分身
アドルフォ・ビオイ・カサーレスの『モレルの発明』に書かれた、清水徹による「訳者あとがき」で紹介されていた一冊。この「あとがき」の素晴らしさには忘れがたいものがあって、紹介されている本を全て読みたいと思わせる力があるのだ。
オットー・ランク(有内嘉宏訳)『分身 ドッペルゲンガー』人文書院、1988年。
一度でも読みたいと思った本は何としてでも見つけだす。それが僕の信条である。とはいえこの本を探し出すのには随分と骨が折れた。前掲書にて名著として扱われていた割には、自分のワードローブにはない書籍だったのだ。つまり、僕はこの本をある古本屋の心理学の棚で見つけたのである。文芸評論だと思っていたので大変意外な結果だったのだが、読み始めてすぐに納得せざるを得ない事態に立ち入った。
心理学は完全に門外漢なため、何がユング派で何がフロイト派なのかすら判らない。区別はともかくとして心理学的なアプローチに慣れていないと、この本(特に後半部)を理解するには恐ろしい困難を伴う。しかもまたしても本を読む時間がろくにとれなくなっているため、ページは遅々として進まなかった。
以下「訳者あとがき」に付されたタイトルの仮称に沿って、五部構成の本書の各章を振り返る。
第一章:問題定義
第二章:文学にみる分身像
第三章:詩人たちの実像
第四章:影・鏡像などにまつわる民間信仰
第五章:分身の意味作用と表現形式に関する精神分析的解明
見ての通り、本論の核である最後の二章の難解さが際立っている。しっかりと腰を据えて読むことができれば道を踏み外すこともないのかもしれないが、多いときは一ページに十個以上もある膨大な注釈を参照しながら読み進めると、読んだばかりの内容でも頭から抜け落ちてしまうのだ。学術的に書かれた文章において不必要な注など一つもないのだが、これには辟易した。何せ本の半分が注釈なのである。
というわけで、ここで語ることのできる内容も前半三章が中心となる。核の方は少し間を置いてから再度チャレンジしたい。
最初は文学作品がどんどん紹介されるので、さながらブックガイドを読んでいるかのように興味が掻き立てられ、わくわくする。
「ホフマンは、ロマン主義文学において最も好まれたモチーフの一つに数えられる、分身群の古典的創造者である」(13ページ)
この本の基盤とも言える文学作品群の中で、読んだことのある本がシャミッソーくらいだったのが今回の敗因だろう。ホフマンやドストエフスキー、ジャン・パウルの作品をもう少しだけでも読んでいれば結果は変わっていた。まったく、悔やみきれない敗戦である。ドイツ文学をもっと熱心に読まねばならないことを痛感した。それでもランクが親切なのか作品を論ずる観点が特殊なのか、逐一読みどころを紹介してくれるので有り難い。彼らの作品に共通するものが「分身」のモチーフである。
「常に、名前・声・服装といった実に細かい特徴に至るまで、主人公に瓜二つの似姿が問題となり、それが、まるで「鏡から盗み出された」(ホフマン)かのように、主人公の眼前に、それもたいていは鏡の中にあらわれる。そして常に、この<分身>は、その<原像>〔主人公〕の行く手に立ちはだかり、きまって女性とのからみで破局に向かい、おおむね〔主人公の〕自殺で――煩わしい迫害者〔分身〕に仕掛けられた死という迂回路を経て――幕を閉じる。若干の事例では、これが本格的な迫害妄想とないまぜにされているか、あるいはすっかりそれに置き換えられて、迫害妄想が完全なパラノイア的妄想系に作り上げられているように思える」(52ページ)
分身の登場からその関わり方まで、作品間に共通するものが大変多いことに驚かされる。だが、それを文学史的にではなく心理学的に扱うのがオットー・ランクである。
「一連の作家に共通するこれらの類型的特徴の指摘は、彼らの文学的依存関係を証明したいためではない。文学的依存関係は、いくつかの場合には確かに存在するが、他の場合にはありえないことである。むしろ、当該詩人たちの心的構造の同一性に注意をうながしたいのである」(53ページ)
