Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

Contes 1, 2, 3, 4

 イヨネスコがエチエンヌ・ドゥルセールという画家と共に作り上げた、三歳以下の子どもたちのための絵本。もともと四分冊だった四本の掌編を一冊にまとめたもの。

Contes 1, 2, 3, 4

Contes 1, 2, 3, 4

 

Eugène Ionesco, Etienne Delessert, Contes 1, 2, 3, 4, Gallimard Jeunesse, 1983.


 主人公は生まれてから33ヶ月の、つまり三歳に満たない小さな女の子ジョゼット。彼女は毎朝早起きしては両親の寝室のドアを叩き、彼らをたたき起こすのを日課にしている。パパ、ママ、そして家政婦のジャクリーヌが、ジョゼットを取り巻く人びとのすべてだ。パパはいつも寝てばかりいて、適当なことをジョゼットに教えてはママとジャクリーヌに怒られている。

「—Il y avait une fois une petite fille qui s'appelait Jacqueline.
 —Comme Jacqueline ? demande Josette.
 —Oui, dit papa, mais ce n'était pas Jacqueline. Jacqueline était une petite fille. Elle avait une maman qui s'appelait madame Jacqueline. Le papa de la petite Jacqueline s'appelait monsieur Jacqueline. La petite Jacqueline avait deux soeurs qui s'appelaient toutes les deux Jacqueline, et deux petits cousins qui s'appelaient Jacqueline, et deux petites cousines qui s'appelaient Jacqueline et une tante et un oncle qui s'appelaient Jacqueline.」(pp.14-15)
「「昔々あるところに、ジャクリーヌという女の子がいました」
 「家政婦のジャクリーヌみたいに?」ジョゼットは尋ねました。
 「うん」パパは続けます。「でもあのジャクリーヌじゃないよ。このジャクリーヌは小さな女の子。彼女のママはマダム・ジャクリーヌという名前で、パパはムッシュー・ジャクリーヌ。彼女の二人のお姉さんはどちらもジャクリーヌという名前で、二人の従兄弟の名前はジャクリーヌ、二人の従姉妹はジャクリーヌ、おばさんはジャクリーヌ、おじさんはジャクリーヌという名前でした」

 やがてジョゼットは家政婦のジャクリーヌに連れられて買い物に出かける。そして店先で出会ったジャクリーヌという少女に、パパから教わった話をすることで気ちがい扱いされる。一本目はこれでおしまい。実のところ四本のうちどれをとっても、パパが余計なことを言いさえしなければ何も起こりえないはずのジョゼットの日常を描いている。

 三本目も面白い。前夜にレストランだの映画館だの人形劇だのへ行って散々夜更かししたパパが、ジョゼットに叩きおこされ、物語をせがまれる。そしてパパは飛行機に乗って散歩に出かける話をする。

Maman dira : « Amusez-vous bien, mes enfants. Soyez sages, soyez prudents. Si vous allez en avion, il faut faire attention que Josette ne se penche pas par la fenêtre de l'avion, c'est dangereux. Elle pourrait tomber dans la Seine ou sur le toit de la voisine. Elle pourrait se faire du mal au derrière ou avoir une grande bosse sur le front.»」(p.62)
「ママはこう言うだろう。「楽しんでらっしゃい、私の子どもたち。気をつけて、いい子にするのよ。飛行機で行くのなら、ジョゼットが窓から身を乗り出さないように注意しなくちゃだめよ、危ないから。セーヌ河か、おとなりさんの屋根の上に落ちちゃうわよ。おしりを打つか、おでこにたんこぶができちゃうわよ」」

「Papa — Et nous sortons dans la rue. On rencontre la maman de Michou. On passe devant le boucher avec ses têtes de veau...
 Josette se cache les yeux : « Je ne veux pas voir. Méchant boucher !»
 Papa — Oui. Si le boucher tue encore des veaux, je vais tuer le boucher...」(pp.70-71)
「パパ「それから通りに出る。ミシューのママに会う。それから子牛の頭を持った肉屋の前を通りすぎる…」
 ジョゼットは目を覆いました。「見たくない、いじわる肉屋!」
 パパ「ああ。もし肉屋がこれ以上子牛を殺すことがあったら、パパが肉屋を殺してやる…」」

 彼らは月に到着し、月の欠片(甘い)を食べたあと、太陽へ向かう。太陽で汗をかいている間に飛行機は溶けてしまい、仕方がないから彼らは歩いて帰ることにする。

「Dépêchons-nous, c'est loin jusque chez nous. Il faut arriver à l'heure du déjeuner, autrement Maman va nous gronder. Ici, nous avons bien chaud, dans le Soleil, tout est chaud mais, si nous sommes en retard, le repas sera froid.」(p.85)
「急ごう、家は遠いよ。お昼ごはんに間に合わないと、ママに怒られちゃうからね。ここ、太陽の中はどこもかしこも暑いけれど、遅れて帰ったらお昼ごはんが冷めちゃうだろうから」

 このエチエンヌ・ドゥルセールという画家のことはまったく知らなかったのだが、どの挿絵もほんとうに細かなところにまで気が回っていて、眺めていて飽きることがまったくない。タンタンやセサミ・ストリートのエルモの出来損ないが顔を覗かせていたり、明らかに模写と思われるモールス・センダック風「かいじゅう」が飛び跳ねていたり。サイの角の先に顔が描いてあったりもする。至るところにサイがいるのは、イヨネスコの戯曲『Rhinocéros(サイ)』を意識しているのだろう。

 とはいえ、これを読み聞かせられて喜んでいる子どもの姿は想像しづらい。そう言わずにはいられないほど、あまりにもイヨネスコの香りが漂っているのだ。むしろ、このあまりにも適当なパパ、これはおそらくそのままイヨネスコなのだろう。ちょっとジャンニ・ロダーリの書く短篇のような雰囲気もある。共通項は「適当」。イヨネスコのユーモアが好きな人なら、気に入るに違いない。

Contes 1, 2, 3, 4

Contes 1, 2, 3, 4