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Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

A Child's Garden of Verses

 つい先日の『Little Book of Poems for Young Children』でも紹介されていた、スティーヴンスンによる子どものための詩集。先日の記事では「A Good Play」と「Bed in Summer」、それから「Young Night Thought」の3つを訳出してみたが、ほかにもたくさんいいのがあるだろう、という期待とともに手にとった。

A Child's Garden of Verses (Dover Children's Thrift Classics)

A Child's Garden of Verses (Dover Children's Thrift Classics)

 

Robert Louis Stevenson, A Child's Garden of Verses, Dover, 1992.


 スティーヴンスンの脚韻はほとんど職人技となっていて、いったいどんな頭をしていたらこんなに自然な脚韻を踏むことができるのか、ちょっと想像がつかない。そしてそれを翻訳する手段にいたっては、ぜんぜん想像がつかない。例によって気に入った詩を訳してみたものの、原文のほうが圧倒的にすてきだ。ちょっと読み比べてみて、わたしの書いた訳がぜんぜん原文の良さを反映していないことを発見してもらいたい。

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The Cow

The friendly cow all red and white,
    I love with all my heart:
She gives me cream with all her might,
    To eat with apple-tart.

She wanders lowing here and there,
    And yet she cannot stray,
All in the pleasant open air,
    The pleasant light of day;

And blown by all the winds that pass
    And wet with all the showers,
She walks among the meadow grass
    And eats the meadow flowers.

ウシ

赤茶と白の人なつっこいウシのことを、
    ぼくは心底愛している。
もたらされるあらんかぎりのクリームは、
    アップルパイの付け合わせ。

あちらこちらへとモーモー歩きまわり、
    それでもけっして迷子にならない。
むきだしの心地良い空の下、
    心地良い陽の光に照らされて。

通りすぎるすべての風に吹かれ、
    あらゆる雨に打たれて濡れ、
雌牛は草地を歩いてまわり、
    そこの花々を食べている。

(p.24)
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The Lamplighter

My tea is nearly ready and the sun has left the sky.
It's time to take the window to see Leerie going by;
For every night at teatime and before you take your seat,
With lantern and with ladder he comes posting up the street.

Now Tom would be a driver and Maria go to sea,
And my papa's a banker and as rich as he can be;
But I, when I am stronger and can choose what I'm to do,
O Leerie, I'll go round at night and light the lamps with you!

For we are very lucky, with a lamp before the door,
And Leerie stops to light it as he lights so many more;
And oh! before you hurry by with ladder and with light;
O Leerie, see a little child and nod to him to-night!

点灯夫

太陽は空を去り、紅茶の支度はほとんど整っている。
リーリーが来るのを見に、窓に立つ時間帯だ。
毎晩紅茶の時刻、席につくちょっと前に、
ランタンと梯子とともに、彼は通りを上がってくるのだ。

トムは運転手になりたいし、マリアは海に行った。
ぼくのパパは銀行員で、たいそう裕福にしている。
でもぼくときたら、大きくなって自分の仕事を見つける段になったら、
ああリーリー、ぼくはあなたとともに、夜を彷徨しランプを灯したい!

家の目の前に街灯を持つぼくらはなんて幸運なんだろう、
リーリーはほかのたくさんの街灯同様、立ち止まって火を灯す。
でも待って! その光と梯子とともに先を急ぐ前に、
ああリーリー、きみを見つめるこの子どもに、今晩こそ頷きかけてはくれないものか!

(p.31)
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 一篇がRoger McGoughの『It Never Rains』のときのようには短くないので、日本語にするのにずいぶん時間がかかってしまった。そして正直に告白すると、訳そうとしている最中に「こんなの無理!」と、まるまる割愛してしまった詩もいくつかある。言葉はぜんぜん難しくないのに、日本語に置き換えることが大変困難な詩がたくさんあるのだ。英語で読むことに抵抗のないひとには、ぜひ実物を手にとってみてもらいたい。日本で刊行されている翻訳がどうなっているのか、ほんとうに気になる。

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The Unseen Playmate

When children are playing alone on the green,
In comes the playmate that never was seen.
When children are happy and lonely and good,
The Friend of the Children comes out of the wood.

Nobody heard him, and nobody saw,
His is a picture you never could draw,
But he's sure to be present, abroad or at home,
When children are happy and playing alone.

He lies in the laurels, he runs on the grass,
He sings when you tinkle the musical glass;
Whene'er you are happy and cannot tell why,
The Friend of the Children is sure to be by!

