪水の夢流す遠い空から
  夕べは今離れ落ちる羽のやう
  船は帰る黝む海乱す模様
  帆の蔭に眠り光る魚(うを)のうから

  御覧 氷浮く君の胸の宝
  菫に透かす豊かな時躊ふ
  想ひ 魂の井戸より昇り 今日
  溶ける永遠(とは)の宇宙に燦き乍ら

  生滅の業の鳴る大いなる河
  我が耳に注ぐ君に延す枝は
  千のいのち緑に揺り闇に勝つ

  明日の方に岬巡る黄金(きん)の泡
  縁取りに我の編む望みの花輪
  青く顫へ影り行く窓の真夏

中村真一郎「頌歌Ⅷ」、146〜147ページ)
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 さて、ひとまずはこれで十分、彼らの試みの成果については語ったと思うのだが、ご覧のとおり、作品そのものは大変とっつきにくく、どれだけ客観的になろうと努めても、親しみやすいとは言いがたい。だが、作品が特筆すべきほどには魅力的なものでないということは、じつは作者たちがいちばんよくわかっているのだ。巻末の「NOTES」には、こんな文章がある。

「ヨーロッパにおけるサンボリスムの運動を一つの音楽的傾向として規定し得るやうに、われわれのマチネ・ポエティクの運動もまた、ささやかながら、一つの音楽性回復のための運動である。われわれの作品は、殊に、われわれの詩学は未だ稚なく、未だ拙ない。しかし、作品を生むために、十全の詩学を待つ訳にはゆかない。むしろ、ポイエシスの厳密な操作のなかでのみ、われわれは、次第にわれわれの詩学を補正し、展開し、完成に近づけ得ることを信ずる」(「NOTES」より、166ページ)

 これらの作品が文学的実験であることを隠そうともしない態度は、先にもあげたジョルジュ・ペレックも所属していた、ウリポを思い出させる。ウリポがその文学実験で求めたのは、リポグラム(文字落とし)などのある種の制約を設けることで、普段ならば使用しない語彙、言葉の並びを強制し、想像の範疇を超えた図像を結ばせ、これまでにない文学世界を展開していく、ということだった。いかにも20世紀的な、執拗なまでに新奇なものを目指す姿勢ではあるが、マチネ・ポエティクを組織した面々が抱いていたのは同じ想いだったろう。彼らの宣言の力強さは、それを十全に物語っている。

「現代の絶望的に安易な日本語の無政府状態を、矯め鍛へて、新しい詩人の宇宙の表現手段とするためには、厳密な定型詩の確立より以外に道はない。(それが如何に困難であらうと)『歌経標式』以来、千年にわたる我々の詩人たちの夢であつた、韻の問題も、此処で始めて実現過程に入るであらう。中世以来、専ら西欧詩人達のみの形式に役立つて来た此の《双生児の微笑》を、我国の抒情詩の第四回の革命のための武器として、我々は再び東洋の手に奪還する。それは我々の愛する日本語から、計り知られぬ程の多くの可能性を引き出すだらう」(「詩の革命」より、15ページ)

 引用文中、「第四回の革命」とあるが、これまでの三回は冒頭で以下のとおりに説明されている。

「日本の抒情詩は今迄三回の革命を経験し、その度毎に美しく恢つて来た。
 第一回は恐らく近江朝廷時代で、五音と七音との様々な組み合せから成る雑多な諸形式の混沌の中から五七五七七音の短歌形式が誕生した時だつた。それは忽ち従来の形式を凌駕して、殆んど唯一の抒情詩形式となり、多数の天才を生み、又、彼等によつて進歩させられ万葉集の主要部分を形成した。
 第二回は戦国時代で、短歌が五七音と五七七音とに分れることによつて連歌となり、元禄期の巨匠達の手で俳句形式にまで固定した。
 第三回は明治維新直後、未知の西欧文学の息吹きを浴びて我々の近代文学が出発しようとした時、欧羅巴風の短詩形式の模倣から、新体詩が作り上げられた時である。それは藤村によつて新しい形式の可能性を証明し、泣菫と有明との中で近代的な抒情を歌ひ上げることに成功した。そして此の形式は、短歌俳句と共に、現代の日本詩の領土を三分して繁栄してゐる」(「詩の革命」より、9〜10ページ)

 自分たちの活動が短歌、俳句、新体詩(から広い意味での現代詩一般)に匹敵する新たな「革命」である、という宣言は、ちょっと眩しすぎるほどに眩しい。若さに溢れた宣言であるとは思わないだろうか。詩集の頭に置かれたこの高らかな序文、「詩の革命」を読んでみると、巻末の「NOTES」にあった「十全の詩学を待つ訳にはゆかない」という発言が、翻ってずいぶん弱気なものに映る。超強気だったのに一体どうした、と言いたくなってくる。

