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Riche Amateur

「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 ――フェルナンド・ペソア         

トロイラスとクレシダ

配架-イギリス文学 評価-★☆☆☆☆(普通) テーマ-ギリシア神話 いわゆる-戯曲

スウィンバーンによって「ヒュドラの頭を持った途方もない怪物」と呼ばれた、シェイクスピアトロイア戦争

ウィリアム・シェイクスピア(小田島雄志訳)『トロイラスとクレシダ』白水uブックス、1983年。


「いくらでも解釈の利く作品」ということにかけては、『ハムレット』にも劣らない。先のスウィンバーンの言葉はこの作品の多面性を表したものだ。そもそも史劇なのか悲劇なのかもわからず、喜劇だという人もいる。「問題劇」と呼ばれることもあれば『ゴドーを待ちながら』のような現代の「不条理劇」と並べられることもある。

以下、あらすじ。

トロイ(トロイア)の王プライアム(プリアモス)の息子で、ヘクター(ヘクトル)とパリスの弟であるトロイラスは、神官カルカスの娘クレシダと恋仲にある。時期はトロイア戦争末期、アキリーズ(アキレウス)がアガメムノンに対して怒りを抱いていることから、『イリアス』と同じ頃の話と読める。
神官カルカスはトロイア人でありながらギリシャ勢に寝返っており、トロイアに残してきた娘のクレシダを取り戻したいと切望している。その時ギリシャ勢はトロイアの将軍アンティーナーを捕虜にし、クレシダとの交換で彼を釈放する約束を交わしてしまう。使者としてダイアミディーズ(ディオメデス)が送られ、パリスとイーニーアス(アイネイアス)は彼女を迎えに行く。クレシダが初めてトロイラスと結ばれた日の翌日、二人の仲は引き裂かれる。
ダイアミディーズは一目でクレシダに惚れ込み、ギリシャ軍勢の中で彼女に言い寄る。和解の風潮の中、軍勢に招かれたトロイラスはクレシダに会うことを求め、ユリシーズ(オデュッセウス)に援助を乞う。そこでトロイラスは、愛の誓いとしてクレシダに渡した自分の袖を、彼女がダイアミディーズに渡す現場を見てしまう。
戦闘が再開すると、ヘクターはアキリーズを、トロイラスはダイアミディーズを討ち取るべく戦場へ出て行く。しかし、トロイラスにはダイアミディーズは討てず、ヘクターはアキリーズに討たれてしまう。

「ああ、目がまわる、期待がおれの心を
 ぐるぐるまわすのだ。甘美な味を胸に思い描くだけで
 もう感覚がとろけてしまいそうだ。どんなだろう、
 恋の芳醇なうま酒を実際にこの舌で味わったら?
 死ぬんじゃないか、気が遠くなって狂うんじゃないか、
 それともその甘い快感はあまりにもすばらしく、
 あまりにも微妙で、あまりにも鋭いため、
 おれのような粗野な感覚では味わえないんじゃないか」(111ページ)

ラストが凄い。凄すぎて未完かと疑うほどである。解説では「開かれた幕切れ」と呼ばれているが、そんな優しい言葉で評していて良いのだろうか。トロイラスは死なないし、クレシダもどうなったのか判らない。何故、このような幕切れを用意したのだろう。

「男のかたは恋をすると、できる以上のことをやると誓いながら、やらないことでもできると思っていらっしゃる。十以上のことをやると約束しながら、十分の一以下のことしかなさらない。声はライオンでなさることは兎、これではやはり化け物じゃないかしら?」(114~115ページ)

ところで、この本は『イリアス』を読んでいなければ全く理解できないだろう。『イリアス』よりも、さらに説明が少ない。トロイア戦争に関する知識をある程度持っていないと、手がつけられない代物だ。ここに、シェイクスピアがこの劇を書いた理由がある気がする。

ホメロスシェイクスピアは同じ題材を採ってはいるものの、登場する個々人の人物造型は全く違う。シェイクスピアにおけるアキリーズはネスター(ネストル)やユリシーズをも馬鹿にした態度をとる高慢な男であるし、ヘクターは彼の不意打ちによって命を落とす。騎士道精神なんて微塵も感じられない。そのアキリーズとパトロクラス(パトロクロス)を、道化役サーサイティーズは徹底的に馬鹿にしていて、メネレーアス(メネラオス)とパリスの争いも「淫売女を寝取られた男とその女に色事師よろしく自分の子どもを生ませたがっている男の争い」になってしまっている。

つまり、シェイクスピアは何らかの理由で、このトロイア伝説を皮肉りたかったのではないか。しかもこの伝説を良く知る人たちを対象に。何故かは判らないながらも、この目的が第一に上がっている気がしてならない。そうでもなければ、この説明の足りなさ、人物造型には説明がつけられないだろう。

「いかに天分に恵まれ、天分を発揮しうるものでも、
 人はその天分を他人にあきらかに示さぬかぎり、
 なにものも所有せざると同然と言うべきなり。
 また、その天分を示して世人の喝采を受け、
 そこに具体的な形を見るにいたらざるかぎり、
 おのれの天分を知らずと言うべきなり。世人の喝采は
 丸天井のごとくその声を反響させもすれば、
 太陽に向かい立つ鉄の扉のごとくその姿および
 その熱を受け、また反射するものなればなり」(129~130ページ)

とはいえ、どこを拾っても名言が出てくるあたりは、やはりシェイクスピアだ。

「おお、クレシダ、不実なクレシダ、不実な女、
 どんな不実なものもおまえの汚れた名前と並べれば
 みんなりっぱに見えるだろう」(208ページ)

クレシダを悪女と決めつけても良いのだろうか。このトロイラスとクレシダの物語には題材があり、古くにはチョーサーから様々な形で語り継がれているらしい。トロイア戦争以外にも題材があるのだ。彼らの物語をシェイクスピアが書き尽くす必要はなかったともとれる。チョーサーを読んでみなければ、何とも言えない。


<読みたくなった本>
チョーサー『トロイルス』
→『イリアス』を中世イギリス的に変換したものらしい。

トロイルスとクリセイデ―付・アネリダとアルシーテ

トロイルスとクリセイデ―付・アネリダとアルシーテ

 

クリスタ・ヴォルフ『カッサンドラ
シェイクスピアにもカッサンドラは登場する(ただしここでは、滑稽な気の狂った女)。

失踪者/カッサンドラ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-2)

失踪者/カッサンドラ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-2)