He loves to be little, he hates to be big,
'Tis he that inhabits the caves that you dig;
'Tis he when you play with your soldiers of tin
That sides with the Frenchmen and never can win.

'Tis he, when at night you go off to your bed,
Bids you go to sleep and not trouble your head;
For wherever they're lying, in cupboard or shelf,
'Tis he will take care of your playthings himself!

見えない友だち

緑のうえで子どもたちがひとりきりで遊ぶとき、
そこには見えない友だちがやって来ている。
子どもたちが幸せでひとりぼっちで気分がいいと、
子どもの友である彼が、森から抜け出してくるのだ。

誰も耳にしたことがないし、見たこともない。
彼の似顔絵はけっして描くことができない。
けれど、子どもたちが幸せにひとり遊びをしているとき、
家の外でも中でも、彼はたしかにそこにいる。

彼は月桂樹に寝そべり、草のうえを走りまわり、
きみがハーモニカを吹くときには歌っている。
幸せで、その理由がわからないときはいつだって、
子どもの友である彼がそばにいるはずなんだ!

彼は小さくあることを好み、大きいのは嫌う。
きみが掘った洞穴に住んでいるのは彼で、
きみがブリキの兵隊で遊ぶとき、
フランス軍側でけっして勝てないのが彼なんだ。

夜、きみがベッドに向かうとき、
眠るように言いつけ、きみを悩ませないのが彼。
なぜかって、食器棚だろうとどの棚だろうと、
きみのおもちゃの面倒を見ているのは彼なんだから!

(p.48)
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 以下の「太陽の旅」は、ちょっと谷川俊太郎を思わせはしないだろうか。

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The Sun's Travels

The sun is not a-bed, when I
At night upon my pillow lie;
Still round the earth his way he takes,
And morning after morning makes.

While here at home, in shining day,
We round the sunny garden play,
Each little Indian sleepy-head
Is being kissed and put to bed.

And when at eve I rise from tea,
Day dawns beyond the Atlantic Sea;
And all the children in the west
Are getting up and being dressed.

太陽の旅

ぼくが夜中に枕を覆っていても、
太陽は床についていない。
地球を回るその先々で、
朝また朝をつくりだしている。

自宅で明るい光のなか、
陽の射す庭で遊びまわっているとき、
インドの子どもの眠い頭はちょうど
キスを受けてベッドに横たわっている。

黄昏どきに紅茶から顔をあげるとき、
大西洋の向こうは暁の時刻、
西の子どもたちはみんな、
起き抜けで一日の支度をしている。

(p.30)
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 わたしが言っているのは、もちろん以下の「朝のリレー」のことである。『あさ/朝』という編纂詩集は、この詩のためにまとめられたのではないかと思っている。

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朝のリレー

カムチャッカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている

ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る

眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ

谷川俊太郎「朝のリレー」『あさ/朝』より、4ページ)
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 ちょっと似ていると思いませんか? でもわたしは谷川俊太郎のほうが好きだ。とはいえ、スティーヴンスンには「お月さま」を描いた詩もあり、この「太陽の旅」と並べてみると大変美しい。

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The Moon

The moon has a face like the clock in the hall;
She shines on thieves on the garden wall,
On streets and fields and harbour quays,
And birdies asleep in the forks of the trees.

The squalling cat and the squeaking mouse,
The howling dog by the door of the house,
The bat that lies in bed at noon,
All love to be out by the light of the moon.

But all of the things that belong to the day
Cuddle to sleep to be out of her way;
And flowers and children close their eyes
Till up in the morning the sun shall arise.

お月さま

お月さまは広間の時計みたいな顔をしていて、
庭園の壁に盗賊たちの姿を、
通りや野原や港の埠頭を、
枝分かれした樹々で眠る小鳥たちを映し出す。

喧嘩中の猫もチューチューいうネズミも、
家のドアのそばで遠吠えする犬も、
昼日中には床についているコウモリも、
みんなお月さまの光の下にいるのが大好きだ。

でも昼のものであるすべては、
彼女の邪魔にならぬよう、抱きしめ寝かしつけられて、
花々や子どもたちのまぶたは、
翌朝太陽が昇るまで、閉じられている。

(p.34)
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 巻末にはこの本の読者たちに寄せられた詩が載せられていて、それらもまたすばらしいものだった。

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To My Mother

You too, my mother, read my rhymes
For love of unforgotten times,
And you may chance to hear once more
The little feet along the floor.

