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「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

夜の寓話

 年末にまとめ買いをしたロジェ・グルニエ第二弾。先日の『フラゴナールの婚約者』と同じく短篇集だが、こちらはちょうど私が望む短篇集の厚さで、小気味よく読み進めることができた。

夜の寓話

夜の寓話

 

ロジェ・グルニエ(須藤哲生訳)『夜の寓話』白水社、1992年。


 確認はしていないのだが、白水uブックスから現在刊行されている『編集室』というタイトルの短篇集は、まず間違いなくこれを親本としている。というのも、原書のタイトルが『La Salle de rédaction』、つまり『編集室』なのだ。「訳者あとがき」によると、この本のタイトルを忠実な訳である『編集室』とできなかったのは「一般読者たちがこの本をノンフィクションと誤解する可能性がある」という白水社編集部の配慮が元となっているそうだが、もしロジェ・グルニエがそんなノンフィクションを書いたとすれば、それはフランス最大の出版社ガリマール書店の舞台裏となるはずで、たしかにそんなものがあったら飛びついてしまう気がする。どういう経緯で現在は『編集室』という原書のタイトルが復権を果たしているのかはわからないが、『夜の寓話』というタイトルも、なんだか怪しい雰囲気をぷんぷんと醸し出していて、とても良いと思う。

以下、収録作品。

★★☆「冬の旅」
★★☆「ジゼルの靴」
★★★「脱走兵たち」
★☆☆「北京の南で」
★★★「親愛なる奥様……」
★★☆「厄払い」
★☆☆「死者よさらば」
★☆☆「もうひとつの人生へ」
★★★「すこし色あせたブロンド女」
★★☆「冬季オリンピック

 最初の作品のタイトルを見ただけで、どうしようもなく興奮してしまった。「冬の旅」。つまり、シューベルトだ。『フラゴナールの婚約者』のときにも書いたことだが、ロジェ・グルニエのシューベルトに対する愛着には並々ならぬものがあって、その楽曲名が小説内に登場する頻度も、ちょっと異常なほど高い。だが、その冒頭はこんなふうにはじまる。

「若いころ、わたしはT・E・ロレンスに熱中していた。兵隊時代、わたしはただ一冊の本しか持っていなかったが、それが『知恵の七柱』で、≪死のお仕着せ≫、つまりわれわれの軍服についての長談義や、軍務にあっては、あえて品位なき行動を志す者だけが充足を覚えるのだという彼の結論を、暗記していたほどだった。わたしは、いつの日か、著者のデッサン入りの、美しい英語の装丁本を、手に入れようと夢みていた。それから何年も経って、ある古本屋で、その一冊を見つけ、そのときのわたしは、なんとか奮発してそれを買うだけの金は持っていた。だがアラビアのロレンスにはもう、わたしは興味を失っていた。たしかヘンリ・ジェイムズが言っているような、≪遅すぎたもの≫の無限のカタログに収めるべき、ちょっとした出来事だった」(「冬の旅」より、5ページ)

 ここで語られている「≪遅すぎたもの≫の無限のカタログ」について語ったヘンリー・ジェイムズの著作を探してみたいと思った。『ねじの回転』、『デイジー・ミラー』、『鳩の翼』などなど、タイトルはいくらでも出てくるのに一作も読んでいない。先日読んだジョルジュ・ペレックの文章のなかで「いつか時間ができたらヘンリー・ジェイムズを読みたい」と書かれていたのを思い出した。それを一緒に読んでいた大学の教授と「ヘンリー・ジェイムズって、いつも後回しになる作家だよね」なんていう会話をしたことも。哀れなるヘンリー・ジェイムズ

「だがわたしは、旅についてのみ語りたかったのだ。長い年月、わたしは社会部の記者だった。毎週、いやそれ以上に頻繁に、殺人とか自殺があって、わたしは取材に向かわなければならなかった。そのためにわたしは、旅とはすべて、フランツ・シューベルトのあの陰鬱な『冬の旅』に似て、死にいたる夢なき歩みなのだ、という印象を抱きつづけていた」(「冬の旅」より、7ページ)

 そしてシューベルトの名前が登場する。歌曲集『冬の旅』は、ドイツ語の原題では「Winterreise」なのだが、これをフランス語に直訳すると「Le Voyage d'hiver」となる。ところで、先ほど名前を挙げたジョルジュ・ペレックも、この「Le Voyage d'hiver」という名の短篇小説を書いているのだ。シューベルトの名前が出てきた記憶はないが、これはある失われた作家を発掘した主人公が、あらゆる現代文学の起源を発見するという、愛書家にはたまらない作品で、再読したくなった。日本語では『書肆風の薔薇』という雑誌の「ウリポ特集号」に訳出されていたので、興味を持たれた方は是非とも探してみて欲しい。

