あまりにも騒がしい孤独
松籟社による「東欧の想像力」シリーズの一冊として出された、チェコの作家ボフミル・フラバルの代表作。
ボフミル・フラバル(石川達夫訳)『あまりにも騒がしい孤独』松籟社、2007年。
20世紀後半のチェコ文学は三人の作家によって代表される。ミラン・クンデラと、ヨゼフ・シュクヴォレツキーと、このボフミル・フラバルだ。クンデラ以外の作家はこれまでほとんど邦訳が無く、フラバルの代表作も今回ようやく訳されたという次第である。
社会主義による統制の最中、禁書とされた本を廃棄処分するべく、送られてくる本を圧縮プレスし続ける主人公ハニチャ。時折見つかる美しい本をこっそりと自宅へ持ち帰り続けている内に、心ならず教養が身についてしまった彼は、自らプレスして作り上げていく「紙塊」の心臓部にそれらの本を入れ、自らの仕事を一個の芸術作品として高めている。そのため、作業効率が非常に悪い。
「僕の職業にあっては、螺旋と環が一致し、未来への前進が本源への後退と一つになり、おまけに僕はそのすべてを、身をもって体験している。そして僕は、心ならず教養が身についてしまっているので、不幸にも幸福で、今では、本源への前進が未来への後退と一致するということについて、夢想し始めている」(68ページ)
ストーリーを一見しただけでは、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』のような作品を想起するかもしれないが、全く違う。ハニチャは書物を圧縮するという、彼の仕事自体を疑うことはないし、それを愛してさえいる。気概がないのだ。作品が圧倒的な諦観に包まれているのは、エマニュエル・ボーヴのようだ。
「世界の焚書官たちが本を焼いたところで、無駄なことだ。そして、もしそれらの本が何か意味のあることを書き留めていたなら、焼かれる本たちの静かな笑い声が聞こえて来るだけだ。なぜなら、ちゃんとした本はいつも、本の外の世界を指し示しているからだ」(9ページ)
カフカのようだった。20世紀後半のチェコ文学というものは、カフカの影響から逃れられないのかもしれない。カフカとエマニュエル・ボーヴを足して二で割ったような感じだ。
今更ながら、チェコ文学の豊潤さに気付き、驚かされた。ハシェク、チャペック、カフカ、クンデラと名を挙げてみると、世界文学への影響の強さを痛感させられる。面白いことだと思った。
<読みたくなった本>
カフカ『審判』
ハシェク『兵士シュヴェイクの冒険』
エステルハージ・ペーテル『ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし』
→ハンガリーの作家で、「東欧の想像力」シリーズ第三巻。これとは別に、フラバルを主題にした作品がある。
ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし―ドナウを下って (東欧の想像力 3)
- 作者: ペーテルエステルハージ,早稲田みか
- 出版社/メーカー: 松籟社
- 発売日: 2008/11/30
- メディア: 単行本
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