Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

昨日

『悪童日記』の著者が描く、亡命者の叫び。

僕らは戦争を知らない。それに付随する亡命も知らない。祖国を奪われる、とは一体どんな感情なのだろうか。ミゲル・リティンがガブリエル・ガルシア・マルケスを通して祖国への想いを語った『戒厳令下チリ潜入記』とは、全く異なる次元で祖国への想い――諦めと呼ぶべきかもしれない――が叫ばれている。

昨日 (ハヤカワepi文庫)

昨日 (ハヤカワepi文庫)

 

アゴタ・クリストフ(堀茂樹訳)『昨日』ハヤカワepi文庫、2006年。


 『悪童日記』とは異なる物語だ。しかし、この作品の主人公――隠喩としてのアゴタ・クリストフが、あの三部作を書き上げたのだろう。絶望は依然としてそこにあった。

こんな台詞がある。
「町へ行け。町には、まだ光がある。おまえの顔を蒼白くする光、死に似ている光。町へ行け。町では、人びとは幸福だ。愛を知らないがゆえに――。彼らはあまりにも満たされているので、互いの存在を必要と感じず、神も必要としていない。夜、彼らは自分の家の扉に二重の鍵をかけ、辛抱強く人生が過ぎ去るのを待つ」(154ページ)

本当に、その通りだと思う。 

昨日 (ハヤカワepi文庫)

昨日 (ハヤカワepi文庫)