「こんな死を選んだ女というのは、そのむかし『アンダルシアの犬』や『怪物たちのギャラリー』の主演女優だった、シモーヌ・マルイユであった。この舞台装置といい、炎といい、おぞましさといい、彼女の最期は、監督ブニュエルの天才に似つかわしいものだった。ただ彼女にしてみれば、演出をしてやろうなどという気持ちはさらさらなく、それは単に偶然の一致に過ぎなかった。彼女はただ死にたかっただけなのだ」(「冬の旅」より、10ページ)

「われわれはいまもなお未開人であり、けだものであって、人類の初めと幾世紀も隔たってはいないのだ」(「冬の旅」より、12ページ)

 話をロジェ・グルニエに戻そう。この「冬の旅」はごく短い作品なのにも関わらず、映画や音楽が顔を覗かせるロジェ・グルニエが得意とするスタイルを踏襲しながら、タイトル通りの陰鬱さを見事に体現した作品だった。ルイス・ブニュエル監督が大好きな友人のことを思い出した。彼が薦めてくれたこの監督の映画を観てみたいのだが、街で一番大きなDVDショップに行っても、その作品はなかなか見つからない。パリにでも出て探してみるよりほかはなさそうだが、そのときには上記の二作も加えられることになりそうだ。

「この田舎の詩の女神(ミューズ)は、彼女の文化的基盤の三つの頂点をなしていた『グラン・モーヌ』、『あなたとわたし』そして『未完成交響曲』をわたしに発見させてくれたが、確かに、その当座は、わたしはそれがとてもうれしかった」(「ジゼルの靴」より、16~17ページ)

 つづく「ジゼルの靴」は、『フラゴナールの婚約者』に収められた「春から夏へ」を思わせる作品だった。『未完成交響曲』という単語に必要以上に反応してしまうのだが、同時に挙げられているほかの二作が記憶にないことから、おそらくこれは同名のシューベルトによる第八番交響曲を材に採った映画のことを指しているのだろう。ロジェ・グルニエの映画の知識にはおそろしいものがあって、残念ながらまったく付いていけない。だが、文学であれ音楽であれ映画であれ、この作家がその名を小説内で扱うとすさまじく興味を掻き立てられる。

「若いころ、彼女はとびきり美しく、とびきり知的だった。いまでは、スーツを着こみ髪を短くしていて、スタンダールにそっくりだと、わたしは思っていた。彼女のきらきらした知性は、いささか白ワインに溺れてしまっていた。彼女の性格は、むかしは取っつきにくいと思われたが、いまでは穏やかになっていて、もう思い切ったつっぱり姿勢はとれぬ以上、これを限りに自分なりの生き方で生きようと、決心したかのようだった」(「脱走兵たち」より、28ページ)

 そのあとの「脱走兵たち」はロジェ・グルニエらしからぬ、目まぐるしく進行するストーリーで読者を引っ張っていくタイプの作品。「訳者あとがき」では「話のオチに趣向を凝らした作品」という文脈でモーパッサンの名が挙がっていたが、個人的には同じ理由でマルセル・エイメやダフネ・デュ=モーリアを思い起こした。特にマルセル・エイメの「クールな男」などは、最後のページまで読者を解放しない力強い牽引力と、ストーリーそのものについても、共通点が多いように思える。

「ぼくはときどきこんな本を書いてみたいと思うんだけど、両親とか、友人たちとか、ぼくの知ったあらゆる死者たちや、ぼくの会ったあらゆる人たちを、ルポルタージュ風かなにかして、登場させてね。ヘミングウェイがそのようなものを『死の博物誌』という中編小説で書いている。でもすぐにそんなものは不可能だと思ってしまう、なぜって、年をとればとるほど、そのリストは増えていくからだ。きりがないんだね。思い出は大きな墓地になっていく。死者たちがみんなして、ただもうわれわれだけを待っている、その日が来るまでは」(「脱走兵たち」より、29ページ)

「「なんのお祝い?」彼女はわたしに答えた。「なにもかもうまく行かないお祝いよ」」(「脱走兵たち」より、44ページ)

 ところで、フランス語で「脱走兵」は「Le Déserteur」。フランス人を相手に、この言葉から想起されるものを問いただしてみれば、まず間違いなくボリス・ヴィアンのシャンソンの名前が挙がるだろう。日本では『日々の泡(うたかたの日々)』の作家としてのイメージが先行する彼も、フランスではまず反戦を歌ったスキャンダラスなミュージシャンとして人口に膾炙している。はじめてこの曲を聴いたときには、作家としての側面しか知らなかったため、たいそう驚いたものだ。そのショッキングな歌詞も合わせて、まだ聴いたことのない方には是非探してみて欲しい。

