笑いを売った少年
ミヒャエル・エンデ、エーリヒ・ケストナーと共に、ドイツでは三大児童文学作家と遇されているジェイムス・クリュスの代表作。
ジェイムス・クリュス(森川弘子訳)『笑いを売った少年』未知谷、2004年。
裏表紙に付された紹介文をそのまま引用しよう。
「少年は最後にシャックリのついてくる、だれの心をも明るくしてしまうとびきりの笑いを持っていました。彼は三歳のとき、陽気で優しいお母さんと死に別れ、貧しい人々が暮らす裏通りのアパートに引っ越します。大好きな父さんは仕事で留守がちです。大人は皆そうですが、とりわけ訳の分からない継母や、わがままで意地悪な義兄さんとつらい日々を送っていました。日曜だけ、優しい父さんと競馬場に出かける日曜日だけは、まだ明るい笑い声を響かせていました。十二歳のとき、その父さんまで事故で失ない、天性の明るい笑いを忘れてしまいそうになりました。父さんの葬儀の日に出会った謎の紳士と取り引きし、どんな賭けにも勝てる力、つまり莫大な富と引き替えに、その素晴らしい笑いを売ってしまいます。
やがて富は幸せをもたらさないこと、笑いこそ、人生に不可欠のものだと思い知った彼は、十四歳で家を跳び出し、ハンブルクの港から、笑いを取りもどす旅に出ます……」
この文章を読んで興味を持ったら、是非読んでいただきたい。エンデやケストナーが好きなら、尚更、読んでみて欲しい。エンデにもケストナーにも似ている、でも全く違った小説が味わえるはずだ。どちらかと言えばケストナーに似ている。「訳者あとがき」によると、クリュスはケストナーに才能を見出された作家で、本格的に作家活動に入る前に、ケストナーの『動物会議』をラジオドラマ化した人物だそうだ。作者が聞かされた物語を書いていくという構成や、笑いというテーマの共通も頷ける。『笑いを売った少年』に出てくるクレシミールのおばあさんは、ケストナーの『エーミールと三人のふたご』で大活躍するおばあさんに、そっくりだ。
でも、やっぱりケストナーとも違う。ケストナーが徹底的に現実世界の中で笑いを求めたのに対して、クリュスの小説には悪魔がいるのだ。ゲーテの『ファウスト』や、ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』に登場するような、ヨーロッパ風の悪魔が、笑いを取り戻そうとする少年を取り囲んでいる。ファンタジーの要素が介入している点では、エンデに近いとも言えるかもしれない。ただ、どちらに似ていたにしろ、それは大して重要なことではない。
「コップは割れるためには作られぬ。
ワインを入れてきらめくため。
じゃが、いつか割れることは百も承知。
じゃが、コップはコップ。ワインをつごう」(82ページより)
非常に良かった。ケストナーやエンデの話を聞かされて、期待値が高まった中で読んでも、満足できるに違いない。訳文のテンポも良い。続編である『涙を売られた少女』も読みたくなった。
<読みたくなった本>
クリュス『涙を売られた少女』
クリュス『ロブスター岩礁の燈台』
エンデ『鏡のなかの鏡』
- 作者: ミヒャエルエンデ,Michael Ende,丘沢静也
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2001/01/16
- メディア: 文庫
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