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Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

時刻表2万キロ

友人たちと読書会のようなものを開くことになった。月毎に課題図書を策定して、それを各自が読む。そして毎月の会合の際に感想を語り合うのだ。課題図書はメンバーの一人が当番制で推薦する。四人しかいない上に、みんな凄まじい読書家だから、安心して推薦に従うことができる。そう思ったのが甘かった。

時刻表2万キロ (角川文庫 (5904))

時刻表2万キロ (角川文庫 (5904))

 

宮脇俊三『時刻表2万キロ』角川文庫、1984年。


『時刻表2万キロ』は中央公論の元編集長、宮脇俊三が書いたノンフィクションである。鉄道好き、というよりも時刻表好きが昂じて、彼は国鉄全線約2万キロすべてを乗りつぶす、という計画を立てる。スタートの時点で既に1万8千キロを踏破しているので、彼が乗るのは赤字線、盲腸線と呼ばれるようなローカル線ばかりだ。

初めての課題図書である。推薦した女性は鉄道マニアだった。「そんなに電車が好きじゃなくても読めるから」と、彼女は言った。僕は鉄分ゼロである。こんなことをしていない限り、生涯読みそうにない本だ。楽しめるなら、と期待を込めて読み始めた。

そもそもの間違いは、僕が彼女の鉄道に対する情熱をあまりにも知らなすぎたことだろう。ページを開いてすぐに、そう感じた。逆の言い回しもできる。彼女は僕が鉄道一般に全く興味を持っていないことを知らなかったのだ。

「急行「越前」は20時51分を待ちかねたように発車した。今夜は付き合ってくれた人たちとかなりお酒をのんだので寝台車ではもうのまない。あすは4時50分着の富山で降りるから早く寝たほうがよいのだが、あいにく私の寝台は右側にある。右側にあるからつぎつぎにすれちがう上り列車が見えてしまう。見えれば、それらがダイヤどおりに走っているかどうか気になる。
 時刻表を開いて窓外を眺めながら現物と照合するのは楽しい作業である。ダイヤどおりならあと三十秒以内にすれちがうはずだぞ、と緊張していると、ぷわあーという警笛とともに窓外を走り去る。気持ちのいいものである」(12ページ)

「気持ちのいいものである」とある。わからない。そもそも時刻表なんてほとんど開いたことがない。職場で取り扱っていても、中にある数字の羅列に思いを馳せたこともない。我々とは電車に乗る、という行為の持つ意味からしてまるで違う。

「定刻12時20分、初めて乗る線の上をガタリと走りだしたときの、えも言われぬゾクゾクが背筋を駆ける。この快感は言いあらわしがたい」(22ページ)

越美北線ディーゼルカーは、初秋の日ざしを右窓にうけながら、九頭竜川の支流足羽川の平野をのんびり走っている。駅間距離が短いので、エンジンをふかしたと思うとすぐニュートラルになり、とことこ走っては停車する」(30ページ)

「知らないよ、そんなもん」と最初は笑いながら読む。ところが段々慣れてきて、笑えなくなる。「ああ、そんなものなんだろうな」と限りなく冷めた相槌を打ちながら読むようになる。こうなると苦行でしかない。夥しい量の駅名と地名を、地図に照らし合わせながら読む。でも彼には観光を楽しむつもりなどさらさらないのだ。目的地に着いても、そのまま折り返す。関心があるのは列車の到着時刻と、接続が上手くいくか否か。するとほとんど、地名の羅列を読んでいる気になる。

吉備線ではディーゼルカーであっけなく通過するのがもったいなくてたまらず、吉備津か備前一宮あたりで途中下車して、のんびりと吉備路をたどってみたくなった。なんの因果かいまはこうしているけれど、いずれ国鉄全線に乗り終える日がきたら、ぜひそうしようと思った」(120ページ)

ぜひそうしてくれ、むしろ今すぐ降りてくれ、と言いたくなる。こいつは俺をからかっているんじゃないか、とすら思い始める。

「そもそも同じ新潟県にあるという理由で、赤谷線と魚沼線をひとまとめに片づけようという発想が単純なのかもしれない。しかし、どちらかを諦めれば、新潟県から山形県にかけての地区に天涯孤独な一線が残ってしまい、それだけのために、あらためて東京から出直さなければならない。出直すくらいなら、長岡か小千谷で一泊したほうがまだましであるけれど、できることなら今日じゅうにわが家へ帰りたい。私だって東京や自分の家にいるのがいやで出歩いているわけではないし、日曜日ぐらいは家でゆっくりしたい」(131ページ)

ここで気が付いた。そう、実は宮脇にとっても苦行なのだ。彼にとってはあくまでも、崇高な目的に向かう過程としての苦行なのだが。それを苦しみながら読む僕。負の連鎖である。そのはずなのに、宮脇はウキウキしながら電車に乗り続ける。だんだん腹が立ってくるではないか。

とはいえ、鉄道好きの人は楽しいだろうなあ、と思う。廃止寸前の線や、作り途中のまま本来の目的地まで開通せずに大赤字となっている線も紹介されている。というか、そんな線ばかりだ。この本が書かれた昭和50年の段階から各線がどのような変貌を遂げたか、調べてみたら面白いかもしれない。

一冊の本を読むのにこんなに時間がかかったのは久しぶりだ。実は何度も途中で投げ出して詩集を読み耽っていた。『カラマーゾフの兄弟』よりも遥かに長い時間を必要とした気がする。

いや、人には向き不向きがあるものですね。

時刻表2万キロ (角川文庫 (5904))

時刻表2万キロ (角川文庫 (5904))

 

 

<読みたくなった本>
上月木代次『駅名美学』
→180ページに紹介されている、全国の様々な駅名を紹介・分析した本。これならいけるんじゃないか。無理か。

駅名美学 (1966年)

駅名美学 (1966年)