「そこでわたしは彼に金を差し出した。彼は遠慮なくそれを受け取った。貧困の習慣は羞恥心を失わせてしまうものだ。そのとき突然わたしは、金を貸したのが、妻は美人だと彼が宣言した直後であったことにはっと気づいたのだが、彼を助けようと決心したのは、言葉に出さなかったとはいえ、その前であったから、他意はなかったものの、それでもわたしはどきまぎしてしまった」(「親愛なる奥様……」より、59~60ページ)

「最悪の事態になったな、とわたしは思った。こん畜生は、いまや自分を理解されざる天才だと思っていやがる。でもこれはわかりきったことなんだ。理解されざる亭主はみんな、自分をモーツァルトだと思いこんでいる」(「親愛なる奥様……」より、63ページ)

 また脱線した。四ページにすっぽり収まってしまう掌篇「北京の南で」を過ぎると、「親愛なる奥様……」がやってくる。これはラジオ番組を製作する「わたし」と、いかにもバートルビー的な失業者ガラベールによる不毛な番組製作の場面を描いたもので、ロジェ・グルニエがこれを書きながらあのメルヴィルの短篇を目指していたことは、もう疑いようがない。そこに、この作家ならではの皮肉たっぷりな描写が加えられて、いかにもチェーホフ的な残酷さ、「あんまりだ!」と叫びだしたくなるような冷酷さが、とどめをさす。インド洋のある孤島に向けて発せられたラジオ電波、そしてその最終的な行方を知ったときには、もはや彼らに同情することさえできなくなってしまう。

「シャルリはごろりと横になって、眠った。数分後に目を覚ますと、ロールが彼の上にかがみこみ、痛ましいばかりの、異様に注意深い眼差しで、彼を探るように観察していた。二本の皺が彼女の額に刻まれていた。それはまるで、この野原で、彼女が一面にヒエログリフの刻まれた石碑を発見し、それを解読しかねている、といった風情であった」(「厄払い」より、92~93ページ)

「刑務所にいようと、修道院にいようと、どこにいようと、人はなんとか生きていけるものなんだよ、とりわけ、さんざん辛い目にあって、ある年齢に達するまではね。そのあとの段階になっては、もう生きる気力もなくなって、セーヌ川に飛びこんだりするのさ」(「もうひとつの人生へ」より、122ページ)

 つづく「厄払い」は報道カメラマンと女性ジャーナリストを主人公にした物語。今さらながら、この短篇集のほとんどの作品はジャーナリストやなんらかのメディアに属している人びとをその主軸に据えている。アルベール・カミュの同僚として新聞記者を務めていたロジェ・グルニエが、その体験をもとに書き上げた作品群なのだ。原題である『編集室』というタイトルも、その性格と無関係ではない。「死者よさらば」はスペインに現れた贋者のヘミングウェイを描いた作品で、「もうひとつの人生へ」は長らく投獄されていた美貌の殺人犯の出所後の決断を描いた作品である。いかにも新聞記事にふさわしい物語が、短篇小説として練り上げられているのだ。

「ピエールとミミの仕事の上司である企画部長のグーヴィヨンは、四十代の大きな男で、美味しい食事とそれに女も大好きな、陽気な大食漢だった。彼は自分の仕事も、他人のことも、彼自身のことも、まったく何ひとつ真面目に考えてはいなかった。会社の同僚たちや人間一般に対する彼の好奇心は、さながら動物園をぶらつく散歩者のそれであった」(「すこし色あせたブロンド女」より、124ページ)

「「俺は本を書きたかったんだ、むかしね。やがて思ったのさ、そこらにいる馬鹿野郎が、学校でアルファベットを習ったというただそれだけで、俺を判断し、好きだの嫌いだの、感動したりうんざりしたふりをする権利を、持つことになりやがるんだってね。ええ糞っ! 俺は原稿を燃しちゃったよ」
 「それはなんだったんです?」
 「馬鹿馬鹿しい小説さ。いまでもときどき読み返しているよ、自己満足のためにね」
 「燃してしまったのなら、どうやってそれがまた読めるのですか?」
 「カーボン紙を使ったのさ。ところできみたち、腹は減ってないかい?」」(「すこし色あせたブロンド女」より、125ページ)

 そろそろ残りページも少なくなってきたころにやってくる「すこし色あせたブロンド女」は、すばらしい傑作だった。残酷さを通り越した作家の性格の悪さ、短篇にも関わらずきわだった登場人物たちの個性、それらを語る際のユーモラスな筆致など、文句のつけどころがない。

「「すでにいっぱしの過去を持ってるんだな。そうとはとても思えなかったよ」
 「立派な過去です。そしていま、あたしのするべきことは、それを忘れることなんです」」(「すこし色あせたブロンド女」より、126~127ページ)

