Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

ゆう/夕

谷川俊太郎の詩と吉村和敏の写真が同時に楽しめる、『あさ/朝』の姉妹本。

ゆう/夕

ゆう/夕

 

谷川俊太郎『ゆう/夕』アリス館、2004年。


やっぱり贅沢な本だ。『あさ/朝』にも書き下ろしの詩があったけれど、『ゆう/夕』の方はさらに良い気がする。でも、これは是非とも写真と一緒に見てほしいなあ、と思う。でも一部だけ抜粋しちゃおう。「みえなくなる ちきゅうのかたち/みえてくる うちゅうのかたち」(17ページ)。ほら、気になるでしょう。


―――――――――
みち 2


くさがしげると
みちはかくれてしまいます
けれどそのみちのむこうに
いずみがあるのを
けものたちはしっています

ゆうぐれのやまおくに
みずがにおって

いちばんぼしがでました
こじか
こおったようにたたずみます
ほしも
いいにおいがするのでしょうか


(19ページ)
―――――――――

夕暮れの持つ美しさは、どこか寂しさを秘めている。綺麗で、切ない。朝焼けが作り途中のものの美しさなら、夕焼けは壊れかけのものを見ているような気持ちがする。だから詩も、色々なものが書かれている。

―――――――――
夕暮


誰があかりを消すのだろう
夕暮
あんなに静かにやさしい手で
空の全部にさわっていって

恋人たちは知っている
二人の欲望が消すのだと
子供たちも知っている
彼等の歌が消すことを

だが 私は知らない

誰があかりを消すのだろう
夕暮
それは私のお父さんではない
それは私の愛する人でもない
それは風でも思い出でもない

誰があかりを消すのだろう
夕暮
私が夜を欲しい時 また
私が夜を憎む時
誰があかりを消すのだろう


(20~21ページ)
―――――――――

『二十億光年の孤独』からは三作も入っている。先日読んだばかりの詩なのに、本が変わって写真まで付くとまるで違う詩のように思えて驚いた。

『よる/夜』は出ないのかなあ。2004年に刊行されて飛ぶように売れた時は、みんな期待していただろうに。詩はもちろんだが、写真も気になってしまう。出ないのかなあ。

でも『よる/夜』を初めから出す気でいたのなら、『ゆう/夕』はできなかっただろうなと、ふと思い付いた。

ゆう/夕

ゆう/夕