そして第三章では、作家たちの精神的な背景が解き明かされる。昨今、犯罪者の生い立ちや身辺を調査してニュースにしていることが多い。例えは悪いが、本質的にはそれと同じようなものだ。「分身」のモチーフを取り上げた作家たちの実に多くが、私生活の中に精神的な混乱を抱えていたのである。
「ホフマン、ポー、モーパッサン、さらにレーナウ、ハイネ、ドストエフスキーというように、ここで問題になる詩人たちのこれほど多くの者が重い神経症ないし精神病のために倒れたことは、顕著な事実と認めざるをえない」(65ページ)
この混乱がどこから来るのか、それを解き明かすのが本書の目的であり、半分を占める第三章まではほんの導入に過ぎない。ここから一気に加速する。
「精神的情緒的障害にかかりやすい疾病素質は、自己自身とその心的状態や運命に対する異常なまでに強い関心が対応している、自我コンプレクスの異常な露出をともなって、極度の人格分裂を惹き起こす」(72ページ)
ランクによると「分身」のモチーフとは、分裂する自我への強烈にナルシシズム的な関心と、影や鏡像などに対する民間信仰に根付いた畏怖の感情がないまぜになって発生するものである。時代も国も違うのに同じような文学作品が生まれる経緯は、作家たちを苦しめたこれらの精神的な要素に認められるのだ。
最後に必ず「原像」の死が控えているのは、以下のように解釈される。「分身」を殺害しようとして他ならぬ自分自身に手をかけてしまうのも、これらの文学作品に共通する顕著な特徴の一つである。
「この種の自殺者は、ナルシシズムが脅かされる結果生じる死の不安を直接的自己破壊によって解消することができない。確かに、彼は唯一可能な解放である自殺へとむかうが、恐ろしい憎い分身の幻影でしかその思いをとげられない。なぜなら、彼はあまりにも自身の自我を愛し評価しすぎているために、それに苦痛を与えるとか、自己破壊の観念を実行に移すことができないのである。つまり「分身」は、その主観的な意味作用では、この〔疑似自殺者の〕ような立場にたっている個人がナルシシズム的に愛した自我の一発達段階から離れられずに、それが絶えず到る所で繰り返し彼に対立し一定方向の行動を妨げる、という心理的事実の機能表現であることがわかる」(109ページ)
ほんの100ページちょっとの本文に秘められる内容としては、いささか重たすぎる結論だ。精神分析の文学への援用はこれまで味わったことがなかったため、悪く言えばほとんど理解できず、良く言えば大変新鮮な気持ちで読むことができた。
そもそも、こんな本を通勤電車の中で読もうとしたのがいけなかったのだ。取り上げられた作品とフロイトの『精神分析入門』をよく読んだ上で、もう一度再読したい本である。
<読みたくなった本>
ハンス・ハインツ・エーヴェルス『プラークの学生』
ホフマン「なくした鏡像の物語」(「大晦日の夜の冒険」)
くるみ割り人形とねずみの王様 (河出文庫―種村季弘コレクション)
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ホフマン「分身」
ホフマン『悪魔の霊酒』
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ホフマン『牡猫ムルの人生観』
アンデルセン「影法師」
ジャン・パウル『ジーベンケース』
ジャン・パウル『ヘスペルス』
フェルディナント・ライムント『アルプス王と人間嫌い』
ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』
モーパッサン『オルラ』
ポリツキー『ある夜』(Jakob Elias Poritzky, Über Nacht)
ポー「ウィリアム・ウィルソン」
ドストエフスキー『二重人格』
- 作者: ジェイムズ・ジョージフレイザー,James George Frazer,吉川信
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