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「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

青い眼がほしい

ハヤカワepi文庫の今月の新刊は『ソロモンの歌』である。ジョージ・オーウェルの『一九八四年』も発売になったが、個人的にはこちらの方に注目してしまう。今月の『ソロモンの歌』を皮切りに、今後毎月、「トニ・モリスン・コレクション」でしか読めなかった作品を五冊も続けて刊行していくそうだ。これは楽しみである。早いうちに既刊を読まなければ、と思って手に取った。

青い眼がほしい (ハヤカワepi文庫)

青い眼がほしい (ハヤカワepi文庫)

 

トニ・モリスン『青い眼がほしい』ハヤカワepi文庫、2001年。


タイトルからして恐ろしく重厚なテーマを扱ったものであることがわかる。トニ・モリスンはアメリカの黒人女性で唯一、ノーベル文学賞を受賞している作家だ。1993年のことである。

「わたしは、これほどたくさんの白人には慣れていなかった。前に会った白人はいやな連中だったが、あまり近くには来なかった。つまり、わたしたちとは、あまりつきあいがなかったということだ。ときどき畑や売店で出会うだけだった。しかし、彼らはわたしたちを徹底的に支配したがった。北のここでは、白人はいたるところにいて、隣にも、階下にも、街中どこにでもいる。黒人の数は少なくて、まばらだ。北の黒人もちがっている。どことなくハイカラで、卑劣さにかけては白人と変わらない。彼らは人に、自分は価値のない人間だという気持ちを抱かせる。ただわたしは、彼らから認めてもらおうなんて思ってはいなかったけど。あれは、わたしの人生のうちで、とてもさびしい時代だった」(172ページ)

我々日本人にとって人種差別というものは、言葉としては知っていても、感覚としてはほとんど馴染みのないものだろう。人種差別を扱った作品、というと、黒人に対する不当な扱いを白人に対して告発したものを想像してしまう。だが、人種差別とはそんなに単純なものではないのだ。トニ・モリスンが描くのは、差別の土壌が黒人の中に生み出す自己嫌悪の感情であり、白人たちの断罪ではない。彼ら自身が人種差別を体現している構図がある。黒人の中にも「カラード」と「ニガー」という差別があり、それは時に白人による差別よりも暴力的で、矛盾と自己嫌悪を孕むものとなる。

「神はこんな姿をしているのだろうかと、彼は考えた。いや、ちがう。神はすてきな白人の老人で、長い白髪と、流れるような白いひげを生やしている。小さな青い眼は、人々が死ぬときには悲しげに見え、人々が悪業を行なうときには意地悪く見えるのだ」(198ページ)

黒人が黒人に対して差別をする、ということ。黒人の少女が「青い眼がほしい」と願うこと。それがどんなにおかしなことか、トニ・モリスンは非常に複雑な構成を用いて訴えかける。中心のストーリーがあり、その登場人物たちの生い立ちが挿話のように挟まれる。続けて読むと非常に混乱するが、しばらく進めると、それが誰のことを描いているのかがわかるようになり、中心のストーリーで彼らが行う振る舞いを解説してくれる。非常に丁寧な方法論だろう。それ故、この小説には断罪めいたところが少しもない。そもそも何がいけなかったのか、各自が自分で考えられるように書かれているのだ。

「彼は貪欲に本を読んだが、好みのところしか理解しなかった。つまり、他人の考えの切れ端や断片を適当に選んで理解したのだが、それは、その瞬間に自分が抱いている偏見を支持するものに限られていた。このようにして、彼はオフェリアにたいするハムレットの毒舌を選んで暗記したが、マグダラのマリアにたいするキリストの愛は選ばなかった。ハムレットの浅薄な政略は選んでも、キリストのまじめな無政府主義は選ばなかった。また、ギボンの辛辣さには気づいたが、その寛大さには気づかず、美しいデズデモーナにたいするオセロの愛には気づいても、オセロにたいするイアーゴの倒錯した愛は知らなかった。もっとも崇拝したのはダンテの作品で、もっとも軽蔑したのはドストエフスキーの作品だった」(248ページ)

何度もページを戻さないと、わからなくなってしまう。最初から最後まで順番に読めば良いような本ではないのだ。最後まで読んだ後に冒頭に戻って、初めて理解できることすらある。

「この上なく美しい貴婦人もトイレにすわり、ふた目と見られないほどひどい顔つきの女が、純粋で聖なるあこがれを抱いていることもある。神の仕事はまずい 出来で、ソープヘッドは、自分だったらもっといい仕事をしただろうと思った。創造主が彼のところに相談に来なかったのは、実際、残念なことだった」 (253ページ)

構成の困難さ故に、なかなか万人に薦められるものではない。でも、人種差別に関心のある人は絶対に読まなければならない本だ。被差別人種を擁護するだけで は駄目なのだ。差別とは残念なほど複雑なものである。今はもう、それだけでは足りない。訴えかけるトニ・モリスンの声に、非難めいたところがないことは賞 賛に値する。彼女の意図は「著者あとがき」に詳しく書かれている。そりゃノーベル文学賞も取るわ、と思った。

青い眼がほしい (ハヤカワepi文庫)

青い眼がほしい (ハヤカワepi文庫)

 


<読みたくなった本>
トニ・モリスン『ソロモンの歌』

ソロモンの歌 (ハヤカワepi文庫)

ソロモンの歌 (ハヤカワepi文庫)

 

ジェームズ・ボールドウィン『ジョヴァンニの部屋』
→ボールドウィンはトニ・モリスンと同じく、公民権運動以降の黒人作家。

ジョヴァンニの部屋 (白水Uブックス (57))

ジョヴァンニの部屋 (白水Uブックス (57))