「詩の精神は模倣することができないが、詩の形は、初心者にとつてまづ与へられることが望ましい。しかし僕の場合に、酒はあつてもそれを盛るべき器はなかつた。器は見当らなかつた。先人のあとに隋つて行きたいと思つても、彼等は僕に道を示さなかつたし、また示された道を僕は歩きたくなかつた。しかし日本語で詩が書けることに、僕は少しも疑ひを持たなかつた。そして僕は少しづつ習作を続けた。それは自分の魂の探究であると共に、それを表現するにふさはしいフオルムの模索だつた」(福永武彦「ノオト」『ある青春』からの引用、安藤元雄「『マチネ・ポエティク詩集』について」より、175ページ)

「私は文学が芸術になるためには形式が必要であると、頑強に信じており、だから中国の駢儷体のようなものに恍惚となったり、フランス語を学ぶに及んでも、ラシーヌボードレールの詩の規則的な響きに酔いしれていたのである。(彼等の詩の意味については、私はその詩句の音楽についてほどの感激は持たなかった)」(中村真一郎押韻定型詩三十年後」『中村真一郎詩集』からの引用、安藤元雄「『マチネ・ポエティク詩集』について」より、177ページ)

 以上はマチネ・ポエティクの理論的指導者であったと思われる福永武彦中村真一郎の文章である。中村真一郎のほうは、「押韻定型詩三十年後」と題にあるとおり、活動の三十年後に書かれたというものだ。『マチネ・ポエティク詩集』は、正直想像に難くないが、登場してすぐに袋叩きにあったという。

「たしかにボードレールマラルメが近代におけるソネット形式のみごとな完成者であったにしても、フランス象徴詩それ自体は自由詩や散文詩を含めた広い書法を踏まえていて、とりわけ散文詩象徴主義文学の理念と密接なかかわりを持っていたと考えなければならないにもかかわらず、「詩の革命」の一文は、明治以来の新体詩の努力をロマン主義の詩精神の導入に終始したものと位置づけた上で、いま押韻定型詩を試みることによってマラルメとポーに代表される象徴主義の詩精神をあらたに導入する、という図式を描いている。ある意味での彼らの性急さの一つがここにあった」(安藤元雄「『マチネ・ポエティク詩集』について」より、179ページ)

押韻の面では、たとえば岩野泡鳴の(しかし同じように冷笑された)試みもないわけではなかった。また、現代口語によるソネットならば、形式としての完成には遠かったとは言え、立原道造の数多い作例が彼らのすぐ身近にあった。要するに、事実としても戦術としても、「マチネ・ポエティク」の同人たちは、いまの目から見ると、もっと巧妙に自分たちの正統性を主張することも、しようと思えばできたかも知れないのだ。それを「革命」というきわめて戦闘的な態度で打ち出してしまったところに、あの時期の青年詩人たちの、時代に押された性急さがあった」(安藤元雄「『マチネ・ポエティク詩集』について」より、180ページ)

 解説的な位置づけの安藤元雄の文章は、彼らの採った立場のまずさ、とりわけその「性急さ」を繰り返している。おまけに、福永武彦加藤周一、それから中村真一郎の三人は、『マチネ・ポエティク詩集』刊行の段階で、すでに気鋭の新進として名を知られていたそうだ。結果として待っていたのは黙殺などでは毛頭なく、袋叩きだった。

「『マチネ・ポエティク詩集』は、そういうめざましいグループの実作の腕前を示すものとして、思惑をこめて見守る人々の前に(しかも「詩の革命」という激しい序文つきで)出て行ったのだから、いわば最初から袋叩きにされる運命にあったことになる。口ほどにもなく実作は一向に面白くないじゃないか、といった形で受けとめようとする態度があらかじめ出来上っていたのだ。この反感は、同人たちが自分たちの詩法の客観的妥当性や普遍性を強調すればするほど強まったことだろう」(安藤元雄「『マチネ・ポエティク詩集』について」より、184ページ)

 なかでも三好達治鮎川信夫の批判が、「実質をそなえた理性的な」「記憶すべき」ものであると、本書のもうひとつの解説というべき、大岡信の文章に詳説されている。三好達治の理路整然とした批判を見ると、このひとはマチネ・ポエティクの登場以前から、ずいぶん長いこと日本語での押韻の可能性について考えていたのだろうな、と思えてならない。鮎川信夫のほうは、同人たちのいわば「象徴主義信仰」に対する疑義のようにも映った。

「〔マチネの試作の苦心が集中しているところの〕脚韻の部分の効果が、いっかうに読者の注意を喚起しない。これは読者の側の耳の訓練ができてゐないからといふやうな理由にもとづくまい。押韻そのものの、声韻的価値が、ヴァルールが、甚だしく貧弱にすぎるからだと見たい。由来日本語の声韻的性質が、さういふ目的のためには困った代もので、単語の一語一語に就て見ても、母音が常に小刻みに、語の到るところに、まんべんなく散在してゐて、常に均等の一子音一母音の組合せで、フィルムの一コマ一コマのやうに正しく寸法がきまってそれが無限に単調に連続する、――かういふ語の声韻上の性質を、言語学の方ではどう呼ぶか、とにかくその点、徹底的に平板に出来てゐる。子音の重積集約が語を息づまらせるといふ障害作用もなければ、母音の重畳累加が語の発声をその部分で支配的に力づけるといふ特色もない」(三好達治マチネ・ポエティクの試作に就て」からの引用、大岡信押韻定型詩をめぐって」より、205ページ)

