ふたりのロッテ
好きな作家の本を読めるというのは、なんて幸せなことなんだろう。しかも、それがまだ未読のものであるなら尚更だ。とはいえ、いつもこの調子で読んでいたら、すぐに未読のものはなくなってしまう。ジレンマだ。もったいない。とうとう読んでしまった。
- 作者: エーリヒケストナー,ヴァルター・トリアー,Erich K¨astner,池田香代子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2006/06/16
- メディア: 単行本
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エーリヒ・ケストナー(池田香代子訳)『ふたりのロッテ』岩波少年文庫、2006年。
ケストナーを読むたびに、大きく揺さぶられる。恋人がいた頃には、彼女にも読み聞かせてやらなきゃ、と駆り立てられたものだ。今はそれがない。その分、何だか寂しくなってしまった。『ふたりのロッテ』ほどの作品を、たった一人、暗い部屋の中で読んでしまうなんて。作中に登場するお父さんは芸術家だ。こんな一節があった。
「「ほんものの芸術家」たる者は孤独に耐えるべきだ」(72ページ)
それがどれだけ寂しい考え方だか、ケストナーは声高に主張する。そんな彼も芸術家だ。ケストナーも当然、これを書くときには一人だったに違いない。終盤に訪れるお父さんの変化は、芸術家の理想だ。ケストナーには、それができなかったのだろう。だからこそ『ふたりのロッテ』を書いたのだろう。そんな気がしてならない。
「月は、寝室の大きな窓からのぞきこみ、これはこれはとおどろく。ふたりの女の子がならんで横たわり、目はあわせないようにしながらも、まだしゃくりあげているほうの子が、いまその手で、もうひとりの、自分をなでてくれている子の手を、ゆっくりとまさぐろうとしている。
「これでよし」と、銀色の年とった月は考える。「これでわたしも、安心して沈める」
そして、ほんとうに沈んでいく」(28~29ページ)
ケストナーの語り口は病み付きになる。章の初めに掲げられた「あらすじめいた箇条書き」は、16世紀から18世紀ごろまで出回っていた、民衆本のスタイルらしい。ただケストナーの場合、箇条書きを見ただけではわからない。わざと変なところを取り出してくるのだ。そんなところにまでユーモアが散りばめられている。
やっぱり『飛ぶ教室』を越えることはできないけれど、めちゃめちゃ好きだ。『飛ぶ教室』より先に『ふたりのロッテ』を読んでいたら、どうなっていたかはわからない。いや、でもやっぱり『飛ぶ教室』かな。『ふたりのロッテ』は二番目。いや、『エーミールと三人のふたご』もあるな。それに『雪の中の三人男』も。悩む。
これでとうとう、岩波少年文庫から出ているケストナーは全て読んでしまった。あとは高橋健二訳の全集と、ちくま文庫の『ファービアン』と、創元推理文庫の『消え失せた密画』だけだ。もったいなくて読めない。
- 作者: エーリヒケストナー,ヴァルター・トリアー,Erich K¨astner,池田香代子
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<読みたくなった本>
クリュス『涙を売られた少女』
エンデ『鏡のなかの鏡』
→ケストナー熱を静めてくれる稀有な作家たち。
- 作者: ミヒャエルエンデ,Michael Ende,丘沢静也
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2001/01/16
- メディア: 文庫
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『グリム童話』
→「ヘンゼルとグレーテル」が作中に出てきたため。池内紀訳と高橋健二訳の、どちらにしようか大いに迷っている。