母へ

あなたもだ、母さん、ぼくのこの、
忘れがたい日々への愛の詩を読むのなら、
もう一度聞くことができるだろう、
床を駆けまわる小さな足音を。

(p.78)
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To Any Reader

As from the house your mother sees
You playing round the garden trees,
So you may see, if you will look
Through the windows of this book,
Another child, far, far away,
And in another garden, play.
But do not think you can at all,
By knocking on the window, call
That child to hear you. He intent
Is all on his play-business bent.
He does not hear; he will not look,
Nor yet be lured out of this book.
For, long ago, the truth to say,
He has grown up and gone away,
And it is but a child of air
That lingers in the garden there.

あらゆる読者に

母親が家から見つめるなか、
きみは庭の樹々のまわりで遊んでいる。
もしこの本の窓を覗きこむのなら、
きっと見つけることだろう、
遠くの、ずっと遠くのもうひとりの子どもが、
同じように庭で遊んでいるのを。
でもね、こんなことは考えちゃいけない、
その窓を叩き、呼び立て、
その子どもの耳に届けようなどとは。彼はまるきり
自分の遊びのほうに集中しているのだから。
彼には聞こえないし、振り向くこともない、
興味を惹かれて本から抜け出してくることもない。
なぜって、ほんとうのことを言うなら、ずっと昔に、
彼は大人になって、どこかに行ってしまったのだから。
じつはこの子どもは、あの庭に居残った、
残像でしかないのだから。

(p.84)
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 自分の詩の刊行に合わせて、すでにこんなものを用意しているだなんて、スティーヴンスンはこの詩集がいつか古典の仲間入りをするということを、すこしも疑っていなかったのではないか。刊行年は1885年、すでに『宝島』も書かれたあとで、当時にはもう人気作家だったのかもしれないが。こんな詩もあって、おや? となった。

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Foreign Children

Little Indian, Sioux, or Crow,
Little frosty Eskimo,
Little Turk or Japanee,
Oh! don't you wish that you were me?

You have seen the scarlet trees
And the lions over seas;
You have eaten ostrich eggs,
And turned the turtle off their legs.

Such a life is very fine,
But it's not so nice as mine:
You must often as you trod,
Have wearied NOT to be abroad.

You have curious things to eat,
I am fed on proper meat;
You must dwell upon the foam,
But I am safe and live at home.
Little Indian, Sioux or Crow,
Little frosty Eskimo,
Little Turk or Japanee,
Oh! don't you wish that you were me?

外国の子どもたち

小さなインド人、スー族、クロー族、
小さな雪まみれのエスキモー、
小さなトルコ人や日本人たち、
ああ! ぼくみたいになれたら、と思わないかい?

深紅の樹々を見ただろうし、
海の向こうの獅子たちも見ただろう。
ダチョウの卵を食べたかもしれない、
亀を逆さにして遊んだかも。

そんな人生もいいかもね、
でもぼくの人生ほどじゃない。
歩きまくっているうちに、
外国にいないことにうんざりするのさ。

変な食べものには不足しないかもね、
でもぼくにはちゃんとした食事がある。
海のうえで暮らしているかもね、
でもぼくは自宅で安全、快適。
小さなインド人、スー族、クロー族、
小さな雪まみれのエスキモー、
小さなトルコ人や日本人たち、
ああ! ぼくみたいになれたら、と思わないかい?

(p.29)
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 なんだかちょっとイラッとくる。舌打ちしながら訳した。スティーヴンスンにはこういう、書かなくてもいいことを書いて読者の気分を悪くする、という悪い癖がある。『旅は驢馬をつれて』を読むとよくわかるが、動こうとしないロバのモデスチンに対して、主であるスティーヴンスンはありとあらゆる武器を使い、この哀れなロバを傷めつけては仕事をさせているのだ! その暴力の数々は逆に一見の価値があるほどで、現代の動物愛護協会はけっして彼とは相容れないだろう。

 まあ、そういう茶目っ気というか空気を読まないところも含めて、わたしはスティーヴンスンのことが好きである。『新アラビア夜話』のと同じ衝撃を求めて、今後も彼の著作には手を伸ばしつづけることだろう。

A Child's Garden of Verses (Dover Children's Thrift Classics)

A Child's Garden of Verses (Dover Children's Thrift Classics)