「ただ僕としては、マチネの人達が、その詩に於ける共通の経験をあまりにも、理論の上に固定させようとする遣り方に疑念を持っている。いわば美という観念でもって、美を見ているようなところが気になる。もっとケチをつけると美という観念を持っているために、美を発見することが出来ないように思われる。〔……〕恐らくマチネの詩に対する僕の根本的な不満は、そんな美学の問題ではなくて、思想の問題である。マチネの美学を支えているところの思想や、彼等の共通の経験が、僕たちを支えることができないからであろう」(中村真一郎『詩集』に対する鮎川信夫の書評からの引用、大岡信押韻定型詩をめぐって」より、209~210ページ)

 袋叩きにあったことが直接的な理由かどうかはともかく、やがて同人たちがこの押韻定型詩から離れていくと、マチネ・ポエティクという運動は以下のように述懐されるものになったそうだ。

「こうして、その後マチネ・ポエティクについて言及した人々の、ある共通の言い方がきまってくる。つまり、マチネの試みは充分な成果を示さなかったが、その意図は貴重であった、という言い方だ」(大岡信押韻定型詩をめぐって」より、214ページ)

 だが、忘れずに付言しておきたいのだが、大岡信は、三好達治の批判にあった日本語での押韻定型詩不可能説を否定している。三好達治の文章は(三好達治はそう望んではいなかったろうにもかかわらず)「詩壇」のマチネに対する批判の論拠となってしまい、日本語での押韻定型詩そのものが否定されつつあったが、可能性そのものはまだ死んではいないのだ、と大岡信は書いている。

「日本語は多種多様な韻を手軽に形成することのできる言語であるために、「脚韻」がかえって響きにくいのだ」(大岡信押韻定型詩をめぐって」より、224ページ)

「事を脚韻から他の韻にまで押しひろげて眺めるなら、マチネ・ポエティクの実験は、いちがいに日本語の音楽性の貧しさなる理由をもって否定しさるべきものではなかったことが明らかになるだろう。すでに佐藤一英や福士幸次郎の試みがあり、現在のことをいえば、那珂太郎や清岡卓行岩田宏の詩に、そういう意味での貴重な試みを見ることができるし、他にも例は少なくない」(大岡信押韻定型詩をめぐって」より、227ページ)

 初めにも書いたとおり、わたしはマチネの作品を読んでも、だれかに言われなかったら脚韻に気づけなかったような気さえしているのだ。その感覚は日本語の文法的な構造からくる、脚韻の目立たなさ、埋もれやすさにあったのかもしれない。

「考えてみれば、リズムと言い脚韻と言い、すべて時間を切り取るための工夫だった。そうやって切り取られた時間が、言葉によって生み出されながら逆に音楽性の面から言葉を支えるときに、その作品は定型詩として初めて成功する。これが詩語の保証なのだ。完璧な押韻アレクサンドランで書かれた無味乾燥な駄句はフランスにも無数に存在する。要は詩というもの、そしてとりわけ押韻定型詩の、このおよそ別世界的なあり方が、語法それ自体の統一的な構造性とどこまで一体化し得るかにかかっている。それが詩的レアリテと呼ばれるものであり、また、詩の自律性と呼ばれるものであろう」(安藤元雄「『マチネ・ポエティク詩集』について」より、188ページ)

 意味は無味乾燥なものでも、響きが美しい和歌・短歌はいくらでもある。安藤元雄の文章は、そんなことまで考えさせてくれた。だが、マチネの作品が暗誦したくなるような詩であるかと訊かれれば、残念ながら答えはノーである。それでも、大岡信の言葉どおりの印象ではあるが、試みとしての押韻定型詩は無視すべきものではないだろう。個人的には象徴主義の影響から完全に脱却した、まったく異なる文脈で、同じことにいま挑戦するひとがいたらおもしろいのに、と思わずにはいられない。ウリポや文学実験に興味のある方にはぜひ読んでもらいたい一冊。

マチネ・ポエティク詩集

マチネ・ポエティク詩集

 


〈読みたくなった本〉
加藤周一中村真一郎福永武彦『1946・文学的考察』

1946・文学的考察 (講談社文芸文庫)

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中村真一郎「マチネ・ポエチックその後」『文学の創造』

文学の創造 (1953年)

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中村真一郎『戦後文学の回想』

戦後文学の回想 (1963年) (筑摩叢書)

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中村真一郎『夢の両側』

九鬼周造「日本詩の押韻」『文芸論』

文芸論 (九鬼周造全集 第四巻)

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