Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

二度生きたランベルト

『猫とともに去りぬ』を読んだ時、面白いと思いながらもそんなに重視していなかったロダーリが、私の中で見事な復権を果たした一冊。

二度生きたランベルト

二度生きたランベルト

 

ジャンニ・ロダーリ(白崎容子訳)『二度生きたランベルト』平凡社、2001年。


物語の始まりからして、突拍子もない。「まえがき」に詳しく書いてある通りだが、エジプトの宗教について書かれた書物の「名前を呼べば命は不滅」という言葉が、この物語の発端になっている。

「死者とこの世に残された者との係わりを、詩的なイメージで捕らえたっていうことだな、とりあえずはそう解釈した。死者は、生き残った者のあいだで話題になっているかぎり、つまり、その名前と思い出が、親しかった人たちに語り継がれているかぎり、生き続けている、と言えるのだから。しかし、この一文を、私は文字どおりの意味に解釈してみることにした。その結果どうなるか、それは、これから読んでいただくとおりである」(「まえがき」より、5ページ)

タイトルの『二度生きたランベルト』は、イタリア語の原題では「C'era due volte il barone Lamberto」、「むかしむかしあるところに~」という、昔話の書き出しの決まり文句をもじったもので、英訳すると「Twice upon a time」となる。つまり、「むかしむかしあるところに、ランベルト男爵が二度いた」となる。遊び心がふんだんに盛り込まれたタイトルなのである。

何とでも読むことができるが、私はこれをユーモア文学として楽しんだ。児童文学とも冒険小説とも言えるが、特に気に入ったのは細部にちりばめられたユーモアのセンスだ。

「「どこで聞いたんです?」
 「列車のなかです」
 「あああ、そういうことですか。列車ってのは、ホラを吹きたいときにわざわざ乗ったりするもんですよ」」(68ページ)

「運転手は、大急ぎで彼らをミアジーノ町まで運ぶ。そこが彼らの宿泊場所だ。18世紀のフレスコ画と19世紀絵画と20世紀の家電製品が調った、17世紀のお屋敷である」(98ページ)

巻末にはロダーリが亡くなった後にカルヴィーノが寄せた言葉が載せられている。それを読むと、ロダーリに対するカルヴィーノの敬意が浮き彫りになって、ひどく嬉しい気分になる。イタリア文学、という範疇を取っ払っても、この二人はちょっと似ているところがあることに気が付いた。

引用していたらきりがないほど、抜群にユーモラスに書かれた小説。翻訳が素晴らしく読みやすい。ここまで徹底的に、読者の便宜を図って作られた本もなかなか無いだろう。装丁も可愛らしくて良い。巻末にはロダーリの翻訳作品リスト、しかも他社版元のものが十割。内容もさることながら、大切に作られた本、という感じが、読んでいて非常に心地よかった。完璧。

二度生きたランベルト

二度生きたランベルト

 


<読みたくなった本>
ロダーリ『ファンタジーの文法』
→ロダーリの創作理論。「訳者あとがき」に紹介されていた。

ファンタジーの文法―物語創作法入門 (ちくま文庫)

ファンタジーの文法―物語創作法入門 (ちくま文庫)

 

ロダーリ『物語あそび』
→もう一冊の創作理論。追記(2014年9月29日):どうも上の『ファンタジーの文法』と同じ本であるような気がする。現物がないので確かめられない。

物語あそび―開かれた物語 (1981年)

物語あそび―開かれた物語 (1981年)