鰐
ドストエフスキーの初期の短編を集めた、ユーモア小説集。
ドストエフスキー(沼野充義編)『鰐 ドストエフスキー ユーモア小説集』講談社文芸文庫、2007年。
編纂は沼野充義だが、訳者には往年のロシア文学者たちの名が並んでおり、本人の訳は入っていない。その分、解説に非常に力が入っていて面白い。
以下、収録作品。
★☆☆「九通の手紙からなる小説」(小沼文彦訳)
★★☆「他人の妻とベッドの下の夫」(小沼文彦訳)
★★☆「いまわしい話」(工藤精一郎訳)
★★☆「鰐」(原卓也訳)
ドストエフスキーの言葉に「我々は皆ゴーゴリの『外套』から生まれた」というものがある。『カラマーゾフの兄弟』なんかを読んでいても、今ひとつ実感が足りないが、この『鰐』においては、ドストエフスキーが大いにゴーゴリの影響を受けていたことがよくわかる。
つまり「ユーモア小説集」の「ユーモア」とは、ブラックユーモアのことである。ケストナーやジェロームのユーモアではなく、ゴーゴリからアンドレイ・クルコフに繋がるような、皮肉なユーモアだ。
ところが埴谷雄高が「観念の自己増殖」と呼んだところの、ドストエフスキーの独特な「多声性(ポリフォニー)」は既に頭角を現しており、小説全体が騒音に満たされている。鬱陶しいほど、騒々しくて、それが笑える。
「鰐を見物しようじゃないか! ヨーロッパを旅立つにあたって、まず当地でかの地の住人と知り合うのもわるくあるまい」(「鰐」より、240ページ)
作家の特徴が顕著なため、ドストエフスキー入門に最適な一冊。同時にゴーゴリファンが狂喜するような内容だった。