「誰かが、深夜たった一人で、去っていくのを見送りながら、衝撃を受けないでいるためには、石のように非情な心が必要であるだろう」(「すこし色あせたブロンド女」より、127ページ)

 都会に出たがっている百姓娘の物語、という、不幸になることを宿命づけられているにも関わらず世界中のあちこちで今でも繰り返されている物語のヒロインを、われらが主人公は同情と皮肉の入り交じった感情で見つめる。やがてその百姓娘は彼女なりの処世術を身につけ、なんとか生活をやりくりしていくようになるのだが、はじめて彼女を目にしたときの純真無垢な印象は二度と取りもどされることはなく、時間はあまりにも多くのことを奪い去ってしまう。

「ルドリュは、音楽評論の大作を書こうという大望を抱いてデビューしたのだった。当時彼は、シューベルトのピアノ作品における長短短格のリズムについてのエッセーか、なにかその類いのものの話をよくしていた」(「すこし色あせたブロンド女」より、134ページ)

「食事も終わりになって、コーヒーが出てくると、ミシェルはマーラーの歌曲『真夜中に』をハミングしはじめ、やがて肥満したルドリュも静かに斉唱しはじめた。彼らは、どうやら二人の馴染みの曲らしいその歌を一緒に歌っていたが、ときおり小さな喜びの声を上げては歌を中断した。音楽狂の連中ってどうしてこんなにうるさいんだろう、とピエールは思った」(「すこし色あせたブロンド女」より、136ページ)

 ここでもやはりシューベルト、そしてはじめてマーラーが出てくる。「音楽狂の連中ってどうしてこんなにうるさいんだろう」という言葉は、二人を冷ややかに見つめる作家の視点そのものだ。興奮に水を差すときの方法があまりにも淡々としていて、その冷徹さがたまらなく心地よい。

「パリは巨大な街だが、みなきわめて限られたコースを移動しているので、どこかの村と同程度の頻繁さで、知っている者同志が出会うことになる」(「すこし色あせたブロンド女」より、142ページ)

 最後の作品「冬季オリンピック」は、タイトルの通りオリンピックの開催地が舞台になっていて、プレス・キャンプに集うジャーナリストたちと、そこに現れた一人の小説家の物語。浮き足だった現地の興奮が伝わってくるような文章もあれば、やはりそれを冷たい視線で見つめるロジェ・グルニエがいて、この作家の持ち味がふんだんに発揮された作品とも言えそうだ。50ページを越える中篇とも呼べる作品で、個人的にはボブスレーチームの面々の描きかたに興奮した。彼らは最初大音量で音楽をかけながら大型車を乗りまわしている、いかにも非常識なマナーの悪い連中として登場し、小説家にふっかけられて喧嘩まですることになるのだが、結局彼らはこの小説家を助けるために奔走してくれる心強い連中となるのだ。あんまり鮮やかに印象を塗り替えられるものだから、うっかりすると彼らがいつからその魅力を放ちはじめていたのかにも気づけない。

「「想像してみたまえ」とジャン-クロードがわたしに注意を促した。「こんなことをきみが宣告されたとする。罰として、騒々しい煙草の煙の立ちこめる場所で、酒をなみなみと注いだグラスを手に持って顔の高さに上げたまま、一晩中直立して過ごせという命令が下されたとする。そしてこれを夜な夜な、死ぬまでやれという。こいつはどうにも耐えられない想像だ。地獄だよ。だが、そんな風にしてわれわれは生きているんだ」」(「冬季オリンピック」より、178ページ)

「「<ジングル・ベル>ね」とエリザベスが言った。「ウオルト・ディズニーのアニメーションみたいに、トナカイに引かれるサンタ・クロースの橇に乗っているような気分だわ。困ったことに、あなたもあたしも、もうサンタ・クロースを信じてはいないけど」」(「冬季オリンピック」より、192ページ)

 先日『フラゴナールの婚約者』を読んだときには、結末の一行を書きたいがために構成されたような作品がいやに目についたが、この『夜の寓話』はそんなことはなく、新聞記事にでもなりそうなストーリーがロジェ・グルニエならではの筆致で飾り立てられ、あるいは徹底的に装飾をこそげ落とされているような印象が強かった。とはいえやはり、それはモーパッサンのようなどんでん返しを期待させるものとは一線を画していて、重点が置かれているのは物語る際にちりばめられた叙情性の数々なのだと思う。モーパッサンの短篇は、だれかに読み聞かせて楽しむこともできるが、ロジェ・グルニエのそれはあくまで一人で堪能するべきものだ。一人、ベッドのなかで、枕元の微かな明かりだけを頼りに。まさしく『夜の寓話』である。ほかの短篇集も見つけたら手を伸ばしてみたい。

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