第二の顔
江戸川乱歩が『探偵小説の謎』の中で紹介していた小説。探してみると、翻訳が何と生田耕作だった。
マルセル・エイメ(生田耕作訳)『第二の顔』創元推理文庫、1972年。
付け加えると、エイメは丸谷才一らの『文学全集を立ちあげる』の中で、ユーモア文学の話になった時に鹿島茂によって熱烈に推されている。これはもう読むしかない、と手に取った。
『第二の顔』はシンプルなテーマの下に書かれた小説だ。金も地位も妻子もある中年男の顔が、ある日突然美青年に変わる。人によっては歓喜によって迎えられるはずのこの変身も、そこそこ幸福な家庭を築いていた彼には呪いの対象でしかない。親友も部下も彼の変身に気付かない。説得を試みると、本物の彼を殺害した疑いを抱かれる。そして彼は元の顔を取り戻すことを諦め、同時に幸せな家庭を取り戻すことを決意し、自らの妻に浮気を持ちかける。
普通の小説家なら、変身から元に戻る箇所を最後にもってきて、慌ただしく終幕させてしまうだろう。だが、エイメはそんなことはしない。元に戻った後の話にこそ、この小説の面白味があるとすら言える。
「頬づえをついて考えていらっしゃったでしょう? なにをしていらっしゃったの、ロラン?」
「鏡に顔をうつしていたんですよ。きみにどんな顔にうつっているかしらべたくてね」
「あなたにはごらんになれませんわ。わたしはあなたの目のずっと奥を見てるんですもの」(117~118ページ)
上に書いたことは、いずれも江戸川乱歩が紹介していた範囲のことだ。私は以上のことを知った上で読んだが、それでも面白かったので、書いてしまった。
「そもそも男は、二十五を過ぎると、こちらから願う場合にしか女に惚れるということはなくなるものだ」(69ページ)
鹿島茂はユーモア文学と呼んだが、『ボートの三人男』のように腹を抱えて笑う類いの本ではない。滑稽という意味でのユーモアなのかもしれない。
「不条理を信じられるというのはいわば恵まれた精神状態であり、まるで魔法にでもかかったように、その状態に到達するものである」(158ページ)
創元推理文庫の、背表紙が灰色のシリーズには変なものが多い。ケストナーのユーモア三部作も全てこのシリーズだ。未読の方には、合わせてケストナーの『雪の中の三人男』を読んで欲しい。こちらは純然たるユーモア文学だ。
<読みたくなった本>
マルセル・エイメ『壁抜け男』
マルセル・エイメ『マルセル・エメ傑作短編集』
→エイメは「エーメ」や「エメ」とも表記されるので、インターネットなどで探すのが大変だ。
ケストナー『消え失せた密画』
→ユーモア三部作の内の一作。